第三羽 暴食のベルゼブブ

3-1

 立花英嗣とアスモデウスを倒してから、約一週間が過ぎた。

 英嗣の失踪はすぐに噂が広まった。

 連絡がつかないことに不安を感じた、英嗣の取り巻きが通報したからだ。親も連絡がつかないとのことで、早々に警察へ届け出た。

 失踪に関して、当初はさまざまな憶測が飛び交った。事件に巻き込まれただの、例の神隠しだの。

 当事者である湊には、耳の痛い話だったが……。

 けれどそれも三日ともたなかった。疎ましく思う者こそあれど、彼を好く人間は少ない。いなくなったらいなくなったで、喜ぶ人間の方が多かったのだ。

 黄色い声で囃し取り巻いていた女生徒は、あの時が嘘のように静かになっていた。普通に戻ったと言うべきか。

 ルシファーによれば、アスモデウスの気が中らなくなった為に、理性を取り戻したらしい。当時のことを彼女らはあまり覚えていないそうだ。

 英嗣があれだけ固執していた音遠が、なぜその『気』に中てられなかったのか。それは彼女の中に信仰心があったからだと、堕天使は言っていた。

 あの薄汚れた教会に神霊の類はいない。

 けれど、地場が放つ特殊な神気は未だ健在らしい。想いが気を寄せ集め、身を守るヴェールとなっていたのだ。湊が足を踏み入れた際に感じた不快感は、ルシファーの契約者になり、『地獄に近い者』になった故だそうだ。

 神代音遠はあの夜に約束した通り、悪魔との闘争も英嗣の失踪も、他言は一切していないらしい。ルシファーが霊体化して憑いていたから間違いない。

 別に信用していなかったわけではなかったが、ルシファーが疑って独断で行動していたために知る事ができた。

 約束は守る子だと知れて、あの日に少しだけ下がった音遠の評価も、湊の中で上昇傾向にある。


 そして今日は日曜日。

 そんな音遠と待ち合わせ、湊は遊園地に来ていた。

 家から電車で一時間ほどのところにある、茅敷町かやしきまちの大型テーマパークだ。

 売りは絶叫マシンとホラーハウス。そして何より特筆すべきは総工費五百億円という、ファンタジー映画に出てくる一つの城下街を再現したパークが、最近オープンしたことだ。


「なんでこんなことになってるんだ」


 うねる絶叫マシンの滑走音、搭乗者の叫び声。笑い合う恋人、微笑ましい家族、雑多に行き交う人、人、人。

 ベンチに座り、嘆息しながら往来を目で流していた。

 正直、人込みはあまり好きじゃない。湊は半ば辟易しつつ、クレープ屋で注文を待っている音遠の背中を見つめる。


『口止め料がデートだなんて、可愛らしいものじゃない?』


 肩口で浮遊する霊体化した堕天使が、他人事みたいに笑った。「強かなんですよ」の一件以来、音遠に興味が沸き少し気に入ったらしい。


「あのな、俺はこういうところが苦手なんだよ」

『いつもは人込みの中にいるくせに』

「あれは学校だから仕方ないだろ。不可抗力だ」

『だったらこれも不可抗力よ?』

「違うだろ。元はと言えば、お前が勝手に霊体化を解いたことに端を発するただの自爆だ」

『別に私に被害はないから、どうということもないわね』


 本当に他人事だ。自分は霊体化してただ飛んでるだけだからいいよな。と、いい加減問答すら面倒くさくなった湊は、心の中でため息を漏らす。


「湊くーん!」


 肩を落としたところで、音遠から声がかかった。

 人込みの中でしかも大声で名を呼ばれ、大衆からじゃっかんの注目を浴びてしまう。ざわつく人々の往来の中、湊は一人縮こまる。迷子でアナウンスされる以上に恥ずかしい。

 駆けてくる音遠の両手にはクレープが二つ。三種のベリーとクリームチーズに、チョコクランチのようだ。


「クレープどっちがいい? って、どうしたの?」

「……どうもしないよ」


 人目を気にしない音遠に気まずげな視線を投げながら、人目を気にして湊はそっけない態度を取った。

『ふ、ふふ……でこぼこコンビね、ッあははは!』なにがそんなに面白いのか、ルシファーは腹を抱えて爆笑している。

 確かに傍から見たらちぐはぐだろう、それは認める。

 生まれて此の方、湊は女子と付き合ったことがない。正直、どんな顔をしてこの状況をやり過ごせばいいのか戸惑っている。

 不意に鼻先を掠めた甘い香り。目線を上げると、音遠がクレープを二つ差し出していた。


「はい、どっちがいい?」


 屈託のない笑顔で問われ、ドギマギしながらも湊はチョコクランチを受け取った。


「ありがとう。後で払うよ」


 幸い、このデート中にかかるであろう費用を賄えるくらいのお金は用意してきた。特にこんな日を想定して貯金をしていたわけではないが、事が事だけに、口止め料なら安いものかもしれない。

