棄てられた地へと

 カタカタと揺れる馬車の中でいつの間にかハンリはまどろんでいた。

 深夜、寝ているところを急に起こされ、あれよあれよという間にトモミスを出発することになってしまったことはハンリにとってかなり疲労する出来事だった。

 まだ年若い少女には睡眠はいくらあっても足りない。

 ゆえに、いまハンリがまどろんでしまっていることを責められる人間はいなかった。

 「あら、ハンリちゃんはおねむのようですね。……チャンス?」

 「おめえはちっとはシスターらしくしろや」

 責めはしないものの、毒牙にかけようとする人間はいた。

 御者台に座るマイディはハンリの寝顔を眺めて悦にる。

 「ふふふ……やはり美少女の寝顔というモノは堪りませんね。これはわたくし直々に博愛の精神を手ほどきしてあげなければなりません」

 手をわきわきさせながらマイディは御者台から荷台のほうに移ろうとする。

 その動きが、止まる。

 いつの間にかマイディの足にはロープが何重にもくくりつけてあった。

 そのせいでマイディは御者台から離れることができなくなっていた。

 「……スカリー、これは何の真似ですか?」

 にっこりと笑ってマイディはスカリーに尋ねる。

 隠し持っている山刀を抜く準備をしながら。

 「何っておめえ、いたいけな少女を毒牙にかけようとする邪悪なシスターを止めようとしてるんじゃねえか。正しい行いだろ。なあ、マイディ?」

 前方を見据えたままスカリーはマイディに返す。

 少し、マイディは考えていたのだが、そのうちに元の通りに御者台に座り直す。

 「確かに、わたくしがここでハンリちゃんの純潔を散らしてしまったのでは、将来、困ることになってしまうでしょう。聖職者としてここはぐっと我慢します」

 非常に悔しいといった面持ちで、マイディは拳を握りながらハンリの寝込みを襲うことを諦める。

 ハンリが知らない内に、その純潔を賭けてよく分からない攻防が繰り広げられていた。



 「……ん」

 ハンリがまどろみから抜け出した時にはもう完全に日は昇ってしまっていた。

 御者台のほうに空いている出入り口から差し込んでくる光によってハンリはそれを知る。

 けだるい体を動かして、何とかスカリーやマイディの居るほうに向かう。

 御者台ではマイディが手綱をとり、スカリーが地図を広げてなにやら考えていた。

 「スカリー、マイディ、おはよう」

 「おはようございます、ハンリちゃん」

 「おう、おはよう」

 マイディは振り向いて、スカリーは地図を見たまま挨拶を返す。

 「どうしたのスカリー? 難しい顔して」

 「ルートを考えてた。やっぱり人が居る場所にはなるべく寄らないほうがいいみたいだからな」

 トモミスではハンリを捕まえるために、無関係の人々が犠牲になってしまった。

 犯人はスカリーとマイディが始末したらしいが、それはハンリには中々に堪える事実でもあった。

 マイディに後押ししてもらったものの、やはり十四歳の少女には大勢が死んだ、という事実は荷が重かった。

 ハンリはスカリーの後ろから地図をのぞき込む。

 トモミスからオルビーデアに向かうなら、東にある街道に合流するのが一番の近道である。

 だが、大きな街道には途中に町がある。

 再び、ハンリたちを狙った刺客が襲ってこない保証がない以上、多くの人が生活している場所はなるべく避けたかった。

 「やっぱ放棄領域を通っていくのがいいだろうな。食料やら水はあるから、なんとか抜けられるだろ」

 「本気ですかスカリー。放棄領域は未だに呪毒汚染が残っているのですよ。入り込んだら一日と持ちません。追っ手を避けられても、わたくしたちが死んでしまったら元も子もありませんよ?」

 物わかりの悪い子供に諭すような口調でマイディはスカリーの意見を却下しようとする。

 スカリーが通ることを提案した放棄領域と呼称されている地域は、二十年以上前、呪毒兵器というものによって汚染され、立ち入るだけで命の危険がつきまとうとされている場所である。

