紫線のガントレット
薄明一座
第1話 月明かりと紫水晶
静かに、錆びた機械が積まれて出来た山の間を走り抜ける。
別の山の合間、更に別の山の合間を走って、5mほどの大きな影の根元に身を隠した。
「ふう……」
「ハグレの音は……そんなに聞こえない。ギリ、生きてる?」
「あぁ……大丈夫。マカは?」
「私はいつでも元気よ」
ガスマスク越しに息を整える俺に、肩をすくめる仕草を見せてくるマカ。
彼女は目の細かい布で口元を覆っているだけなのに、全く息が乱れていない。俺がこのマスクを外したら、すぐに喉が詰まる様な息苦しさを感じるというのに。
種族の違いをまざまざと感じる瞬間の一つだった。
ふと上を見ると、大きな影の上部にある真っ赤な光が2つ、俺達を捉えている。人間でいうと顔がある部分で、光は目の位置になる。
影は、勿論普通の人間ではない。
かつて、【魔女戦争】と呼ばれる大きな戦争があった。
その大戦の折り、人間が作り出した戦闘用魔動機の一つが彼だ。
両腕は錆びて落ちており、足も劣化して折れ曲がり、動かす事はできない。
それでも、内部にある少ない魔力を細々と使って何とか稼働している。
その姿に尊敬を込め、俺達は彼を“トーテム”と呼んでいた。
周囲を見回すと、通常の人間サイズの戦闘用魔動機があちこちで停止しており、それらが積み重なって、小山を幾つも作っていた。
彼らが動く事はもうない。単純に動ける様な形をしていないし、燃料がとっくに枯れているからだ。残りカスがあったとしても、指一本だけ動かせれば御の字だろう。
背負ったザックを下ろして、取り出したドライバーをトーテムの足元で停止している魔動機の背中に置く。
俺は既に置かれていたスパナを回収する。
誰が始めたのかは分からないが、トーテムに何かを供えると、その日の調達が上手くいくというジンクスが出始めた。
しかし、貴重な道具を無闇に消費する訳にもいかない為、前任者が供えた物は次の調達係が回収する事になっている。
「よし、行こう」
「はいはい」
俺の準備が整うのを待ってから、マカと共にトーテムの膝元から出て、目的の小山に向けて走り出す。
トーテムが残されている理由はもう一つあり、何故か彼の周りではハグレが出ない。
ハグレに見つかった場合も、トーテムのそばに逃げれば、攻撃を止める。
外での調達において、唯一と言える安全地帯だった。
極小の足音を夜に溶かしながら進むマカの背後を、多少の音量を鳴らしながら俺の靴音が続く。
何度目かの調達だが、未だに慣れない。
国元を離れ、調査と探索の為にこの場所に来てから、もう少しで1ヶ月が経とうとしていた。
魔女戦争の影響で残った黒い煤は未だに世界を……少なくとも、俺やマカの国とその周辺を覆っている。そして、今いる場所は通信機器は役に立たなくなってしまう距離だった。
「ギリ、止まって」
彼女の短い言葉に緊張が走る。大急ぎで、彼女と一緒に小山に密着して息を殺す。
ガチンッ、ギギッ ガチンッ、ギギッ ガチンッ、ギギッ ガチンッ、ギギッ
地面を突く金属音と、関節部の軋みを響かせながら、一体の戦闘用魔動機が現れた。
煤の黒色に染まった雲が一瞬切れ、漏れ出した月の光に照らされる。
積まれている戦闘用魔動機と同じ人型で、普通の人間なら両目がある部分は失われている。両目以外にも、頭部の大部分が損傷しており、その穴から黒い煙が何本も立ち上っていた。
「……あの
「待った」
息を潜め、懐の鉈に手をかけながら問いかけるマカを制止する。
ボンッ、と一際大きな音が鳴り、頭の穴から大きく煙を吐き出したヒュートは、つんのめる様な挙動で地面に倒れこむ。軋む指で地面を何度か削って、そのまま動かなくなった。
「あとで来よう」
「……了解」
ヒュートに合掌して、影から再び飛び出す。
魔女戦争が終わり、多くの戦闘用魔動機は役割を終えた。
