赤褐色の魔女

【お題:一番好きな色】


日が頂点から降り始め、昼食の時間もそろそろ落ち着くであろう昼下がり。

優しく吹き付ける風に両端に結われた灰桜色の長髪を流れるままに靡かせながら、私はたった独り、ふわりふらりと音も宛も無く歩を進める。

ほぼ一本道となっている石畳を真っ白なネグリジェ姿で長時間歩く私は普通であれば大層目立っていることなのだろうけれど、生憎整えられた道路の左右に隙間なく延々と並べ立てられ、まるで私を見下ろすかの様にこちらを向いている洋風の家屋たちからは人間どころか生物の気配のひとつでさえ感じることが出来ない。

別に露出狂というわけでは無いので全く持って関係は無いのだが。しかし本心は何もいらないと言わんばかりに全てを脱ぎ捨ててしまいたい気持ちでいっぱいなのは秘密である。


「確か、こうゆうお家の外見は北米風だとかって言うんだっけ?」


突拍子もなくぽつりと呟かれた私の言葉に反応を示してくれる者が辺りに存在するはずも無く、この疑問の真偽を今すぐに確かめることは出来なさそうだ。

とはいえこの私がそう言っているのだからきっと正解なのだろう。アメリカンスタイルなんて言葉も浮かんだがなんだかもう面倒くさいので勝手にそう思い込んでおくことにする。


「それにしても生物の気配は全然しないなあ、ここ。どうしてだろ?」


今日この日は商売道具である“ある物”を数日前から定期メンテナンスに出しているため何もない休日となっている。

それが無いからといって仕事が一切出来ないのかと言われると実際何ら問題も無く遂行することができるのだが偶にはこんな日があっても良いだろう。

こうして作られた休日を良いことに何も考えず魔界の見知らぬ土地を散策してる途中でこの街らしき場所を見つけ、つい好奇心でそのまま迷い込んでしまったのまでは良かったが、どうにもここは様子がおかしい。

迷い込んだ瞬間から既に生物の気配がないこともそうだが、街と言うにはあまりにも道が少ない、というよりも今まで延々と真っ直ぐ進み続けてきたこの大きな道以外にまともに通ることができそうな所と言えば家と家の間の狭い空間くらいしか無いのだ。

一歩間違えると紛うことなき住居不法侵入である。そもそも人のいないこの場所で日本のその法律が通用するのかどうかは危ういところではあるが。

ちなみにその猫か泥棒、はたまた薄くなった某赤い配管工くらいしか通ろうと思わないであろう隙間からは奥にもまだ街並みが存在してることが確認できるので尚更このことに違和感を感じる。


「別の道に入りたいけどこの狭いところ通るのはちょっとなあ、だからって家壊すのも手間かかりそうだし飛び越えちゃえばいっか」


いくら暇であっても同じ道を歩き続けるのもそろそろ飽きてきた。とりあえずは屋根の上に跳び乗りそこから周囲を見渡してみることにする。

先程までの不法侵入等の流れはどうしたのかという点については返答しかねるのでくれぐれも質問しないように。

軽く脚に力を込めひょいっと跳び上がり、ふわりと静かに日によりほどよく温められた屋根材の上に降りる。

この触り心地が石のようで石ではない素材の名前は何と言うのだろうか?粘土のようなものと聞いたことがあるがそれは又聞きな上に調べたこともないので信憑性は危うい。


「あー、やっぱり他にも道がある!というか思ってたより広いんですけお……」


屋根の上に立ちきょろきょろと周囲を見渡すと、今まで左右の隙間から見えていた道どころか、この場所から見渡す限り全ての範囲に同じような景色が続いていた。

正確には同じような景色の中に一か所だけぽつりと丸い円のようになっている場所が地平線ギリギリの位置に確認できる。

ここからその場所までどのくらいの距離があるのか正確にはわからないが、その周囲の建物がミニチュアのように見えることからそれなりに距離があることは理解できた。


「あれって何なんだろ?真ん中になにかあるっぽいし広場か何かではあるんだろうけど」


いくら私の眼が良くてもこうも離れていると流石に鮮明には見ることが出来ない。

広場らしきものの中心に見える“何か”も気になるのでとりあえずはその場に向かうしかないだろう。

そして目標地点が決まれば話が早い、そこまで一気に突き抜けるだけである。


「これだけお家があるなら少しくらい壊れちゃっても平気だよね、ミイちゃんしーらないっと!」


再び両脚に力を込め、そして勢いよく助走を付けてから強く屋根を蹴り付ける。あまりの勢いに蹴り付けられた屋根は大きく拉げてしまっているが先程私が知らないと言ったのでここがどうなろうと知ったことではない。

そして勿論拉げてしまう程の力で屋根を蹴り付けた私も勢いよく数件先にある次の家屋の屋根に向かって前進する。もとい吹き飛ぶ。

髪とネグリジェでバサバサと風を切りながらこの動作を繰り返し、6件目の家屋の屋根を踏み壊した頃には既に最高速に達していた。

恐らく上空から今の私を見ると家屋を破壊しながらとてつもない速度で進む謎の土煙くらいにしか見えないのではないだろうか。実際どうなっているのかは少し気になるところだ。

つまり私は今明らかに生身の人間では不可能な速度で進んでいる。音速とまではいかないであろうが高速道路を特に理由無くスピード違反のまま走り抜く格好悪い車くらいには早い、ちょっぱやのはずだ。

なんてことを考えているうちに目標地点間近であったりする、どこぞの青い針鼠もびっくりの速度ではないだろうか。


「はい、とうちゃーくっ、?なに、この臭い」


目前に捉えていた広場であろう円の範囲に脚を踏み入れた瞬間、今までは感じることのできなかった不快な異臭が鼻を突きその場に前屈みで俯いてしまう。

軽い生理的な吐き気をも催すまるで錆びた鉄と獣の臭いが混ざり合い腐敗したかのようなこの異臭。


――血の匂いだ。


私の職業の特性上この手の臭いには慣れているのだが、今回のものは特に嫌悪感を煽るものとなっている。

この不快な臭いへの苛立ちを感じつつも身体を起こし、某ドームの半分くらいは入ってしまいそうなほどやたらめったらに広いこの場所を塗りつくす異臭の発生源であろう方向、広場の中心にしっかりと目を向ける。するとそこにはお世辞にも綺麗とは言えない赤褐色の液体をどろどろと吐き出し続ける噴水が禍々しく鎮座していた。

