ごはんはおいしくつくりましょう

 4


 「さて、ハンリちゃん。わたくし達は今にも死にそうになってしまっているスカリーに栄養をつけさせないといけません。これを失敗してしまうと長引くでしょう。ゆえに、わたくし達にのし掛かってくる責任は重大と言えます」

 「う、うん。でも、その袋はなに?」

 スカリーが部屋を年単位で借り上げている安宿内に存在しているキッチン。

 そんな場所で高らかにマイディはこれからの行動を示す。

 しかしながら、即座にハンリは教会からずっと背負ってきていた布袋の中身を問いただした。

 「あぁ、これですか。病人食を作るために持ってきたのですよ」

 なんでもないことのように袋を下ろすと、中身を取り出す。

 殆どはハンリが知っている食材だったのだが、一つだけ見たこともないものがあった。

 更に小さな袋に入っている小さな粒。

 乳白色を帯びながらも、透明感のある不思議な粒がぎっしりと詰まっていた。幼い頃に見た虫の卵を連想させるソレは、小麦には似ていたが、しっかりと違っていた。

 指先でつまんでみても崩れる様子はなく、食料というよりも工業製品か何かの原材料に思える。不気味ではないが、あまり食欲をそそるというわけでもない。

 「?」

 「あら、ハンリちゃんは始めて見ますか? それはコメという植物の実ですよ」

 「これ、植物なの?」

 「そうですよ。だからとっても体に良いのです」

 ロンティグス大陸でコメが栽培されているのは主に南部である。

 北部は基本的には小麦の生産が主流であり、一部の好事家達ぐらいしかコメを常食することはない。当然、北部に位置するバスコルディアでも主流ではない。

 ゆえに、北部から出たことがないハンリが見たことがないのも無理はなかった。

 そして、どのように調理するのかを知らなくとも無理はなかった。

 「これ、食べられるの?」

 ハンリの中ではがりがりと音を立てながらコメをそのままかじるマイディの姿が上映されていた。特に疑問は挟まないが。

 「もちろん、食べられますよ。なにせわたくしはこっちのほうが良く食べていたのですからね」

 今度は小さなマイディがざらざらとコメを口の中に流し込んでいる映像に切り替わる。

 特に違和感が無いのが恐ろしかった。

 「……ハンリちゃん? そのままでは食べませんよ」

 「え、あ、そう……なんだ」

 残念なような、そうでないような微妙な表情のハンリは放っておいて、マイディはさっそく調理に取りかかることにする。

 「さて、では始めましょう。スカリー治療プロジェクトその一を!」

 やけに力の入った宣言によって、スカリー用の食事の用意が始まった。


 