しかし、戦争終結のゴタゴタで彼らの指揮系統は混乱をきたしてしまい、作った国に戻らず、世界中を彷徨っている。帰るべき国自体を亡くした個体も多い。
通常は、周囲にある小山を形作っている個体や、先ほど倒れた魔動機の様に、何処かで人知れず、あるいは目に付く場所で終わる。
だが、中にはずっと動いて、戦闘さえ続ける個体もいる。その相手は大抵の場合、戦争を生き延びた人々であり、残った国々だった。
彼らは、ハグレと呼ばれ、危険な存在となってしまっていた。
少し入り組んだ場所に来た為、そろそろと歩き始めると、マカが話しかけてきた。
「あれ、やっぱりやるんだね」
「あれ?」
「ほら、手を合わせるやつ」
「あぁ……気分だよ。なあ、少し静かにしよう。さっきハグレを見たし」
「まぁ、そうなんだけど……やっぱ珍しいから」
マカは俺より感覚が鋭い。
そのマカが話しかけてくるんだから、周囲にはハグレはいないんだろうが、やはり不安になる。
その不安は、マカも理解している。それでも調達の度に聞いてくるのは、よほど気になっている事だからなのだろう。
しばらく会話のないまま進み、ようやく開けた場所に出た。
気を付けてはいたが、コートの裾はボロボロさが増し、少し引っ掛けた皮膚はヒリヒリ痛む。
こういった部分も、マカが羨ましい。
「じゃあ、再確認。足りない物は?」
「……スチームホース3mを4本、導線10m、魔力槽5つ、ネジをありったけ」
念の為、ザックから出したメモで必要なものを確認する。
「毎回さ、“ありったけ”って指定はどうかと思うわ」
「しょうがないだろ、どのくらい使うか分からないんだから」
先ほどは出さなかった鉈を鞘から抜き、ひとりごちるマカに、いつもと同じ返答をする。
開けた場所を影から覗くと、3体ほどのヒュートが目的なく歩き回っている姿が、上空の煤の隙間を抜けて地上に落ちた月明かりに照らされている。
この場所は、周囲の地形の関係なのか常に3~8体ほどのハグレがいる。今日は少ない方だ。
「じゃあ、行ってくる。さっきみたいに祈っててよ」
「あれ、死んだやつにするものだぞ」
「えぇ~……じゃあ、いい」
ふっ、と短い息を吐いて、俺達が潜んでいた隙間から飛び出したマカはまず、手近な場所にいたヒュートに背後から襲いかかった。
首筋に鉈を差し入れ、反対側に突き出た切っ先を握ると、思いっきり回す。
劣化で脆くなっていた金属骨と導線は簡単に千切れ、すぐさま停止した。
残りの2体はこの時点で異常に気付くが、マカに向き直るまでの行動は遅い。
千切った頭を投げつけられた2体目はあっけなく倒れた。2体目は、起き上がる前に飛び乗ったマカの鉈で同じ様に破壊される。
だが、2体目と3体目の距離は近く、鉈を抜く前に3体目の錆びた剣がマカに振り下ろされた。
マカは、地面に刺さった鉈を支点にして後ろ回し蹴りを放つ。
3体目は、剣が折れると同時に吹っ飛んで小山に激突した。いくつもの破砕音が夜を切り裂く。
体の隙間という隙間から、魔力液や油を零しながら何とか小山から這い出した3体目も、マカの鉈で首を飛ばされた。
「ギリ~! 終わった~!」
念の為、周囲を見回しながら手を振るマカの元に近付く。
「怪我は?」
「大丈夫。いや~、この体に感謝だね」
得意げに笑うマカの両脚と両腕は、暗く輝くエメラルドの様な色を月明かりの中に晒している。その色は、強靭な鱗の一枚一枚が月光を跳ね返しているもので、魔動機の金属骨には及ばないが硬く、しなやかだ。
彼女の頭の横側からも同じ色の角が生えており、角先を前方に向けている。
彼女はかつての大戦の影響で生まれた、獣人と呼ばれる種族だ。広い意味でハグレや魔動機達と似た様なものだった。
「それはそうだけど……気は抜かない様にしろよ。鱗のない部分は俺達より少し固いくらいなんだから」
「分かってるって。もう周りにはハグレの音がないからゆっくり行こう」
