帰還。そして……

 「何だ貴様ら! 怪しい奴らめ! 動くな!」

 オルビーデア入り口前。

 スカリー達は衛兵に止められていた。

 日が落ちてしまってから都市に入ろうとする者、出ようとする者は通行証を持っていない限り、厳しく取り調べられる。

 そのうえに、商人にも見えず、荷物もろくに持っていないスカリー達は非常に怪しい人物として衛兵の目には映った。

 確認できる衛兵は四人。

 人数としては少ないが、先ほどの大声に反応して、奥から何人もの足音が響いていた。

 (仕事熱心でご苦労なこった)

 わざわざ仲間に知らせるために大声を上げたことを理解したために、スカリーは多少感心する。

 ぞろぞろと詰め所からやってきたであろう衛兵を合わせて人数は十人ほどになる。。

 三人の人間、それも二人は女子供に対しての警戒としては十分すぎるのだが、それにマイディが含まれているのは不幸としか表現しようがなかった。

 ある者は拳銃を構え、ある者は槍の穂先を向けている。

 スカリー達の誰かが動けば即刻攻撃を開始するであろう事は想像に難(かた)くなかった。

 抵抗の意思がないことを示すために、スカリーは両手を挙げる。

 「おいおい待ってくれよ。俺たちは怪しいモン……だが、こっちの高貴なお方は身元がしっかりしてるぜ」

 目線でハンリを示す。

 衛兵達もそれにつられて、ハンリに注目が集まる。

 突然に注目を集めてしまったハンリは思わずマイディの後ろに隠れる。

 「……おいハンリ、恥ずかしがってねえで、おめえがゴートヴォルクの人間だって事を証明してくれよ。そうしねえと、この仕事熱心な衛兵に俺たちは拘束されちまう」

 あえて衛兵達からは目線を逸らさずにスカリーはハンリに促す。

 なんとかハンリは決心してくれたようで、おずおずとマイディの後ろから出てくる。

 胸元のペンダントを取り出し、すでに十人以上が集まっている衛兵に見せる。

 「わ、わたしは、ゴートヴォルク家の三女。ハンリッサ・ゴートヴォルクです。この人達は誘拐されていたわたしを護衛してきてくれていた人達です。怪しい人じゃありません」

 かがり火の光を反射して、銀のペンダントにはめ込まれた宝石が輝く。

 一目で本物であるということは分かった。

 しかし、衛兵達にはゴートヴォルク家の人間が突然、夜中に外から現れるという事態を想像もしていなかったために、どうしていいのか分からない。

 ゴートヴォルク家に使いを出すか? それとも、一応は詰め所で詳しく調べた方が良いのか? はたまた、追い返すのがいいのか?