 とはいえ、基本は持ってきた食材を刻むだけである。

 コメだけはマイディが調理するようだったが、そのほかはハンリが刻む。

 少量ずつ、小さく、細かく。

 病人は消化器官が弱っているために、なるべく細かくするという基本はわかっていた。

 そして、包丁の扱いについても特に難儀するようなことはない。

 なぜならば、隣にいるシスターからみっちりと刃物の扱いについてはレクチャーを受けているからだ。ちなみに、スカリーはこのことを知らない。

 「うんうん。なかなか上達してきましたね。その調子ならそのうちに剣やらのレッスンも開始しましょうか?」

 「ええと……遠慮しときたい、かな」

 苦笑しながらハンリは答える。

 「あら残念。気が変わったらいつでも言ってください。わたくしが手取り足取り教えてあげますから」

 優雅に、まるでお茶会の誘いを躱されてしまった貴婦人のようにマイディも返す。

 だが、抱えているのは鍋だったので今一つ締まらなかった。

 派手な音と共に、鍋がかまどに置かれる。

 「?」

 空の鍋ではあり得ない重い音を聞いて、怪訝けげんに思ったハンリは蓋を取って中を確かめてみる。

 鍋に半分ほど水が張られ、その底にはコメが沈んでいた。

 「ふふふ。これはですね……“炊く”のですよ!」

 「炊く?」

 大仰な動作で説明するマイディにハンリは聞き返す。

 初めて聞く単語だった。

 「ええ、まあ『煮る』に近いのですけどね。……むぅ、もしかしたら今回は煮るのほうが正しいのかも知れませんけど、まあいいでしょう」

 おざなりな説明と共に、マイディはハンリが持っている蓋を取り、鍋にかぶせる。

 「ハンリちゃん。ここからは火を使うのでかまどに近づいてはいけませんよ。あ、あと刻んだ材料はいれちゃいましょう。しっかりと火を通さないと生臭いですからね」

 刻んであるのは殆どが香草の類いだったのだが、鶏肉だけが例外だった。

 ぽちゃぽちゃとハンリが材料を鍋に投入すると、それを確認したマイディが山刀マシェットを取り出す。

 ぎょっとしたハンリだったが、疑問はすぐに氷解する。

 慣れた様子で火打ち石を取り出すと、マイディはテキパキと火を起こし、すぐにそれは炎となる。

 「……マイディってすごいね」

 思わずハンリは呟くが、マイディはなんでもないかのようにすぐに使った道具をしまう。

 「このぐらいはハンリちゃんだって出来るようになります。慣れですよ、慣れ」

 とてもそうは思えなかった。

 

 


 「完成!」

 蓋が取られると同時に、かぐわしい香りが二人の鼻腔をくすぐる。

 添えられている香草の香りだということぐらいはわかったのだが、それでも加熱されたコメがやけに美味そうに変化していることにハンリは驚いた。

 みずみずしく、まるで柔らかな綿を連想させるようにその姿を変えており、今なら南部で主食にされているという話も信じられる。

 「さあ、あとは仕上げをして終わりです。そろそろスカリーがお腹を空かせて子犬のように待っていることでしょうからさっさとやりましょうか」

 手早く深皿にコメを移しながらマイディは再び布袋を漁り出す。

 「ねぇマイディ。これってなんていう料理なの?」

 少なくともハンリは見たことがなかった。

 「ん? ああ、これは『おかゆ』というものですよ。南部では病気になったときにはこれが一番いいんです」

 目的のものを見つけたマイディは少し考えてから、もう一つ深皿を用意し、おかゆを半分移す。

 「?」

 「ふふふ。せっかく二人で作ったのですからスカリーに食べ比べしてもらいましょう。こっちはハンリちゃんが仕上げをしてください。もう片方はわたくしがやります」

 「えっ⁉ ちょ、ちょっとマイディ⁉」

 「大丈夫ですよ。きっとスカリーも飛び上がって喜びますよ?」

 「…………う……うん、わかった。やってみる」

 (ちょろいですね)

 心の中で舌を出す。

 マイディの作戦では、美味く仕上げが出来なかったハンリを慰めつつも、今後の調理指導を約束するという作戦だった。

 (ハンリちゃんはコメの扱いは初めて。そしてわたくしは生まれたときからコメと一緒にいた。……勝負は見えています!)

 戦闘の時とはまた違う邪悪な笑みをマイディは浮かべ、戸惑うハンリにかまわずに仕上げを始めた。

 


 

 「どうですか、ハンリちゃん。終わりましたか?」

 「……なんとか」

 今は蓋がされている二つの深皿。

 しかし、片方は微かに異臭を放っていた。いや、異臭ではなく、それは刺激臭だった。

 (…………はて? わたくし、このような刺激物は持ってきていないはずなのですが?)

 放っているのはもちろん、ハンリの皿である。

 それも、マイディに嫌な予感を覚えさせるぐらいには圧倒的な存在感を放っていた。

 (…………一応、見ておいたほうがいいでしょうか)

 そのぐらいの情けはマイディも持ち合わせているのだ。

 「ハンリちゃん、ちょっとお互いに見せ合いましょう」

 「うん、わかった」

 躊躇せずにハンリは蓋を取る。

 (うぐっ! これは⁉)

 用意した香草は殆どが緑色、もしくは黄色に近いものばかりだった。

 しかしながら、マイディの眼前に姿を現したソレは、地獄の業火のように真っ赤な色を呈している。

 動脈血を想起させるような鮮烈な赤は、食欲よりも嫌悪感を催すぐらいにコメを浸食しており、もはや『おかゆ』という料理ではあり得ないほどに緊張感を伴う外見へと変化していた。