合掌しつつ、鉈に付いた液を拭い終わるマカを待ってから改めて進む。ここからは目的の場所まですぐだ。
数分で目的の小山に辿り着いた。ここはトーテムの場所からも遠い為、あまり来ない場所だ。その分、小山を形作っているハグレ達の体には比較的使える部品がまだ多く残っている。
「ねぇ、ギリ」
「何?」
「お腹減った」
「俺も。元から遠征の予定だったから、持ってきてた食料は多いけど、こうも長い期間、足止めを食ってるとな」
「あまり大人数じゃないから助かったよね~……そのせいで足止めが長い訳だけど。焼いた肉……果物……冷たい水……」
「それ以上言うなよ。俺もお前も辛くなるだけだろ」
「私1人が苦しいなんて嫌だ」
話しながら、持ってきた袋にできるだけ色んな形のネジをたくさん詰める。
マカはハグレの胸装甲を剥がして中にある魔力槽を取り出している。しかし、使える物が見つからないのか、何体か余分に見ていた。
魔力槽は魔動機の心臓部だ。
特別な導線を人間に刺す事で抽出される魔力を貯めておく機能があり、魔動機はそこに貯まった魔力を使って動く。
その際には、いくつかのフィルターを通してできるだけ無害な状態にして煙が吐き出されるが、フィルターは真っ先に劣化する部分だ。大抵のハグレは人間に悪影響のある黒煙を吐き出す事になる。
魔女戦争で世界を覆った煤に、ハグレが吐き出す煙が混じって、俺達がいる場所やその周辺は日中でも薄暗い。国元であれば晴れている日も多いんだが。
「とりあえず魔力槽はこれだけでいいだろ。あとは戻る時にさっき壊したやつから取ろう」
戻ってきたマカから魔力槽を2つ受け取る。
導線は、積まれていたヒュート達の体から1mくらいの物を10本ほど集める事ができた。
残りはスチームホース……これは魔力槽から出た魔力が魔動機の内部を巡る際に溜まるカスを吐き出す為に必要なホースで、煙を吐き出す部分以外にも魔動機の体の各所に繋がっている。ただ、この部分も劣化し易いので使えそうなものはなかなか見つからない。
「マカ、ホースあったか?」
「あぁ~……あったけどさ……」
マカが指差した先に状態の良さそうなホースがあった。しかし、そのホースは小山のほぼ頂上にある魔動機から伸びている。
「どうする? ホースも私が壊したやつにあったと思うけど……」
「それだと長さがな……あれも取っておいた方が良い」
革手袋のはまった手を開閉して具合を確かめ、小山の出っ張りに手をかける。
「大丈夫? 私、行こうか?」
「いや、お前は重いから多分崩れる……痛っ!」
尻に強い痛みを感じて振り返ると、マカがこっちを睨みながら尻尾をゆらゆらと揺らしていた。
何を言っても面倒な事になりそうだったので、そのまま出っ張りを伝って小山を登る。
積み重なった魔動機は自重もあってか、錆びていながら足場としてはしっかりしていた。それほど時間をかけずに頂上にたどり着き、ホースを取り外してマカに投げる。他の魔動機にも無事なホースがあったので、それも投げる。
下で待っていたマカはホースを受け取り、まとめて俺のザックに詰めていった。
あとは降りるだけ……しかし、俺はホースを外したばかりの魔動機の異常に気付いた。
他のハグレと同じ様に錆びてはいるが形は保たれているヒュートで、胸に大きな穴が空いている。さきほど、マカが魔力槽を取った時の魔動機と同じ状態だ。それが数体。
おかしい。
俺達の仲間が取ったなら、絶対にホースも取っているはずだ。
「ギリ! 上!」
空を見ると、黒煙を何本も吐き出して飛ぶハグレがいた。
丸い胴体からボロボロの翼が4枚飛び出し、突起状の頭には丸い硝子がはめ込まれている。目の機能がある部分だ。胴体から走る赤い光が、弱々しく全身に流れ、目の硝子も同じ色で光っている。
かなり状態の良い
つまり、大戦当時の機能がそのまま動いている、かなり危険なハグレ――!