 全員が判断に困っていた。

 「何をやっている?」

 詰め所の方から低い声が響く。

 他の衛兵よりも軽装であるものの、多少は上等な装備をつけた初老の男が現れる。

 額に走る一筋の傷跡が、歴戦の戦士であることを語っていた。

 おそらくはこのオルビーデアの衛兵達をまとめている人物であろうとスカリーとマイディは推測する。

 「報告しろ、マードロズ」

 「は、はいっ!」

 呼びかけられた衛兵は直立不動の姿勢で返事をする。

 「怪しい人物が三名。そのうちの一人はゴートヴォルク家の三女を名乗っています。隊長にその判断をあおぎたい次第です!」

 「いいだろう。俺が検分する」

 報告した衛兵に軽く手で合図をすると、隊長と呼ばれた初老の男性はスカリー達の前に、いや、ハンリの前に進み出る。

 「失礼。そのペンダントを拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」

 丁寧な物腰で頼んでくる隊長に、ハンリはすこし迷ったものの、ペンダントを渡す。

 受け取った隊長は、ためつすがめつペンダントを調べていたが、しばらくしてからハンリにペンダントを返す。

 そして、おもむろに片膝をつく。

 「失礼しました、ハンリッサ様。部下の教育が足りず申し訳ございません。今後このような失態がないように留意いたしますゆえ、ここはどうぞお許しください」

 頭を垂れ、うやうやしく隊長はハンリに許しを請(こ)う。

 この光景にほかの衛兵達は呆気にとられていた。

 「お前達も突っ立っているんじゃない。この方は間違いなくゴートヴォルク家三女のハンリッサ・ゴートヴォルク様だ」

 雷にでも撃たれたかのように、慌てて他の衛兵達も隊長と同じ姿勢をとる。

 夜中に十人以上の人間が片膝をついているというのは異様な光景だった。

 「……なんとも言えねえが、信じてくれて助かったぜ。俺と、そっちのシスターっぽいヤツはハンリの護衛なんだ。オルビーデアに入れてくれねえか?」

 このまま時間が過ぎても無駄なのでとっととスカリーは本題に入る。

 ぴくり、と隊長の眉が上がる。 

 「貴殿は何者であられるか?」

 口調は丁寧だったが、妙なまねをしたら腰の物騒なモノをスカリーとマイディに向けるつもりなのは明らかだった。

 その眼光に対して、スカリーはヘラヘラとした笑みを浮かべる。

 「まあ、賞金稼ぎ兼何でも屋だよ。色々あって、ハンリに雇われてるんだ。ゴートヴォルクの屋敷までは俺たちが護衛する。あんたらは仕事があるだろ?」

 あくまで友好的な、しかし、頑として譲らない部分があることをスカリーは伝える。

 隊長は眉間にしわを寄せてスカリーを見ていたが、やがてスカリーからは視線を外す。

 次に見たのはマイディだった。

 にっこりと笑って、マイディは愛想よく手を振る。

 「初めまして。わたくしはマイデッセ・アフレリレン。とある教会のシスターをしております。こちらのスカリーと一緒で、ハンリちゃんの護衛です」

 シスターが護衛についているという事に隊長は違和感を覚えたのだが、ゴートヴォルク家は敬虔な信徒が多い家系であったことを思い出し、きっとのそのえんゆえにだろう、と結論づける。

 正解とも不正解とも言いがたかった。

 「わたしは、ゴートヴォルクの家に戻りたいのです。中に入れてくれませんか?」

 とりあえずはスカリーとマイディが一緒にいることに多少なりとも納得してくれたような雰囲気をかもし出している隊長に、ハンリが頼む。

 「承知いたしました。おい、門を開けて差し上げろ」

 反射的に返事をした衛兵の何人かは門を開ける装置を動かしに行く。

 ぎりぎりとあまり聞いていて気持ちのよいモノではない音を立てて、オルビーデアの門が開く。

 「どうぞ、ハンリッサ様」

 「ありがとうございます、隊長さん」

 微笑みを向けてからハンリ達はオルビーデアに入った。



 流石に、日が沈んでいるために人通りが少ないのかと思ったら、真逆だった。

 まるで日中の市場のようにオルビーデアの街中には人があふれていた。

 ほとんどが人間、もしくはそれに近い種族であり、俗語スラングでは異形ヴァリアンテと言われるような種族は見当たらなかったが、それでも、異質である。

 普通の都市では日が沈んでしまったら外出はしない。

 夜の世界は危険だからだ。

 しかし、工業都市であるオルビーデアではそれは常識ではなかった。

 取り締まりがとりあえずは機能しており、そして何よりもこの都市に住んでいる住人はほとんどが工業に従事している労働者であることが大きかった。

 昼間は忙しく働いている彼らが日中のうっぷんを解消するためには夜の活動を充実させる必要がある。

 そのため、オルビーデアでは仕事が終わった労働者が酒を飲み、飯を食らい、そして楽しむ場所が発達していた。

 ゆえに、オルビーデアは二つの顔を持っている。

 昼間の工業都市の顔。

 夜の歓楽街の顔。

 その夜のオルビーデアに対して、スカリーは何も感想を抱かず、マイディはけっこう汚いな、と思い、ハンリは懐かしいと思っていた。

 三者三様の感想を抱きながらも目指す場所は一緒だった。

 「ハンリ、ゴートヴォルクの屋敷は何処どこにあるんだ? 俺もオルビーデアに来たことはあるが、貴族の屋敷なんてものには興味が無かったからな。知らねえ」

 「わたくしは初めてですね。そもそも基本的には南部の人間ですし」

 のほほんとマイディは物珍しそうに景色を眺め、スカリーは冷めた目でその辺の看板に書かれた文字を読んでいた。

 「大丈夫。ゴートヴォルクの屋敷はほとんど街の中央だから迷わないよ」

 うれしそうにハンリはスカリー達に言うと、駆け出しそうな勢いで歩み始める。

 素早く反応して、スカリーとマイディはそれについていく。

 これまでスカリー達の後ろを恐る恐るついてきていたハンリとは別人のような自信に満ちた足取りだった。

 