 だが、スカリーは特に気を悪くした様子もなく続ける。

 「呪毒汚染は嘘っぱちだ。放棄領域にはそんなもんネズミの爪の垢よりも存在してねえ」

 あっさりとスカリーはマイディの意見を根底から否定する。

 「え、そうなの? でも教科書にも書いてあったよ。呪毒汚染が消えてしまうまでにはあと数百年はかかるって」

 「学校で習ったことが全部正しいとは限らねえんだよ、ハンリ。世の中には公表するとマズい事実ってやつもあるからな。だが、今回はそれを利用させてもらう」

 目を丸くするハンリに対して、スカリーは訳知り顔である。

 「……しかし、スカリー。そんなことをなぜ知っているのですか? わたくしも放棄領域に関しては呪毒汚染が残っているものだと思っていたのに」

 不思議にそうに尋ねるマイディに、スカリーは「色々あるんだよ」と言葉を濁す。

 「とにかく、トモミスみたいなことにならないように、これからは出来るだけ野宿だな。装備は揃えてるから心配はねえ」

 強引に話を打ち切って、スカリーは馬車の進路を変える。

 今までの狭くはあるものの人の手が入り整備されていた道から、背丈の低い草が生い茂る方に馬車を進める。

 馬車の揺れが激しくなり、マイディは顔をしかめる。

 「こんなことになるのなら、何か下に敷くものを買っておくべきでした。わたくしの美尻が台無しになってしまいます」

 「おめえの尻を痛めつけられるようなら先に車輪のほうがいかれちまうから安心しろ」

 「わたくしのお尻を何だと思っているんですか? スカリー」

 「金剛鉄アダマンタイト

 「上等です。ちょっと馬車を降りてください。今からレディの扱い方についてレクチャーしてあげましょう」

 「山刀でぶった切るのはレクチャーとは言わねえぜ」

 「バスコルディア教会ではレクチャーと言います」

 言葉だけを聞いていると剣呑に思える会話を繰り広げながら、スカリーとマイディは周辺を警戒しながら馬車を進めていく。

 そんな状態にもいつの間にかハンリは慣れてしまっていた。

 今まで自分がいた貴族の世界とは違う。だが、どこか懐かしいような感覚を覚えた。

 (なんでだろう)

