ガリ勉庶民の私が場違いな超セレブ学校に入学してみた結果……

識原 佳乃

庶民と王子様

「うぅ……ぐすっ……ぼ、ぼくが……りっぱな、おとなに……なったら……ぜったいむかえに……いくから、そしたら……けっ――――」


 何度も見る明晰夢。「またこれか」と私は夢の中で呟いた。

 今は憶えていても、起きると何故かきれいさっぱり忘れてしまう。

 そんな歯痒さを感じながら、今度こそは忘れないようにと強くこの光景を……この夢を目に、心に焼き付ける。


 男の子が泣いていた。手で顔を覆っているのでその表情は見えない。

 その前には屈託のない笑みを浮かべた女の子……私がいた。

 この後に続くお決まりの台詞。


「いいよ――」


 ――そんな台詞を聞いて私は目を覚ました。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ――私の家は貧乏だ。

 何を突然? と思うかもしれないけど、貧乏なのは紛れもない事実。

 父は今流行りのブラック企業と名高い週7勤務の会社勤め。お休みはワンマン社長の気分次第という名の不定休制度が採用されていて、毎日早朝から深夜まで父は働き尽くめだ。それなのに年収は200万円台。

 母も今流行りのブラックバイト勤めで勤務は週6。アルバイトなのに大半の責任を押し付けられていて、サービス残業は当たり前。以前寝言で「デンジャー」とコールしながらうなされていた時には思わず抱きしめてしまった。


 だからこそ私は両親に迷惑を掛けたくない一心で猛勉強をした。周りにいくら「ガリ勉メガネ」だの「ナード」だのと言われても一切気にしなかった。

 その甲斐あって私は国内最高峰のセレブ学校として有名な“私立天華あまはな大付属高校”に入学することが出来た。

 え? 貧乏なのにどうしてセレブ学校に入学できたかって? それはとても簡単なことで俗に言う特待生制度を利用できたから。入学試験の成績が首席の者には入学金や学費などオール免除に加えてなんと、各教科の考査毎に1位を取れば給付奨学金ボーナスが出るのだ。よっ! さすがセレブ学校! もし全教科1位を取れたとすると、その額何と……ぐふふふふ……あっ、よだれ出ちゃった。


 と、とにかく私――音花おとはなさきはボーナス獲得のために学業最優先で高校3年間を過ごす! と心に固く誓ったのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 入学してから2か月弱が経ち、無事に初めての中間考査も終えることが出来た。手応えは上々で我ながら完璧と言ってもいい程度だ。むしろこれを完璧と言わなかったらいつ言うのか? 今でしょ! きっと〇先生もそう仰ってくれるレベルだった。

 ――そして今日は各教科の成績上位者の順位が掲示板に貼り出される日だ。

 私はボーナスの使い道……主に貯金と両親を連れて美味しいものを食べに行くことを想像し、よだれを垂らしそうになりながら、弾むような軽い足取りで下駄箱から掲示板に向かった。


 どいたどいたー! 入学試験首席様のお通りだぞー! 全教科のボーナスは私のものだー! ……ぐへへ。


 登校時間ということもあってか人口密度が急上昇している掲示板を前にして私はそんな気持ちになりながら「す、すみません」「と、通して下さい」と、ペコペコと頭を下げて最前列へ。途中人混みの合間を縫っていたら「ガリちゃん惜しかったね。“王子”相手に大健闘じゃん!」や「ガリン子サキ」と声を掛けられた。因みに私は「ガリちゃん」と皆から呼ばれている。由来は常に全力でガリガリ勉強することから。

 そんなあだ名を付けられてイジメられているのではないか? と思うかもしれないけれど私は意外なことにイジメられたことはなかった。……うん。自分で言っててちょっと悲しくなるけど良いことなのだ……うわーん。

 ……それと誰だ! さり気無く人のことをじゃ〇ン子チ〇みたいに呼んだの! 許すま……そんなことより成績表! え~っと……、


 教科:現代文


 1位:1年C組御園生みそのうきょう

 2位:1年A組音花咲


 ……あれ!? 現代文は特によく出来たと思ってたのに……。落ち込んでる暇なんてない。次の教科こそ私が1位なハズ。それにしても御園生京って何者? “京”って名前珍しいよね? ……けど私の16年間の人生の中では“随分と前”に見たことある名前なんだな~これが!