血液らしき赤褐色を吐き出し続けるその噴水の上には背中に天使の羽根らしきものが生えた美しい女性の大きな石像が建てられているのもまた気味が悪い。


「なあにこれ、悪趣味すぎない?」

「あら、それは失礼じゃないかしら?下着姿で出歩く破廉恥なお嬢さん」

「っ、誰?!」


上部の天使像に気を取られていたとはいえ、一体いつから、どうやってそこに現れたのかもわからない女性が噴水の淵に座りこちらを怪しく見据えていた。

魔女のような帽子とドレスを身に纏った女性、それだけであればどこにでもいるただの魔女なので特筆すべきところは無かっただろう。しかし、どうしても視線を取られてしまう普通の魔女と彼女の相違点、それは彼女の身に纏っているもの全てが具合の悪い赤褐色で染められていることである。

私がドレスに目を取られていると、それに気が付いたのか赤褐色の魔女は口元をキューっとまるで狐の面のような笑顔を帽子から覗く顔に張り付けた。


「素敵でしょう?このドレス。私の一番好きなもので染め上げているの。ここまでの物を仕上げるのはとても大変だったわ」

「血で染めてる趣味の悪いドレスってことに関してはもうわかってるから、何の血で染めたのかだけをさっさと教えてほしいのだけど」

「ふふ、そこは名乗りもしない私に対して先に名前を名乗れとでも言うのが初対面のセオリーじゃないのかしら?」

「貴女の名前なんて聞いても忘れちゃうもん。生憎興味の無いものに記憶の容量を割けるほど私の頭は馬鹿じゃないの」

「馬鹿だからこそ覚えていられないの間違いじゃないのかしら」

「賢いからいらない記憶を捨てる事ができるんだよ。頭が岩みたいに硬くなって取捨選択どころか捨しかできなくなってる魔女のおばさん」

「初対面の相手に対して失礼なお嬢さんね。せっかくその下着を含めて見た目は可愛いのに台無しだわ」

「下着は下着でも私が着てるこれはネグリジェですーっ、ミイちゃんが超絶可愛いことは認める」

「そうなの、それはネグリジェと言うものなのね。そしてその超絶可愛い貴女の名前はミイちゃんで良いのかしら」

「この状況でそれが私の名前じゃなかったら一体誰のお名前なんですかってなっちゃうんですけお」

「一々癪に障る返答をするわね貴女。“ちゃん”までを名前として認識するわよ。まあいいわ、私は別に貴女とお話するためにここに現れたわけじゃないもの」

「てっきり歳だけ取りすぎて若い子と話が合わなくなった独り暮らしの寂しいおばさんがここに迷い込んだこの天使みたいに可愛いミイちゃんに対して悪趣味赤褐色噴水の自慢でもするために現れたのかと思ってた」

「貴女の名前は今日から“ミイチャン”ね、私が決めた、今決めた。良くもまあこの状況でそんな口を利けるわよね貴女。何かあったら明らかに貴女のほうが不利なのよミイチャン」

「勝手に人の名前伸ばさないでくれるかなオ・バサン、それに何かって何のこと?戦闘だとでも言うならオバ・サンをバラしちゃえばそこで終了だよ」

「私の名前を勝手にオバサンにするのやめてくれるかしら、しかも上下に分けるなら分ける場所を統一しましょうよ呼ばれる度に句読点が入る場所が違うとか嫌よ私、毎回反応に困るじゃない」

「元々名前を知ろうとしてくれるかも分からない相手に対して最初に名乗らなかったオヴァサンがいけないと思いまーす」

「ああもうわかったわよ私が悪かったわ。なんだかもうリヴァイアサンみたいになってきてるし名乗るわよ。私の名前はアメリア・テイラーよ」

「ふうん、結構普通の名前なのねおばさん」

「あのねえ、名乗ったのだからせめて名前で呼んでくれないかしら?」

「はいはいアメリアおばさん」

「おばさんを外しなさい痴女娘」

「しゃあ、アメちゃん」

「アメちゃんってそれじゃあまるで飴玉みたいじゃない、結局おばさん要素残ってるわよね?!……はあ、全く調子が狂うわね。さて、脱線しすぎている話を戻しましょうか。貴女ついさっき自分で私のことを『バラしちゃえばそこで終了』と言ったわよね」

「言ったけれどそれがどうかした?事実でしょう」

「そうね、たしかに私をバラバラにして殺すことが出来るのならそれは事実。だけれど今ここで私を殺すことは不可能よ」

「なんで?どうせただの魔女でしょ?それならバラせる」

「貴女がこの広場に侵入するまで、私やこの匂いを感知することは出来なかったでしょう?ついでに噴水から吹き出るこれも確認できなかったはずよ」


思い返してみると確かにこの魔女が言っていることは正しい。

臭いについては数分前の私の反応が全てを物語っているので割愛するとして、その直前では広場の中心に“何か”があることは確認できていたのだけれどそれが噴水だということや、はっきりとした色形までは視認できていなかったのだ。


「でも、それがどうかしたの?」

「ここは私が張った結界の中、この広場全体が私のテリトリーであって最善の戦闘エリアなの、そこに何も知らずに裸同然の姿で踏み込んだ哀れな貴女に勝ち目なんて無いのよ」

「裸同然ってこれミイちゃん的には厚着なんだけどなあ、あ、裸になっていいなら脱ぐよ!」

「そうじゃないわよ!というかそれで厚着って普段どんな私生活を送ってるのかしら……」

「全裸ってこと以外は普通の女の子と同じだよ」

「全裸っていう時点で普通の女の子ではないわよ」

「うるさいなあ悪趣味年増、いい加減ミイちゃんおこだよ?」

「うるさいのは貴女よ半裸痴女娘、久しぶりのお話は楽しかったけれどそろそろ御仕舞にしましょう。ここに立ち入ったのだから貴女にも踊るだけ踊って噴水の一部になってもらうわ!」