「跳んで!」
叫ぶマカに向かって跳ぶ俺の背後で、大きな質量が小山を揺らす轟音が響いた。上から押し潰された反動で、小山を形作っていた魔動機がいくつか弾き出される。
俺を抱きとめたマカは少しよろめき、更に落ちてきた魔動機に足を取られて転んでしまう。
必然的に、俺は彼女を押し倒した様な体勢になってしまった。
しかし、彼女の長い睫毛や、鱗と同じ色の瞳をよく観察している暇はなかった。すぐに起き上がり、ザックを背負って走り出す。マカはもう俺の前を走っていた。
ギィン! ギィン!
耳をつんざく様な音を発し、翼を広げたコーヴは翼や首の根元からも黒煙を吹き出して飛び立った。
衝撃で小山が本格的に崩れ、更に大きな音が響く。
空に、新しい赤光がいくつか見えた。
「仲間を呼んだ……! 内部の機能はかなり残ってるぞ!」
「言っとくけど、私あんなの相手しないからね!」
できない、とは言わないのが彼女らしいが鉈1本では確かに難しいだろう。
朽ちかけているとはいえ、戦闘用魔動機は大戦で魔女や、魔女が生んだ兵器達と戦う為に人間が造り出した兵器だ。
開けた場所を抜け、狭い道をできるだけ急いで歩くが、その間も空には赤い光が見えている。
出口を塞がれないだけ良かったが、間違いなく、道を抜けた時に襲われると思われた。
「ギリ! 走るからね!」
「分かってる!」
そして、小道を抜けた。
少し遠くには、トーテムの赤い目が見える。
「マカ! 避けろ!」
「えっ、うわっ!?」
横っ飛びに跳んだマカが先ほどまでいた場所に、穴だらけのコーヴが落下してきた。俺を襲ったコーヴの『命令』だろうか。
地面を抉り、周囲に砕けたコーヴの破片と砂煙が撒き散らされる。
ザックを前に向けて破片を凌ぎながらマカに駆け寄ると、彼女は既に鉈を抜いて警戒していた。怪我はない。
ガンッ! ガンッ! ガンッ! ゴンッ!!
