上の部屋の彼女

村上 茄子吉

第1話

「ねえ、このマンションに幽霊ゆうれいが出るってうわさ、知ってる?」

「なにそれ、初めて聞いた……」

「あ、やっぱり知らないんだ。まあ、ご近所さんと全然交流してないもんね~」

「し、仕方ないだろ? 平日は早朝から働き詰めだし、休日は寝てるか君と過ごすかだし」

「まあ、そうだよね~……」

「……」

「……」

「……で?」

「ん? な~に?」

「いや、その~……どんな噂なのかな~って、いや、そこまで聞きたいわけじゃないけど、ちょっと気になるというか、なんというか……え、本当にそんな噂あるの?」

「もちろん!」

「ふ、ふ~ん、そうなんだ~。いや、まあ、そ、そんな噂なんてき、気にしないけど」

 どうやら、彼は幽霊とかは苦手らしい。物凄ものすごい量の冷や汗かいている。

「そっか、気にしないんだったら話さなくてもいっか。じゃあ、この話はここま」

「いやいやいやいや! ここまで話したんだから最後まで話そうよ!」

 ここまでもなにも、全然話していない気もするが……

「やあ、そんなに期待してるところ申し訳ないけど、そんな大した話じゃないよ? それでもいい?」

 彼は何も言わず、首をブンブン縦に振っている。どうやら、怖い話は苦手だけど中途半端にしか知らないと、より怖がるタイプのようだ。

「じゃあ、話すよ~。あれは、このマンションが出来て間もない頃の話でした……」


 田舎いなかから出てきたての、とある一人の女性が住んでいた。そのうちに彼氏ができてそのまま女性の部屋で同棲どうせいを始めた。その暮らしが一年少々経ったころ、いい加減そろそろ結婚の頃合いじゃないかと期待に胸を膨らませていた女性だったが、ある日帰ってきた彼氏から突然別れ話を切り出された。

なんでも実は前々から浮気うわきをしており、相手の人が身籠みごもってしまったとのこと。浮気相手に熱を上げていたその彼は、最初の女性とキッパリ別れて浮気相手と結婚すると宣言した。そして何度も何度も彼女に謝ったのだそうだ。

彼はその日のうちに荷物をまとめ、出ていってしまった。慰謝料いしゃりょうも必ず払うから、また改めて連絡してくれという言葉を残して、あっけなく去っていった。

一人残された彼女はその日から家にこもりっきりになり、誰とも連絡を取らなくなった。もちろん彼とも……

そして幾日いくにちか経ち、隣の部屋まで匂うほどの腐臭ふしゅうが彼女の部屋からただよってきた。さすがにおかしいと思った住人の訴えにより部屋を確認したところ、綺麗きれいに片付いた部屋の真ん中に首をったまま亡くなっている女性がいた。

遺書いしょには、『この先どう生きたら良いかわからない』とだけしるされていた。

以来、彼女の亡霊ぼうれいがこのマンションを彷徨さまよっているらしい。もし、普段見かけない女性とすれちがったら気を付けるように。そして、彼女に誘われても決して彼女の部屋へ行ってはいけない。彼女の部屋は冥界めいかいつながっており、一度入ったが最後、生きたまま地獄に送られるのだ。


という、最後のあたりが若干じゃっかん適当な後付け設定じゃないかと思える、くだらない噂話だった。

「ちなみに、引き籠ってる間にネトゲに没頭ぼっとうしていたから、死んだ後も一緒にやってくれるゲーマーを探しているとかの、変なバリエーションも色々あるよ?」

 ついニヤニヤしながら話してしまった。案の定、彼は部屋の隅っこで震えていた。いやはや、まさかここまでの怖がりだったとは。

「お~い。大丈夫か~い? もう終わったからこっち戻っておいで~」

「お、終わりか? な、なんだ、全然こ、怖くない、じゃん」

 完全に声が上ずっていた。

「あっはっはっは! だから大した話じゃないって言ったじゃん! もちろん、こんな話なんて怖くないよね~?」

「あ、あた、当たり前じゃん! ち、ちなみに、その浮気した彼氏はどうなった? ま、まさか呪い殺されたとか……」

 あ、怖がっているだけじゃなくて、ちゃんと聞いてたんだ。

「ん~どうだろう? まあ、ただの噂だからね~。そんな細かいところまでは聞かないけど、たぶんそんな恐ろしいことになっていないと思うよ。とりあえず、あたしは知らないかな~」

 本当は知ってるけど。

「そっか、まあただの噂だもんな。はは、ははは」

「ねえ、ようやく立ち直ってきたところ悪いんだけどさ、この自殺して幽霊にまでなった女性のこと、君はどう思う?」

「どうって、そうだな~……わかんない」

「ええ? わかんないって、何かないの?」

「いや、そう言われてもね~、会ったことない人だしな~。まあ、死ぬ前に会ってみたかったかな。どんな人が幽霊になるのかちょっと気になるし」

「ふ~ん。じゃあ、幽霊になった彼女と会ってみたい?」

「いや、それは遠慮えんりょする!」

 即答そくとうだった。なんとも悲しいような、ちょっと嬉しいような……

「さてと、じゃあそろそろ帰ろうかな~」

「あ、もうそんな時間か。一応送っていこうか?」

「いいよいいよ。おんなじ建物の上の階だよ? 何も起きないって」

「でも、その、幽霊が出るかもしれな……いや、なんでもない」

「あっはっは! あの話、信じたんだ!」

「え、もしかして嘘だったのか?」

「いやいや、噂があるのは本当だよ。ただ、本当に幽霊を見たって人もいないし、本当にただの根も葉も無い噂だよ。だから、大丈夫!」

「やっぱり噂話があるのは本当なのか……まあ、ついて行かなきゃ大丈夫みたいだしな。じゃあ、またな~」

「うん。またね~」

 彼の部屋を後にする。結局、幽霊がいる部屋番号は聞かれなかったな~。

 私は彼と同じマンションの、一つ上の部屋に住んでいる。いや、住んでいると言っていいのだろうか?

「はあ~。いつ気付くかな~。上の階が空き部屋だってこと」

 誰もいない空に一人つぶやく。私は彼の上の部屋にいている、あの話の幽霊だ。

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