僕の一部

きいち

第1話

午後1時52分いつものように彼女は現れた。

何かあったのか。僕はそう察した。

昼下がりには似合わない襟元に白いラインの入った葵色の寝間着。ゴムがきつそうなウエストから右側半分だけはだけていた。

黙ってカウンターに座り煙草をふかしながら、いつもの。とだけ伝えられる。無言で用意する。

今日は何にする?なんて言葉は掛けない。なんせ、其れが彼女の休日の日課だ。

僕はいつものように感謝の 意 の言葉を伝える。

明るい挨拶なのか、つまらない挨拶なのかは多分彼女がより把握している。

そう思うといつもの言葉がより神妙に、ぎこちない空気に持っていくのだ。

僕は、ただの居酒屋経営の駆け出しの店主にすぎない。これから印していくだろう彼、彼女達の中のその日話した人間の一部にすぎない。

またふと出てくるだろう。

葵色の彼女。

僕のゆるい日常の中の一部の人間だ。


おはようございます。田舎から出て来た彼が誰よりも早くこの場所へやってくる。葵色の人を除いて。

カチャカチャと何時であろうと物音を立てているのが彼の愛嬌。いつも何かに忙しく、出勤し出した途端に荷物を置いて散歩に出掛けて行く。

まぁ、まだ始業時間ではないので何処に行こうと彼の自由なのだが。

今日はどのコースを巡っているのか。

聞くほど暇もなければ、少しの興味もない。

ただいま〜。僕が葵色の女性にまかないを出し終えた後彼が戻ってきた。

いやぁ〜今日は特に暑い。日差しが強すぎて、途中コンビニでタオルを濡らして被っていたよ。

彼は大量にかいた汗を拭いながら話す。そこで初めて彼女の存在に気付く。

僕まだ出勤前なんです。と、差し出されたジョッキを断りわざわざ仕入れ値の高い瓶ビールを一気に飲み干す。

彼の名前は翔太。

いつかの大震災でここ、南の島へ身を置いた1人だ。

リュックサック1つだけ持った彼との出会いは、僕が出掛けたボランティア活動での出来事だ。

振り返れば去年の話じゃないのかと錯覚する。

あれからもう3年も経つなんて。振り返るのはこの地域にどれくらいいるのだろうか。今ではそんな事を話す相手も減ってきたのは事実だ。


翔太ーー!遠くから大声で叫ぶ巨漢な男に鼻水を垂らしながら駆け寄ったのが、こいつ。翔太。

僕は大きな鉄鍋を大袈裟にかき回しながらそいつらの再会を眺めていた。巨漢な男より翔太の方が数倍にも喜びを表現していた。配膳を待つおばぁさんが言う。向こうに行ってやりゃぁ〜。若いもんは何もきずがん。。。ぶつぶついいながら僕が配るスープを待つ。無言で配膳を終えた後、冷めた鉄鍋を洗い場まで運び込む。途中翔太とやらと巨漢の男が何もない広場でバスケットボールを持ってはしゃいでいる。

一仕事終えて一服してた僕に翔太から駆け寄った。

お兄さん、ボランティアの人?何処から来たの?僕はここの出身で海沿いから避難命令で此処へ来たんだけど、みんな暗いしさ。一緒にバスケする仲間探してんだけど、お兄さんどう??

軽いノリで誘われた。僕はふかしてた煙草を慌てて消し、学生以来にボールに触れた。1日に大切なひと時をこいつに奪われたのだ。

そんな出会いから3年。今は飛行機で約3時間。遠い島国のましてや僕の経営する串焼き屋で翔太は元気に働いているのだ。

両親が彼の前からいなくなってしまった事も、僕自身まだ違和感を覚えるくらい何事も無かったように元気に働いている。


オープンまであと40分。仕込みを終えた僕は足りない材料を調達しに出る。店の鍵を翔太に預けた。原チャリで3分くらいの所に目的地がある。出かける頃に葵色の彼女はもういない。丁寧に店の幕を準備し終えた僕はヘルメットを被り気怠さを隠せないまま目的地へ向かう。

店長!おはよう!昨日のレバーはまだ残っているかいー?ぼくは無理矢理はにかんだ笑顔で相づちをうつ。今日は十分にレバーは足りている。

それよりも僕の目的地へ早々と足を運ぶ。

こんにちはー。今日の葉野菜、仕入れどうですか?にこやかに挨拶を交わしながら、これくらあの愛嬌をミート屋さんに返せよ。と心で一瞬思う。

あら、橘さん。そこにいた店員を除けて店主が店奥からコーヒーの匂いを漂わせて現れた。今朝はねー。先週の台風の影響でこれしかいいのが入ってきてんのよぉ〜。と眉毛をハの字にした顔でレタスを持ち上げる。自然の力には逆らえないよとため息を吐いているようである。いいじゃないですかー。これで今年の珊瑚も元気にかちゃーされてるさぁ〜。思わず方言で返す僕。

確かに学んだのだ。3年前の震災後、自然の力には到底今の人類科学では太刀打ち出来ないことを思い知らされたのだから。一部の人間が体験した事を体験していない一部の人間の欲の為にため息つく事はないと。改めて感じたのだ。

まだ水滴が滴るレタスとオクラを持って僕は店を後にした。途中毎日繋がれっぱなしのハチにレタスの一枚目と二枚目をやる。今日も元気か?とヨダレを垂らすハチの頭をなでた。彼の名前をハチと呼ぶのは僕だけである。

店に戻ると店先に出す今日の一言がいつにも増して気合の入った一言であった。

おら、悟空。今日も来てくれよな。

そう書いてある。誰が来るんだよ!その前にお前誰だよ!と頭の中で1人突っ込んで店のドアを開ける頃には忘れていた。

今夜も長い1日が始まる。





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