為すべき事

 二階にあるサロンで、私はソファにゆるりと腰をおろし、出された紅茶で喉をうるおしていた。最初に案内された部屋で湯を借りて簡単に身体を拭いただけだったが、それでも気分は幾分もさっぱりしている。その横で、夜々は尻尾の手入れに余念がない。耳をピクピクと動かしながら、ふさふさの毛を弄っては丁寧に撫でつけている。放っておくと虫の類がついて面倒だから、暇があれば彼女は毛繕いをすることが多い。

 フェリーユ王女から直々に「私の大切な友人なんだ」という一言があったから、女中もジャーチジェル卿も何も言わなかったが、周囲の空気は明らかに緊張していた。まぁ、いきなり妖怪を連れたどこの馬の骨ともわからない人間が『王女の友人』として来たのだ。緊張するなと言う方が無理というものだろう。

 彼らとしては一刻も早く詳しい説明が欲しいところだろうけれど、私たちに聞いて良いものかもわからない。今はとにかく、ひとまず旅の汚れを落とすために湯浴みに向かった王女を待っている状態だった。


「すまない、どうやら随分と待たせてしまったようだな」


 二十分ほど後、そう言って王女がサロンに入ってくると、張り詰めた空気がいくらか弛緩するのがわかる。

 彼女はドレス風のワンピースを身に着けていた。今までずっと籠手とグリーブを身につけた騎士の格好ばかり見て来たから少し新鮮に見えた。彼女は王女でありながら騎士としての役目も負っていると言うが、やはり王女であるなら今のような格好の方が似合っているのではないかと思う。湯浴みのおかげで、白く透けるような肌が上気し、煌めくような銀の髪と相まってどこか艶めかしく感じられた。

 今の方が、格好という意味では姉さまに重なるところがある。姉さまも習い事の一つとしてフェンシングの心得はあったが、騎士のような格好をしたことは当たり前だが一度もなかった。


「まず各々の紹介をした方が良さそうだな。リザスもさぞかしこの二人のことが気になっていることだろう」


 王女が私と夜々に手を向けて簡単な説明をする。


「こちらは、レイラ・エールデレヒトとヤヤだ。ヤヤはご覧の通り妖怪だが、彼女はレイラに仕えている。まぁ、彼女の身内と考えても良いだろう」

「と言うと、レイラさんは術師なのですか?」


 ジャーチジェル卿が疑問を投げかける。


「ああ。それも、かなりの使い手だ。危ないところを助けてもらったのが私と彼女の出会いの始まりだが、それはおいおい話すとしよう。そして、レイラ、こちらがリザス・ジャーチジェル。父とは旧知の仲で、私が幼い頃から良くしてくれていた、エイルクォートで長く宰相を務めてくれている、頭脳の一人と言って良いだろう」

「お初にお目にかかります、ジャーチジェル卿。レイラ・エールデレヒトでございます。こちらは夜々……私の傍仕えという風に考えてくださって構いません」


 夜々もペコリと頭を下げる。

 それだけの仕草だが、まだ幼子と言える子がそのような仕草をするだけでも周囲の夜々に対する感情は和らいだように思えた。元々フェリーユ王女と親しいということもあって、妖怪に対する意識も違うのかもしれない。


「それにいたしましても、フェリーユ王女殿下がご無事で何よりでございます。混乱の中、パロシナに捕らわれたと聞いた時には、もうどうにもならないものかと思ったものですから」

「それについても話さなければならないことがある。短い間であったが、私がこの王都を離れていた間、本当に様々なことがあったのだ。それこそ、世界の運命を変えてしまうかもしれないようなことかもしれない。……とにかく、順を追って話していこう」


 そう言って、王女は勧められた椅子に座ると、彼女が王都から異形の災厄に襲われた村の調査に向かってからのことを話し始めた。




 王女が大体の顛末を話し終えた時には日はどっぷりと暮れていた。ジャーチジェル卿はフェリーユ王女と相当に親しい仲とみえ、彼女の話の途中でも疑問があれば遮って聞くこともあった。

 話し終えた王女が、大きく息を吐いて女中の淹れたカップを傾ける。ジャーチジェル卿は自身の口元に蓄えたひげを撫で、まるで難解な数式の証明を試みようとしているかのような表情を浮かべていた。

