フェイク・フェイス・ファクト

終わった伝説

 1


 「今日は数学だ。そもそも数学っつうのは何か、なぁんて堅苦しい口上をぬかすつもりはねえが、覚えておくと得になることも多い。『何の役に立つんだよ』ってな調子ではなっからほっぽり出す奴もいるが、単に物覚えが悪いか頭の病気だ。気にするな」

 バスコルディア教会礼拝堂。

 なぜか隣のオーテルビエル商会で購入してきた黒板の前に立ったままでスカリーはけだるげに言った。

 なるべく肩の力を抜いてハンリが入ってこれるように気を配ったつもりだったのだが、どうやら逆効果だったようで、カチカチに緊張している生徒が一人出来上がっている。

 「は、はい! 先生!」

 「誰だ先生だよ。ケツがかゆくなるから止めてくれ」

 早々に緊張をほぐすという作業を諦めてスカリーはチョークを手に取り、黒板に線を一本引く。

 「……こりゃなんだ? ハンリ」

 あまりにもアバウト過ぎる質問に対して、どう返答して良いのかハンリは硬直する。

 しかしながら、元来物覚えは良い少女である。スカリーは単にハンリがどの程度の認識で見ているのかという事が確認したいということを察する。

 「線。一本の線。チョークの線。白い線。まっすぐの線」

 とりあえずは思ったことを並べ立てるという手法に出た。

 思ったよりも早かった回答に、スカリーはほんの少し口の端をゆがめる。

 「その通り。このままじゃあただの線だな。まあ、引き始めと引き終わりがあるから気の利いたヤツでも線分ってトコが精々せいぜいだ。じゃあ、こうしたらどうなる?」

 かつかつかつとスカリーは線分に垂直な短い線を等間隔で加えていく。

 そして、中央に引いた短い縦線の上に小さく0を書いた。

 「数直線?」

 疑問形にはなったが、ハンリは即答する。

 「その通り。まずは数の性質からやってく。そのためにはコイツからやってくのが一番だからな。馬に乗るにはあぶみに足を掛ける必要がある。数直線こいつは鐙だと思え。いざという時に支えてくれる」

 「わかった」

 そのようなやりとりが行われている一角とは反対方向。

 ひどくつまらなそうなマイディがいた。

 最初こそハンリの隣で一緒に授業を受けるつもりだったのだが、最初の数分、導入の段階ですでにマイディにはちんぷんかんぷんになっていた。

 (数学なんて何の役に立つんですか。それよりも格闘術の方が役に立ちます)

 ふてくされていた。

 この上なくふてくされていた。

 実はハンリに格闘術の訓練を提案したのだが、本人とスカリー、そしてついでにドンキーの反対にあって廃案になってしまっていたのだ。

 (あー、あー。もうわたくしねますよ。これ以上無く拗ねますよ? わたくしが拗ねたらどうなるか分かってますか? そりゃあもう、ハンリちゃんを愛でるだけでは済みませんよ? その辺の美少女美少年を思う様に味わい尽くすまで機嫌は直りませんからね?)

 大体は酒を呑ませれば直る。

 頬を膨らませて、マイディはスカリーが買ってきた新聞を手に取る。

 〈バスコルディア新報〉

 主にバスコルディアの情報が載っている新聞である。

 範囲が極小ではあるのだが、小競り合いも多く、事件に事欠かないバスコルディアではかなり重宝されている。

 一応はドンキーに叩き込まれてマイディも字が読めるので、ゆるゆると目を通す。

 堅苦しい文面ではないので辛うじてマイディにも読める。

 そして、マイディの目はある記事の見出しに止まった。

 



 「性質としちゃあ、マイナスの数ってモンを観測することはねえ。だが、仮にコイツが存在するという風にしちまうと色々と便利になってくる。詳細なことはその都度教えてやるが、頭の中に突っ込んどけ」