 クレープに噛り付き、美味しさに感嘆し、それを音遠に伝えようと湊は顔を上げた。


「んー……」


 むっとした顔をして彼女が見下ろしている。


「ん、どうかした?」

「湊君」


 声のトーンが低い。どうしてか分からず、湊は首をかしげた。


「デート中にお金うんぬんのことは言わないのが、マナーじゃないかな?」


 どうやら奢る旨をいま伝えたのが不味かったらしい。女性慣れしている男なら、こういう時はきっと自分がクレープを買いに行くことだろう。

 最初から奢るつもりならその方がスマートだ。その点現状は、その前提事項すら満たせていない。ここは黙って受け取り、後で食事をご馳走するなりして挽回する方がよかったのだ。


「ごめん」


 湊は素直に謝ることにした。

 今ほど女運に恵まれなかったことを後悔したことはない。

 それもこれもルシファーのせいだ。湊は、あの時霊体化を解いた堕天使を恨んだ。浮遊する少女に目を移すと、「まるで分かっちゃいない」と呆れた顔で首を振り、肩を竦めてため息。

 嘆息したいのはこっちだというのに……。


「うん、反省してるんならよろしい!」


 音遠は頷き、湊の隣に腰掛けた。ふわりと微風に乗って、瑞々しい花の香りが漂ってくる。

 彼女は小さな口でクレープの端っこを齧ると、むにゅっとはみ出た生クリームが口の端に付着した。

「んぅ!? 」恥ずかしそうに頬を染めると、右手の小指でそれを拭い、そのまま口に放り込む。

 えへへ、とはにかむ音遠の顔が、いつもよりも幼く見えた。

 改めて湊は容姿に目を配る。白いブラウスに、多段になっている黒いミニスカート。膝上までのニーソックス。編み上げの黒いショートブーツはじゃっかんヒールに高さがある。

 普段の学校での大人しく控えめな彼女からは、想像がつかない私服のチョイスだ。もっとこうゆるい感じというか、明るくふんわりしたもので来ると思っていた。

 暢気に浮遊する堕天使を横目で見る。今日も相変わらず白黒のドレス姿が決まっている。

 そしてなんとなく自分の私服を確認した。白いシャツに灰色のジレ、黒のパンツ。格好だけなら、自分よりもルシファーの契約者らしい。湊はついそんなことを思う。

 左右交互に目を配っていると、なんだかモノクロの万華鏡でも見ている気分になってくる。


「似合ってるね、その服」


 白黒に挟まれて、思わずそんなセリフが口をついて出た。どちらに対して言ったんだろうか。いや、どちらに対しても普段そんなことは口にしない。きっと混乱していたのだろう。


「意外。湊君がそんなことを言うなんて」


 なぜか感心されてしまった。自分だって驚いているというのに。


『口説きにかかったの?』


 ――耳元で堕天使がいちいち煩い。なんで楽しそうなんだよ。反応したらこっちが負けだな。

 湊は咳払いを一つし、別な話題を提供する。


「それより、この後どうする?」

「うーん、どうしよっか。湊君は乗りたいのとかある?」

「逆に聞くけど、神代さんは――」


 そこまで口にしたところで、音遠の顔がずいっと鼻先三寸まで近づいてきた。


「音遠だよ?」


 ベリーの甘酸っぱい吐息が鼻腔をくすぐる。なんで彼女はこんなにも無防備なんだろうか。顔を少し突き出せば、すぐにでも唇が触れそうだ。

 そんな勇気はないが、おかげで顔が熱い。

 のぼせる頭の中で湊は思い出す。口止めの条件としてデートついでに頼まれたこと。それは名前で呼ぶことだった。

 今まで女子に対して名前で呼んだことはない。照れくさかったし、何より虚飾の仮面がそれを許してこなかった。当たり障りのない態度をとっていたら自然、そうなってくるものだ。