「そんなばっちい噴水の一部になんてなりたくないしいそんな理不尽な舞踏会にも参加した覚えはないからダイナミックお邪魔しましたして帰るよ!」


瞬間、魔女の右手にはまたも赤褐色に染められた魔道書らしきものが召喚された。

その魔道書を反対の手で勢いよく捲り、大きく口を開ける。


「帰すものですか。行きなさい、私の眷属達!」


魔女の言葉と共に魔道書から飛び出す無数の蝙蝠達、色は言わずもがな全てが赤褐色である。それほどまでにその色が好きなのか。

一方の私もこれだけの数を一度に相手取るとなると冷静に分析している場合ではないのかもしれない。


「うっわ凄い数、気持ち悪うい」

「全身の血液という血液全てを吸いつくされてしまえば良いのよ」

「あーもう、仕方ない、か」


見逃して貰えそうもないのでこちらも何もしないわけには行かない。折角の休日だがあきらめるしかないようだ。

ひとまず手先に必要なだけ魔力を送り込む。


「そおれ!」


送り込んだ魔力を安定させるとパシィッという音と青白い光を同時に発し、ひとつの形を造り出そうとする。

形状が完全に形成される前の自身の身長よりも長い棒状のそれをくるくると身体ごと振り回しながら一斉に群がって来た蝙蝠を一掃し、そして――。


「はい、全滅、そんな一度に飛んできちゃうからだよお?戦うならもっと上手にシてよ」


回転を止め、切断された蝙蝠の残骸がまるで花弁のように舞い散りながら元居た魔道書へと吸い込まれて行く中、魔力により精製された銀色の鎌の刃を右手で勢いよく地面に突き刺し言葉を吐き捨てる。


「貴女、それをどこから取り出したのよ」

「取り出したんじゃないよ。精製したの」

「精製?なるほど、貴女もそれなりに魔力があるのね」

「今更気が付いたの?おばさん感覚も鈍ってるんじゃない?」

「私は他人の能力には興味が無いもの、あとせめてアメちゃんで呼びなさい」

「私も貴女の名前には興味が無いもん、やあだね!」


突き刺した刃をそのままに、地面を抉りながら魔女へと向かって走り出す。


「ふふ、そう簡単に私の所へは辿り着かせないわよ」

「わっと、次はなあに?虎さん?ライオンさん?なんでもいいや、猫科!」


次に魔道書から飛び出してきたのは四足歩行の猫科らしき生物が何匹か。

色が相変わらずなせいで判別が難しいがどうせ敵であり的なのだからこの際種族はどうでも良いだろう。

地面を抉り続けている刃を抜き取り、馬鹿正直に正面から襲ってくる数匹の獣達を切りつける。あ、これたぶんジャガーだ。


「頭弱いのかなこの子達?正面から来ても攻撃通すわけないよお?」

「それはどうかしら、下を見て気付かない?」

「ほえ?」


獣を2匹ほど切り裂いてからふと自分の足元を見ると、明らかに自分の物ではない影に覆いつくされていた。

慌てて頭上に目を向けるとそこには大きな翼を広げた鷹がこちらへと向かって突っ込んできていた。

地上にはまだ何匹かの獣が残っている上にそちらも攻撃体勢に入っている。頭上の鷹の特攻も含め全ての攻撃を受け流すのは難しいかもしれない。


「ちょっとまずい、かも」


足元を攪乱するための獣の攻撃と同時に叩き付けるかの様な鷹の特攻が追い打ちを掛け、一瞬で辺りには白い砂埃が舞い上がる。

地面に叩きつけられた衝撃で人ひとりを片足で鷲掴みにできそうなほど大きかった鷹も、近くに居た獣も粉々に飛び散ってしまっていることだろう。


「流石に今のは避けられないでしょう、これで舞踏会もお開きね」

「ふふふ、あっは……」


その一斉攻撃を直撃され、前も見えない程の砂埃の中で乾いた笑い声が口から零れる。


「なあに、まだ生きているの?突然笑い出したりなんかして、身体でも吹き飛んで気でもおかしくしたのかしら」

「あーあ、だいなし」

「そうね、これで貴女の人生はここで」

「うるっさいなあ年増」

「まだそんな口を利けるの貴女は、って、え?」


私の返答に対してなのか、今の私の姿に対してなのかは不明瞭だが魔女の狼狽える声が聞こえた。

無理も無いだろう。今の攻撃全てを全身に受け、生物であれば大抵が死に瀕している状況であるはずなのに、今の私はかすり傷のひとつも付いていないのだ。

そう、身に纏っていたせいでズタズタに引き裂かれ、下着としての機能すら果たしきれなくなっているこの白いネグリジェを除いて。


「ねえ、おばさん、私の身体は治ってもこのネグリジェは元には戻らないんだよお……?」

「身体は治る?あれだけ受けて全て治したとでも言うの?半身どころか全身が吹き飛んでいても可笑しくは無いのよ?!」

「治るものは治るの、おばさんが今目にしてる私が事実で現実だよ。それよりもこのネグリジェどうしてくれるの?私が一番信用している人から貰った大切なものなんだよ、ねえ」

「今ここで貴女も死んでしまえば済むことよ!その大切なネグリジェとやらと一緒に消えてしまいなさい!」


絶叫にも似た台詞の直後、辺りを覆いつくしている砂埃が落ち着くのを待たずに魔女は手にしていた魔道書を天に向かって投げつけ、宙へと舞った魔道書は大きく開かれた。

すると強い風が魔道書の周囲を吹き始め、開かれたページは激しく千切れ飛び出し始める。

空中へと散乱したページはそれぞれが規則的に並び、最終的には広場の半分を覆いつくすであろう円柱状の大きな壁を作り出した。


「これで本当に最後の最期よ。舞踏会も終盤、終曲を踊りましょう」


全てのページが散り散りに破れ去り、その内部に現れたのは大きな龍であった。

これまでと同様の赤褐色を全身に纏い、髙さだけで20メートルはあろう程の巨大で重厚な龍の姿は、お気に入りのネグリジェを切り裂かれた私の気分をさらに滅入りさせるのには充分すぎるものだ。

