第10話 アレヴェルの想い
「ほら、あそこにある家よ」
イルラナは目的地を指差した。
出掛けているのか、中にいるのか、家の周りにフェレアの姿は無い。
ふいにアレヴェルが足を止めた。
「どうしたの?」
アレヴェルは形のいい唇の前に人差し指を立て、静かにしろと合図をしてきた。そして岩陰に身を隠すと、イルラナを手招きする。イルラナも彼のすぐ隣にしゃがみこんで隠れた。
フェレアの家へむかう、見知らぬ男の姿があった。
戸口につくと、その男は「おい」と中に呼び掛ける。
アレヴェルが顎でその男を指した。
「あいつはタチの悪い商人さ。盗品だろうが盗掘品だろうが、価値があると思えばなんでも買い取り売っぱらう」
扉代わりの垂らした布から、フェレアが出てきた。浅い木の箱を抱えている。中にビンが幾つか並んで入っているのが見えた。フェレアは箱を地面に置いた。硬い物が触れ合う音がする。
「これで全部か」
商人はしゃがみこんで箱の中のチェックをする。
フェレアは、心配そうにその様子を眺めていた。
(フェレアさん、何かいらなくなった物でも売ろうとしてるのかな?)
「そうだ。ビンが何個かと、石と、紙の束。全部でいくらになるかね」
「まあそう焦るな。紙に何が書いてあるのかわからなきゃな」
「悪いが私は字が読めないんでね。内容はあんたが判断してくれ」
「まあ、錬金術師が書いた物だ。そこそこ金になるだろうよ」
それを聞いた途端、頭に血が上ってイルラナは隠れ場所から飛び出した。
この家にいた錬金術師は一人しかない。エリオンだ。ファレアはエリオンの記録を、実験結果を、苦労して集めたサンプルを、盗んで売ろうとしている!
「ちょっと! それ、エリオンのでしょ!」
「お嬢ちゃん、生きていたのかい! 帰って来ないからてっきり……」
イルラナは箱を取り上げた。
アレヴェルが鼻を鳴らした。
「金目の物だと思って取っておいたんだろう。エリオンがいなくなってからも」
その言葉に、イルラナは王と対峙したとき感じた違和感の正体が初めてわかった。
あの時、ディサクスは『エリオンは何を嗅ぎ回っていたのか』と聞いてきた。
もしもフェレアが言った通り、役人がエリオンの荷物を持って行ったのなら、神殿で彼が何を調べていたのか分かるはずだ。エリオンは実験の記録をいつも紙に書いていたし、日記だって付けていたのだから。
「それでほとぼりが冷めたのを見計らって売り飛ばす、ってか。歳の割に頭使ったじゃねえか」
「い、いや、別にそういうわけじゃ…」
うろうろと視線をさ迷わせたところ、図星なのだろう。フェレアは、出掛ける用事があるから、とか何とか言って、どこかへ行ってしまった。
「ようルバト。というわけでここに売り物はねえよ。悪いけどな」
アレヴェルはシッシッと虫でも払うような仕草をする。
ルバトと呼ばれた商人も、肩をすくめて街の方へと去っていった。
イルラナは地面に箱を置くと、改めて箱の中身に目をやった。
試薬のビンが六本に、イルラナには名前の分からない石。束ねられた紙と、束ねられていない紙。
イルラナは紙を何枚か手に取り、一番上を読んでみる。
アレヴェルが横からのぞきこんでくる。
『親愛なるイルラナへ』
自分の名前が出だしに書いてあって、心臓が高鳴った。
『まだフェレアお婆さんの所にお世話になっているよ。前に送った予定の通りに帰れなくてごめん』
(ああ、やっぱり帰りが遅れる連絡をくれるつもりだったんだ)
そして、その手紙を出すことができなかった。
『この村の人達は水が無くて困っているみたいだ。硬い岩(君は興味がないだろうから、名前とか、特徴とかは書かないけど)のせいで水路が作れないのが問題だ。僕はそれをなんとかしようと思っている。それから、ここにはきれいな王宮や湖や神殿があってね。神殿は一般人でも見ていいんだって。一部だけだけど。今度、見に行ってみるつもり』
ぽろぽろと涙が手紙に落ちた。
「そっか……」
誰にともなく、イルラナはつぶやいた。
「エリオンは錬金術師だから……この国の人のためになることをしようと……そうやって他人(ひと)の事ばっかり……」
それに、ディサクス王のことも書いていない。たぶん、イルラナにルウンケストの国で行なわれている酷いことを知らせたくなかったのだろう。そしてそんな所にいる自分のことを心配をさせたくなかったに違いない。
(私はエリオンの事が好きなんだ)
その事実がスッと心に沁(し)み込んで来た。なんだか照れ臭くて、エリオンとの関係が変わってしまうのが怖くて、気付かないふりをしていた事実が。こんなわけの分からない状況になって初めて、こんな単純なことがようやくわかるなんて。
「エリオン……エリオン……」
もう返事が返ってこないのを知りながら、涙混じりの声で何度も名前を呼ぶ。
小さく舌打ちが聞こえた気がした。
不意に目の前が暗くなった。背に、アレヴェルの暖かい手を感じて、初めて彼に抱き締められているのに気がついた。アレヴェルより背の低いイルラナは、彼の胸に顔を埋める
形になる。頭のてっぺんに、アレヴェルの呼吸を感じた。
「何があったか知らないけど……あんたの幼なじみはもう帰ってこないよ」
わずかに擦れたアレヴェルの声が耳元で囁く。
アレヴェルがなんでこんなことをしたのかわからず、木から落ちた小鳥のように呆然と彼を見上げた。
アレヴェルは軽く身を屈める。驚いてかすかに開いたイルラナの唇に、そっとアレヴェルの唇が触れた。
「なっ……」
イルラナは、思い切りアレヴェルの頬に平手打ちをした。持ったままだった紙がばさっと地面に散った。
「何するのよ、最っ低!」
キスそのものよりも、エリオンの手紙で動揺しているのに、さらに心を乱されることをされたことが腹立たしかった。
ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「悪かったよ。泣くほど嫌がるとは思わなかったんだ」
さすがのアレヴェルも、少しバツが悪そうだった。
頬にはおもしろいほどくっきりとイルラナの手形が付いている。
「そういうわけじゃなくて。もう……頭がぐちゃぐちゃで、混乱してて、何もこんな時に……」
ハア、とアレヴェルは溜息をついた。
「じゃあ、もう危ないことはやめとけよ。お前の幼なじみに何があったのか調べてやるよ。分かったら教えてやるから」
散らばった書類を拾い上げながら、アレヴェルが言う。
「まさか! あなただけに任せて自分だけ知らんぷりなんて、できるはずがないでしょう!」
立ち上がったアレヴェルは、うつむき加減に紙の一枚を見つめていた。
「そうだな。お前の協力が必要かも知れない」
紙を一枚、イルラナに見せた。
「お前の幼なじみの力を借りるのは不本意だけど、仕方ないな」
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