第3羽 ただただ墜ちていく
どこに飛んでいったのか。僕は部長の紙飛行機を探して、プールの方に来ていた。水泳の授業が終わったばかりなので、プールにはまだ水が溜っている。フェンス伝いに僕は歩き出した。寒さも増してきて少し風が冷たい。とぼとぼ歩いていると、少し離れた場所に白い物体が落ちていた。部長の紙飛行機だとわかって、急いで拾いにいく。
紙飛行機はずいぶん年季が入っているようだった。本来白いはずの部分はうっすらと黄ばんでいて、しっかりとついている折り目は大切に折られたことを物語っていた。胸が温かくなった気がした。その時、誰かに肩を叩かれた。
「そんなんじゃなくて俺らと遊ぼうぜ」
不良たちが背後で薄気味悪い笑みを浮かべていた。
***
身体が強い力でプールのフェンスに叩きつけられる。あの後、プールサイドに連れてこられ、今も拷問の最中だった。
「最近全然遊んでくれないと思ったら、お前部活入ったんだって?」
「何部だっけ?」
不良たちはへらへらと笑って言った。黙っていると、不良の一人が僕の髪を鷲掴みにし、無理矢理立ち上がらせる。頭が痺れておかしくなりそうだった。
「言えよ」
不良たちはこちらを睨んでいた。威圧と苦痛に耐えかねて、僕は小さくつぶやく。
「……紙ヒコーキ部」
途端、不良たちは声をあげて笑い出した。汚い声が耳をつんざいて目眩を覚える。
「紙飛行機飛ばすお遊び集団ってか?」
「そんな子どもの遊びより俺らとまた遊ぼうぜ!」
言葉の勢いのまま頬を殴られ、地面に転がる。
また地獄に引き戻されるのか……。暗い沼にはまっていく。唇が切れてピリピリとした痛みを感じた。感覚が麻痺しているのか上下もわからなくなっている。それを教えてくれているかのようにブレザーの内側に隠していた紙飛行機が落ちた。不良はそれを手に取った。
「辞めるんだからいらないよな」
そう言って、紙飛行機を乱雑にプールの方に投げた。
「あ、ダメ!」
つい声が出た。と同時に体が紙飛行機に吸い寄せられた。ゆっくりと落下していく。僕は必死に落下地点に手を伸ばした。
落としちゃだめだ! 部長の大切なものを……!
巣に帰ってきた母鳥のように手に収まった。ほっと一息つこうとした。が、プールに落ちそうなくらいギリギリの位置にいることに気づいた。落ちないように重心を後ろに寄せた瞬間、背中に圧力を受け、地面から足が離れた。身体は宙に放り出される。強引に身を捩り後方に目を向けると、不良の一人が足を出しているのがわかった。落ちる。その瞬間、無意識に手が動いた。紙飛行機は水面すれすれを飛んで、静かにプールサイドに着地する。僕の身体は水飛沫をあげて冷たい水の中に入っていった。満たされた清らかな水とは対称的に不良たちの笑い声が反響して視界が歪む。焦って手足を動かすが、よけいに沈んでいく。その時、思い出した。自分が泳げないということを。水泳の授業ではいつも一番下のクラス。つまりまったく泳げない。必死に顔を水の外に出して不良たちの後ろ姿に助けを求めるが、
「待っ……ゴブッ……たす……ガボッ」
揺れる水面に顔が上がったり浸かったりしているので言葉として成り立っていない。不安が体を侵食していく。重くなっていく。体力も限界にきていた。あ、やばい。そう思ったが、脳からの命令は手足に伝わらなくなっていた。沈んでいく。空は青く綺麗だった。揺らめく青空にピンク色の鳥が飛んでいる。優しい色が混ざり合った瞬間、意識が急激に薄れていった。
***
深い眠りから目覚めた感覚があった。体がものすごくだるい。鼻の奥に水が溜っているような感じがする。心なしか頭の方が湿っている気がする。髪に触れてみると、やっぱり湿っている。体は何かに包まれているが冷たく、やはり湿っている。至るところ全てが湿っている。指先で冷たさを享受しながら、プールで溺れた時のことを思い出した。落ち着いて記憶を辿ってみると、誰かに呼びかけられていたのをぼんやりと思い出した。助けてくれた人がいた、のだろうか? ようやく周りを見渡すと、どうやら僕はベッドに寝かされているようだ。たぶんここは保健室なんだろう。そんなことを考えていると、隣から話し声が聞こえてきた。
「部長」
海子さんの声だ。部長と一緒らしい。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。ちょっと疲れただけだから」
「無理しないでください。何で走ったりしたんですか?」
「だって小野君死んじゃうかと思って」
「だからって背負って走ったらあなたが死ぬでしょ!」
会話の意味が一瞬で察知できた。僕を助けてくれたのは部長で、僕のせいで体調悪くなっちゃったんだ。迷惑かけた……。自分を呪いたかった。海子さんの口調から事の重大さが伝わってきた。怖くなった。ただただ震えた。寒さのせいじゃない。自分が今ここにいるせいだ。誰かといたら迷惑がかかる。一人に……ならなきゃ。
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