辻岡 歩実香(つじおか ふみか)

第23話1.幻影の中で……

 花火、花火大会……大曲の花火大会。

 将哉と一緒に観たあの花火。

 あの時将哉と一緒にいられたのは、ほんの二日半くらいの時間だった。

 それでも私には何年も何十年も一緒にいたかの様に感じている。

 夜空に大きく花開く花火の光。

 花火があがる度に将哉の姿を明るく映し出してくれる。

 その姿と彼から伝わる暖かさをこの体に感じ、心の奥底まで自分が満たさされる想いをかみしめていた。

 大きな打ち上げ花火しか見えないこの場所で、時折上がるその花火を二人の瞳に焼き付けた。

 「もっと会場に近ければ、仕掛けとか演出とか試行を凝らした花火も見られたんだろうけど、本当にここでよかったのか歩実香」

 将哉はそう訊ねて来た。

 「将哉こそ、本当はそう言うの見たかったんじゃない。私はあの大きな花火が夜空に広がる姿が見られるだけで充分」

 「そうか……。僕も実を言うと人ごみの中にいるのは少し辛かった。それにここで見る打ち上げ花火のその大きさに圧倒されているよ。仕掛け花火はいらない。この満天の夜空に打ちあがる大きな花火の雄大さが僕は好きだ」

 「うん、私もそう」

 それからしばらくの間大きな打ち上げ花火は揚がらなかった。

 会場付近でしか見ることが出来ない、花火「ナイアガラ」が今行われているのだろう。

 私達二人のいるこの辺りは近くの住宅街からの淡い光だけがうっすらと遠くからぼんやりとした感じで見ることが出来る。実際はほとんど暗がりの状態。

 そしてこの土手には誰もいない。私たち二人っきりしかいない。

 遠くからかすかに聞こえる人々の雑踏の声、会場のアナウンスが途切れ途切かすれたようにかすかに聞こえる程度。

 花火の音が無ければ静かにこの土手にいる虫たちの音色が耳に入り聞こえ始めている。

 二人で過ごすゆっくりとした時間ときの流れ、本当に二人っきりで過ごせるこの時間を私は永遠に続いてほしいと願う。

 この静けさの様に……


 打ちあがる花火の音は私達たち二人の体を振動させた。

 火玉が上がり、そして大きく花開きその後 ズシーンと音が私達の耳に、体に響き渡る。夜空が一斉に華やかな色取り取りの輝きに満たされていく。

 そのたびにお互いの姿が消えてはまた花火の光で浮かび上がる。

 ふと見る将哉の姿が透き通るように見えていく。

 そして私の前から消えていく……

 将哉は私の前からは絶対に消えていかない。

 少し高鳴る鼓動が私にそう訴える。

 消える事のない想い

 この花火の様に一瞬しか光らない想いなんかじゃない。私は、将哉と共に一生同じ世界に、おなじ時を刻む。

 花火は打ちあがる次から次えと……打ちあがる花火の数だけ私の心は満たされていく。

 打ちあがる花火の華麗な花を夜空に映し出し、その光をこの瞼にそして私の心の中に焼き付けていく。

 