魔女はと言うといつのまにかお約束の如くその頭上に乗っていた。


「どうかしら、私の最高傑作は」

「ネグリジェをどうしてくれるのかに対しての返答がそれなんだあ、へえ」

「いつまで余裕ぶっているのよ」

「良いよ、もう、好きにして、好きにするから」

「最初からそのつもりよ、貴女に選択肢は無いのだけれどね」


龍の大きな手がこちらへと向かって落ちてくる。私がそれを避けることは無く、恐らく相手の思うがままにその手と地面の間に下半身を強く抑えつけられた。

いくらなんでもこれだけの重量があるものを押し返せというのは無理がある。


「ずいぶんと素直なのね。好きにするってもしかしてこのまま死んでくれるということ?手が掛からなくて助かるわ」


そのまま、眼前で龍が大きく息を吸い込み始める。恐らく良くある火球か何かを吐き出すのだろう、この魔女のことだから赤褐色の。


「おしまい」

「そうよ、御仕舞、貴女は今度こそここで死ぬの」


準備ができたであろう龍の顔がこちらを見据え、硬く閉じている口元にはジリジリと燻る火炎が確認できる。


「撃ちなさい」


その言葉に従い硬く閉じられていた口がぐぱあっと大きく開かれ、圧倒的な衝撃と共に大きな火球が勢いよく吐き出された。


――転送。


吐き出された火球、大きな黒煙。

私はこの瞬間までは慢心していた。それも当然であろう。これ程までの火力を直撃され生きている者など私の知識内には存在するはずもなかったのだ。例えそれが魔界の生物であったとしても。

それなのに――。


「私は言ったよお、おしまいって」

「何なのよ、貴女は、その武器は何、それにその紅く染まっている左眼も、一体貴女は何なのよ」


少女は生きていた。布の裂け目からまばらに見える白い柔肌にはかすり傷のひとつも残さずに。

死んだと思われた少女は下半身が押さえつけられたままだと言うのに引き裂かれたネグリジェの端々を火球の熱風に焦がしながら、あろうことか手にした武器で火球を噛み砕こうとしていたのだ。


「えへへ、これはね、私の本当の武器、捕食鎌ちゃん。ついさっきメンテナンスが終わったって報告が来てたから転送したの」

「捕食鎌……?」

「そうだよお、今は牙みたいになってるけど閉じるとちゃあんと鎌になるの、それよりも。また私のネグリジェに傷を付けたね」

「そんなこと」

「そんなことって、何」


言葉を続けようとした瞬間にそれを遮られ、耳を引き裂くかのような轟音と共に火球はその刃とも牙ともとれる鎌に、いともたやすく噛み砕かれた。


「魔女なんて所詮人間の成り上がり、この程度なんだね。あ、あんよ捕まってるから動けないねえ、外さなきゃあ」


にゃっはは!と甘い声で高らかに笑いその少女は牙を閉じ、確かに鎌の形へと変形した刃で自身の上半身と下半身を切断した。

それはとても慣れた手付きであり、この少女にとっては当然の動作なのだろうとこちらへ認識させるには充分なものである上に、切り離された上半身の切断面には黒い霧のようなものが掛かり、一瞬で失った下半身を完全に修復した。

これほどまでの回復能力であれば今までの攻撃を受けて無傷であったことも納得でき、自分では理解しきれない状況が、現実として目の前で再生され事実として突き付けられている。

ああ、私は敵にしてはいけないモノを相手にしてしまっていたのかもしれない。


「もう、全部しいらない」


頭が全てを拒絶し、身体どころか口さえもまともに動かすことが出来なくなっている私へと向かって、少女は龍の前脚を駆け上がってくる。


「ああ、おばさんをバラしちゃうまえにこの子壊してあげないとふこうへいかなあ」


くるりと踵を返し、再び開かれた牙で龍の前脚を横から包むように喰らいつく。


「あ、ああっ」


魔道書により生み出されたとは言えこの龍もひとつの生物である。そのため痛覚も苦痛を感じることができる意思も存在している。

つまり、今この龍は自らの前脚を抵抗することも出来ずただただ無慈悲に喰い裂かれる痛みを頭上に乗っている私のせいで声を上げることも出来ずダイレクトに味わっているのだ。


「やめなさい!私を殺せばこの龍は消えるのよ!」

「今更何いってるのお?さっきのこうもりさんやねこさんだって私に壊されちゃったんだよ。この子もシてあげなきゃふこうへいだってばあ」

「それはっ、!」


静止も虚しく龍の左前脚はグシャリと喰い裂かれ、接続面を失った手先は地面へと崩れ落ち始め、龍は苦痛に悶えながらも頭上に乗っている私を振り落としてしまわぬ様に、残った3本の脚で身体を支えている。

一度召喚してしまったものは魔道書に戻さない限り召喚者の意思で帰すことはできない。しかし苦痛に苦しむこの龍を帰そうにも私が持っている魔道書は先程この龍を召喚するために消失してしまった一冊だけだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいで最高傑作のあなたをこんな目に」

「あんたは黙ってなよ。事の元凶のくせにさあ」


片目が変色した辺りからこの少女の様子が明らかにおかしい、呂律があまり回らなくなり、口調も不安定に、そして言葉の端々に不規則な抑揚が掛かっている。

時折耳に流れ込む甘く蕩けるような嬌声からは破壊という行為全てに快楽を感じていることが見て取れる。

その対象が自己であっても、他者であったとしても、だ。


「君も良い子だねえ、おばさんのこと最期まで守ろうとしてるんだあ、じゃあご褒美あげないとおっ」


子供をあやすかのような優しい声色とは裏腹に、少女の身体と牙は切断した右前脚を踏み台に残っている前脚へ向かって跳躍し根元に着地し、着地の反動と勢いをそのまま打ち付けるように再び牙は荒々しく龍の脚に喰らい付く。

