第5話:キスで痛みが和らぐおまじないなど知らない件

 決して悪意はない。

 殺意もなければ、狂気でもない。

 もちろん逆に、善意もなければ、優しさもない。

 どうして、私はこんなところで林檎をむいているんだろう。

 分かってる。今回ばかりは。

 私が、あの時、野宿を選んだからである。


 ***


 ガササ! 

 無我夢中で木の枝を振り回したら、確実にその獣を仕留めた感触が手に伝わった。

 すると、どさっと鈍い音がして、黒い獣は私の前に倒れた。

「っし!」

 ガッツポーズ。はしたないけど、勝利のポーズくらい取らしてほしい。

 なんせ、初めて獣と対峙して勝利したんだから。

 勝利の余韻に浸りつつその獣を見下ろしていたら、だんだん夜目がきいてきて、その黒い獣の輪郭が見えてきた。

「……ん?」

 それは、イノシシではなかった。オオカミでもなければ、熊でもない。

「し……しゃく?」

 黒い獣は、子爵だった。

「な、何してんですか!」

 思いっきり、殴ってしまった!! 

 すぐに子爵の側に屈みこみ、倒れる子爵を抱き起こした。

 子爵の意識はないようで、見たところ完全に脳しんとうを起こしていた。

「もー、走らないでくださいよ子爵…………あ」

「はっ!」

 ブレトンが後からのこのこ歩いてやって来て、この惨劇を目撃する。

「殺っちゃった?」

「や……殺ってません!!」

 私が死ぬほどテンパっているのと対照的に、従者は悠長に子爵の側に座った。

「あらら、気を失ってら、子爵―?」

 パチンパチンと頬を張る。

「し・しゃ・っく!」

 パチーン! 

 あ、今の結構強く殴ったわ。

 それでも起きない子爵は、ぐったりとしていた。

「あ……ああ……あの……」

 私はいったいどうしたら……。

「ラピス」

「は! はい!」

 殺意はないとは言え、これは過失! 過失=罪! 

「この人運ぶから、手伝ってくれる?」

「え……あっ、はっはい!」

「だーいじょうぶ」

 私の心情を読み取ってか、ブレトンはにっこりとした。

「君が逃げずに、朝、子爵にきちんと会って話をすれば、今の罪は、きっと無かったことにされるから☆」

「………………はい。喜んで。運ばさせていただきますで候」

 逃げ場は、ない。

 そうして結局、私は子爵の城に戻ることになった。


 ***


 夜、眠れないので、自室のベッドに寝転がってあの森の出来事を反芻していた。

 正直、追って来るとは思っていなかった。

 私なんか、必死に追う価値はない。なのにあの人は、ブレトンさえ振り切って駆けつけてくれた。

 変な人。

 でも正直、ちょっとだけ嬉しかった。

 暗い森を、あんな風に探してくれて。

「ちゃんと……謝ろう」

 ごめんなさい、そして今までありがとう。

 それでちゃんと綺麗に、子爵のもとを去ろう。


 ――『魔女の粉』のレシピ


「!」

 森での出来事の衝撃が大きかったから忘れていたが、不意にその直前に起きた恐ろしい出来事を思い出した。

 うとうとしていた頭が冴える。

 あの下手人が殺されたシーンを思い出すと吐き気がしたが、衝撃的な彼の言葉を思い出した。

 ――『魔女の粉』のレシピはどこだ? 

 確かに彼はそう言っていた。

 もちろん、『魔女の粉』なんていう伝説上の毒物は存在しないと思う。何かの毒物の通称だろう。

 ではあの男が探していたのは、毒の調合法? なぜ子爵がそんなものを持っていると思ったの? 

 少しだけ心当たりがあった。先日のマリット邸でのことだ。

『魔女の粉』を悪用しようとしたマリットに対して、子爵は「これで全部か?」と言っていた。

 まるで、子爵が『魔女の粉』を管理する側の人間のような口ぶりだった。

 そもそもどうして子爵は、マリットが『魔女の粉』を持っていると分かっていて私を派遣したのだろう? 

 マリットが毒物を悪用していることを突き止めるため? 