夜風が砂煙を払うと、響いた金属音と同じ数のコーヴが降り立っていた。
最後に聞こえた大きくて重い音のコーヴが俺を狙った個体だ。
他と比べて大きいのは、その胴体に多くの魔力槽が増設されているからだろう。
先ほどの小山の頂上にあったヒュートの様に、いくつかの魔動機にあった使えそうなものを奪ってくっつけたのだろう。
そのコーヴが1番奥、その前に並んでいる3体のコーヴには何らかの増設や改造は見られない。
「……ギリ、走れるよね」
「大丈夫だけど……」
「全速力でトーテムの所に。私は、ちょっと相手してから追いかける」
「……俺も、何か……」
「何か持ってきた?」
「蒸気銃くらいだ」
「え? 壊れてたんじゃないの?」
「直したんだよ」
「そう……でも、自分の身を守るのに使って」
困った様に笑う彼女に何も言えず、ザックを背負い直す。
「よーい……ドン!」
彼女の号令と共に、トーテムに向かって走り出す。
どうしても心配で振り向くと、マカは身を低くして迫ったコーヴ1の翼を根元から断ち切っていた。
コーヴ2が開いた口を彼女に向けるが何も出ない。
コーヴ1を遮蔽物にしていたマカは攻撃が来ないのを察知し、そのまま足を切って動けない様にする。
よろめき、コーヴ1は倒れたが、まだ魔力が残っていたらしい。崩れた体勢のまま地面に炎を吐き出した。
地面を焼きながら迫る炎を、コーヴ1の胴体に乗って躱したマカは、そのまま首に鉈を差し込む。
ヒュートの様に首自体を切る事はできなかった様だが、導線が切れたのか炎は止まった。
そして、コーヴ1にはそれ以上攻撃をせず、飛び降りてこっちに向かって走り出した。
「走って!」
マカを追って、コーヴ2と3がコーヴ1を弾き飛ばして迫る。蒸気銃を取り出し、コーヴ2に向かって撃つ。
小さな鉄球が銃口から吐き出されるが、コーヴ2の胴体や首に弾かれてしまう。偶然、1発だけ目を破壊した。排熱の為に銃から吹き出た蒸気が俺の顔を濡らす。
コーヴ2はコーヴ3と魔動機の小山を巻き込んで横転、コーヴ3は重さで潰れた。
追い付いたマカは俺の手を引いて走り出す。
「ほら、急ぐ!」
「分かってる……分かってる!」
重い荷物を背負いながら全力疾走していたので、息が上がっている。
自分の鼓動に隠れる様にして、小さく空気が漏れるを聞いた。
前方の地面が小さく弾け、突然力を失ったマカがゴロゴロと転がった。
彼女に引っ張られていた俺も地面に倒れる。
「マカ!」
うつぶせに倒れたマカを起こすと、彼女の右肩から血が落ちた。
乾燥している地面が、彼女の血に濡れていく。
蒸気の抜ける音が響く。
振り返ると、1番後ろにいたはずのコーヴ4が大きく口を開けており、排熱しているのが見えた。
コーヴ4から吐き出された、蒸気銃が撃ったものよりも大きな鉄球がマカを貫いたのだ。
更に、コーヴ4は背中にある大きな手を伸ばしてコーヴ2の魔力槽を剥がして自分に取り付けて始めた。
捕まれば、俺もマカも、同じ運命を辿るだろう。
導線を無理矢理に差し込まれ、生きた動力になる。
とにかく今はトーテムの所へ。気絶した彼女を左肩の下から持ち上げる。
もし、トーテムの近くでも攻撃される可能性があるが、その場合はトーテムを盾にしてでも、穴蔵へ――!
しかし、俺が10数mを歩いている間にコーヴ4が追い付いた。少し離れてはいるが背中の手が十分に届く距離。
赤い目がこちらを観察している。
コーヴ4は背中にある大きな手を開く。
これも、恐らくどこかの魔動機のものを取り付けたのだろう。
仲間や、守るべきものをも取り込んでまで動き続けようとする姿は、大戦が終わって何十年も経とうとしているのに、彼らの戦争がまだ終わっていない事を感じさせる。
迫る手から逃れる為に動くが、距離は一向に広がらなかった。
錆びた金属で出来た手が俺達を包もうとした瞬間、それは大きな音を立てて数m離れた地面に落ちた。
俺達とコーヴ4の間に、いつの間にか小さな人影がいる。コーヴ4の手は、その人影がいる部分で折れていた。
月明かりの中で、真っ黒い人影は歪な形をしていたが、それは大きなザックを背負っている為だ。
コーヴ4と向かい合いながら、ザックを下ろした人影はしかし、それでも歪な部分が残っていた。
コートの腕部分が、不自然に膨らんでいる。
ギギン! ギギン!
