第3話星屑の海

一九六九年七月二〇日、アメリカの打ち上げたアポロ一一号が着陸した月面北緯八度三〇分東経三一.四度「静かの海」、そこから南西に二〇〇〇キロ移動したところに、「星屑の海(Sea of Stardust)」と呼ばれる巨大クレーターはあった。

 半径五〇キロメートルの巨大クレーターは、今から四〇億年前に月に衝突した小惑星の大きさとほぼ一致することで知られている。そこは、「月で餅をつくウサギ」でなぞらえるなら、ちょうどウサギの搗いている餅の入った臼の部分である。

 周囲を「館山(Mount of Tateyama)」と呼ばれる高さ二〇〇〇メートル級の山脈に囲まれたそこは、周囲から隔離された「盆地」となっていた。

 悠太たち国際星屑採集青少年協力隊は、クレーター中心から半径五〇キロメートルを採集場として活動していた。

「星屑の海」中央には、地球各国の研究機関およびJAXA解体以後宇宙資源開発を目的として成立した国際経済機関・OISDの施設が密集している。

そこは、誰が付けたのか、「楽園(パラダイス)」という名前で呼ばれていた。悠太たち少年編成隊の者が立ち入ることは禁止されていた。

悠太たち少年編成隊の寄宿舎は、「パラダイス」をぐるりと取り囲むようにして建てられたベッドタウンエリア、通称「Bブロック」の南部に建てられていた。それと区別して、「パラダイス」と呼ばれるエリアは、「Aブロック」と呼ばれていた。

 「パラダイス」の中央、「Sブロック」には、高さ四〇メートル、縦横三〇メートルのビルが建てられている。そこは、Aブロックの関係者でも厳重に立ち入りが禁じられている場所で、「生命の樹」と呼ばれていた。

 「生命の樹」が厳重に立ち入りを禁じられている理由は、月面資源開発に置いて、ここが心臓部として機能しているからだった。

「生命の樹」には人類の英知を結集した、と言われる機械が内蔵されており、そこから常時、地球の成分に限りなく近い「空気」が無制限に生産されていた。

 「空気」、それは、人類が月面を調査・開発する時、もっとも重要な生命維持のファクターであり、宇宙開発最大の必要条件であった。

「星屑の海」の向うに広がる月面空間「静かの海」、「賢者の海」には空気は一切存在せず、人類は重量百キロにも及ぶ宇宙服を着なくては、そこでは生きてはいけなかった。そこは、皮肉を込めて、「死の海」などと呼ばれていた。

 つまりどんな国、国際機関も、「生命の樹」の影響の及ぶ範囲でしか月面探索も、資源開発も、地質調査も、できないに等しかった。宇宙開発において、何ものも避けては通れない要所、それが「生命の樹」と呼ばれるわずか半径三〇メートル、高さ五階建てのビルであった。

 それなのに、そこは全自動の無人エリアとなっており、中に入った者は「パラダイス」関係者ですら一人もいなかった。

 「人類の英知を結集した」機械も、どこの誰が開発したのか、細かい経緯は一切分からず、それを開発したという研究チームを知るものも誰一人としていなかった。

 それにも関わらず、「生命の樹」の謎を多くの人が見過ごせた理由、それはひっ迫する地球のエネルギー事情と、人類始まって以来の悲願であった月での学術調査および資源開発が可能になったからであった。

 この時、月面の研究者、国際機関の人間たちは、そこが常時氷点下五度を下回る過酷な生活環境であるにもかかわらず、未知への探求心で沸き返っていた。

彼らの言い分は、このようなものだった。

ガリレオガリレイに始まった月面観察は、遡れば古代時代の月の神話にまで及ぶ。今まで空想と観察のみでしか立ち入ることが許されなかった神話的世界に、人類はいよいよ立ち入ることを許されたのだ。

 月面の外へ外へと向かうパイオニア精神、探究心、野心、欲望は、同時に内にある最大級の謎を見過ごさせた。正確には、「生命の樹」の謎に疑問を持つものも存在したが、彼らはその調査に向かったぎり、こっそりとどこかへ消えてしまった。

 当時、地球も月面の人類も、みな月面を外へ外へと向かう鉱物開発に、関心と注意を向けていた。誰も、自分たちの足元にある謎を省みる者はいなかった。

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