 さ、気を取り直して次の教科の順位を確認しよう! 現代文はきっとたまたまダメだったに違いない。だって私のアイデンティティーはガリ勉ですもの! 勉学で負けるなんてあってはならないことですのよ! おほほほほ!

 いきなり予定が狂ってしまったためかなり動揺しながらも、次こそは大丈夫と自分に言い聞かせながら横の成績表に目を移した。


 教科:数学Ⅰ


 1位:1年C組御園生京

 2位:1年A組音花咲


 ……お、おかしいな? 私夢見てる?


 受け入れられない現実を前にして、思わず頬っぺたをつねるというベタな行動をしてしまった。


 いひゃい! なんで痛いの!? これ夢でしょ!?


 紛れもない現実だったが私が見たこの悪夢は、まだほんの始まりにしか過ぎなかった。

 数学Ⅰの横の成績表、そのまた横の成績表へと目を移していくと――、


 教科:数学A


 1位:1年C組御園生京

 2位:1年A組音花咲


 教科:OC


 1位:1年C組御園生京

 2位:1年A組音花咲


 教科:英語Ⅰ


 1位:1年C組御園生京

 2位:1年A組音花咲


 1位:1年C組御園生京、1位:1年C組御園生京、1位:1年C組御園生京…………う、うがぁぁぁ!! みぃーそぉーのぉーうぅーっ! よくも私のボーナスを阻んでくれたなぁぁぁ!? 返せ! 私の回らないお寿司代とケーキバイキング代!! ついでにひとりでこっそり食べようと思ってた凜祝軒のどら焼き代も返せぇぇぇ!!


 御園生京、大絶賛フィーバー中の掲示板前で棒立ちする私。結果は散々だった。全11教科中私が1位を取れたのは……、


「保健体育だけ“王子”を抑えて1位とか……」

「ガリちゃんって実はムッツリでしょ?」

「これからはガッツリちゃんって呼ぼうか?」


 教科:保健体育


 1位:1年A組音花咲

 2位:1年C組御園生京


 保健体育だけだった。


 ガッツリって何さ!? 別の言葉になってんじゃん! ガリ勉は私の唯一のアイデンティティーなんだからもっと面影残してよ!! ……ってそんなことはどうでもいい!

 ……許すまじ御園生京! 食べ物の恨みは恐ろしいってことを思い知らしてやるー!


 私が勝手に一方的な恨みの念を御園生京に送っていたら、突如人だかりの後ろの方で黄色い声が上がった。


 むむむ? 人が真剣に恨みの念を送ろうとしているのに騒がしくしないでよ! キィー!


「おっ! さっすが京! 恒例の全教科せい――」

「よく見ろみなと。1教科落とした」


 未だに掲示板前で棒立ちを継続していた私のすぐ横から男子生徒同士の会話が聞こえてきた。

 内容から察するにどうやら御園生京本人らしい。


 京!? も、もしかして御園生京が今私の隣にいる!? ……ふふふ、丁度良い! 私からボーナスを奪い、ムッツリならぬガッツリの汚名を付けさせた憎っくきその面を拝んでやろうじゃないの!


「えっ? ……おぉーっ!? 遂に京の連覇を止める奴が現れたか! 音花咲……聞いたことないから高等部からの“秀才組”か」

「……音花……咲……まさか……」


 意気揚々と男子生徒の方へと振り向こうとしたのだが、そんな声が聞こえて固まってしまった。


 な、なに!? 「まさか」ってなに!? まさか……。……まさか……り担いで金太郎!? ……いや、いくらなんでもそれはないでしょ。カームダウン、カームダウン、落ち着け私。

 さぁ、横を向いてボーナス強奪犯の憎っくきフェイスを目に焼き付けようではないか!