 ハンリの言う通り、ゴートヴォルクの屋敷に到着するまで迷うことはなかった。

 いや、迷うことが出来なかったというほうが正しかった。

 何しろそこら中に看板が出ていたのだから。

 ハンリは見ずに進んでいたのだが、これならスカリーやマイディだけでも行き着くことができたであろうと感じさせられた。

 そして、巨大なゴートヴォルクの屋敷の前にスカリー達は到着した。

 やけに壁が続くな、と思っていたら、それが全てゴートヴォルクの土地だということをスカリーとマイディは堅牢な門の前に到着してからやっと知った。

 「……マジかよ」

 五大貴族とは言っても、流石にそこまでではないだろうと考えていたスカリーはその浅慮せんりょを改めることにする。

 都市の中央にこれだけの土地を確保することがどれだけ難しいのかをよく分かっていたからだった。

 門も巨大であり、鉄道が中に入ることも出来るのではないかと思わせられた。

 ハンリは迷うことなく門に近づく。

 スカリーとマイディも続くが、少しばかり気圧けおされていたのは確かだった。

 門には重装備の門番が四人いた。 

 誰もが微塵みじんも油断することなく警備を行っており、近づこうとするのはよほどの愚か者しかいないだろう。

 だが、ハンリは何の警戒をすることもなく、門番に近づく。

 位置的に一番近かった門番はハンリに気づく。

 目を見開いて、信じられないモノを見た、という表情をした後に、彼は持っていた斧槍ハルバートを落としてしまった。

 耳障りな金属音が耳朶じだを打ち、その音で門番はなんとか正気に戻ったようだった。

 「は、ハンリッサお嬢様……」

 絞り出すような声音は、死者にでも遭遇したかのようだった。

 「ただいま、ムーティ」

 はにかむように笑うハンリを見て、ムーティと呼びかけられた門番はよろよろとハンリに歩み寄る。

 触れようと手を伸ばすが、途中で何かに躊躇するかのようにそれは止まる。

 「大丈夫。わたしは本物のハンリッサだよ。ムーティの飼ってる犬の名前でも聞く?」

 それを聞いて、ムーティはくずおれる。

 「お、お嬢様……お出かけになられてから行方不明になってしまったと聞いて、心配しておりました。ご無事で、何よりです」

 なんとかそれだけ言うと、ムーティは嗚咽おえつをこらえることが出来なくなってしまったようだった。

 そんな彼の肩にハンリは手を当てる。

 「ムーティ。おじいさまに会いたいの。まだ起きてる時間だし、どうにか会えないかな?」

 「分かりました。当主様もハンリッサお嬢様の行方に関しては心を痛めておいででしたから、きっと承諾してくださるでしょう」

 自分の頬に張り手を入れると、ムーティは立ち上がり、屋敷の方に駆け出そうとする。

 だが、その前に足が止まった。

 「……お嬢様、その……後ろのお二人は?」

 賞金稼ぎとシスターが一緒に居るだけでも異様なのに、それが行方不明になっていた貴族の令嬢と一緒だというのは、輪を掛けて異常だった。

 「二人はわたしをここまで護衛してきてくれたの。恩人だからお礼をしないと。二人も入って良いでしょ?」

 「……お待ちください」

 ガシャガシャと装備を鳴らしながら、ムーティは門の向こうに消えていった。

 残りの三人は微動だにしない。

 いや、ハンリのことは気にかかっているのだが、スカリーとマイディの正体がはっきりしない以上、自分達が職務を全うしなければならないという念に駆られているのだった。

 そのくらいのことはスカリーとマイディにも分かっているので、二人は手持ち無沙汰のままに待つことにした。



 十五分ほど経過してから、再びがしゃがしゃという重装備のままで走る音が聞こえてきた。

 「お待たせいたしました、お嬢様。そして、後ろのお二人も」

 どこか緊張した面持ちで戻ってきたムーティは三人に告げる。

 「お、意外に早かったな。貴族っていうのはもっと形式にこだわっちまって、腰が重いもんだと思ってたんだが、例外もあるみたいだな」

 「貴族のお屋敷には入ったことはありませんね。スカリー、わたくしの格好、変じゃありませんか?」

 「頭のてっぺんからつま先までおかしいところだらけだろうが。鏡見たことねえのかよ」

 「あら、そんなことを言うのはこの口ですか? 引きちぎりましょうか?」

 「ひゃへろ、はいひぃ」

 マイディに唇を引っ張られながら、抗議の声を上げるスカリーを見て、ムーティはこの二人は本当に信用できる人物なのかと考える。

 だが、ハンリが信用している以上、一門番に過ぎない自分が考えを巡らせる事ではないとムーティは判断した。

 あとは、後ろにいる当主の側近に全てを任せて良いだろう。

 そう考えて、ムーティは最後にハンリに一礼して、門番の業務に戻った。

 「では、ここからは私がご案内いたします。失礼がありましたら何なりとお言いつけください」

 ムーティの後ろについてきていた初老の紳士がスカリー達にそう告げる。

 夜だというのに、パリッとのりのきいたフォーマルなスーツに身を包んだその紳士は慇懃いんぎんにスカリー達に深々と頭を下げた。

 (やりづれぇな)

