1-3
昼から宿題を済ませ、そして掃除に追われ……気づけばもう夜の帳が下りていた。
毎週部屋の掃除をするようなマメさは湊にはない。しかしこれからはそうはいかないと、頭を悩ませることになった。毎週どころか毎日掃除に追われることになるだろう。
ゴミ袋いっぱいに詰まった斑な羽根の山を見て、一人ため息をつく。
「どうしたの?」
「いや、これから大変だなって思ってさ」
散らかしている本人には、まったくそのつもりがないようで。
目をぱちくりとさせてキョトン顔。
羽ばたく度に散る羽根をどうにかして欲しいと、湊は心の中でぼやく。
「そういえばミナト、あなた家族は?」
「いきなりどうしたんだ?」
ゴミ袋を部屋の隅に追いやりながら訊き返す。
「いえ、一日中家が静かだなって思って」
「ああ、両親なら出張でいないよ。一つ上の姉はオカルト研って怪しい部の部長でさ、今日は部室で何かやらかすみたいで。たぶん帰りは天辺回るんじゃないか?」
「そう」
ため息をつく湊の背中に、ルシファーからさほど興味なさげな声が返ってくる。
彼女は基本そんなスタンスだから、別段気にしない。
「さて、部屋も片付いたことだし。そろそろ晩飯時だけどさ、お前はどうするんだ? ていうか、お前たちも腹とか減るの?」
時刻は午後七時半を回っていた。湊は、サイドボード上に飾られたスチームパンクな地球儀を、くるくる回して遊ぶ少女に素朴な疑問を投げかける。
「減る者もいるわ。それで魔力の充実を図る悪魔も確かにいる。けど、私は大丈夫よ」
「そっか」
日本が正面に来たところで手を止めて、ルシファーは振り返った。
「食事?」
「うん、ついて来るか?」
「……そうね」
逡巡した後、湊の言葉に頷き返し、少女は六枚の翼を羽ばたかせた。飛翔と同時、再度宙を舞う白黒の羽根。
一瞬その美しさに見蕩れそうになったが――湊はこめかみに手をやって頭を振った。そうして、少女と並び諦めて階下のリビングへと降りていくのだった。
夕食は簡単だ。冷凍されているカレーのレトルトパックを温めてご飯にかける。
スクランブルエッグを焼き、洗ったレタスを千切って皿に盛り付けた。冷凍とは言え、大手のチェーン店が監修した本格カレーで、味は文句なしに美味しい。
夕食の準備が整う頃。
液晶テレビから、八時スタートの生放送音楽番組のBGMと、司会者の声が流れてきた。
テレビ前のベストポジションに陣取るルシファーが、ソファーの背もたれに腰かけながらそれに見入っている。
どんな顔をして視聴するのか気になって、いつもならダイニングテーブルに座るところを、わざわざテレビ前のローテーブルに移動した。
テーブルにトレイを置き、脇にあった新聞の番組表に目を通す。
今夜はロックバンド、アイドルグループ二組にソロのポップス、そして有名な外国人の歌手が出るようだ。
地べたに座り、カレーに舌鼓を打ちつつしばらく見ていると、
『本日予定しておりました「プリンシパル」のお二人は、都合により欠席となりました。視聴者の皆様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、どうかご了承ください』
番組アシスタントの女性が陳謝する。
次いで、黒縁眼鏡をかけた司会者が聞き覚えのない名前を紹介した。
『さて、二人に代わって、飛び入りで参加してくれた新人さんを紹介しましょーう。
『はい! 急遽飛び入りで出演させていただくことになりました、久遠時雨です。まだまだ未熟者ですが、よろしくお願いしまーす』
その女性は裏表のなさそうな快活さで、溌剌と自己紹介をした。
幼さを残す顔と愛らしい八重歯が印象的だ。いわゆるゴシック系のダークな衣装とは正反対な性格で、多少雰囲気に違和感を覚える。
生放送番組だから、トラブルは別段不思議なことではない。しかし飛び入りで新人を出演させたことなど、湊が生まれてこの方一度も目にしたことがなかった。
まあそういうこともあるんだろう。
さほど気にも留めず、久遠時雨の容姿に目をやって……思わず掬いかけのカレースプーンを取り落とした。
カランと響いた硬質な音が、どこか遠くのことのように鳴り渡る。
「お、おい、ルシファー……あの無駄に凝った装飾のネックレスって――」
「ミナトも気づいたようね。間違いないわ。彼女、大罪の悪魔と契約してる」
それは久遠時雨の首元にかかっていた。
名状しがたい捩れた何かが、荊のような螺旋となって逆十字に絡みついた歪な首飾り。
ちょうど司会者がトークを終え、スタンバイを促した直後だった。
まるでグラス越しに見るアルコールみたいに、久遠時雨の周囲の空間が揺らいだ。やがてそれはたわみ始めて幾筋もの亀裂が入り、黒いもやもやが噴き出す。
周囲がざわつき、得体の知れない現象に慄いた出演者たち。彼ら彼女らは、驚嘆と悲鳴を上げながら我先にとひな壇から次々に降りていく。
久遠時雨も離れたいのだろう。しかし靄が手足に絡みつき身動きが取れないでいた。もがくその表情はえも言われぬ恐怖に歪み、マスカラは溶け黒い涙となり流れていた。
全国放送枠であるにもかかわらず、隣で起こる不気味な現象に、司会者は意識だけが昇天したようにだらしなく口を開け、ただただ茫然自失していた。
「おいおいおい! あれどうなるんだよ、いったい何が起こってるんだ?」
無言のまま画面を見つめるルシファーの瞳に、湊は憤怒を見た気がした。
次の瞬間――
『きゃあああああ!? 』
テレビに振り向いた時、久遠時雨は悲鳴だけを残して、闇に飲まれるように跡形もなく消えた。画面上に残されたのは、ルシファーとの契約書に似た黒く輝く文字だけだ。
それから数秒の間を置いて、テレビ画面は真っ白に塗りつぶされる。『しばらくお待ちください』との文字が、機械的に横へと流れていく。
神隠しとしか形容できない、出演者の突然の失踪。放送事故と判断してのことだろう。
「…………」
愕然としたまま、湊は画面を見つめていた。声を発することも忘れてしまったかのように。
非現実がこの世に存在すること、それはニバスと出会った時からすでに認識していた。けれど、それ以上のありえないことが実際目の前で起きた時、脳はそれを理解することを拒むのだ。
ルシファーが声を発するまでの数秒、湊にはその時間がとても永く感じられた。
「何から話すべきかしらね。とりあえず、恐らく今あなたが知りたがってることを、順を追って話すわ」
真剣な表情を見せると、彼女はソファに掛けなおす。
そして湊の瞳を見た。
「まず前提として、七つの大罪の悪魔はすでに皆顕現し、戦いはもうすでに始まっているということ」
湊は息を呑む。
今しがた放送された映像を脳内で再生し、ことの緊急性と重大さを認識した。
「そして彼女、クオンシグレを領域に引きずり込んだ張本人は、間違いなくサタン」
「……サタン」
無意識にその名を復唱していた。
悪魔と聞けば、誰しもがまず初めに思い描く名であろうくらい有名だ。
「さっき映っていた黒文字ね、筆跡には人間と同じで癖があるの。私が見紛うはずがない。サタンのもので間違いないわ。そしてたぶん、彼の最初の獲物が『嫉妬』のレヴィアタン」
「レヴィアタン……」
画面向こうで消えた久遠時雨のネックレスを思い出し、湊は小さく呟いた。
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