星と守護者と王国の姫君

猫之 ひたい

プロローグ

プロローグ

 寒村とは言え、その村はあまり寂れたものではなかった。

 この辺りでは寒さに強い麦がたくさん取れる。ここと似たりよったりの田舎の村では、普通は家畜の大半を冬の間に間引かなければならない。全てを食わせていくには飼料が足りず、結局餓死するからだ。だが、この村では家畜を生かすだけの飼料も取れ――貧しくないと言ったら流石に嘘になってしまうが――少なくとも飢饉が起こるようなことは他の村よりはるかに少なかっただろう。

 そんな村に若者が一人、焚き木を背負って帰ってきた。足元では一匹の犬が連れ添っている。冬の最中は過ぎたとはいえ、まだまだ春の気配は遠い。ただ、寒くはなるが雪がたくさん積もるような地方じゃない。それも、この村の恵まれたところだった。雪に閉ざされなければ行商人が立ち寄ってくれる。各地を巡って様々なものを持って来てくれる行商人はありがたい存在だ。もちろんタダでは何もくれないが、獣の皮と交換すればそれなりのものが得られる。


「おぉい、ソマンヌ」


 と、若者を一人の初老の男が呼びとめた。


「今帰りか?」

「ええ、そうです」

「どうだった、山の様子は?」


 その問いかけに、若者は僅かに顔を曇らせた。


「やはり、あんまり良い様子ではありませんでした。念のためこいつを連れていったんですが、獣の気配は少ないみたいで。冬籠りをしているせいもあるとは思うんですが」

「そうか……」


 男が大きなため息を吐いた。

 獣の皮がこの地方の一つの糧で、それで行商人とやり取りをしている面も多かった。森は生き物の宝物庫のようなもの。昔は男が数人がかりで皮を引っぺがさなければならないほど丸々と肥えた獣たちが獲れたそうだが、少なくともこの十年はそんな景気の良い話はなくなっていた。小ぶりで、痩せた個体が多い。それも、年中を通して獣の数が少なくなっている。

 それだけではない。麦も、まだひっ迫した状況ではないとは言っても、年々採れる量が減っていた。


「やっぱり災厄の影響かねぇ……」

「災厄、ですか?」

「この間来たタレスも言っていただろう、行商人の。忌族の影響で災厄が増えて、作物や家畜にも影響を与えているらしい、って。それに、お前も聞いたんじゃないか、異形の災厄について」

「ああ、それなら聞きました。天から降ってきて、人間たちを皆殺しにしてしまう謎の化け物たち、でしたっけ? 何の冗談かは知りませんが」


 苦笑気味に若者が言う。話は聞いていたが、若者としてはあまり信じられたものじゃなかった。とても生き物とは思えない容姿をしており、どこからともなくやってきては容赦なく人間たちを殺していく。あれならまだ、親が子供に「夜更かししていると悪い子をさらってしまうお化けがやってくるぞ」と言っている方が信憑性があるというものだ。

 しかし、そんな若者に男は表情を難しくした。


「そう笑うが、実際に被害にあった村も少なくないらしい。冗談とも言い切れん」

「それでも、噂には尾ひれ背ひれがつくのが決まりものです。それに、神父さんはなにも言ってないじゃないですか。忌族とか災厄とか、払ってくれるのが教会でしょう?」


 王都からは随分離れていたが、この村にも一応教会があった。小さいもので、神父も都市部から派遣された年を召した司祭。村としては教会からの強い要請があったから不承不承作ったというのが本音だった。しかし、教会もこんな辺境にはあまり熱心に布教するつもりはなかったようで、教会特有の傲慢さがなく、司祭もこの村にも上手い具合に溶け込んでいた。


「ジレッサ爺さんはなぁ……人柄は良いんだが、忌族とか災厄とか、そういう話になると少し頼りないだろう? いや、悪いコトじゃねえとは思うが、こういうことになってくるともう少し……なんだ、いわゆる威勢の良さってのが欲しくなってこないか?」