 答えは出なかった。



 〈これより先、呪毒汚染により立ち入り禁止〉

 共通語でそう書かれた看板と、行く手を塞ぐように張られているロープがスカリーたちの前に現れた。

 生えている草もなくなり、周りは荒野になっている。

 その中に、ただ看板とロープ、そして、ロープを掛けるための杭が並んでいる状態は少しばかり奇妙なものだった。

 「マイディ、あのロープをぶった切ってくれ。くれぐれも素手では触るなよ。魔法がかかってるからな」

 張られているロープの前で馬車を停め、スカリーはマイディにそう頼む。

 「魔法? ただの立ち入り禁止を示すだけにしてはやけに厳重ですね。まあ、たぶん切れますけど」

 軽い調子でマイディは馬車から降りると、山刀を抜いてロープに近づく。

 何の変哲も無いロープに見えた。

 尼僧服の下から山刀を引き抜くと、そのままロープに叩きつける。

 あっけなく、ロープは切れ……なかった。

 マイディの振るう山刀の一撃を受けても、なお放棄領域への侵入を拒むロープは切れなかった。

 マイディもハンリも驚くが、スカリーだけは予想していた。

 「マイディ、全力でやってくれ。おめえの全力ならいけるはずだ」

 「分かりました。でも、このロープ、一体何でできているんですか?」

 「俺も知らねえ。だが、今邪魔なのは分かる」

 「たしかに」

 スカリーに同意すると、マイディは呼吸を整える。

 右手に持った山刀を構えて、ロープだけに集中。

 ふっ、とマイディの鋭い呼気と共に振り下ろされた山刀は、見事にロープを断ち切っていた。

 「さすがだ。俺じゃあこうは行かねえな」

 「もっと褒めて良いんですよ? スカリー」

 「馬鹿力は一流だな」

 「首を絞められたいみたいですね、スカリー?」

 「冗談だよ」

 いつものようなやりとりをしながらマイディは御者台のほうに上る。

 「さあ、スカリー、とっとと出発してください。なるべく寝心地の良い場所を見つけましょう」

 すでにマイディは今日の野宿のほうに気が向いてしまっていた。

 「ハンリちゃんやわたくしが熟睡できる場所を見つけてくださいね」

 荷台のハンリに笑顔を向けながらマイディはスカリーに促す。

 「安心しろ。今日は屋根がある場所で寝られるから、少なくとも雨を心配する必要はねえし、モンスターやらの警戒もゆるめでいい」

 馬車を出しながらスカリーはマイディに返す。

 「屋根? 荒野に屋根がある場所なんてありませんよ? それとも、スカリーが家を建てるのですか?」

 「ちげえよ。この先に町がある、いや、町があった。今日はそこに行く。住人はいねえが建物は残っているはずだからな」

 「放棄領域に町があったの?」

 スカリーとマイディのやりとりを聞いていたハンリが荷台から身を乗り出して訊いてくる。

 「ああ。とは言っても、地図から抹消されたのは二十年以上前の話だからな。今の地図には載ってねえ」

 言いながらスカリーはハンリに持っている地図を投げてよこす。

 ハンリがなんとかキャッチして、広げてみると、確かに放棄領域は一面のオレンジ色で塗りつぶされているだけだった。

 町の存在は記されていない。

 「町はこの先まっすぐだ。今日中には着く。着いたら適当な家に入って飯だな」

 「お風呂はありますか?」

 「ねえよ」

 「じゃあ、近くに川はありますか? わたくし、洗濯がしたいのですけど」

 「ねえな」

 「……ないない尽くしですね」

 「屋根があるだけでもありがたいと思えよ。それに、追っ手もまさか放棄領域を通るだなんて思わねえだろ」

 追っ手をまきつつ、オルビーデアを目指す。

 そのためにスカリーは放棄領域を通ることにしたのだった。

 「どのくらいで到着するのですか?」

 「そうだな……ハンリ、今何時だ?」

 スカリーは時計を持っていないので、ハンリに尋ねる。

 「えっと、午後二時……半」

 突然話を降られ、ハンリは慌てて懐中時計を取り出して時刻を確認する。

 「じゃあ到着は早くても夕方、遅かったら夜になるな」

 「仕方がありませんね。その間にモンスターやらの襲撃がないことを祈っておきます」

 「わたしも、モンスターは嫌だな……」

 マイディとハンリはそれぞれ感想を述べるが、どちらかというとマイディはただ面倒くさいのが嫌なだけで、モンスター自体を怖がっているハンリとは意味が違っていた。

 「安心しろよ。放棄領域にはモンスターはいない」

 断言すると、スカリーは干し肉を取り出してかじり始めた。



 夕方。

 日が暮れ始め、遠くに見える山脈が複雑な色合いに染まり出す頃、スカリーたちは町に、いや、今は住む者がいない廃墟に到着していた。

 「本当に人は住んでいないのですか? いたらスカリーが責任を取ってくださいね」

 「どう取れって言うんだよ」

 「具体的にはバスコルディア教会式悔い改めメニューを……」

 「精神に悪いから聞きたくねえ」

 建物は基本的には石造りであったため、劣化はさほど見られなかった。

 ゆえに、三人は忽然こつぜんと住人が消え去ってしまったかのような町を進むことになる。