 終わる事は無い永遠に、私のこの思いもそしてまた……最愛なる将哉と一緒にこの花火が見られる日が毎年のように来ることを私は夜空にたなびき輝く花火に願う。


 また……



 静かに虫の音が鳴り響く。


 夜露に濡れた草にすーと冷たい風が私たち二人を通り抜けた。


 秋田県大仙市の夏はこの花火が終わるとその役目を終えたかのように身を潜める。


 次の日……将哉は、東京に向かった。

 自分が目指す目標を成し遂げるために。

 彼は言った。

 私と今別れるのはもすごく寂しい。でも、それは今だけの事。僕は必ず医師になって歩実香を迎えに来る。

 その日までだ。

 その日まで僕らは頑張らなければならない。お互いに……

 「うん……」としか返事が出来なかった。

 少し秋を感じさせる澄んだ風がホームに流れる。私の髪がその風に流れる。

 発車のオルゴールがホームに鳴り響く

 「そんな顔すんなよ歩実香」

 将哉は言う。

 「またな、東京に着いたら連絡する」

 秋田新幹線こまちのドアが閉まっていく。

 ドアの窓ガラス越しに見える将哉の笑顔……でも、私の、私の瞼からは涙が零れ落ち、頬をつたいその雫はホームのコンクリートに一粒一粒落ちていた。

 ゆっくりと車両が動き始める。

 少しづつ、私も将哉の顔を見つめながら少しづつ同じ方向に身を放つ。

 それでも雅也は笑顔のまま。笑顔のまま私を黙って見つめていた。

 もう……追いつけない。車両は速度を上げる。

 将哉の姿が私の視界から遠ざかる。


 足を止めた……


 私の横を流れるように車両は通り過ぎていく。この秋風を突ききる様に。

 遠ざかる将哉を乗せた新幹線の車両は

 行ってしまった。

 また、はなばなれになってしまった。

 新幹線で東京と秋田間はおよそ4時間。将哉が住む小平までの距離はおよそ600キロ以上ある。

 すぐに会える距離じゃないことくらい解っている。

 まだ私の手に将哉の手の温もりが残っている。

 そして……私の体に将哉の肌の感じがよみがえる。

 暖かい心とあのまなざし。

 将哉は自分の目標を成すために東京に戻った。それはこの私の目標でもある。


 「しっかりしろ……歩実香」

 下を俯き呟く様に言った。されどあふれる涙を止めることは……今は出来なかった。



 短い秋田の秋は稲刈りと共に終わった。

 次第に気温が下がり、青々と茂っていた木々の葉は赤茶色に変わりその役目を終え地えと帰る。

 相変わらず私と雅也はスマホで連絡を取り合っていた。

 でも、もうじき国家試験を控える将哉にそんなに頻繁に連絡をするのは事じゃないのか?今は誰にも邪魔されず勉強に打ち込んでいなきゃいけない時なのに。

 耐え切れず将哉に電話をすると

 「どうしたんだい?歩実香」と必ず応えてくれる。

 例えその時取れなくても着信があれば必ず将哉は折り返してくれた。

 何でもない、特別な用事なんかない。ただ……将哉の声が聴きたかっただけなのに。それは私のわがまま、それは将哉の声を訊きたいと言う寂しさからくる私のわがまま。

 

 それでも将哉はいつも優しく私を迎えてくれた。

 寂しさは癒される。

 されどその寂しさはまた私を包み込む。


 その繰り返し……

 静かに空からは白い雪が舞う季節になっていた。

 「冬かぁ……」

 この雪が解ける頃、将哉は大学を卒業する。

 

 そして医師としての資格を取るだろう。それから2年間彼は修行ともいえる初期研修を行わなければならない。

 あと2年とちょっと……

 また一緒に暮らせる時が来るのかなぁ……

 それから将哉への連絡は極端に減った。いや減らした、私が我慢できるギリギリの所まで……

 将哉のためを想い、将哉のために私が今できる事。それが……


 秋田の冬は厳しい。

 辺り一面が雪で覆われてしまった。

 まだこの秋田市はいい方だ。大曲の方は県内でも豪雪の地域。こんなもんじゃないんだと秋ちゃんは言う。

 冬は秋ちゃんは病院の寮に週二晩ほど泊まる。流石に雪の中毎日大曲から秋田までの通勤はきつい。日勤の時や夜勤が二日続く時など、その状況に合わせて寮を使わせてもらっている。たまに私の家に泊まり込むこともある。

 その時はひそかな女子会を二人っきりで行う。

 

 そのたびに奥村秋穂おくむらあきほこと秋ちゃんは私に言う。

 「遠距離は辛いでしょ。そんなにつらい思いするくらいなら、近場でいい人作っちゃえば」

 なんて……

 それでも私は絶対に首は縦に振らない。

 「だって私は将哉一筋だもん」

 その言葉を私が出すと秋ちゃんは本当に呆れた様に

 「ああ、やってらんない」と言って将哉の話題から離れてくれる。

 でも……実際遠距離がこんなにも辛いものだとは私も将哉も知らなかった。

 時間が経てば経つほど、お互いの気持ちにすれ違いがうまれるような気がして物凄く不安になる。

 だから私は将哉に電話し続けた。

 でも今はほとんど電話はしていない、もちろんSNSでのメールのやり取りも激減させた。

 そう、もう少しの辛抱。

 彼、将哉からと連絡が来るまでの……本の少しの辛抱だから。



 そして厳しい寒さとやわらかな陽の光が交互にさし始めるこの秋田の季節。東京ではもう梅の花が咲き始めるころだろう。


 将哉から一本の電話が来た。


 「もしもし……歩実香」

 「はい……」

 「歩実香……

 「はい……」……えっ!

 「だから、医師国家試験。

 「本当に……」

 「ああ、本当だ」

 「お、おめでとう……ま、将哉」

 「ありがとう……歩実香」


 ようやく、ようやく私たちにも春の訪れがすぐそばまで来ている様に思えた。

 溢れる涙は喜びの涙そして愛しい人への想いの涙。

 ぐちゃぐちゃになりながら私たちは喜び合った。

 声にならない声で……


 これで私達二人の距離は近いものになると信じていた。

 信じていた……



 でも、

 それは私たち二人にとって最後の喜びの時間となった事を今の私は何も知らない。

 

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