「まぁ、その気持ちはわかります」


 若者がそう同意した時だった。

 ゴゴゴ、と僅かな音がしたかと思うと、ぐらりと地面が揺れた。


「っと、また地揺れだ」


 十秒二十秒。立っているのが少し難しいくらいの揺れに、若者と男はその場にしゃがみこんだ。犬が戸惑うように主人の周りをせわしなく歩き回る。

 村では、この二ヶ月ほどで急に地揺れが起こるようになっていた。地揺れは災厄の奔り。そんな言葉を行商人から受けていたから、最近の地揺れには村人全員が少し神経質になっているところがあった。

 地揺れがようやく収まりかけてから、二人はゆっくりと立ち上がった。まだ少し揺られているような感覚があったが、もう直に止むだろう。

 そう考えたが、次の瞬間に大きな衝撃が地面から突き上げた。


「うおっ!」


 今までとは比べ物にならないほどの地揺れ。思わず尻もちをついた男に、若者もバランスを崩す。大変な揺れだ。困惑している間に周囲の家の一部が崩れ始めた。重たい石を少しのツナギで積んだだけの家はとても大きな揺れには耐えられるものじゃない。まるで地面が唸るかのような地響きに、家々が崩れる音が破壊の連鎖のように木霊する。


「………………っ!」


 大変なことになった。

 顔面を蒼白にしながら男が周囲を見渡す。地揺れは少しその揺れ幅を狭くしていったが、とてつもない被害が出たのは明らかだった。村のあちらこちらで悲鳴が聞こえてくる。何人が家の下敷きになっているかもわからない。

 唐突に、ガブリ、と音がした。

 無意識に音のした方に顔を向ける。


「ひっ――!」


 そこにあったのは、顔の大半を失った若者の姿だった。僅かに残った下あごの部分から鮮血が噴水のように溢れ出し、数度びくりびくりと痙攣すると、すぐにバランスを失ってその場に身体が倒れ込んだ。血の泉が瞬く間に地面に広がった。


「あ、あああぁ……っ」


 男が恐怖に顔をひきつらせる。

 男の視界に入ったのは、真白な異形の姿だった。

 角ばった多面体のようなものから胴体が伸び、そこから細い足のようなものが花が開いたように無数に広がっている。中央部は僅かに蠕動していた。若者の顔面を喰らったのだ。

 主人を食われた犬は、一目散に逃げ出していた。立ち向かう立ち向かわないの話ではない。次元が違う。野生が残っていたからこそ、犬にはそれがわかった。

 逃げなければいけない。

 尻もちをついていた身体をなんとか反転させ、腰が抜けたまま這いずって逃げようとする。抗うという選択肢はなかった。文明を手にし、野生の動物とは言えなくなった人間でも、存在の強大さを前に逃走の選択肢しか見えなくなっていた。

 しかし、そんな男の前に別の異形が振ってきた。

 無数のトゲのようなものを生やした細みの異形。蛇のような頭がついたそれは、まるで吼えるように大口を開けて無数の牙を見せつけてくる。


「っ――!」


 声にならない叫び。

 逃げなければ……とにかく、逃げなければ……っ!

 そう男は思うが、逃げ場などもはやどこにもなかった。

 空からは次々と異形のものたちが降ってきていた。あるモノはぎょろりと剥いた巨大な眼球に翼を生やし、あるモノは幾重にも絡まった蠢く腕に鋭利な牙をとがらせ、あるモノは人一人は丸のみ出来る大きな口から何十本もの触手を伸ばしていた。そんなものが十、二十と降り注ぎ、大きな地揺れに逃げ惑っていた村人に次々と襲いかかる。背を裂かれ、頭を潰され、足をもがれてから腹を食い破られる。

 あちらこちらで血しぶきがあがる。

 金切り声。断末魔。男の耳に届くのはそんなものばかりだったが、もはや男はそれに意識を回している余裕もなかった。目の前の異形はすんすんと、鼻のような器官はどこにも見当たらないのに、まるで鼻を鳴らすような仕草をしてから、頭から男へと噛みついた。男の意識は、叫ぶ間もなく完全なる闇へと飲みこまれていった。



 ものの五分。生を持った村人はどこにも見当たらず、辺りはただの肉となった塊が血の海に転がっているばかりになっていた。異形のモノも、一つまた一つと空へと帰って行く。

 そして、後に残ったのは、地揺れと異形の怪物にことごとく破壊された村と、おびただしい数の死体だけであった。

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