「あれ? キミどちら様? 見ない顔だけど“秀才組”の子かな?」

「…………」

「おーい? キミ、聞こえてるかな?」

「……えっ!? わっ、わわわ私ですか!?」


 内心で懐疑と憎悪の念を燃やしていたら、御園生京ではない男子生徒に声を掛けられた。……確か御園生京に“みなと”と呼ばれていた様な気がする。

 完全に不意打ちで声を掛けられたので不審者よろしく、な反応をしてしまった。「わ」って何回言ってんの私……。

 自分でも分かるほどにぎこちない動作で横に振り向いて、私はそのまま固まってしまった。


「そうだよ。こんにちはボンジュール御嬢さんマドモアゼル

「…………」


 ……。

 …………。

 ………………ハッ!?

 あ、危なかった~! あまりのイケメンっぷりに意識が持って行かれるところだった……。フンッ! この私の意識を持って行こうだなんて100万年早くてよ!


 “みなと”と呼ばれていた男子生徒はそれはもう端正な顔立ちをしていた。

 日本人離れした長身に掘りの深い顔立ち、エキゾチシズムあふれる琥珀色アンバーの瞳ウルフアイズに至っては光を反射して金眼に輝いていた。肩よりも少しばかり長い艶と光沢を放つ金髪ゴールデンブロンドは一括りに結われていて、言うなればポニーテールといったところだろうか。

 一目見て分かったことは超絶イケメンということで、二目見て気付いたことはハーフだろうか? という疑問だった。


「おーい?」

「何をしているんだ湊。さっさと教室にもど……」

「いや~このマドモアゼルにナン……声を掛けてたんだけど――ってどうかしたのか京?」

「…………」


 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………ゴフッ!?

 何ここパラダイス? えっ? もしかして超絶イケメンを見てしまったことによって私は既にショック死してて、ここは実は天界ヘブンだったりするの!? 嫌だ! 死因がイケメンを見たことによるショック死だなんて!!


 金髪金眼の“みなと”なる超絶イケメンに話し掛けるためにこちらに振り向いた御園生京と思われる人物。彼もまた超絶……いいや、そんな言葉を超越するだけでは飽き足らず、遥かに優越し、卓越した存在だった。


 輝きを放つみなとの金髪ゴールデンブロンドとは対照的な漆黒のショートレイヤー。その混じり気の無い黒髪もただ黒いだけでは不満なのか、黒漆を塗ったように髪の1本1本に深い艶があった。筋の通った鼻は高く、形の良い唇はきつく結ばれていて強張っている。


「…………」

「…………」


 私が息をすることも、瞬きをすることも忘れて御園生京を見ていたら、彼もまた揺らぐような淡い驚きを湛えてこちらに視線を向けていた。

 ――だからこそ目が合うのは必然だった。


 長くて濃い睫毛に、キリリとした切れ長の目。澄み切った黒目は髪同様に艶のある漆黒で、瞳の奥には微かな動揺にも似た感情が漂っていた。


 ……どうしてだろう。御園生京の……彼の瞳を見ていると何かが込み上げてくるのだ。

 遠い昔に見たような曖昧模糊あいまいもこなもの。言ってしまえば既視感デジャヴュ。そんなものだった。


「おいおい白昼堂々何してるんだ京?」

「……さきょう……」

「…………」


 みなとに声を掛けられても彼は何も反応せず、私を見つめたまま呟いた。

 “さきょう”。

 その言葉は私の心の奥底にカチリと、まるでパズルの最後のピースが嵌るようにゆっくりと滑らかに収まった。


 ……そっか、やっぱり京だったんだ。

 私はきっと初めから気付いていたのだ。彼が……御園生京が私の幼馴染であることに。

 けれどそれを思い出せない……ちがう、思い出そうとしなかったのは怖かったからだ。

 彼が私を憶えていないんじゃないだろうか。そんなちっぽけな理由で。


「悪い。人違いだっ――」

「……分かるよ。さきょう。それって悪ガキふたりのことでしょ?」

「……っ!?」

「……久しぶり。咲花さっかきょ……う……んんっ……っ!?」

Oh la laオーララ! 大胆だな京!」


 ――そして私の口は唐突に塞がれた。

 彼の唇によって……。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ――これは私が保育園に通っていた頃の遠い、遠い昔のこと。

