導として

 翌日、王女はレカナにおいて立つことを決断された。

 ロエルがジャーチジェル卿の屋敷を訪れてきたのはさらにその翌日のことだった。

 レカナに立つと決めた直後。立つことを暗に薦めていたジャーチジェル卿自身も、少なからず不安はあったようで不安の色をのぞかせていたが、このタイミングでの教会の――それも主教というかなりの立場にある人間の協力は大きなものだったとみえた。顔には安堵の色が広がっている。

 そんな中、一通りの挨拶を終えたロエルだったが、彼だけがどこか不安げな顔をしていた。


「ロエルがこうして来てくれた以上、レカナに発つのは早い方が良いのではないかと思う」


 皆が集まったサロンで王女が提案する。


「ここで長居して状況をうかがっていてもあまり好転することはないだろう。逆に教会側に先手を取られるようなことになってしまっては対応が難しくなりかねない。ロエルという非常に心強い味方も加わってくれた。無意味に時間を過ごしては機を逃しかねない」

「そのことについてなのですが、フェリーユさま」


 ロエルがおずおずと口を挟んだ。


「私は確かにフェリーユさまに微力ながら助力をするつもりでここを訪ねました。僅かではありますが、そんな私に同調してくれる仲間もいることでしょう。しかし、本当に私を聖者などと言明し、引き立てて良いものなのでしょうか?」

「と言うと?」

「あれから、私も少しではありますがフライバッハの教義について調べました。確かにそこには世に安寧をもたらす聖者の記述もあります。しかし、それは本当に私なのでしょうか? 私は……こんな言い方は少し間違っているかもしれませんが、ただ多少人より神術を上手く使うことの出来るただの人間に過ぎません。物語によくあるような……天啓を受けたわけでも、神の声を聞いたなんてこともなければ、生まれだって特別何もない平民の出自です」

「であるなら、ロエルは私に天啓を受けたり、神の声を聞いたことがあったりするような人を探した方が良いのではないか、と?」


 笑うような調子だった。なんとも言えない表情を浮かべる彼に王女はゆっくりと続ける。


「確かに私はフライバッハの教義に少なからず肩入れしている。けれど、世の神がそこまでわかりやすく人に手を貸してくれるとは思っていない。そのような者を探していたら私はあっという間に老女になってしまうだろうな」

「いえ、私はただ……私はそこまで特別に扱われるべき人間ではないのではないかと思っているだけです。期待をされても、落胆をさせてしまうだけかもしれません」

「ロエル」


 王女がはっきりとした口調で彼の名を呼んだ。凛とした声だ。だが、顔には柔らかい微笑みをたたえている。とても十六の子供が出来るような表情には思えなかった。

 ただの子供であったならそれに似た表情をつくっても二十歳を過ぎたロエルには何も感じさせられなかっただろう。だが、王女の浮かべた表情には老成した大人でさえ一目置いてしまうようなものがあった。


「私は、どんな立場であったとしても何もないところからその人の何がしかを判断するのは間違っていると思っている。例え平民の出自であれ、私のような王族であれ、何を為したかによって判断がされるべきだ」

「であるなら、なおさら私は何もしておりません」

「そんなことはない」


 きっぱりと言い切った。


「ロエルは実際に未だかつて叶う者などいないとされていた異形の災厄に打ち勝った。そして、今もそうだ。妖怪を忌族などと蔑み、排除しようとしている教会という組織の中にありながら、その考えに違和感を覚え、自身の考えの元こうして私に助力をしてくれようとしている。それはなかなか出来るものじゃない」


 すっと王女が立ち上がり、彼にゆっくりと歩み寄る。


「不安があるのはわかる。むしろそういったことをこうして話してくれたことこそ、貴方の誠実な人となりを表していると言えるように私には感じられる」

「フェリーユさま……」

「何も全ての異形の災厄を滅ぼしてくれと言っているわけじゃない。ただ、人が己の立場をわきまえるため……そうあるべきだと気づくための導となって欲しいと思っているんだ」

「導、ですか?」

「驕らず、高ぶらず、この星に住む一つの生物としてこの世界の全てとの調和を目指す。それが私の目指す人間のあるべき姿だ。その模範として、ロエルには先頭に立ってみなを導いて欲しい。もちろん私だって出来る限りの協力はする」


 そう優しく諭すような彼女の言葉を断れる者がこの世界に何人いるだろうか?

 少なくともそこには有無を言わせない……良い意味での力があった。

 カリスマだとか威厳だとかそういう言葉で簡単に言って良いものかはわからない。けれど、少なくともそれは天が彼女に与えた才だろう。

 もし彼女のような人がこの滅びが決まったような世界でなく、真に平穏な世界の指導者となったらどれだけの善政が敷かれただろう?

 そう思ってすぐに私は心の中でかぶりを振った。

 同じようなことを姉さまについても考えたことが幾度もあった。

 もし世界があのような状況でなければ姉さまはどれだけのものを残せたか、どれだけの人間を幸福に導けたか? そう考えたが、考えれば考えるほど、真に平穏な世界で姉さまのような人が現れるとは思えないのだ。

 ひどく濁り、汚れきった世界にただ一点、ポツンと咲き誇る鮮やかな花のごとく。それは、滅びが定められたからこそ生まれる……言うなれば、滅びの間際に与えられる最後の施しなのかもしれない。

 レカナへの出立は二日後ということ決められた。

 こうして、歯車は確実に動き始めた。

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