 そして、たっぷり五分ほど沈黙の時間を使ってから、それまで溜め込んでいた空気を吐き出すかのような息をすると、私と夜々を一瞥してからやおら口を開いた。


「にわかには信じられないことでございます。彼女たちのような人と妖怪の共存の例があるのはまだしも……そのロエルという主教がたった一人で異形の災厄を退けたというのは……」

「だが事実だ。実際に私はこの目で見たし、レイラやヤヤも目撃している」


 王女の言葉にジャーチジェル卿がこちらを見やったので、私は小さく頷いた。


「確かに姫さまのおっしゃる通りです。このくらいの大きさの刃物でしょうか……それを用いて、馬の倍はあろうかという大きさの異形の災厄を打ち倒しました」


 両手であまり大きくないナイフの長さを示すと、それにさらにジャーチジェル卿は息をもらした。ますます信じられない、とでも言いたげな表情だが、一概にそう切り捨ててしまえないのは王女の言葉であるからだろう。こんなことで嘘やデタラメを言う人間でないことは重々にわかっているはずだ。


「まぁ、私とて昨日の今日で信じてくれ、というのが難しいことくらいはわかっている。加えて、彼がもし私に協力してくれないのであれば、聖者だなんだと言うこと以前の問題になるからな」

「ですが、協力は仰いだのですよね?」

「一応な。しかし、彼がそれに応える義理も道理もない。教会に属している人間か私を逃がしてくれたというだけで驚きなんだ。これ以上の協力をするかは疑問だろう。彼だって、自分の立場をかなぐり捨てる理由もない」


 王女はジャーチジェル卿に対しては随分と可能性が低いようにロエルのことを言った。


「ただ、そういう人間がここに訪ねてくる可能性がある、とだけ頭に留めておいてくれれば良い。それより、今度は私が情報を知りたい」


 言うと、ジャーチジェル卿は小さく頷いて話し始めた。

 彼の話は、まぁ大体が予想通りのものだっただろう。

 教会の勢力拡大のために祭り上げられたツツァイ王子に、王であったフェリーユ王女の父親の投獄。王女には他に二人の兄がいるらしいが、どちらも教会に睨みを利かされた状態で、また、特別教会に反発するような気持ちもないらしく、今の所大人しく従っているようだ。そのような状況で、裏で指示したのは大主教のレグマンを中心とした人間たちらしい。なぜこの時期なのかはわからない部分もあったが、教会としては相応に準備がされていたようで、政変自体は短時間で終わり、被害もほとんど出なかったようだ。ただ、教会も各地の反発は想像以上だったらしい。普段は教会に従順な態度を示していた商会や手工業ギルドが、思い通りに動いてくれなかったようだ。教会の普段の傲慢さには実際には飽き飽きしていた、というのがあったのだろうとジャーチジェル卿は言った。

 王女は黙って話を聞き、口を挟むことはしなかった。全てを聞き終わってから口に手をやり何かを思案するかのような顔つきになる。考えることは何か? 王族としての在り方や、民のこと、そして、彼女の考え方からするなら妖怪のことだろうか?

 ややあって、顔を上げてジャーチジェル卿を見やる。


「やはり、教会との協力は難しいだろうか?」

「と、おっしゃいますと?」

「今は誰が国の舵を取るか、といったような争い事をしている場合じゃない。このままでは災厄は確実にその脅威を増していくだろう。例えどのような理由があったとしても、災厄から民を守るのが第一だ」

「だからこそ教会派は忌族を……妖怪を滅ぼそうとしています」


 彼の言葉に王女が嘆息をもらす。そういう意味では教会も、もちろん何かしらの下心はあったとしても、民のことを考えていると言っても良いのかもしれない。この世界において災厄に襲われたいと考えている人間はいないだろう。


「私はこの短い間に何度か命の危険にさらされた。そんな中、助けてくれたのはレイラやヤヤ、ロエルのような者から……野宿の時には、野生の獣たちに見守られながら眠ったりもした」

「………………」

「この世界において、滅ぼさなければならない種族がいるなんていう考え方は間違っている。その部分で言えば、教会のやり方は到底納得出来るものじゃない。もちろん、妖怪が忌族などと呼ばれる筋合いはどこにもない。神術も、それは妖怪を虐げるために授けられたものではないはずだ。……なぁ、リザスよ。災厄とは何だと思う?」