 当時からブラック企業とブラックバイト勤めだった両親。なので私は必然的に保育園に預けられていた。

 幼かった私は両親にかまってもらえない寂しさと、周りの仲の良い親子を見ての羨望と焼き餅に身を焼き、かなりやんちゃな子供だったと思う。今思えば第一次反抗期真っ盛りだったので当然なのかもしれないけど。

 そんな私がグレにグレてブイブイ言わせて悪童として幅を利かせていた頃に出会ったのが、咲花さっか京だった。

 毎日毎日お迎えが最終組だった私と京は同じ境遇ということもあって、気が付いたらいつも一緒にいる……というレベルの仲良しさんになっていった。だからこそ私たちに“さきょう”という呼び名が付いたのは当たり前のことだった。私の“さき”と彼の“きょう”を繋げて“さきょう”。

 活発でやんちゃで無鉄砲な私と正反対の物静かで内向的で、感情をあまり表に出さない京のコンビは一見すると奇異な存在だったかもしれないけど、それは互いが互いを補い合うには申し分ない関係だったのだ。イメージとしては私が弾丸で京が拳銃といった感じ。けれど力関係は活発な私が親分で京が子分だった。

 ふたりでどんな悪さをしても、イタズラをしても、京は控えめに笑うだけで胸の内を表すことはなかったが――ただ一度だけ、涙を流して心情を吐露したことがある。


 あれは確か……。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 唐突過ぎて私は京にキスをされたまま固まってしまった。眼前には吸い込まれるような深さをもった艶のある漆黒の瞳。何コレホラーなんですけど!?

 そんな処理できない現状に思考がパンクし、フリーズしてしまったからだ。


 べ、別に京の唇柔らかいな~とか堪能していた訳ではない! 断じて!


 私がフリーズしていたのが何秒、あるいは何分だったのかは分からないけど、周りにいた女子グループの悲鳴にも似た絶叫が再起動を促してくれた。


 と、取り敢えず突き飛ばそう! 乙女の唇を……それも大衆の面前で奪うなんて万死に値する! 後で絶対にごうも……ゲフンゲフン、話しはそれからだ!


 京を突き飛ばすために両腕を一気に前方に押し出したのだが、それは叶わなかった。

 いつの間にか京に抱きしめられていて、単純に私が押す力よりも彼が抱きしめてくる力の方が強かったからだ。


 保育園の頃は私の方が身体も大きくて、力も強かったのにな……ってイタタタタ!! 力強いよ、潰れちゃうって! それにいい加減苦しいんだけど!? 離せバカ京! ギブミー酸素!


 両腕が封じられてしまったので残る足を使って拘束解除を試みる。


 っせい! これでどうだバカ京!


「……っ! ……痛いよ咲。足を上げてくれないか?」


 生半可な力では効果が無いと思ったので、全身全霊の力を込めて思い切り京の足を踏んでやった。おまけにグリグリと追い打ちもかけた。


 あー酸素酸素! ……くそぅ内履きじゃなかったらもっとダメージを与えられたのに!

 涼しい顔して何が「足を上げてくれないか?」、だ! それはこっちのセリフでしょうが!


「その言葉、そっくりそのまま金利と手数料を付けて返させてもらうけど……先ずは離してもらえる? 苦しいんだけど」


 話しを……命乞いを聞いてやるのはそれからだ! と心の中で付け加えてから噛み付くような険しい目付きで京を睨みつけた。……がるるる! 絶対に許さん!


