アイアン・ギャロップ!-異世界無差別最速王決定戦-

舞為衣音

0 track:アナザー・ワールド!

「かんぱーい!!!」


 とある居酒屋にてジョッキのかち合う音が鳴り響いた。それぞれが勢いよくビールの一口を流し込み、喉越しに唸りながら顔を歪めていた。


「っかぁー!! 生き返るわー!! コレだけの為に生きてるって感じだわー!!」


 成人したての大学生の筈なのに妙に親父臭い事を口走りながら口に付いた泡を袖で拭うこの男は遠坂とおさか駿しゅん。いつもの様にバイトのシフトが無い時は何もする事が無く退屈なので、こうして自分と同じく暇そうにしている大学のメンバーと共にチンケなチェーン店の居酒屋で打ち上げをしているのだ。


「唐突だけどよ、俺もそろそろ彼女欲しいな~と思っててな。教育学部の田中ちゃんにアタックしてみようと思ってんだ」

「田中って誰だよ?」

「あの地味~な見た目してる子だろ。無いわ~……」

「実は俺もその子の事よく分からねぇ。ただおっぱいはいいから付き合って揉みたいかな~って」

「最低だなお前!」

「もしかしたら清純ビッチかもしれねぇからワンチャンあるかもしれねぇだろ!?」


 酔いも回ってきたのか、駿達は周りの目も気にも留めずに猥談に華を咲かせていた。いつもの事だ。話題になるのは恋愛話だったり、下ネタだったり、趣味の事だったり、と何の生産性も無い下らないネタしかない。


「……皆知ってるか? あの"旧堺トンネル"っての」


 下衆た笑い声を飛ばしていたのに、一人が途端に真面目な表情で問い掛ける。少しばかり季節外れかもしれないが、怪談でも始めるつもりなのだろう。男達は続けろ、とばかりに箸を止めて語り手に注目した。


「あの心霊スポットで有名なトンネルだよな? 本当にのか?」

「違ぇよ。其処のトンネルにに入ると、


 沈黙が続く。しかしこれ以上話さなかった。つまり、さっきのオチでこの怪談は終わってしまった様だ。あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎて、怖くも何ともなくて、全員が吹き出した。


「……ねーよ!! 何で4のゾロ目って設定にしてんだよ!! 捻り無さ過ぎだろ!!」

「だよなぁ!?」

「だよなぁって何だよ!」


 何だかんだで盛り上がり、時刻は四時過ぎを回っていた。まだまだ呑んでいたいが、明日は(既に日付は変わっているが)二コマ目とはいえ授業があるのでそろそろ御開きにする事になった。


「じゃあお疲れー」

「遠坂ー、お前今乗ったら捕まんぞー」

「わーってるよ! 押して帰るからダイジョーブだって!」


 駿はバイクで居酒屋に来ていた。歩いて行くのは面倒だったし、帰りは押していけば問題無いという単純な理由からだ。


「はぁ~、くっだらねぇ……」


 何が清純ビッチだ。何が現世に戻れなくなるだ。改めて自分達が話していた内容を帰り道に一人思い返しては辟易していた。


 現状特に何がしたいのかも、何をするべきかも分からずに、ただ何となく大学を卒業して、ただ何となく就職するのが今の進む道なのだろう。しかし、本当にそれでいいのか、と燻っている。疑問を抱きながらも誰にも打ち解けられずに悩んでいた。


「……いや、もう思い出さねぇって決めただろ」


 アイツはもう思い出したくもない。アイツの顔を見るだけで虫唾が走る。兎に角アイツの存在そのものを抹消したい位だ。


 心にかかっているもやを振り払いながら駿はひたすらに家へ帰ろうとする。帰ろうとしている筈なのだが――。


「……何でこんな所に来たんだか」


 いつの間にか駿の目の前には古惚けた隧道すいどうの穴が立ちはだかっていた。此処こそが、居酒屋で話していた"旧堺トンネル"である。此処に来たのは大体十年振り位である。


 大分前に新しいトンネルが開通した事により現役を退いたのだが、未だ廃道にはなっていない。一時期は心霊スポットで全国的に有名になっていたが、今は廃れて誰も通ろうとしない。


 何故此処に来たのか。それは駿の湧き出る好奇心を鎮めさせる為であった。あの時は周りに同調して散々下らないとこき下ろしていたが、いざ思い返すとどうしても気になって、何が何でも確認してみないと気が済まなくなっていたのである。


