鬼に生まれ変わったらやりたい3つのこと

ほろび

第1章 百鬼夜行

第1話 火山の火口で鬼を釣る

 「こっちに来るなーっ!」


 と少女が叫んだ。

 火山の上で釣りをしているのが見える。

 私は、その少女が垂らしてくる釣り糸を、ずっと上り続けていた。

 火口のふちには、一本の吊り橋が架けられ、その中央から釣り糸を垂らしてくる。


 「来るな!」


 と少女はまた叫んだ。

 清らかな声ではあるが、釣りざおがしなって、今にも折れそうだ。


 「ねーっ! 聞こえないの?」


 私が、釣り糸を上るたびに、頭上の少女の声は大きくなる。

 なぜこうなったのかわからない。

 気がつけば、少女へ繋がる一条の糸をつかんでいた。

 糸をにぎる自分の手には、あまりにも長く鋭い爪が生えている。

 自分のものであるはずなのに、大きな真っ白い手で、美しくも死体のようにも見えた。

 夢にちがいないと朦朧としながら手を伸ばした。


 「それ以上来たら」


 突如、おびただしい光の滝が、火口から落ちてきた。

 目のくらむような明るさに、夢うつつさえわからないほど恍惚となりながら糸を上った。


 上るにつれて、少女の顔が見え始めた。

 口もとを凛と引きしめ、吊り橋からこちらを覗いている。

 ふと白い歯をあらわして微笑すると、何かが落ちた。


 「ぺっ、ぺっ」


 唾だ。


 「鬼のくせに」


 爽やかな声で言い放った。

 自分の手を見ればそれがわかった。

 鬼なのだ。

 上れば上るほど、人ではないという感触が強まる。

 夢であるはずのものが、まざまざと色めいて、完全になった。

 それでも少女に助けを求めるかのように手を伸ばし続けた。


 「鬼になんか負けるもんか」


 幣を振るように、釣りざおを右に左に振り始めた。

 振り落とされそうになる。

 しかし拒絶されるほど、かえって渇望する気持ちがわいてきた。


 「落ちてもいいけえ、やっちゃらーっ!」


 勝ち気な少女は、更に烈しく振り始めた。

 糸どころではない。

 吊り橋ごと揺れていた。

 カラカラと、板と板のぶつかる音が、舞い落ちた。


 その時突然、地鳴りのような音が響いてきた。

 吊り橋の音は、忽ちかき消される。

 上れば上るほど、急激に大きくなった。

 火口のふちに黒い塊が見える。

 誰かいた。


 群衆だ。

 ぐるりと火口を囲んで、僧侶の群衆が立っているのだ。

 粘りのあるお経が、一せいに放たれ、穴いっぱいに響いている。


 「きたぞ!」


 僧侶たちの視線がこちらの一点に集められた。

 糸を上り続けると、凄まじいお経がぶつけられる。

 騒然たる音楽の中央へ、まともに登場した。


 「はやくはやく」


 少女はそう声を上げて、火口のふちへ走り始めた。


 「あっ」


 吊り橋の揺れに、少女はよろめいたが、足のうらの肉で板を踏みしめ、持ちこたえる。


 「もうすこし」


 口もとを涼やかに引きしめ、再び、進み始めた。

 今度は、板を踏み外さないように、ゆっくりと歩いて、釣りざおを高く掲げて去って行く。

 少女が、確実にはなれ去るのを感じた。


 すると、急に体の力が抜けて、糸を上る手が止まった。

 いったい私は何をしているのだろう。

 火口の底を見下ろすと、穴はどこまでも真っ黒で、火が見えない。

 ここはどこなのか、自分が何なのかわからないのに、ほんの一条の糸を上り続けることに意味はあるのだろうか。


 「これを見るな!」


 少女は、いきなり、白い着物をたくし上げた。

 そこには尻尾のようなものが、裾を押し上げてうねっていた。

 一歩踏み出すと、みずみずしい重みに耐えかねて、ぶるん、と震えた。


 まさにその時、少女は見られていることを感じている顔になった。

 この顔が、私の心を頭上へ戻した。

 少女を見続けるように糸を上った。

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