「……咲、怒ってるのか?」

「オコッテナイオコッテナイ」


 オコッテナイオコッテナイ……訳が無いでしょうが! おこだよ! 激おこプンプン丸だよ!!


「嘘つけ。棒読み過ぎだ」

「……いいから早く離して。じゃないと私が潰れて死ぬ」


 鬼気迫る表情で言ったのが功を奏したのか、京は少し慌てたように端正な顔を歪めると手を放してくれた。


 全くこのバカ幼馴染は一体全体何がしたいのか? 今のこの状況を一言で言い表すなら混沌カオスだった。

 目の前の光景が信じられないと固まっている子。明確な敵意を……殺意を向けてくる子。ただひたすらに泣きじゃくっている子。スマホで写メや動画を撮っている子。藁人形を壁に打ち付けている子……ってホラーすぎるからそれはやめて!


 とにかくどうしようもないこの事態に私は頭を抱えて蹲りたくなった。

 高校生活はボーナスのためだけに学業を頑張って優等生としてひっそりと、誰からも恨まれることもなく平穏に過ごすはずだったのに……。

 終わった。全てが今日、京によって終わらされたのだ! アハハ! 今日と京ですって! ウケるんですけどぉ~!


「京……それでそちらのマドモアゼルは……?」


 私たちが離れたことを声を掛けていい合図だとでも思ったのか、金髪金眼のみなとが京に尋ねた。

 その声に京は顔だけを向けると、整い過ぎた顔に凛々しさをプラスした反則的な表情でキッパリと言った。それはもうキッパリと。


「俺の……婚約者だ」

Oh la laオーララ! 京にそんな相手がいたなんて……だから女子に言い寄られても断ってたのか」

「「「イヤァァァァ!」」」


 京の言葉を聞いた何人かの女子が断末魔にも似た絶叫を上げてバタバタと倒れていった。……あの、私も倒れていいよね?


 ……って! 婚約者!? 何それ!? 当の本人である私が知らないんだけど! どういうこと!?


「婚約者って何? 私知らないんだけど、勝手に決めないでもらえる?」

「……え?」


 私を見つめた京は「嘘……だろ……?」と言いたげな瞳を揺らしながら瞠目していた。そんな彼を見て、


「……えっ!?」


 私もまた「ジョーク……だよね……?」と瞠目してしまった。


 ……京の驚きようを見る限り婚約者というのは冗談で言った訳ではないらしい。

 だからって身に覚えのないことを突然言われてもどうしようもな……、


「保育園の……咲と別れ離れになる最後の日に約束したよな? “おとなになったらけっこんしよう”って」

「……うっ!!」


 ……あぁぁっ……思い出したーっ!! そう。あれは……確か卒園の日。

 私はそのまま地元の小学校に通うことになっていたんだけど、京は親御さんの再婚を切っ掛けに引っ越しをすることになって、別々の小学校に通うことに。

 私はそんなことになっているとは露知らず、いざ小学校に通い始めてからお母さんに「なんで京いないの?」と聞いて、初めて別々の小学校になってしまったことを知って大泣きした。そしてそれと同時に京が卒園の日に泣きじゃくっていたことも幼いながらに理解した。


 ――今の今までそんな約束を忘れていたのは、あまり感情を表に出さなかった京が号泣したことの方が印象的だったからだ。


「咲……もしかして忘れてたな?」


 ……ギクッ!

 なんか目が怒ってる気がするから「ゴメン! 忘れてたーてへぺろ☆」なんてとてもじゃないけど言えそうにない。


「も、勿論覚えてたに決まってる、的なハズ」

「……怪しいな……本当に覚えてたのか?」

「シツコイ。覚えてるって言ってるでしょう?」

「ふ~ん。それなら結婚してくれるってことだよな?」


 どうして、覚えてる=結婚承諾、になるのか?

 ……ハッ!? そういえば私「いいよ。けっこんしてあげる」って言ったような気が……。

 けどあれは私も幼かったし、何も考えてないで言ったからノーカンだよね!? そうだよね!?