 ジャーチジェル卿に向けられた言葉。ジャーチジェル卿は思惟するように自らの頬をなでるが、少ししてから首を横に振った。


「なんとも申し上げられませんな。洪水や台風のような自然災害のようにも思えますが、異形の災厄の話などを聞くと、何か悪意を持った者……妖怪などが人に対して起こしているようにも思えます。……殿下は、どのようにお考えなのですか?」

「私は、災厄を一種の神の意志に似た何かではないかと考えている」

「神の意志、ですか?」


 ジャーチジェル卿は腑に落ちない、といったような表情で王女に視線を向けるが、王女はそのまま言葉を続けた。


「ああ。災厄は、間違った神術の使い方をする人間に対しての警告なのだ。この世界に住むありとあらゆる者が手を取り、共存することの必要性。この世界は誰の物でもなければ、誰かが支配をするというようなものでもない。災厄は、驕り高ぶる人間への警告なんじゃないだろうか?」


 おしい、と私は表情に出さずに口内だけで呟いた。

 異形の災厄はオラクル……正に神の意志の尖兵である。つまり、災厄が神の意志だということに関しては、彼女は正に的を射ていると言っても良いだろう。だが、その後に言ったことは幾分も人間に都合良く考えたものに過ぎなかった。

 まぁ、私だってオラクルの本当の意味に気がついたのは今のような立場になってからのことで、この世に生を受けている間は何も知らなかった。知らずに、ただ民と世を守るために災厄に立ち向かっていた。それがどれだけ無謀な行為かも知らないままに。


「だからこそ、私は教会のやり方を認めるわけにはいかない。神術の力を振りまわすことは、我々の首を絞めることに他ならないだろう」

「それでは、殿下は教会を相手に?」


 ジャーチジェル卿が問うたが、姫さまは静かにかぶりを振った。


「戦争がしたいわけじゃない。実際、今そのようなことに力を注いでいられるほどの余力が我が国にあるとも思えない。出来る限り、戦を起こすようなことは避けたい」


 その言葉にジャーチジェル卿は何度目になるか、深く息を吐き出した。ゆっくりと立ち上がる。窓の傍に歩み寄ってから、おもむろに振り返った。


「……現在、レカナに反教会派の軍勢が集っております。数は、正確にはわかりませんが、それなりの数だと。その誰もが妖怪に対して良い感情を抱いているというわけではもちろんありませんが、教会のやり方に反発を覚えている人は少なくないということでしょう」

「レカナということは、ミナッツ公が先頭に? しかし、彼も結構な年だ。娘婿のシリス公が動いているのか?」

「ミナッツ公の血筋は、たどれば現在の王族と繋がります。そういった理由で担がれただけでしょう。シリス公も、今の所沈黙を守っています。そう考えると、今集まっている軍勢は烏合の衆と言えるかもしれません。指揮官となるべき……指揮官となり、まとめられるだけの貴顕を持った者がいないのです。そして、誰もがそのような人物が現れることを望んでいます」


 意味深な目でジャーチジェル卿が王女を見やる。王女は僅かに唇を締めた。ややあって、


「……つまり、私にその役割を望む、と?」言った。

「少なくとも、王女殿下にそのような期待を抱いている者は少なくないでしょう。殿下ならその資格も十分にありますし、異を唱える者もいないはずです。むしろ、もし殿下が立つとなれば、加勢してくれる者たちはさらに増えることが考えられます」

「私はそんな立派な人物じゃない。ただ、世間の常識をほんの少し疑った……言ってしまえばひねくれただけの人間だ」

「しかし、世界を変えることが出来るのは、そういった、常識にとらわれない人物であるように私は思います」


 王女は少しだけ顔をうつむかせた。

 表情からは、なんとかこの状況を穏やかにまとめることが出来ないかという思案の色がうかがえた。彼女の言う通り、今戦争を起こしたところで国力を悪戯に消耗するだけだろう。一ヶ所で教会と反教会派がぶつかれば、それはサラトバのような土地にも飛び火し、国のあちらこちらで争いが起こることは目に見えていた。それがこの国にとって良いことかどうかなど、愚問と呼ぶにふさわしい。

 結局、結論は出ないまま、ゆっくりと日が暮れていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る