今度はこの凄まじい勢いのせいか一瞬で喰い斬られてしまい、前方の支えを全て失った龍はぐらりとバランスを崩し、全身は勢いよく地面に叩き付けられる。

頭上に乗っていた私はというとその衝撃で中央の噴水の縁へと背中を強く打ち付けていた。


「そろそろしんじゃう?」


みゅふっ、という場に相応しくない吐息と共に息を付かせる間もなく続く少女からの龍への追撃。鎌の柄を龍の力無き瞳へと貫き通す。

そこには慈悲も容赦も手加減も、それどころか自己に対する労りの一つすらも感じ取ることは出来ない。

これだけ激しい攻撃をひとつの呼吸も置かずに続けているのだから彼女自身相当な痛みを感じているはずだと言うのに。

私の思考を他所に少女は一瞬たりとも止まる事無く貫き通した柄を抜き取り、残った瞳へと今度は閉じられた刃側を突き刺す。


「おめめみえなくなっちゃったねえ」


両方の瞳を破壊した少女は流れる様に龍の首へと開いた牙を押し当てる。

ここから先何が起こるのかは想像に難しくは無かった。

ミシリ、ミシリ、とここまでの激しい動きが嘘だったかのように、牙はゆっくりと閉じられて行く。


「グガ、ァ」


首に喰らいつかれる痛みに、とうとう龍が初めて苦痛の声を上げる。

ひどい衝撃により呼吸もままならない私は、それに対して何一つ声さえもあげることができない。

せめて、止めくらいは一瞬でと願っていたのに。

ゆっくりと、相手の苦痛そのものを味わうかのように首の肉に喰い込み閉じられて行く牙、声にならない声を上げる龍。

今、どのくらいの時間が経ったのだろう。実際のところは数分しか立っていないのかもしれない。

けれど、この光景を目にした私や、龍自身からすると、何時間にも及ぶ拷問が執行されているかのように感じる。

そして着々と牙を捻じ込まれ、首の肉が裂け、龍の呼吸がその穴から洩れるようになりはじめた頃。


「そろそろ飽きちゃった、失せていいよ、もう」


今まで黙っていた少女が突然喋り出し、間髪を入れずに牙を閉じ切ったのだ。

あまりにも急に、すぐには死を理解出来ない程唐突に。

苦痛の表情が途端に驚愕の表情へと変わった頭部は胴体と切り離され、制御を失った龍は他に召喚されていた蝙蝠や獣達同様、全身がただの魔力の欠片として霧散して行く。

魔道書が残っていればこの魔力の霧は魔道書へと吸い込まれ、龍は一時的な死を迎えるだけでまた再び同じ個体を召喚することが出来るはずだった。

しかし、その魔道書はもう残っていない。変わりとなるものでさえも私は用意していないのだから。

これは龍の永遠の死を意味していた。


「おばさんなに悲観してるの?全て貴女が元凶でしょ?貴女のせいで死んだんだよあの子」


龍の死を確認したのかしていないのか、気が付くと少女は倒れ込んでいる私の正面に立っていた。

元々の色である琥珀色の瞳と、未だ変色したままの怪しく光る紅い瞳、その双方で気怠そうにこちらを見下ろしている。

そして恐らく、その瞳に映る私の生死には一切の興味を示していない。


「そういえばさあ、ミイちゃん最初にあの噴水が何の血で出来てるのか聞いたこと覚えてるう?」


この質問をするためだけに、今私を生かしているのだろう。ここまでの少女の行動を思い返してみても殺すだけなのであれば既に私はその処刑を受けているはずなのだから。


「まだ喋れないなんてことは無いよねえ?いい加減呼吸できてるんだしさ」

「か、は、そうね、貴女のせいでそうとう痛むけれど喋るのに困りはしないわ」


呼吸をする度に全身を巡るズキズキとした痛みは相変わらずだが呼吸は先程より幾分かマシになっているのは確かだ。声を震わせながらも少女の問に答えを返す。


「それでいいの、じゃあこの噴水についてと、その経緯くらいは聞かせてよ。ミイちゃんの好奇心が続いてるうちにじゃないと壊しちゃうから」

「どこまでも自己中心的なのね、貴女」

「おばさんがそのセリフを吐ける立場かどうかは話を聞いてから決めてあげる」

「ふふ、そうね、きっと私も同じ……いいえ、それ以上よ。それじゃあ最初から話しましょうか、せめて身体を起こしたいから少しだけ待って頂戴」


背骨を破壊されているのかされていないのか、下半身が多少動くあたり神経までは傷ついていないのだろうが骨折はしている気はする。

用が済めば殺されてしまうということを思えばそのような心配をするだけ無駄なのかもしれないが、最期の会話くらいは身体を起こした状態で終わらせたい。


「っ、はあ、これで良いわ」

「ミイちゃんがこんなに待って差し上げるなんてとってもレアなんですけお」

「あら、?貴女瞳の色が戻って?」


痛む身体を引きずり起こし、再び少女に目を向けると変色していた左眼が元の色を取り戻し、そして口調や仕草までも異変が起こる前の物に戻っていた。


「待ってる間に冷めた」

「冷めたってどういうことかしら」

「本当だったらそのままおばさんのことも殺しちゃおうと思ってたけど噴水への好奇心が抑えられなかった」

「答えに、なってないわよ」

「血の噴水っていうことに興味があるの。私の大切なネグリジェをズタズタにしたことは許さないけれど、血液自体は私も好きだから気になった」

「そう、なの、貴女もあの色が好きなのね」

「そんなわけあるか」

「そこは違うのね。ん、痛みもかなり収まってきているし、そろそろ話させて貰うわ。どうせ何もしなくても殺されるだけなのだから」

「話が早くてミイちゃん助かっちゃう」


要約すると恐らく一種の興奮状態に陥るとあの瞳と口調、その他の行動に支障をきたすようになるのだろう。

身に着けている物のほぼ全てが傷つき全裸に近い状態となっているのに、それを気にするどころかにへらっと作られるかわいらしい笑顔。そこに一切の曇りは無く、恐ろしいまでに子供が作る無邪気な笑顔そのものであった。

自分にとって都合良く物事が進んだ時に自然と作られるあの笑顔に。


「私はね、元々生物が大好きだったの。いいえ過去形では無いわね、今でも大好きよ。それはもう自分から率先して生物の研究に手を付ける程に。だけれど、どこにでも落ちていそうな悲劇のヒロインの様な出来事に合ってしまったの。合ってしまったと言うよりはなるべくしてそうなったのかもしれないわね」

「そうじゃないとたかが人間がわざわざ魔女に成り上がって魔界にまではこないもんねえ」


持っていた鎌を地面へと突き刺し、ぺたりと女の子座りに近い形で腰を下ろしながら少女は私の話に耳を傾け始めた。


「ふふ、それもそうよ、だからこれから私がお話することはこの世界のどこにでも転がっているようなお話のひとつ、だから聞かずに殺してくれても構わないわ」

「噴水までは気になるから聞く」

「そう、貴女も物好きなのね。それじゃあ続けさせてもらうわ。そうね、その出来事が起こったのは確か私が22歳になった頃ね。生物好きが高じて生物の生態系を調べる研究員の仕事に就いていたの。そしてその日はとある当時最大図規模とも呼ばれる書館に行って書物を漁っていたわ。そして偶然手に取った本が」