「ちょっと待って、落ち着きなさい」

「俺は落ち着いてるぞ」


 えっ!? どこが!? 

 数分前にいきなりキスしてきた癖に何を言うか! と言いそうになった衝動を唇を噛んで抑え付ける。


「あれは幼児の戯言たわごとでしょう? 京も本気で言った訳ではないでしょうし」

「………………あ、あぁ……」


 ほらやっぱり! 再会できたことがいくら嬉しかったからって、冗談で人を焦らせるなんて京のやつ性格悪くなったな~。……おっほん。私はそんな子に育てた覚えはなくってよ!

 ……あれ? ってことは冗談でキスしてきたのかーっ!? ふざけんなー! 私の……ファ、ファーストキス返せ!


 本気ではないことを私に見破られたからなのか、京は気まずそうな表情を浮かべると言葉を続けた。


「悪かった。忘れてくれ」

「お~い京! ちょっと待てよ!」


 そう言った京はどこか悲しそうな瞳を揺らすと、モーゼの如く人波を割って歩いて行ってしまった。


 私に見抜かれたことが相当に悔しかったのだろう。中間考査という試合には負けてしまったけど、心理的な勝負には勝った。おほほほほ~! 勝利、勝利、大勝利~!


 胸中で高笑いをしていたらクラスメイトの仲の良い子に話し掛けられた。


「ガリちゃん、王子あれ本気で言ってたと思うよ」


 えっ!? 今なんて?


「ん? 何を?」

「いや、だから、結婚して欲しいって本気で言ってたよ? ガリちゃんに」


 あぁ~そんなこと! てっきり「私の王子に何してくれてんじゃボケェ!? 殺すぞガリ勉メガネ!」とか言われるのかと思ってビクビクしてたからよく意味が分からなかっ…………えぇぇぇ!?


「えぇぇぇ!? 嘘でしょ? だって京も本気じゃないって言ってたし……それに私に見抜かれて悔しそうにしてたし!」

「あはは~……やっと普段のガリちゃんに戻ったね。緊張してたんでしょ?」

「べ、別に緊張なんてこれっぽっちもしてなかったからね!?」

「そうかな? ふふふ~。それで王子のことだけど、あんな真面目な顔してるの初めてみたよ。いつもつまらなさそうにしてたのに、ガリちゃんと話してる時はとっても楽しそうだった」

「俺は京と小学生からの付き合いなんだが、あんな表情初めて見たな。それにあれは悔しがってたんじゃなくて、ただ単純にショックだったんだと思うぞ」


 いつの間にかみなとも会話に参加してきた。そして、その言葉に納得してしまった。


 きっと私にあっさりと、本気じゃなかったんでしょ、と言われて言い難くなってしまったのだろう。だからどこか悲しそうな瞳をしていたのかもしれない。


「ガリちゃん追いかけた方がいいんじゃない?」


 ちょっと!? それって普通男の子がやるべきものなんじゃないの!?


「京は……多分屋上に向かったと思うぞ。いつも暇潰すときは屋上にいるからな」


 あぁ~もう! ふたりして! ……行けばいいんでしょ、行けば! 子分の面倒を見るのも親分の仕事の内だもんね……。


「もうわか――」


 せっかく私がカッコよく「わかった」って言おうとしたのに、予鈴を告げるチャイムに遮られた。


 キィー! 私が悪かったのはもう分かったから!


「先生には適当に言っておくから」

「じゃ、よろしくマドモアゼル!」


 そんな言葉を背に受け「ありがとー!」とふたりに返してから屋上に向かった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「……ふぅー」


 屋上へと続く扉の前に着いたのはいいんだけど、どんな感じで出て行けばいいのか分からず、自分を落ち着けるために深く息を吐いた。

 いざ面と向かってふたりきりになるというのは今更ながら結構恥ずかしかったりする。

 しかも私が断ったみたいになってるし……。

 ――けどいつまでもここでうじうじしている訳にもいかない。……なんてったってガリ勉が唯一のアイデンティティーである私が授業をサボったんだよ!? これはもう大事件だよ!


