誰も読まない小説
@Ryohey
エピローグ
ラムネの瓶越しに見る世界の方が
美しいのかもしれない。
普段見ている世界には、邪念やら、
悪意やら、嫉妬やらで覆われていて
気分が悪くなる。
でも、ラムネの瓶越しに見える世界は、
コバルトのフィルターががかけられていて、淡く美しい。
世の中の汚いものが一掃されて、
どこまでも洗練されているようだ。
額の汗を拭って、寝巻きの裾でふいた。
退屈な夏がまた始まるのかと思うと、
夏休みなんてなくていいのになんてひねくれた
ことばかり浮かんでくる。
蝉の声が流石に鬱陶しくなり、ベランダを後にして
空調の効いた部屋に戻った。
正方形の部屋の片隅に置かれた机の上で、
何かを待っているかのようにじっと積み上げられた
課題が目に入ると、またしても
夏休みなんてなくていいのに、と思う。
ただ一点、メリットがあるとしたら、時間を気にせず
好きな読書を延々とできることだ。
小説の世界ほど退屈しないものはないと思うし、
一冊の小説を読了するだけで、まるで自分が
旅に出て冒険をしたり、誰かに恋をしたり、
謎を解き明かしたりする気持ちになる。
ただ座っているだけで、字を目で追うだけで、
そんなことを可能にしてくれる小説は偉大だ。
今日は何を読もうか。
本棚に整頓された、買い溜めていた小説の
背表紙をなぞりながら吟味する。
そして、一冊の小説に指が止まった。
特に世間を賑わせているわけではなく、
この作者の名前を出したとしても
全ての人が首をかしげるだろう。
題名は『羊雲をみたときに』で、
作者は千歳亜美という。
この本を買った日に丁度たまたま羊雲を見て、
まるで誰かがこの本を読め、と
言っている気がして半ば衝動的に買ってしまった。
主人公は、一人の少女で、小説というよりは、
日記に近く、日常の中で思っていること、
感じていることが鮮明に書かれていた。
これといった面白いオチはなく、
ストーリー性には欠けるが、
主人公の思想に、
共感する部分が多く読んでいて楽しかった。
新しい小説を読もうと思ったが、
またこの「日記」が読みたくなって本棚から
引き抜いて、ページを捲ろうとした矢先だった。
コンセントから伸びた白いコードに
繋がれたままのスマートフォンの画面に
着信の通知が来た。
本を閉じ、本棚に返すと渋々
スマートフォンを
白いコードから解放して電話に出た。
『もしもし?相田!いいかよく聞けよ!事件だよ!
こりゃあ大事よ!』
電話はクラスメイトの倉島直樹からだった。
「何。倉島の大事は、いつもだいたい小事だろ?」
『いやいや!今回ばかりは冗談抜きにやべぇんだって!』
「だから何なんだよ。勿体ぶってないで早く言えよな」
『殺されたんだよ』
「は?」
『三組の新見
「冗談?・・・じゃなさそうだな」
『一昨日の朝、刺殺体で発見されたんだとよ!』
「終業式の次の日か」
『おう。部活の先輩から聞いてびっくりよ。
学校に警察来たんだとよ。それで、先輩がいろんな奴に
聞いて新見って奴が殺されたー!大騒ぎでな』
「全く関わりないけど、名前とかは聞いてたから・・・
何かな。ほら、テニス強かっただろ?よく表彰されてたし・・・」
『ほんとな!んで今は誰が殺したのかって話題でもちきりよ』
「通り魔的な奴か・・・身内の犯行?とかまぁ
そのへんだろ」
『何かお前すげぇ蛋白だな~。お前が犯人か?ん?』
「切るぞ?電話」
『冗談だろーがよ。いやな、それでさ、新見って
彼氏いたんだろ?最近別れたらしけど。
彼氏がやったんじゃねぇかって』
「根も葉もないことで疑われる彼氏さんが可哀想だろ。
あ、今は元か」
『だってよぉ、ほら最近何か交際トラブルで彼氏とか
彼女殺してる事件とか多いだろ?だからその線も
俺は怪しいと思うのよ』
「まぁ、そうだけどな?日本の警察は優秀だから、
犯人なんてすぐに捕まるだろ。俺らが
どうのこうの言ったって仕方ないだろ」
『でもよ、死体が出てきたのが体育倉庫って
言うもんだからこえーよな』
「え!?うちの高校の?」
『他の高校ならそりゃもうホラーだぜ?』
「それじゃあ、ほぼ確実に学校関係の誰かだろ。
生徒か先生か・・・どちらにしてもやばいけどな」
『だろ?だからやべぇって言ったじゃん』
「これは流石に大事すぎるわ。大ニュースだな」
『まだ、何にも公表してないっぽいけど、
そろそろ公になるだろーな』
「だな。まぁまたなんか分かったらご一報よろしく」
『お?何だ急に興味湧いてきたかよ』
「ちょっと身近に感じてな」
『まぁ、これから部活再開するからまたな』
「あいよ」
電話を切ってスマートフォンをベットの上に
放り投げると、すぐさま本棚に向かった。
一番上の段から何冊か本を抜き取り床に置いた。
すると、本棚の奥に不自然に突起が出ているのが見える。
それを引っ張ると本棚の裏板が一部分だけ外れる。
裏板と言っても、奥行のある木箱のようなもので、
蓋を開けると一冊の文庫本程度の大きさで
無地の表紙の本が出てくる。
木箱から取り出して、今度は机に向かう。
ペン立から黒のボールペンを手に取り、その本を開いた。
今の電話は中々に重要な会話が含まれていた。
忘れないうちに書き留めておこう。
書き味のいいボールペンを白紙のページに走らせた。
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