 違う。『魔女の粉』の回収だ。

 もともと子爵は『魔女の粉』を回収するために、私たちを派遣したのだ。

 つまり、子爵はやっぱり『魔女の粉』と呼ばれる毒物に、一枚かんでいるのではないか。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか私は眠りに落ちていた。


 ***


 目を覚ますと、ひどい頭痛がした。昨日の打撲は結構ひどかったらしい。

 私はすぐに着替えを済ませ、荷物をまとめた。

「……よし」

 起きてないかもしれないけど、一応子爵の部屋を訪ねてみよう。もしかしたら起きてるかもしれない。

 出発はできるだけ早い方がいい。

 子爵の部屋の前まで行き、扉をノックした。

「子爵? 起きてます?」

 返事がない。

 仕方がない、出直そう。と引き返そうとした時だった。

「おや、ラピス」

「あ、ブレトンさん」

 ブレトンが廊下の向こうから歩いてきた。

「おはよう。早いね?」

「ええ。まぁ。……子爵まだ起きてないんですね」

「え? いや。今日は珍しく起きていらっしゃるよ? 今は朝食中だ」

「あ、そうなんだ」

 良かった。一応無事に意識は戻ったのね。

「ラピスも朝食をとれば? 行こう」

「はい」

 頷いて、ブレトンについていくと、いつも朝食をとる部屋とは違う部屋に通された。

「やあ、おはよう。ラピス」

「え、子爵……なんで……」

 なぜか子爵がそこにいることに、動揺していたら、ブレトンが肩を掴んで、すすっと席に誘導してくれた。

 着席して改めて部屋を見渡す。

 きらびやかなテーブル。椅子。シャンデリア。無駄に大きな部屋。高い天井。

 理解した。ここは子爵のための食堂だ。

「お、おはようございます」

 非常に気まずいが、まずは挨拶から。

 ブレトンはそんな私を見てにこっと笑い、すすっと音もなくいなくなった。

 二人きりだ。そしてひどい沈黙だ。

「……あの」

「食べたまえ」

「え、あ、はい」

 メイドたちが食事を運んできて、目の前に並べ始めた。

 めちゃくちゃいいものを朝から食べてるわね! 

 もはや引くレベルの高級な食事が出てきて怯んだ。

「……あの」

 再び切り出す。謝罪と、感謝と、お別れを告げなければ。

「昨日のことなら、謝らなくていい」

「え、でも……」

 あ、高貴な方たちって食事中にあんまりおしゃべりってしちゃダメなんだっけ……? 

 出端をくじかれた私は、仕方なく黙々と食事をした。

「こちらこそすまない」

「え?」

 突然の謝罪に、顔を上げる。

「君を、傷つけた」

 返す言葉に一瞬詰まった。

 意外だ。そんな風に謝ることが。

「……いいえ。いいんです。私が勘違いしてただけです」

 もう、そのことは全然怒る気もなかった。もうすぐおさらばして、一生会うこともないんだし。

「本当に。君を危険な目にあわす気はなかった」

 彼はまっすぐに私の目を見て話した。これは、真剣に伝えようとしている人の目だ、と思ったから、私もまっすぐ子爵の目を見つめ返した。

「ブレトンに私を狙う刺客を消すよう頼んでいた」

「……らしいですね」

 私はその道具にされたんだけどね。

「だけどその刺客が、直接君を狙うとは思ってなかった……」

 どうだか……。

 っといけない、毒づくのはやめよう。もうすぐ別れる人だ。

「確かに。君を連れていったのは、刺客を煽るためだった。でも、君を利用して、あんな目に合わせるつもりは、さらさらなかった」

「……そうですか」

 相変わらず真剣な目がこちらに向けられている。

 言葉に嘘はないと思った。

「……弁解がましいな。すまない。ただ謝るよ。悪かった」

 ははと、子爵は笑った。

 ……もう、仕方ないな。そんな顔されちゃ、許すしかない。

「もう、いいです」

 私は微笑んで、子爵を許した。

 すると子爵は、ほっとしたような顔をしてから笑った。

 彼は時々すごく無邪気な顔をする。いつも鋭くて、怖いとすら感じるのに。

「あの、子爵」

「おっと……、すまない。この後少し用事があるんだ。席をはずしていいか?」

 うお? これは話すタイミングを逸してしまいそうだ。

「あ……! あの、話があるんです!」

「ああ、分かった。30分後には部屋にいるから食事が終わったら来てくれ」

「あっ、はい……。――……へ?」

 子爵が手を招くと数人の使用人がやって来て子爵の椅子をいじりだした。

 何をしているんだろう? と私は首をかしげた。

「では失礼するよ」

 よく見ると、なにやら椅子に車輪がついていて、子爵は椅子を押されながら部屋を出ていった。


 え。これは。つまり、怪我!? 