「あっ! そもそも本当に京が屋上にいるとは限らないよね?」


 そうだよそうだよ! あくまでみなとの予想なだけであって京がいる確証は無いじゃん!

 そのことに気付いたと同時にノブに手を掛け、一気に扉を開け放った。


「…………っ!? なんでさ――」

「…………本当にいたっ!?」


 屋上に吹く初夏特有の心地好い温かさを孕んだ風が舞い込んだ。……けれどそれはほんの数秒のことだった。

 本当にいるとは思っていなかった私は開け放った状態でフリーズ。

 京もまさか人が来るとは考えてもいなかったようで、私に視線を向けて固まってしまった。

 ――そして京が何か言っているところで、吹き込む風とドアクローザのシナジー効果によって勢いよく扉が閉まったのだ。


 何今の!? やばい……変なテンションだったからツボ入っちゃった……、


「……プッ……アハハハハ! 何今の!? あぁっ……ひぃっ……笑い、過ぎて、お腹、痛いよ……フフフッ……」

「――咲、笑い過ぎ」


 目尻に溜まった涙を拭い、お腹を押さえて笑っていたら不意に扉が開いた。

 滲んだ視界に映るのは少し不機嫌そうに眉を下げた京。

 一頻り笑い終えてから息を整え「ごめんごめん」と両手を合わせる。


「いつまでそこにいんの? こっちくれば?」

「あっ、うん。おじゃましまーす?」

「……なんだよそれ。風強いから気を付けろよ」

「うん。ありがと」


 少し棘のある言い方だった気もするけど、なんだかんだで京は私を気遣ってくれた。

 優等生チックな大して短くもないスカートの裾を押さえて屋上へと足を踏み入れる。

 ふわりと温かい風が今度は全身を包んでくれた。まだ午前中ということもあってか適度に澄んだ空気も心地好さに拍車をかける。

 

「……その、さっきは悪かった。落ち着いてないのは俺の方だったな」

「むむむ? なんのことかな? なんのことですかな~京くん?」


 柵に寄り掛かる京の隣まで歩いて行って、景色を眺めながらわざとらしくとぼける。


「あれだ……キスしたことだ」


 眼下に広がるのはセレブ学校特有の広大な敷地だった。

 野球場にサッカーコート、テニスコートや陸上競技場までは一般的な学校にもあるとは思うけど、馬術競技場やゴルフ練習場はなかなか無いと思う。


「本当に悪いと思ってるのかな~? 私あれファーストキスだったんだけどな~?」


 問い詰めるように言うも、目線は遠くの景色を見つめたまま。

 さて、なんで景色ばっかり見ているかと言うと、ただ単に恥ずかしいから……。


「……ファーストキス……ファーストキスだったのか!?」

「そ、そうだよ!? 悪い!?」


 そんな京の問いかけに思わず顔を向けてしまった。

 口元に手をやって、僅かに頬を朱に染めた京。端正な顔に浮かぶ感情はイマイチ読み取れない。


「いや、俺もファーストキスだったから……その……嬉しくて……」


 ……ん? 今なんか衝撃的な言葉が聞こえた気がする……。確か京も「ファーストキス」だって……はいぃぃぃ!?

 私が言うのもなんだけど、こんなイケメンがファーストキスって嘘でしょ!? 何かの冗談でしょ!?


「……えぇっ!? ファーストキスだったの!?」

「あぁ」


 あっさりと答える京。神妙な面持ちを見るにどうやら嘘ではないっぽい。


 ……いや、ちょっと待って!? ファーストキスだよ!? 人生で結構大事なイベントだよね? だって絶対に忘れなくない? それを……それをあんな大衆の面前で普通する!? 絶対しないよね!? バカだよね!?