 初めて女子を名前で呼ぶ。湊はひとつ深呼吸をし、覚悟を決めた。


「ね、音遠……さん」

「さんはいらない!」

「うっ……ね、音遠」


 気まずさを押し込めて早口で呼び捨てにすると、彼女は嬉しそうに頷いた。

 ただ名前を呼び捨てにするだけなのに、一日の精神疲労が一度に来たみたいにどっと疲れる。こんなことで今日一日、デートなんて出来るのだろうか。


 クレープを食べた後、二人はいろいろなアトラクションを回った。

 意外にも音遠は絶叫マシンが得意らしい。湊は昔、身長制限ぎりぎりで乗った時の恐怖が忘れられず、いまだトラウマになっている。

 堕天使のくせに楽しむルシファーと音遠に挟まれ、マシンの滑走中、楽しげに叫ぶ二人を余所に湊はずっと目を瞑っていた。

 せめてホラーハウスではいいところを見せようと気を取り直し入ったが、音遠は一切怖がる様子を見せなかった。

 腕くらいは掴んでくるだろうと淡い期待を抱いていたが、「よく出来てるねー」と感心するばかり。隣ではルシファーが、「子供騙しね」とアトラクションに駄目出し。

 結局、湊はいいところを見せるどころか、自分だけが怖がっていた始末。


 時刻がちょうど正午を過ぎた頃――

 二人は昼食をとるため、フードコートに立ち寄った。


「なんだろ、人だかりが出来てるね」


 そこは雑誌やテレビにも取り上げられる、人気のレストランのチェーン店だった。

 本場ナポリ仕込のピザが有名で、本格石窯焼きのマルゲリータが一番人気だ。

 トマトとモッツァレラチーズ、そしてバジルの葉をのせて焼いただけのシンプルなものだが、使用食材にもこだわり一切の妥協を許さない。

 トロトロのチーズに新鮮なトマト、バジルがアクセントを利かし絶妙な風味を味あわせてくれる極上ピザ。というのはテレビからの受け売りだ。

 どうやら屋外テーブルを囲うように半円状に人が集まっているらしい。

 よく見るとメディアも入っているようだ。カメラや照明、集音マイクなどが確認できた。

 幾重にも衆人が重なっており、彼らが動かなければ、どうあっても店には入れそうにない。


「ここのピザ、食べてみたかったのになぁ」


 喧騒の中、音遠は残念そうにぽつりと呟いた――


「まあ、ピザは逃げないし。また今度来た時にでもしたら?」

「えっ? また付き合ってくれるの!」


 かと思いきや、ぱあっと花が咲いたように輝く笑顔。


「いや、誰もそんなことは――」

「付き合って、くれないの?」

「う……」


 捨てられた子犬みたいに眉を下げ、彼女が上目遣いで見上げてくる。懇願するつぶらな翠瞳に射止められ、照れくさいのにどうあっても目を逸らせない。


『ふふっ。観念するしかないようね』


 ここで断れば、秘密をばらされるかもしれない。

 それを考慮し、逡巡した後、


「分かったよ」


 湊は潔く降参して同意した。「やった!」と、音遠は嬉しそうに控えめなガッツポーズ。

 小さく嘆息しながら、自分たちのやり取りを楽しんで見ていたルシファーを見やる。

 いまさっきまで笑っていた彼女の表情が、なぜか強張っていた。

 湊と目が合うと、何事もなかったように微笑む。気になりはするが、今は昼食をどうするかだ――。


 あれから結局、比較的空いていた別のレストランで昼食をとった後、二人は新オープンの城下街を見に行くことになった。

 ちなみに、もちろん昼食代は湊のおごりだ。

 城下町はオープンしたばかりということもあり、エリア一帯は人々でごった返している。

 中世ヨーロッパの町並みを完全再現を謳っているだけあり、雰囲気は映画のイメージ通りだ。

 不揃いな石畳の遊歩道沿いに、軒を連ねるさまざまな店。

 一見不規則に建てられたレンガ造りの民家は、風景を殺さないよう計算されつくして配置されている。城下からおよそ六百メートル先には、背の高い尖塔を持つ白亜の城が聳えていた。

 噂によると、城の内部には全面鏡張りの部屋があるらしい。

 二人はウインドウショッピングをしながら町並みを楽しんで歩く。

 甲冑を着込んだスタッフと写真を撮ったり、魔法使いの店でお土産を買ったりした。

 つばの広い三角帽を押し下げては、音遠がはしゃいでいる。ファンタジーな景色に溶け込んでいてまるで違和感がない。

 そんな彼女に笑んでいる自分に、湊は気づいた。

 どうやら思いのほか、この状況を楽しんでいるらしい。そんな心境の変化をルシファーはどう思うだろうか。

 浮遊する少女に視線を転じる。

 少女は明後日の方を向いていた。その視線が険しさを孕んでいることに、湊はすぐに気づく。


「なにかあったのか?」

「え、なにが?」

「あ、いや、神――音遠じゃなくて」


 慌てて言い直すと、音遠は勝手知ったりといった得意げな顔で何度も頷く。


「ルシファー様?」


 小声で口を寄せる彼女に、湊は無言で頷いた。


「……ルシファー?」


 なるべく傍から怪しく思われないように、背中を掻くフリをして湊は肘で小突く。


『えっ。ああ。なんでもないわ、気にしないで』

「お前、さっきからちょいちょい変だぞ。なに怖い顔してるんだよ」

『いいから、あなたはデートに集中してなさい!』


 心配しているのになぜか怒られてしまった。

 そうまで言うなら気にしない。湊は音遠と共に、威風堂々と聳える城を目指した。

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