「さっきの魔道書?」

「ええ、そうよ。御伽話見たいでしょう」

「びっくりするほどに」

「唯、見つけた当初は取扱説明書のようなページ以外まだ真っ白な本だったわ。そしてここから先も何の事は無い物語は続くの。私が見つけたその白い魔道書はさっき戦った貴女ならわかるだろうけれど生物を召喚することに特化したものだった。血液を魔導書に与えると真っ白なページにあぶり出しの様に生物が書き出されるの。人間の血には魔力と似た作用があるということがその魔道書の中に記されていたこともあって私はその力を使って生物を研究することにしたの。彼らは死んでしまえば霧の様になってしまうけれど生きてる間は実際の生物と全く同じ構造をしているのよ。多少魔力が流れていることを除けば本物そのものね」

「なあに、殺さないように解体でもしたの?」

「返す言葉も無いわ、その通りよ。彼らは魔力により生み出された紛い物の生物。真っ白で現実味の無い姿をした彼らならばいくら傷つけても問題は無いと思っていた。だけれど研究していくうちに気が付いてしまったの。彼らにはそれぞれに個体としての意識があり、さらに何度死んでも同じ個体が召喚されているという事に。それはもう最初はどの召喚された生物も何も知らずに私の指示を聞いていたわ。手足を切断される直前だろうと、内臓を取り出すための準備段階であろうと。だけれどそれを十数回程繰り返したあたりで同じ命令をすると怖がる子が出てくるようになってきたの。最初は何かの偶然だろうと思っていたのだけれど、全く同じ生物でも個体をよく見ると一匹ずつ微妙な違いがあることに気が付いた。そこでそれぞれに名前を付けてみることにしたの。すると次回また同じ子を召喚して名前を呼ぶと覚えていたのよ。自分が付けられた名前のことを、その時初めて自分がしてきたことの重大さに気が付いたわ」

「ふうん、それで?噴水までの道のりまだある?」

「もう少し続くわね。私はこの子達が魔道書により召喚されていること以外普通の生物と同じような存在だと言うのなら、彼らを平等に飼うべきだと判断したの。幸い彼らは一度召喚した後は元になっている生物と同様の食事を与えることで魔力を自力で保つことが可能だった。だから私は研究員を辞めて街を離れた。そして人里から遠く離れた綺麗な森の中に小さな家……小屋に近いかしら、を彼らの力を借りて建造した後、そこに何匹かの召喚獣を常駐させながら住むことにしたの。森の中ということもあって植物を育てることも野生動物を捕まえることも彼らと一緒であれば容易だったから食事に困ることは無かったわ。それに龍の様に火を起こせたりする不思議な子とかも色々いたもの。それから数年、私は彼らとの生活をより過ごしやすくするために魔道書の研究を続けながら何不自由なく幸せに暮らしていたの。その時だったかしら、生物召喚に特化した魔道書というだけあってついでに不老の魔術についても書かれていたのを見つけて、いたずらでそれを発動してみたのも。不老の魔術も成功してこんな生活がいつまでも続いてくれる様にと願っていたけれどある日突然イレギュラーは起こった。いつ、どこで見られたのかはわからないけれど『白い獣がいる』という噂を聞きつけた狩人によって召喚獣の一匹が殺されたの。きっと常駐させていた子を放し飼いにしていたのがこのことを引き起こしたのね。今でもそれは後悔してるわ」

「うっわあ、べったべたな御伽話みたい。殺されたってことは霧散する瞬間も見られただけじゃなくて、その霧がおばさんの所に戻ろうとした所も見られたんでしょ?魔女狩りのはじまりはじまりい?」

「そうゆうことよ、霧散した召喚獣が霧のまま私の所へ帰って来て。それを追ってきた狩人数人に他の召喚獣と小屋、そして私の姿を見られてしまった。その時の私にはまだ人を殺すなんて選択肢を持ち合わせていなかったし、話せばわかってくれると思っていた。それが甘かったのよ。狩人達は一度私の言葉に耳を傾けてくれてその場ではわかってくれたかの様に振る舞っていた。だけれどその数日後。国の軍が魔女が潜んでいるとして私が住んでいる森に侵攻してきたの。そのことは野生動物から身を守るために数匹で交代しながら空を飛んで監視することを御願いしていた子達が数匹殺傷されて戻って来てからよ。その頃にはもう他の召喚獣も殺されていたのだと思う。大量の魔力の霧だけが直後に私の元に帰って来ていたから。そして、もうこの人達に話は通じないと、信用もするに値しないと確信した私は戦うために再び彼らを召喚した。普段の、ただ研究するためや愛でるための召喚時よりも明らかに多い魔力と強い敵意を魔道書に込めながら。軍との戦いはとてもあっけなく終わったわ。私の魔力を最大限に吸って呼び出された召喚獣達は軍の人間を次々と殺していった。勿論召喚獣が殺されることもあったけれど彼らは何度でも召喚することが出来る。次第に戦力を失っていく軍に対してこちらは一切の勢いが衰えることも無いのだから、それはもう圧倒的な勝利だったわ。そして、その戦いが終わった頃にはいつの間にか私と魔道書、そして彼らも、紅い血に全てを染め上げられていたのよ」

「そりゃあそれだけたくさん殺しちゃったらなって当然だねえ、汚れない方が不思議なくらいだし、血染めのお洋服だとかのお話なんてどこにでも転がってて何千番煎じ?ってくらいつまらないからすっとばしちゃってよ」

「血染めに関してはほとんど終わっているから安心して頂戴。戦闘後の惨状、紅く染まった死体と血で埋め尽くされた森。これだけのことをしたのだからこのままここで暮らすことも、また、ここから逃げ伸びることも恐らく不可能だと私は悟ったわ。だから魔道書の研究中にもうひとつ基礎的な技術として書かれていた魔界への転送を試してみることにしたの。この場合の基礎というのはそもそも人間では無かったり、元々純粋な魔力がある血筋であることが前程だったけれど手段なんて選んでいられなかった私はそれを強行した。成否については今私がここにいることそのものが証明よ。魔界への転送は成功した。それなのに、皮肉よね。私が転送されたこの街、この場所は、純粋な魔女が住む街だった。話は逸れるのだけれど魔女というのは元々人間が成ったわけでは無かったのね。ただ都合良く人間の血や知識が魔女の魔力や魔法に流用できたという上にたまたま女性に多かったから魔“女”なんて呼ばれているだけで、純血の魔女というのは男女問わず存在していたのだもの」

