第592日「せんぱい。次の時代も、こうやって仲良くしてくれますか?」

「はい、せんぱい。ゆであがりです」


 平成31年、4月30日。夜21時13分。

 平成最後の日の夜。俺の家にはなぜか後輩ちゃんが来ていた。


「そば、ねえ」


「年越しならぬ時代越しなので」


「まあそれはいいんだけどさ」


「なんです?」


 エプロンをつけた真春がこちらを向いて小首を傾げる。やっぱりかわいい。ずるい。


「なんで後輩ちゃんが作ってるの?」


「おかあさまにいいよって言われたので」


「そういうことじゃなくて」


 麺をお椀に分け、つゆをかけて、薬味を散らして、時代越しそばが完成した。


「せんぱいのそば・・にいたかったから――じゃだめですか?」


「えっそういう」


「まあうそ――じゃなくてほんとなんですけどね」


「ほんとなのかよ」


「ほんとですよ?」


 真春はそう言って握っていたおたまを置くと、ずずっと一歩距離を詰め、俺の目をじいっと覗き込んでくる。

 ……「美人は三日で慣れる」とか絶対嘘だ。未だに慣れる気配ないし。これだけでドキドキしてしまう。


「そばが伸びるから後にしろ」


 壁一枚挟んだ向こうには母親と父親がいるのほんとにわかってんのかこいつ。


「え? そばにいる時間が伸びるとうれしいって? まったくせんぱいったらー」


「……もう好きにしろ」


「はい。だいすきですせんぱい」


 ぎゅってされた。

 ……さすがに、テンパってるばかりの俺でもない。抱きしめ返す。


「……ああ、大好き」


 キッチンで何してんだろなほんと。まあいっか。



「……せんぱい、そろそろ、その、恥ずかしいので……」


 1分くらいぎゅーっとしていると、耳元でこしょこしょささやく声がした。


「抱きついてきたのはそっちだろ?」


 ささやき返すと、うー、と唸り出す。目の前の耳がだんだんと赤みを帯びてくる。

 かわいいなあもう。


「わたしもう満足しましたから! 今抱きついてるのはせんぱいの意志ですよ! てか! 離せ!」


 いやまてそんな大声上げたら――


「真春ちゃーん、おそばできた?」


 壁のところからひょこっと母さんが顔を出し、こちらを覗いた。ほらな。


「……ふふふ。ごゆっくり」


 ……だから違うんだって。

 いや何が違うのか自分でもわかんないけど。

 あっそうだ。俺から抱きついたわけじゃないから。後輩ちゃんがなんか飛びついてきただけだから。うん。

 ……なんて言い訳を言う間もなく、母さんは俺たちの横をすり抜けて、そばを食卓へと運んでいく。


 違うんだよぉ。




 つつがなくそばを食べ終えると(安定の真春。おいしかった)、母さんと真春がにこっとして、俺を自室に放り込む。というか後輩ちゃんに物理的に引っ張り込まれた。謀ったなこいつら。

 腕を引かれる勢いでクッションに座ると、目の前の後輩ちゃんがぷんすかして言う。


「さびしいんですよ、最近。せんぱいのせいで」


 それはそうだ。俺だってそうだ。

 いや、不可抗力だから仕方ないんだけど。


 この4月から俺は無事大学に入学したので、乗る電車の時間も方面も真春と違うようになってしまった。

 つまり――朝の電車の中で話せなくなったのだ。


 かれこれ1年半くらいそうしてきたものがなくなってしまうと、やっぱり寂しい。

 「電車の中で本を読む」習慣が自分の中から消えかけていたことにまずびっくりして、俺の大学生活はスタートした。


「ほう」


「だから、今日くらい甘えさせてください」


「お前それ言うの何日目だ?」


「さあ? 何日目でしたっけ?」


 ぺろっと舌を出してから、後輩ちゃんが俺の太ももに頭を乗せた。ゴールデンウィークに入ってからというもの、毎日のようにこれをされている。

 週末もなんだかんだであんまり会えてなかったからなあ。俺も真春成分が不足しているので、ウィンウィンではある。


「いやー、にしても。ついに平成も終わりですねえ」


 時刻は23時55分。もうすぐ元号が変わる。


「平成も終わりって言っても、俺ら平成しか知らないけどな」


「え、大化とか和銅とか知らないんですか」


「知ってるけどそういう話をしてるんじゃあない」


「ふふふ」


「ふふふじゃないよ」


 何が楽しいのか、俺の腿に頭をぐりぐり擦り付ける後輩ちゃん。


「さて。せんぱい、今日の一問です」


 満足したらしくすくっと姿勢を戻すと、俺をまっすぐ見てこんなことを言い出した。

 そう。「今日の一問」も、なんだかんだでまだまだ続いている。

 この調子なら、令和になっても、ずっとずっと続いていく感じである。


「――せんぱい。次の時代も、こうやって仲良くしてくれますか?」


 即答したいところではあったんだけど、そんなんじゃ俺と彼女の間柄はつまらない。


「どうだかな、お互い次第じゃ?」


「むぅ」


「――でも、俺と真春なら、きっと、ずっと仲良くしていけるよ」


「……そういうとこきらいです」


「言い切ったらそれはそれで怒るくせに」


「ばれました?」


「何年の付き合いだと思ってる」


「まだ2年たってないですよ」


「……そういうとこ嫌い」


「はいはい」


 言い合いをしていると、リビングで付けっぱなしになっているテレビから歓声が聞こえた。

 5月1日を迎え、俺たちにとって人生2つ目の元号の到来である。


 令和元年。

 新元号最初の会話は、愛しの後輩ちゃんとの挨拶だった。


「――令和もよろしくな、真春」


「こちらこそ。せんぱい♪」

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