 どうにも紳士的な人物というものはいまいち信用できない性質たちのスカリーはそう思う。

 (紳士的なのは高評価なのですけど、わたくしとしては、ばあやとかが案内してくれる方が好みだったのですけど、仕方ありませんね)

 マイディのほうはスカリーとは別な方向で難色を示していた。

 だが、ここはこの紳士に従うのがいいだろうというのは共通している考えだった。

 「では皆様、この私、ゴートヴォルク家技能職総取締役、アーウィン・ネストがご案内させていただきます」

 優雅な動作で踵を返し、アーウィンはきびきびと、しかしながら決してついてくる者を慌てさせない速度で屋敷に歩き出す。

 ハンリにとってはいつものことなので、迷うことなくついていくが、スカリーとマイディはやや戸惑っていた。

 「どうしたの? 二人とも」

 いつもはためらい無く行動する二人にしては珍しい光景にハンリ疑問を呈(てい)する。

 「いや、物わかりがよすぎると思ってな。なにか罠でもあるんじゃないかと考えちまってたんだよ。悪人ばかりを相手にしてきたからしょうがねえな」

 皮肉げな笑みを浮かべてから、スカリーもアーウィンの後に続く。

 「メイドはいないんですか?」

 マイディはきょろきょろしながらスカリーに続いた。



 門から中庭を通り、優雅な彫刻が施された正面入り口から入り、さらには広間からいくつかのドアをくぐって、やっとのことでスカリー達はゴートヴォルク家当主の部屋の前に来ていた。

 建物の中で迷子になると確信したのはスカリーも初めてだった。

 想像していたよりも質素なドアをアーウィンはノックする。

 「何用か?」

 中からは威厳を感じさせる男性の声が返ってきた。

 「アーウィンでございます。ハンリッサお嬢様と、それを護衛されてこられたお二人をお連れしました」

 よどみなくアーウィンは答えると、そのまま中からの返事を待つ。

 「……ご苦労。ハンリッサと二人には中に入ってもらえ。お前はわたしの命(めい)があるまでは外にいろ」

 「承知いたしました」

 滑らかな動作でアーウィンはドアを開けて、そのままスカリー達が中に入るのを待つ。

 なんともむずがゆいものを覚えながらも、すたすたと中に入ったハンリに続いて、スカリーとマイディも部屋に入る。

 入った瞬間、音もなくドアが閉められた。

 思ったよりも狭い部屋の中で三人は奥に座る老人と対峙する。

 もとは金髪であったであろう髪はややくすんでしまっていたが、その眼光は老人とは思えないような鋭さを放っていた。

 ただ座っているだけなのだが、スカリーはかつて相対したことがある異国の剣士を思い出していた。

 あの剣士も、同じような目をしていた。

 私利私欲ではなく、もっと他のものに突き動かされている目を。

 「いい加減に年でな。立っているだけでも中々思うように行かぬゆえ、座ったままでよろしいかな?」

 豪奢ごうしゃな椅子に腰掛けているが、それは別に自分の財力を示そうというものではないようだった。

 どちからというと、衰えた肉体の機能を補うためにカネをかけている様子に感じられた。

 「かまわねえ。俺も礼儀なんてモンは知らねえしな。それに、名だたる五大貴族の一角、ゴートヴォルクの当主様と対等だなんて思ってねえよ」

 「その割には話し方がぞんざいですね、スカリー。絞首刑になっても知りませんよ」

 「丁寧口調なんてケツがむずがゆくなっちまっていけねえ」

 「……もうちょっと品のある言葉を選んでくださいな」

 当主に対しても言葉遣いを改めるつもりがないスカリーをマイディはたしなめるが、その効果は無い。

 だが、老人は特に気分を害した様子を示さなかった。

 「シスター、かまわない。礼儀作法など無用だ。わたしの孫娘を護衛してくれた恩人にそのようなことを要求するつもりはない」

 鷹揚おうようにそう言うと、老人は手を差し出す。

 意図を理解したスカリーは進み出て、その手を握る。

 「名も知らぬ人よ。我が孫娘のことをどうもありがとう。感謝の念にえない。ゴートヴォルク家当主、ジョシュア・ゴートヴォルクとして礼を言おう」

 「なあに、俺達はハンリに頼まれて護衛してきただけだ。仕事をしただけなんだから感謝されるいわれはねえ」

 老人、いや、ジョシュアと握手をしながらスカリーは思ったよりも握力が強いことに驚く。

 (貴族ってモンはもっとナヨナヨしてるもんだと思ってたんだが、このじいさんはそうでもねえみたいだな)