「人間の血は面白いくらい不思議がたくさんだからね。んでんでんで、その街にどうして今誰も住んで無いの?もうこれおばさんが原因で確定だよね」

「ええ、私が全ての原因よ。着替えることも無く、血染めのままここへと転送された私はこの街中の魔女達さえも敵に回した。それもそうよ、明らかに他の生物の血を浴びた人間なんて誰が見ても侵攻してきた敵だと思うわ。転送された直後こそ心配してくれる人もいたけれど、結局はここの統治者から人間界で虐殺を行った魔女として私を排除する旨の連絡が一瞬で街中に広がったわ。ここから先は想像できるでしょう?また私が殺したのよ、一人残らず召喚獣を使って。もしもここが強い魔女の街だったらそんなこと不可能だったのだろうけれど、運が良かったのか悪かったのか。この街の魔女は全て弱かった。私の、人間の血から作られる魔力はいくら扱いが下手であっても多少他の魔力より質が良い事も相まって次々と召喚獣は魔女を喰い殺して行ったわ。そして、多くの人間を殺して、その血を浴びたまま魔女にも手を出した私は召喚獣達への愛情は残っていたものの、生物、生命に対する認識はとても軽いものになっていたの。殺せば死ぬ。ただそれだけの存在でしか無くなっていた。それと同時に自分が身に纏っている死の匂いにも魅入られていたわ。そう、このドレスに忌々しいまでに染み込み纏わりついて、私を絡めとるこの死の匂い、血の香りに。この香りは熟成すればする程、私の心を蝕んで行ったわ。さらなる血を求めさせるかの様に」

「ふむふむ、それで?どうやってこの噴水を作ったのん?あと、街の形は最初からこんな良く分からない形状だったの?」

「街の形?ああ、この街って可笑しな造りをされているわよね。私も最初にここへ辿り着いた時には不思議に思っていたけれど、良く見ると大通り以外には魔力で造られた橋があらゆるところに架けられていたのよ。この街全体を特殊な結界で囲んで、ここに住んでいる魔女達の魔力を生活に支障が出ない程度に吸収しながら常時維持していたようね。私がここでまともに傷つけられる事が無かったのはそれもひとつの要因かもしれないわ。最初から戦うための魔力なんてほとんど残っていなかったのだろうし」

「ほえー、なるほど、橋を掛けておくの前程なら道以外いらないもんね。ミイちゃん屋根の上走ってきちゃったけどそれと一緒だ」

「何してるのよ貴女は……。それから暫く虐殺を続けて魔女の数が減って、掛けられていた魔力の橋が消滅し始めたところでこの街を一度閉鎖したの。閉鎖といっても私にはこの街を包み込む程の魔力は無いから召喚獣を全ての出入口の監視に回しただけなのだけれどもね。そして私に逆らい攻撃を加えようとする者がほとんどなくなった時。この噴水を見つけた。まだ透き通るように透明で綺麗な水を噴き出していたわ。それを見て思いついたの。この水が全て血液であればどれ程美しいのだろうか、と。それを思いついた私は適当な魔女を捕まえ噴水の管理室の場所を聞き出し、そこへ向かったの。そしてそこにあった設計図を見るとここの噴水は濾過を続けながら同じ水を循環させているだけの造りであることがわかったの。当然蒸発してしまったりはするから雨水を貯水槽に溜め込んで減った分の水を追加する仕組みはあったけれど、そこに関しては触れなかったわ。血液を蒸発しないようにしてしまえば良いだけの話だったのだもの。この仕組みを知った私は噴水の水全てをあらゆる召喚獣達に飲ませて噴水を空にしたわ。そして鼠程の大きさしかない召喚獣達には濾過槽を破壊させ、他の子達にはそのまま街に残っている全ての魔女を雨水の貯水槽の近くにまで引きずり出させた。そこからは簡単よ。貯水槽の上で魔女達を胴体から真っ二つに切断して内臓等が混ざらないように血液だけを濾して貯水槽に溜め込んだ。外から戻って来て迷い込んだ魔女達も同様に扱ったわ。生き残りが誰もいなくなるまでね。溜め込んだ後は蒸発しない様に魔力を流し込んでそのまま噴水へと送り込むだけ。貯水槽には蓋もしてるし、噴水の周りにはこうやって結界を張っているから雨が降っても問題は無いわ。ついでにこの結界には魔力を増幅させる働きもあるからいくらでも魔力が使えた。自分の身体が傷ついてしまってはもう意味は無いけれどもね」

「え、何そればっちい、なんでお腹切っちゃうの」

「だってそれが一番血を出しやすいじゃない?というかあれだけ話したのにわざわざそこに反応するの貴女?」

「そんなことしたら食べたものとかも血に混ざっちゃうじゃん!いくら濾しててもあれも同じ液体だから通っちゃうじゃん!そんなばっちいのありえないんですけお!」

「まさかそこに、しかもそんなに反応されるとは思っていなかったわ。でも一度に多く集まったほうが良いじゃない。手間もかからないしいくら混ざると言っても血よりは少ないわよ」

「むーりー、ミイちゃんそんな意識の低い作り方したくない。あーあ、なんだか聞いて損しちゃった」

「でも、貴女も血が好きなのでしょう?そんな貴女なら話せばわかってくれると思ったのよ私。この色だって血の一部だもの、今の私が一番好きな色、赤褐色。それなのに好きではないの?」

「勝手におばさんと一緒にしないでくれない?もしかして命乞いも兼ねてるつもりだったあ?」

「命乞い、そうね、そうかもしれないわ。同じ死と血に魅入られていそうな貴女となら仲良くなれると思ったもの、それかこれだけ長々と話を聞いてくれているのだから今回はせめて見逃してくれるのではないかなんて思っていたわ。普通これだけ会話を交わせば情は残るでしょう?私だって今、貴女ともう少しお話したいと思っているもの。これも本心よ」