 ***


「ブブブブブブレトンさん!」

 私は食事を終えて、すぐブレトンのところに走った。

「おっと、どうしたのラピス」

「子爵! 子爵どうしたんですか!?」

「え? ああ、車椅子だね? なんか昨日足くじいちゃったみたいでさ。あはは、結構大変だよ。介護が」

 従者として笑うところなのか。

「わわた、わた、私のせい……!?」

「んー……」

 ブレトンはにっこりしてそれ以上何も言わない。

 誤魔化されたが、やばい。十中八九私だ! 私のせいだ! 

「ラピス……?」

「す、みません……」

「ん?」

「ちょっと、急用が!」

 私はいてもたってもいられず、子爵の部屋へダッシュした。


「…………ほんとーに、性格が悪いっ」

 ブレトンは、少し怒ったように呟いた。


「し、子爵!」

 子爵の部屋に着くなり、ノックとともに飛び込んだ。

「ん? どうした? ラピス」

 ギャーーーー!! と心の中で叫ぶ。

 ベッドに横たわりながら本を読む子爵を見て、怪我の重症度を悟る。

「あ、あ、あ……あし、足……平気ですか?」

 焦りすぎて、うまく舌が回らない。

「ん? ああ、平気だ、こんなもの」

 いや、ぜんっぜん平気そうじゃないんだけど! 

「あの、私……昨日、すごい、勢いで……殴っちゃって……」

 申し訳なさとやってしまったという後悔でいっぱいになり、しどろもどろになる。

「その……せい、で、すよね……」

 私はがっくりと肩を落とした。落とさずにはいられない。

「気にすることない。少し不便だけど」

 うっ。

「痛みも骨を折るほどでもないし」

 ううっ。

「仕事が少し休める。言い口実だ」

 うううっ! 

「で、話は何かな? ラピス?」

「………………」

 言えない! 

 この城から今すぐ去ります、サヨナラバイバイ永久に☆……なんて。

「子爵の、その……滞ってしまったお仕事……」

「ん?」

「私、手伝えることは、ないですか……、ね……?」


 ああ、もう! 

 これじゃあ、逃げ出せない! 


 ***


 とりあえず、しばらく子爵の側に付き添って、雑用や身の回りのお世話をすることになった。

「はい……。林檎、むけました」

「ああ、ありがとう」

 とりあえず、目下することがなさそうだったため、林檎をむいて子爵に渡す。

「うまいな。君は。器用な方なのか?」

「町娘なら誰でも出来ます」

「へぇー」

 感心されるようなことじゃない。

 溢れだしそうなため息を我慢した。

「……ねぇ子爵?」

「ん」

 私は訊くかためらっていたことを、切り出した。

「魔女の粉のレシピを……持ってるんですか?」

 あ。と思った。

 今、部屋の空気が一瞬にして張り詰めた。

「や、持ってませんよね? すみません。変なこと聞いて」

「…………誰かに言われたか?」

「昨日の刺客に、言われました。レシピはどこだって。私なら知ってるはずだって」

「……なるほど」

 子爵は小さなため息をついた。なぜだか手の平に汗が湧く。

「……それだけか?」

「だけ……?」

「他に何か言われたか?」

「えっと、特に。あとは、私に対する暴言って言うか」

「そうか」

 はぁとため息をついた。

「それは怖い思いだけではなく、嫌な思いもさせたな」

「あ、それはいいんです。よくわからなかったし、私なんか贄にされるだろうとかなんとか」

「贄……?」

 怪訝な表情。

「ちょっと意味分かんないですよね。口ぶりからして私に対する暴言に違いないんですけど」

「……いや、とくに意味はないだろう」

「そうですよね。っていうか、『魔女の粉』なんて、伝説ですよね……。レシピなんてあったら、伝説じゃなくなっちゃいますもん。こないだのだって、本当によくできた毒でしょう?」

「……いや」

 どきりとする。子爵の声がいつもより深く聞こえた。

「魔女の粉は実在する」

 はっきりと、子爵はそう言った。

「どうして……?」

 言い切れるのは、なぜ? 

