エッセイ
達磨
第1話 雉夢
それは子供のころに見た夢である。
近所にある天満宮の物見櫓に私はいる。季節はわからないが秋なのだろうか。長袖で寒くもなければ暑くもない。そんな心地よい日だった。天満宮は日本全国にある菅原道真公を祭る建物である。ここは小高い山の上に建立されている。昔は海に突き出た奇勝というにふさわしい景観であったが、灌漑に次ぐ灌漑により現在の形状に落ち着いている。説明の立て札をみれば1200年建立とのことなので古いがここでは新しい方である。瀬戸内の温暖な気候と中国山地に囲まれたこの地は災害が少なく貴重な史跡が多々偏在している。それこそ古事記・日本書紀の神代の物も保存されている。その筆頭はもちろん厳島神社と速谷神社である。
左右に牛と馬の銅像が配置された大社をくぐる。清め台があり、天地明察と書かれた二本の石柱がたてられている。これは天満宮の前に(今は公民館であるが)藩代にあった津和野藩船屋敷において学問が盛んであった事、堀田仁助という江戸泰平の御世に活躍した天文学、測量博士の偉業を暗に示している。そのさらに奥には6体の狛犬と4つの小社に囲まれた広場と石階段がある。階段を上り、山門を超え、更に螺旋状に上へと続く階段を上るとその寺はある。右手にはお参りの為の社があり、更に正面奥には絵馬と鐘がある。左手には清めの水が配置されその右手奥には物見台が備え付けられている。私はその物見櫓の手すりに寄りかかるように目の前の景色を眺めている。
物見櫓からは上ってきた階段と山門、更に正面の大樹のある公民館と民家とビルの隙間からこぼれるように海が見えた。私は土気色の様をつまらなそうに眺めている。
ふと横に男性がきた。その人は大人である。ゆえに私よりも背が高い。たびたび見る夢に出てくる男性は夢によって姿も違えば年齢も違う。この夢の男性は同じく長袖の服を着て、肩にとどくほどの長髪だった。右腕には成鳥の雉を腕に乗せている。尾ととさかの先っぽの赤以外きれいなこげ茶の毛並みの鳥である。左腕は雉が逃げないように足をしっかりつかんで離さない。鳥は動けないのか置物のように微動だにしない。私は珍しい人が来たなあとその人を見ている。ふとその人が触ってみるかと鳥を私の腕に近づける。私は目を輝かせ、言われるがまま、おそるおそる左腕を出した。その人の服の上からまいた左腕上腕の白い包帯が嫌にまぶしかった。
鳥の名を私は知らない。そこまで美しいというほどの鳥ではない。古ぼけているけれど威厳のある不思議な気品がある。博物館にひっそりと飾られる錦旗のようなあの歴史物独特の雰囲気がある。また、この鳥を非常に貴いものと思う反面そこまで大したものじゃない。何の変哲もないただの鳥だという二律背反した思いが私を苦しめた。
ふと鳥と目があった。羽毛に埋もれるような黒くて小さな目は透き通るようにきれいだった。きれいすぎて周りの世界が朧に揺れる。実在を失う世界の中でその鳥だけが確たる存在を主張していた。軽いのか重いのか。柔らかいのかかたいのか。触れなければわからない。しかし触れないほうがいいのではないかという思いがふいに胸に去来した。触れてしまえば消えてしまうという物語は多々あるではないか。永遠に失われ、二度と戻ってこないという話は多々あるではないか。なにがきっかけで事が起こるのか、わからない。いつも物事は知らぬうちに始まって知らぬうちに終わっているのだ。本人の意思とはまるで関係なく。それすら嘲笑うように。
よし、とその人が自分の腕から私の腕に鳥を移す。その人が雉を私の左腕に移そうとし、私の腕に鳥の足が触れる瞬間、雉は大きく羽ばたいた。驚いたその人は雉の足を一瞬だけ放してしまう。その隙に雉は自由になった体を虚空に踊らせた。その人はやってしまったと飛び立った姿を見て雉を捕まえようと急いで階段を下りていく。
私は憮然としてただ鳥のほうを見る。私は鳥をつかめなかった。私は鳥をつかむべきだっただろうか。鳥は得た自由に歓喜するようにゆったりと優雅に風に乗る。山門を越えて狛犬も小社も越え大社を越えて飛んでいく。翼を広げた姿はとても美しかった。
エッセイ 達磨 @darumarenma
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