「きゃっは!あーあ、白けさせないでよおばさん」


笑い声と共にゆらりと不気味に力無く立ち上がり。私の希望を嘲笑うかの如き表情で、未だに身体の自由は利かない私を見下ろす少女。

その少女の瞳は、再び色を変えつつあった。あの、鋭く開かれた紅の瞳に。

琥珀と紅、鮮やかに視界を彩る二つの色は今の私にとっては絶望の色でしか無かった。

今まで見てきたどの紅よりも死に近しい色に見据えられた私の命は、消え入る瞬間まで蹂躙され、愚弄され、終焉を迎える。


「おばさんへの興味も失せちゃったし。最期に良いこと教えてあげるねえ」


再び崩れた調子と共にへにゃりと口を歪ませた少女は右手に巨大なナイフを魔力で精製し、私では無く自らの左手首を躊躇無く、断面に一切の凹凸を残す事無く、その姿が元々の姿なのではないかと見紛ってしまいそうな程に美しく切り落とした。

切断された左手は地面へと叩き付けられ、その根元と腕からは行き場を無くした水晶の様に美しい光を放つ紅い液体が規則正しく吐き出され、私に雨のように降りかかる。

思わずその美しさに息を呑んだ。これ程までのものを、私は目にしたことが無かった。私が今まで目にしていたものは一体何だったのだろうか。


「私が好きなのはね、ガラス細工みたいに透き通っていて、一切の穢れの無いこの色なの。この色を最初から持っているものがそのままの姿で生涯近くに存在してくれるのなら、それはとても素敵なことだとおもわない?」

「確かにそうだけれど、そんな物そう簡単には見つけられないわよ」

「それがねえ、いてくれるんだよお?この色の瞳を持っている私のご主人様が。貴女が壊したこのネグリジェをくれたのもその人なの」

「そう、それは一度目にしてみたいも」


言葉を言い切る前に唐突に目の前が真っ暗になる。続いて私の全身を駆け巡ったのは酷い衝撃であった。


「がっ、あ?」


声にならない声が口から洩れる。


「貴女如きに会わせるわけないじゃん、ふざけないでよ下等生物が」


遅れてぐらりと揺れる脳内。逃げ場の無い衝撃は私の脳をも直接揺さぶっている様だ。


「あの人は猫みたいに気紛れで、何を考えているのか全く掴む事はできないけど、貴女を気に入ることは絶対的にありえない。それだけは言い切れる」


続いて頭部を片手で鷲掴みにされている感触だけが鮮明に伝わる。先程の衝撃以降何故か痛みというものは一切感じることが出来なくなっている。

目も開くことが出来ないようだ。嗚呼、もしかしたら両眼とも先の衝撃で潰れてしまったのかもしれない。……身体は、繋がっているのだろうか。


「だって、貴女と同じで年増だけれど、貴女と同じで赤系統が好きだけれど。貴女よりも、ううん、貴女と比較することすら烏滸がましいくらいに紅が似合っていて、仕草も何もかもが整っている女の人がいつも私のご主人様の隣にいるんだもの。穢らわしい貴女なんかが相手にされて良いような人じゃないの」


あ、でも顔色だけは貴女のほうが良いかもしれないね。という言葉が聞こえたのを最後に、私は何も聞こえなくなってしまった。

正確には水音だけが脳内に文字通り流れ込んできている。言葉に出来ない錆びた鉄のと腐敗した獣の血肉を混ぜ込んだような液体が口に入り込む。

これは噴水だ。私が造り上げたもうひとつの最高傑作、呼吸が出来ない。朦朧としていた意識がぐるぐるとミキサーにでも突っ込まれたのではないかと言うくらいに掻き回される。

今度こそ脊髄の神経が破壊されてしまっているのか脚どころか指のひとつも動かすことが出来ない。そもそもどこまで身体が繋がってくれているのだろう。生物は首が切断されても短時間であれば意識は残っていると言うし眼を開けることも身体を動かすことも出来ない私には確認する術は残っていない。

少しずつ思考することすら儘ならなくなってきた。口内には相変わらずごぽごぽと大量の液体が流れ込んできているが味がとてつもなく不快であることを除けば自分が作ったもので死ぬことができるのならば本望だ。

しかし、やはり美味しくないことは辛いかもしれない、吐き戻したくてもそれを実行することはできないのだから。

早く、死んでしまえないだろうか。


「えへ、いたずらしちゃった」


目の前で赤褐色の液体へと沈んで行った魔女の頭を見送りながら言葉を口にする。

下等生物のくだりの直前、猫の様に爪を立てながら魔女の頭を殴りつけるとあっさり頭部と胴体が千切れてしまったので、頭部だけをとりあえず沈めてみたのだ。

最初から沈める予定であったわけでは無いがこれもひとつの好奇心である。仕方がない。


「これ相当苦しいだろうなあ、いつまで続けよう。とりあえず報告してここを御片付けし始めるくらいまではそのままでいっかあ。そうだ、身体も隠しとこ」


亡骸を片付けようと魔女の身体に近づき手を出そうとしたところで、ついさっき自分で切断した左腕からは未だにとろりとした血液が吐き出され続けていることに気が付く。


「あ、忘れてた」


一度その切断されている腕を魔力により修復してから、転がっている肢体をひょいっと持ち上げ適当に目の前の噴水へと沈め込む。これで良し。

さて、私がしたいたずらというのは何もただ噴水に沈めるだけだなんて退屈なものではない。特に理由は無いが魔女を死ねなくしたのである。

死ねなくしたというよりは魔女の魂を頭部に定着させて頭部が消滅するまで意識をそこから離すことができなくしたのだ。

感触が残ったまま肉体に張り付けられて一切の移動をすることが出来ない地縛霊だと思えば話が早い。

つまり、ここの街を片付けるまであの魔女はこの見るだけで吐き気を催すような液体の味と臭いを逃げることもできずに味わい続けることになる。

想像するだけでも苦しそうというか不味そうというか、死んでも同じ目には合いたくない。

ちなみに意識を失ったり眠ったりすることも不可能なのであしからず。


「さーてと、休日は潰れちゃったしネグリジェは無くなっちゃったしで散々だけど。とりあえず直接会って報告したほうがいい事案だよねこれ、みゅふ、直接行っちゃおうっと」


嗚呼、早く会いたいな、私の一番好きな色。


――燃え盛る炎の様に冷たい、血色の瞳に。

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