コーヴ4は威嚇の様に鳴いた後、口を開く。
応じる様に右手を上げる人影。
金属音を響かせてコーヴ4の顔が弾かれた。
鉄球が俺達の横の地面を抉る。
戻ってきたコーヴ4の左目に杭の様な物が深々と刺さっていた。
撃ったのは間違いなく人影だろう。
右手を上げたまま、人影は横に走り出す。
コーヴ4の口は人影を追いかけ、吐き出された鉄球は地面にいくつも小さい土煙を上げる。
この隙に、気絶しているマカを背負って歩き出す。コーヴ4やあの人影に通じるかは分からないが、トーテムの近くにいれば、少なくとも他のハグレからは身を守れる。
トーテムの膝元に着くと、自分のザックから適当な大きさの物を出して、別の布で巻き、簡単な枕を作る。それを横たわったマカの頭の下に入れた。申し訳ないが、彼女の傷は俺の汗拭き用の布で縛る。
血が出続けていない事を確認し、双眼鏡を出す。
いくつかのレンズを出し入れしてピントを合わせ、コーヴ4と人影の戦闘を見る。
移動しているだけで何分も経っていないはずだが、その間にかなり戦況は進んでいた。
コーヴ4の顔や胴体には何本もの杭が刺さっており、その杭に絡みついた線は淡く紫色に光っている。
人影の素早い動きに衰えは見られない。時折、コーヴ4に接近して腕を隙間に突っ込み、何らかの導線や金属棒を引き抜いてすらいた。
獣人なのだろうか?
少しして、コーヴ4が倒れた。
紫色の光が、コーヴ4に巡っていた赤色の光をほとんど塗り潰している。
そして、コーヴ4の目から赤光が消えると同時に、紫色の光も消えた。
激しい戦闘とは対照的な、静かな終了だった。
人影はそのままこちらに歩き出した。
よく見ると、大きさはほぼヒュートと同じくらい……
(新型のヒュート……? もしそんなのだったら、ひとたまりもない……!)
急いで蒸気銃を探すが、いつの間に失くしたのか、どこにも見当たらない。
近付いてくる人影が、地面から何かを拾った仕草をした。
その手には、落としたと思われる俺の蒸気銃。
(何か、何か他の武器……!)
ザックを探り、周りを見回すが、都合のいい武器は見つからない。ドライバーくらいだ。
そして、人影はあっさりと普通のハグレなら離れ始める境界線を越え、俺の目の前に立った。
担いでいた自身のザックと、俺の蒸気銃を地面に落とす。
そして、急に走り出し、俺の目の前で膝を落とした。
次の瞬間、大きな左手が伸ばされ……俺の頬が指で挟まれた。
その手は、指などの細かい部分は小さい金属の板と革で動ける様にしているが、大部分が魔動機の様に金属で出来ていた。その金属部分の隙間から、紫の光が溢れている。
それが、人影の腕を太く、大きくしている。
俺の頬や、髪の毛や、首筋や肩を何度も撫でる様に触る人影は何も言わない。
その顔には、コーヴの様な突起物とゴーグルがある。突起物は口の部分に被さっているので、マスクの一種と思われるが、見た事がない形状だ。
そのマスクの間から、わあ、わあ、と言っている漏れ聞こえる声は、思っていたより高かった。
人影がマスクを取り、ゴーグルをズラす。
その下には、若い女性の顔があった。
声から判断する場合は相応の顔つきだか、先ほどコーヴを倒した戦闘から見るとかなり意外で、俺は動く事が出来ないでいた。
女の、アメジストの様な色の瞳に、みるみる内に涙が溜まっていく。その口元は、嬉しそうに緩んでいた。
「人だ……やっぱり人だ……!」
涙と一緒に溢れ出た言葉にもどうすればいいのかわからず、しばらくの間、俺は彼女の為すがままとなっていた。
紫線のガントレット 薄明一座 @Tlatlauhqui
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