「……よし、行くか」


 スマホで時刻を確認する。四時四十三分。丁度良いタイミングだった。話の内容通り、四十四分になったと同時に駿は仄暗い隧道の中へ入っていった。


 中の照明は切れており、真っ暗で何も見えなかった。スマホの光を頼りに進んでいく。このトンネル内で自殺した地縛霊が出るとか言われているが、実際の所はそんな影も見えないし、音も自分の足音しか聞えない。

 とんだ期待外れだ。やはり幽霊なんて非科学的なものは居ないのだと落胆した。時間の無駄だった。このまま抜けて早く家に帰ろう。


 ふと駿はある違和感に気付いた。このトンネル、やけに長い。十年前に通った時は三百メートルも無い程に短かった筈なのに。進んでも進んでも出口が見えない。暗闇の中、僅かな光に照らされているだけの石の壁の景色が延々と続いているのだ。


「……このまま出られなくなったりして」


 自分で言った言葉に思わず身震いした。そして改めて恐怖した。もしこのトンネルの都市伝説が本当ならば、自分は現世に戻れなくなってしまう。

 まだ酒が抜けていないが、警察も人も此処を通らないから大丈夫だろうと言い聞かせ、駿は押していたバイクに跨るとエンジンを掛けてアクセルを回した。兎に角一刻も速くトンネルから抜け出したい。


 全速力で走らせても、一向に抜け口が見えない。本当にこんな所で死んでしまうのか。それだけは嫌だ。何としてでも家に帰りたい。そしていつもと変わらない日常に戻りたい。絶対にの二の舞を演じる訳にはいかない。


 ――るな。――っても……。


「!? 何だってんだよ!?」


――決して立ち止まるな。何があっても……。


「ッ! 今更立ち止まれるかってんだよ!!」


 ただ頭の中に湧き出る雑念を断ち、そのままスロットルを全開で捻って更にスピードを上げていく。もうかれこれ十分位は走っただろうか。前方に僅かながらの輝きが見えた。


 どうやら峠を越した様だ。駿は安堵した。ただ、まだ夜が明けるには早過ぎる様な気がしたが、彼には一秒でも速くこの隧道から離れたいという気持ちが何よりも勝っていたのだった。

 一筋の光明が徐々に大きくなっていく。漸く脱出できる。トンネルを抜けた駿の目の前にあるのは――。


「…………何処だ、此処……!?」


 辺りには新緑の草原が生い茂っていた。彼は此処が違う世界だという事を瞬時に察した。群れなすビルディングやアスファルトしかない都心部にこんな自然をそのまま残した様な土地がある筈が無い。そもそもまだ夜の時間だというのに、頭上には燦々と明るい太陽が昇っているのはどう考えても有り得ない。

 スマホのGPS機能を利用しようと試みるも電波は圏外を示していて、ナビゲーションアプリもインターネットも使えない始末。


 あのトンネルを抜けた先にこんな世界があるのは明らかに異常だ。直ぐに危険を察知して直ぐに引き帰そうと、後ろへ方向転換すると――。


「トンネルが……!?」


 何と、ものの数分のさっきまで通っていた筈の隧道が綺麗さっぱり無くなっていた。あるのは同じく生い茂る草原と何処までも続いてそうな森だけだった。


「クソッ! 何だってんだよ!!」


 トンネルから抜けたのはいいが、今度は知らない世界に閉じ込められた。不思議と恐怖は消えていた。寧ろ、腹立たしい。下らないネタを口走った奴にも、それを鵜呑みにして入っていった自分にも。

 しかし、いつまでもこんな所で突っ立っている訳にはいかない。これからどうするべきかを迷っている場合ではないと覚悟を決めた。


「……"何があっても立ち止まるな"、だろ? ……いいぜ、今は言う通りにしてやるよ」


 ――クソ兄貴。


 バイクを走らせている時に聞えてきた声が兄のものだとするなら合点が行く。五年前、忽然と姿を消して行方不明になってしまった兄が耳に胼胝が出来る程に言い続けていた決まり文句だった。

 散々弟や両親の事を心配させてばかりで音沙汰無しのロクデナシの言う事なんて聞きたくも従いたくもなかったが、今はそう言ってられる状況ではない。立ち止まっていても何の進捗も無いのだから。


 駿は兄の形見であるバイクのアクセルを全開にし、別世界の草原を駆け抜けていったのだった。

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