 「ハ、ハンリちゃん? これ、一体何を入れたんですか?」

 辛うじて、上ってきた悲鳴を押しとどめながらマイディは尋ねる。

 「これ」

 す、と差し出されたのは調味料が入っていたとおぼしき瓶である。

 今は空になっているが、貼られているラベルから中身が何だったのかは推測がついた。

 〈コードニー・ピック社のヘルペッパースパイス! ひとさじで火を噴いちゃう⁉〉

 やけに可愛らしい絵柄と共にそんな文句が確認できる。 

 ちなみに、このヘルペッパースパイスという調味料、北部においてはバスコルディアでしか入手は不可能と言ってもいい。

 なぜならば、北部での合法的な売買は不可能である。

 心臓の弱い者が舐めただけで死亡したという痛ましい事件以降、このヘルペッパースパイスは取引禁止に指定された。

 今でも細々と生産は続いているのだが、流通しているのは南部のごく限られた地域と、この無法都市バスコルティアだけである

 まさかそんな物品で味付けをするとはマイディも想像だにしていなかった。

 いや、ハンリがそんなモノを所持しているという考えさえもなかったのだ。

 「ハンリちゃん……一体どこで手に入れたんですか?」

 「えっと……ナンシーちゃんがやってるお店で」

 (あんのクソガキィ! なんてモノを渡してるんですか⁉)

 バスコルディア教会の隣に店舗を構えるオーテルビエル商会。

 鉄道成金と呼ばれているオーテルビエル商会の店だけあり、北部南部の区別無く商品が並んでいる。

 当然、無法都市にわざわざ出店しただけのことはあり、非合法なモノも堂々と並んでいた。その中にヘルペッパースパイスが含まれていても問題は無い。

 今この場では問題があったが。

 ついでのように、スパイスの瓶の蓋は開けられたばかりであることを示すように封が破られていたのだが、中身は綺麗になくなっていた。

 (……つまり、このおかゆの中に全部入っているというコトですか!)

 戦慄する。

 おかゆと呼ぶことさえもはばかれるような物体を目の前にして、マイディは背中に冷たいものが流れる感覚を覚えた。

 (いやいやいやいや。流石にこれをスカリーに食べさせてしまったら死にますね。ここはわたくしがどうにかハンリちゃんを傷つけずに収めないといけないみたいですね)

 ミッションは困難である。それでも、やり遂げようという気概はあった。

 「そ、そうですねぇ……ちょっとスカリーに出す前に味見してみましょうか? 一応はスカリーも病人なのですから、刺激の強いモノは避けたほうがいいでしょうし」

 「うん、わかった」

 迷うことなくハンリはスプーンを手に取り、真っ赤なコメを掬い、そのまま口に運ぶ。

 「……うん、おいしいよ」

 「へ?」

 予想外のリアクションにマイディは間抜けな声を上げる。

 てっきり辛さに値を上げるばかり思っていたために、おもわず素が出そうになってしまった。

 寸でのところでこらえて、そのままハンリの様子を観察する。

 ……特に不審な点は見当たらない。本心から美味しいと思ってるように見えた。

 (もしかして、見た目ほどには辛くないのでしょうか?)

 ヘルペッパースパイスという名前だけで警戒しすぎだったのかもしれないと考える。

 「……わたくしも一口もらっていいですか?」

 「うん、いいよ。はい、あーん」

 口の前に差し出されたスプーンを口に含んでマイディは寸前の自分の考えを後悔した。

 (…………くぁwせdrftgyふじこlp;!!!!!)

 ヘルペッパースパイスは十全にその機能を発揮していた。

 まるで舌の上で火薬が爆発したかのような感覚に、マイディは気が遠くなる。

 寸でのところで踏みとどまると、次に襲ってきたのは痛みだった。

 口の中に針の塊を詰め込まれて、無理矢理咀嚼そしゃくさせられているような痛み。これまで大小様々な怪我をしてきたマイディにさえも経験が無いような痛みだった。

 それでも意識を手放さなかったマイディはとうとう辛さを体験する。

 始めは辛さだと気がつかなかった。

 規格外すぎる、体験したことがない辛みだった。

 脳が処理を拒否する。

 それでも、刻み込むようにして辛みは浸食してきた。

 全身の汗腺が開く。

 少しでも口の中を冷やそうと自然に口が開く。

 ついでのように、鼻にもダメージがいったらしく、鼻水があふれる。

 簡潔に表現するなら、わりとひどい顔になっていた。

 「……くはっ!」

 それだけをやっと発して、マイディは気絶した。

 「マイディ⁉ ちょっとマイディ⁉」

 遠くから聞こえるハンリの声を聞きながら、マイディは一つ思った。

 (……ハンリちゃん、なんで他はまともなのに辛さに関してはおかしいのですか?)

 疑問は解けそうになかった。

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