「ならもう少し雰囲気とか、シチュエーションとか、ムードとか考えてするも…………んむっ!?」


 私のファーストキスへの並々ならぬ思いをぶつけていたら、突然京の顔が近づいてきた。

 そして気が付くと唇に覚えのある柔らかいものが蓋をしていた。


 ……京の唇だ。


「ばか! ばかバカ馬ぁー鹿っ! なんでまたキスするのさ!?」


 今回は抱きしめられていなかったので、軽く突き飛ばすだけにした。


「……俺なりに考えた。ふたりきり。屋上。咲が好き。……ファーストキスを上書きするには充分だろ?」

「何言って……」


 恐ろしく真剣な顔つきをした京が私の言葉を遮った。


「――咲、俺やっぱりお前のことが好きだ」

「……え?」


 私は首を傾げるだけで精一杯だった。


 色々と整理がつかない。

 だってお互いにちゃんと再会した初日だよ?

 しかも約10年ぶりにだよ? 


「保育園の頃から好きだった。本当はちゃんと立派な男になってから迎えに行くつもりだったんだが、再会して改めて好きなことに気付いた。……笑顔が好きだ。照れた顔も好きだ。真面目な表情も好きだ。怒った顔も好きだ。何事にも真剣に取り組む姿勢が好きだ。意地っ張りなところも負けず嫌いなところも好きだ。……それから、保育園時代俺を守ってくれた心優しい咲がなによりも好きだ……」

「…………」


 真っ直ぐな瞳が私を捉えて放さない。

 その視線に逃げ場なんてなくて、私はただ黙って京の想いを聴いた。


「だから今度は俺が咲を守りたいし、幸せにしたい」

「…………」


 反則だよ。

 ズルいよ。

 10年前、何も言わないで急にいなくなったくせに。

 今頃現れて守りたい、幸せにしたい?

 勝手すぎるよ。

 ワガママすぎるよ。


「俺が勝手なことを言っているのは充分わかってる。けど、それでも……咲に伝えたかった。もう我慢できないんだ。嫌われるよりも、伝えられないことのほうが辛いって知ったから……」


 ……けどね、それを言われて“嬉しい”って思ってる自分がいる。

 本当は「なんであの時何も言ってくれなかったの?」「どうしていなくなっちゃったの?」って言い返したいけど、それを言ったところで意味は無いし、それこそ勝手であり、私のワガママなのだ。


 これは京なりの告白であり、懺悔でもあるのだ。


 ……だから私は京の告白を受け止めてから、尋ね返した。「……随分身勝手だね。それを言って……胸の内を私に告白して、満足できた?」――少しは気持ちが軽くなった? と。


「……悪かった」


 顔を伏せた京は呟くように言った。


 どうも私の気持ちは今の言葉では伝わらなかったらしい。


 ぐぬぬ……恥ずかしいんだけど?


「あぁ~もうっ!? どうしてそんな風に解釈するかな~全く!」

「……?」

「はぁ~。いつまで経っても子分は子分だね」

「……??」


 やっぱり伝わらない。


 右に左に小首を傾げる京を見て、ここは親分の出番か、と腹を決めた。


「いいよ」

「……え?」

「ほんと頼りない子分だけど、守らせてあげる、って言ってんの」

「……っ!?」


 はぁ~。やっと伝わったみたい。みなまで言わせないでよ恥ずかしいなぁ~もう。


 京は顔を上げて目頭を押さえた。


 そんな姿を見て、あの日勝手にいなくなった仕返しをしてやろうと、ふと思った。


 私だってあの後散々泣いたんだ。絶対泣かしてやるー!


「だからちゃんと……私のことを……幸せにしてね?」

「……あぁ。もちろん」


 そう言って京は一筋の滴を零した。

 あの別れ離れになる日に見た最初で最後だと思っていた京の泣き顔が今、更新された。


 この記録は私達が一緒にいる限り、きっとこれからも更新され続けるだろう……いや、私が泣かしてみせる!


 ――そして私達はどちらともなく唇を重ねた。


――END――

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