 感想は漏らさない。

 言う必要がなかったし、無用な怒りに触れる可能性もあったからだ。

 力強い握手を交わして、スカリーが手を離すと、今度はマイディに手を差し出す。

 「あら、光栄ですね。ミスター・ゴートヴォルク」

 スカリーと同じようにマイディも握手を交わすが、無表情だったスカリーとは違って、マイディは終始にこやかだった。

 「さて、ハンリッサ。お前は疲れているだろう。久しぶりの自分の部屋に戻るといい。おそらく、お前は彼らに対して報酬を約束しているのだろう? そのあたりはわたしがやっておくから、今日はもう休め。それからお前の話は聞くことにする」

 誘拐された孫娘に会ったというのに、ジョシュアは冷淡ともとれる態度を取る。

 しかし、いつものことであるということを知っているハンリはその命に従う。

 退出しようとして、ハンリは気付く。

 「……ねえ、スカリーともマイディとも、もうお別れになっちゃうのかな?」

 疑問はすぐに言葉になって口から飛び出した。

 「そりゃそうだぜ。俺達はおめえの護衛っていう仕事のためにオルビーデアまで来たんだからな。仕事が終わったら帰るさ」

 何の感傷も感じさせない口調でスカリーは答える。

 「わたくしも、流石にそろそろ戻らないと司祭様に怒られる可能性が高まってしまいますからね。ハンリちゃん、人間はいつかお別れをしなければなりません。それが生きるということなのです」

 マイディも、一応それなりなことを言っているものの、心中には悲しいとかそういう感情は起こっていなかった。

 単に仕事が一つ終わった、ぐらいの認識だった。

 そんなスカリー達に背中を向けて、ハンリは唇をかむ。

 (二人にとっては、わたしは単なる依頼人の一人。まあ、そうだよね)

 本来はハンリがこの二人に関わることなどない。

 今までが異常だった。それだけのことだ、とハンリは自分に言い聞かせる。

 二人をこのまま自分のそばに置けないかとも思ったが、スカリーもマイディもバスコルディアに戻るつもりなのを邪魔するのははばかられた。

 短い間だったが、それでも、まだ幼い少女であるハンリには十分すぎるほどの濃密な時間を過ごした二人と別れるのは、名残惜しかった。

 だが、いや、ゆえにハンリはスカリーとマイディの顔を見ないままで部屋から出た。

 アーウィンが黙って頭を下げるのを目の端に映しながら、自室に向かう。

 迷路のように入り組んでいるゴートヴォルクの屋敷だが、住んでいる者にとっては多少複雑なだけだ。

 迷うこともなくハンリは自室に到着する。

 久しぶりの自分の部屋は、なんだか薄ら寒いものを感じた。

 人が使っていないというだけで、こんなに温かみがなくなってしまうのか、とハンリは考えながら、上着とブーツを脱いでベッドに倒れる。

 メイドが換えているシーツは、滑らかで柔らかく、ごわごわの毛布とは比べものにならなかった。

 やがて、緊張の糸が切れたのか、ハンリは強烈な眠気に襲われる。

 (さよならって……言えなかったな……)

 眠りに落ちる寸前、ハンリはそんなことを考えた。

 


 時刻は深夜を過ぎようとしていた。

 ハンリがこのゴートヴォルクの屋敷に帰ってきてから数時間が経とうとしていた。

 夜間の見回り担当の人間以外は寝静まり、所々のランプだけが静かに光を放っていた。

 ずるり、と影が動く。

 何かが光をさえぎって生まれた影ではなく、影だけが単独で存在していた。

 誰にも気付かれずに影は屋敷の中を進む。

 やがて影はハンリの部屋の前にたどり着く。

 ドアは施錠されていたが、下の隙間から影は侵入する。

 端に置いてある魔法を用いた小さな光源があるものの、部屋の中は暗い。

 そんなハンリの部屋の中で厚みを持たなかった影から、水から浮かび上がるように人間が出てくる。

 いや、人間ではなかった。

 その耳は長く、鋭くとがっており、細身の体の露出している部分は青黒い肌だった。

 ダークエルフと呼ばれる種族の特徴だった。

 そして、その左腕は肘の辺りでなくなっていた。

 片腕のダークエルフは腰の短剣を引き抜き、ベッドで静かな寝息を立てているハンリに近づく。

 ゆっくりと右手に持った短剣を振り上げ、渾身の力をこめてハンリに向かって振り下ろした。

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