 スカリーとマイディはさほどおびえていなかったが、ハンリは荷台のほうに引っ込んで顔を出そうとしなかった。

 「どの家にしますか? よりどりみどりですし、一番大きな家がいいのですが」

 「どこを寝床にしても変わらねえよ。それよりも広場があるからそこに近い方がいい」

 「詳しいですね、スカリー」

 「まあな」

 スカリーが言ったとおりに、町の中央に当たる場所には広場があった。

 手頃な家に入り、スカリーは夕食の準備をする。

 とはいうものの、携帯食を温めるだけである。

 スカリーは水分をなるべく少なくしたビスケットのような携帯食と乾燥野菜、マイディとハンリはそれに加えて、乾燥果物を食べてその日は就寝した。

 翌朝、日が昇ったことを確認してからスカリーとマイディは荷物を馬車に積み込み、出発の準備を整えていた。

 ハンリもすでに目を覚ましており、あとは準備が終われば出発できる状態だった。

 外に停めていた馬車に荷物を積み終わり、出発しようとしたときにソレは聞こえた。

 かつん、かつん、かつん、かつん。

 何か固いもので石畳を叩く音。

 即座にスカリーは拳銃を抜き、マイディは山刀を二振りとも取り出す。

 二人は、音の正体が足音だと瞬時に気づいたのだった。

 「ハンリ、馬車には入るな。俺かマイディ、どっちかのそばに居ろ」

 「う、うん」

 警戒体勢に入った二人に気後れしつつも、ハンリはなんとか返事をする。

 そして、近くに居たマイディの後ろに移動する。

 足音が近づく。

 かつん、という音が鳴り、広場に一人の人物が入ってきた。

 緩くウェーブした長い黒髪。

 黒い瞳に、白い肌。

 そして、全身を黒のスーツで包み、その上に黒革の手袋まではめた妙齢の女性だった。

 だが、普通の女性でないことは一目で分かる。

 なぜならば、その腰には一振りの細剣レイピアを帯びていた。

 女性の姿を確認したスカリーが「げ」という声を上げ、マイディの額には一筋の汗が伝った。

 「こぉ~んにちはぁ。お元気ぃ?」

 ニコニコしながら女性はスカリーとマイディに手を振る。

 距離は二十メートルほど離れているのだが、不思議とよく通る声だった。

 「なんの用だ? リリゼット」

 渋面を作りながらスカリーは尋ねる。

 リリゼットと呼ばれた女性は首をかしげながら答える。

 「それがねぇ、誘拐された女の子の救出を頼まれちゃったんだけど、多分この辺にいると思うのよね。スカリー、何か知らないかしら?」

 切れ長の目をハンリに向けながらリリゼットはわざとらしく問う。

 「さあな。俺たちは依頼されてオルビーデアを目指してるんだ。関係ねえな」

 「ふぅん……ところで、その女の子、誰かしら? 見たことないし、救出を依頼された子とすごく似てるのよねぇ」

 「わたくしはマイデッセ・アフレリレン。生憎と女の子という年ではありません」

 「貴方じゃないわ、『双山刀のマイディ』。あたしが言ってるのはそっちの金髪の子」

 ぴしり、とリリゼットはハンリを指さす。

 「ねえ、お嬢さん。あたしにお名前教えてくれないかしら?」

 ハンリに尋ねながら、リリゼットは一歩、近づく。

 「おっと、この嬢ちゃんは俺たちの依頼人だ。訳あって、ちょいと警戒強めでな。それ以上近づいたら、ぶっ放す」

 スカリーに銃口を向けられてもリリゼットは全く動揺していなかった。

 ハンリからしてみたら異常にしか映らないその姿は、恐怖の対象であった。

 マイディの影に隠れるようにハンリはリリゼットの視線から逃げる。

 「あっ、ちょっと、逃げないでよ」

 一歩、リリゼットが踏み出した瞬間、スカリーは躊躇わずに引き金を引いた。

 銃声。ギィン!

 「あっぶないわねぇ。当たったらどうするのよ?」

 言葉とは裏腹に、まったく危機感を抱いていない様子でリリゼットはスカリーを見る。

 スカリーが放った弾丸は確実にリリゼットの胴体に当たるはずだった。

 しかし、リリゼットが抜いた細剣の護拳ハンドガードによって、弾かれていた。

 「なるほどねぇ。当たりみたいね。その子がハンリッサちゃん。で、スカリーとマイディはあたしの邪魔をするって訳ね」

 思わずスカリーが舌打ちする。

 できれば敵対したくはなかったのだが、リリゼットに接近されることはそれだけで敗北に等しい。

 あわよくば手傷を負わせられれば、という考えがあったのだが、銃が通用しないという絶望的な事実が分かっただけだった。

 役に立たないと分かっているものの、スカリーは長剣を抜く。

 スカリーが右手に拳銃、左手に長剣というスタイルで戦うことは珍しいが、リリゼットはそれだけの強敵だった。

 「大人しく降参するなら命だけは勘弁してあげるわ」

 「こっちの台詞だ。降参しな」

 ひゅう、と風がスカリーたちとリリゼットの間を通り抜けた。

 一瞬の静寂の後、リリゼットが口を開く。

 「ここで死になさい。『斬撃と銃撃のスカリー』、そして『双山刀のマイディ』」

 「やってみな、『黒服のリリゼット』」

 三人の獣は三者三様の笑みを浮かべた。

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