「……実在、するからだ」

 子爵は答えになってない回答をしながら、ぽん、と優しく私の頭に手を乗せた。

「い……っ」

「ん、すまない、きつかったか? そんなに強くやったつもりはなかったが……」

「や、違うんです。実は……。いっ!」

 子爵が優しく私の髪の毛をかきあげ、頭にできた傷を見つけた。

「……なんだこれは」

「あ、昨日、襲われたときに壁にぶつけられて……」

「………………」

「ちょっとまだ痛いんで、触らないで頂けると助かりま……っ!」

 言いかけた時。

 ぐわっと、頭を引き寄せられ、子爵の方へ身体ごと引っ張られた。

 かと思うと、傷口に鈍い痛みが走った。柔らかくて、温い感触。

「~~~!! ちょっと、ししゃ……!」

 キスだ。

 頭の傷口に、優しいキスをされた。

「はな……!」

 離して、と言いかけた時に、ふわりと髪と頭から手が離れた。

「っ何……して……――!」

 体をばっと子爵から離し、真っ赤になった顔を隠すように手の平で頬を抑える。

「おまじないだよ」

「はあ?!」

「魔女たちの言い伝えによると、キスをすると、早く治るらしいからね」

「き、聞いたこともありませんそんなおまじない!」

「じゃあ、今度から実践するといい」

「はぁ?」

「ほら」

 子爵がするりとシーツをまくりあげ、なまめかしい、細い足首を覗かせた。

「……っ!!」

「足首らしい。痛めたのは」

 にやりと、挑発するような子爵の意地悪な笑み。キスをしろ、ということ。

「め……」

「め?」

「命令なら……! しますけどッ!」

 こう答えるのが、精一杯だった。

 子爵は2、3秒、きょとんとして、それから盛大に吹き出した。

「はは……! 冗談だよ」

 でしょうね!! 

「可愛いな、ラピス」

「か……! からかわないでください!」

 こっちはいろんな罪悪感とかあって、今逆らいにくいんだから! 

「今日は色々、手紙を処理しなきゃいけないんだ。手伝ってくれるか?」

「よ、喜んで!」

 結局、魔女の粉のレシピについては、何も教えてくれなかった。


 ***


 夜、子爵が一人になった後、ブレトンがやってきた。

「性格が悪うございます」

 ブレトンはため息をついた。

「何のことかな」

「あなたの足のことですよ」

 子爵はにっと笑ったまま、ブレトンを見る。

「そんなにひどくもないでしょうに」

「はは……。2、3日は安静にしろ、とは言われたぞ」

「あの子、本当に逃がす気がないんですね」

 子爵は黙って微笑んでいた。

「そこまであの子にこだわる理由、教えてもらえたら幸いなんですが」

 ブレトンは先ほどまでラピスが座っていたベッドわきの椅子に腰をかけた。

「見ていて分かるだろう」

「……まぁ、面白い子ですね。それは認めますよ。……新鮮ですか?」

「あぁ。両極端だからな、周りが私を見る目は」

「そうですね……」

 ブレトンは、何かを伝えることを諦めたようだった。

「ところで、報告を怠ったな?」

「…………。魔女の粉のレシピ。彼女、口にしました?」

「した。そんなものは持っていまいな? と、訊いてきた」

「刺客に対しても、そんなものは持ってるはずないと言い切っていました。だからよもや、子爵に何かを尋ねることもないと思い、報告は致しませんでした。申し訳ありません」

 ブレトンは立ち上がり、頭を下げた。

「そうか……。いい。分かった」

 子爵は特にブレトンを咎めず、彼を再び椅子に座らせた。

「それで、答えてあげたんですか?」

「ん、いや。答えてはいない」

「でも、嘘もついていないんですね」

「……ああも絶望したような顔で嘘付きと言われた次の日に、やすやすと嘘をつけるような人間じゃないよ」

「なるほど」

「それからブレトン。ラピスの頭に傷があった。髪に隠れて見えにくいところだ」

「ああ、たしか、一度壁にぶつけられてましたね。あの後ぴんぴんしていたから平気なものかと……。ひどかったのですか?」

「結構な。脳震盪を起こさなかったのが奇跡だ」

 子爵は小娘の一撃で脳震盪起こしてましたもんね、とは口が裂けても言わないブレトンだった。

「気が付きませんでした。後で手当てをいたします」

「ああ、そうしてやってくれ。あざが残らないようにな」

「かしこまりました」

 ぺこりと頭を下げてから、再度ブレトンは立ち上がった。

「では、失礼します。ゆっくりとお休みなさいませ」

「あぁ」

 ブレトンが部屋を出ようとしたとき、子爵はブレトンを呼びとめた。

「ブレトン」

「……なんです?」

「例のことについて、ラピスには何も言うな。仕事はお前に任す。調査を続けてくれ」

「はい。サー」

 深くお辞儀をして、ブレトンは部屋を後にした。

 その姿を見送った後、深いため息をついて、子爵は眼を閉じた。

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