 「うん「スカリー‼ これを見てください‼ これこれ! 大変ですよ!」

 バスコルディア新報を掲げながらマイディが大声を上げながら突進してきた。

 予想の範疇であるスカリーは突進してくるマイディの頭を押しとどめるようにして停止させる。

 「……おめえは何か? 俺のやってることを邪魔しないと死ぬ病気にでもかかってんのか?」

 「違います! わたくし大発見してしまったのです! これを見てください! 飛び上がりますよ!」

 嫌そうにスカリーはマイディが指さす見出しを読んだ。

 〈“明けの開拓団”再結成⁉ 元団員が新団員を募集中!〉

 でかでかとした文字でそう書いてあった。

 「……飛び上がるわけねえだろうが、この頭パープリンが。こんなんで飛び上がってたら今頃俺は夜空に輝く星になっちまってるぜ」

 「何言ってるんですか⁉ 明けの開拓団ですよ! あの伝説の集団の元団員が表に出てくるなんて大事件ですよ! 分かってるんですか、スカリー?」

 嫌そうにスカリーはマイディの手から新聞を取り上げてそのままくしゃくしゃに丸めて放り投げる。

 「アホが。どうせ偽物に決まってらぁ。大体、なんで今頃になって再結成なんだよ。思い出話でも語り合おうってか? はん」

 「そりゃあもう、再び伝説を立てまくるに決まってるじゃないですか‼ またあの活躍が聞けるかも知れないのですよ!」

 「……ねえ、二人とも。“明けの開拓団”って、何?」

 流石に二人がじゃれ合っているので授業にならないと思ったハンリは座っていた場所から二人の側まで移動していた。

 同時に、スカリーが放り投げた新聞を拾って広げている。

 「あら? 知らないんですか、ハンリちゃん」

 「そりゃそうだ。解散したのは一〇年以上前だからな」

 すでに、興奮したマイディのせいで授業にはならないと判断したスカリーは酒瓶を置いている祭壇の方に向かう。

 単に座る、というよりも、椅子を蹂躙じゅうりんすると表現したほうがいいぐらいに乱暴に座る。

 すかさずマイディも対面に座る。おずおずとハンリはその隣に。

 嘆息。思わずスカリーから漏れてしまった。

 「あらスカリー? ハンリちゃんに説明してくれるんじゃないですか?」

 すでに機嫌が直ってウキウキとした様子のマイディはグラスに酒を注ぎながらスカリーに寄越す。

 無言でそれを受け取ると、スカリーはめんどくさそうに口を開いた。

 「つうか、マイディ。おめえが説明してやれば良いんじゃねえのか? ファンなんだろ?」

 「わたくしはファンゆえに、肩入れしすぎてしまいますからね」

 「そういうとこだけは常識的だから手に負えねえな」

 諦めたスカリーは一気に酒をあおると、その勢いで喋り始めることにした。

 「大体一〇年前、ちょっとばかり有名な集団が解散した。それが“明けの開拓団”だ」

 それだけ。

 それ以上は喋ることがないとばかりにスカリーは貝のように口を閉ざす。

 「……え、それだけ、なの?」

 「ちょっとちょっと! スカリー? ソレはないんじゃないですか⁉ せっかくわたくしが解説役をゆずってあげたというのに! なんという横暴ですか! わたくし断固として抗議しますよ!」

 肩すかしを食らって怪訝けげんそうな顔になるハンリと、猛烈に憤慨ふんがいするマイディだった。

 しかし、スカリーは「これ以上語ることはない」とばかりに、グラスを傾け始めた。

 気の短いマイディはその様子を見て、更にいきりたつ。

 「その態度はなんですか⁉ わたくし、ちょっと怒りますよ!」

 「勝手にカッカしてろ。俺が語るのはこれだけだ」

 子どものようにそっぽを向いた状態でスカリーはすでに二杯目を手酌している。

 「……ああそうですか、そうですかそうですか。わたくしとしてはハンリちゃんには公平な立場に立って聞いて欲しかったのですが、仕方ありません。わたくしが説明します。この、わたくしが、明けの開拓団について説明します!」

 高々と拳を振り上げてマイディは宣言した。

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