時空戦士 マントマン

じょう

第1話  時空戦士 誕生

〝僕の街  五年二組 アオゾラ ダイキ


 僕の住む街は、人口五万三千人弱、大きな港が目印の海沿いにある少し小さな市です。十五年くらい前までは港の水揚げ量が全国でも五本の指に入るくらい多かったそうですが、僕が生まれた頃くらいからだんだんと少なくなっていったそうで、今では港にとまる船も少なく、港の倉庫にも空き倉庫が多くなったと近所のおじいちゃんが言っていました。

 でも海が近くにあるといいことばかりではなくて、僕が生まれる前に大きな台風で街中が水の中に浸かってしまったこともあるそうです。今ではその教訓を生かして、街の防水設備は完璧で、街の人は定期的に避難訓練をしています。おかげで、僕が生まれてから災害で亡くなった人は一人もいないそうです。

 街には海ばかりではなく緑もいっぱいあって、海のすぐそばに大きな山があったりします。動物もいっぱいすんでいて山の中に入るとすぐに色々な動物に出会えます。そのかわりというか、街自体はそんなに都会みたくはなっていません。でもその方がくらしやすいと近所のおばあちゃんが言っていました。

 この街を田舎だとバカにする人もいますが、僕はそうは思いません。

 僕はこの街が――〟



 街の観光案内に載っていた地元の小学生が描いたという作文を、青年は読んでいた。青年は片手に旅行鞄を持っており、どうやらこの街の住人ではなく旅行者のようだ。

 青年は穏やかで心地の良い潮風を浴びながら観光案内から目を上げ、丘の下に広がる街を見下ろした。

 「いい街だな、好きになれそうだ」

 青年は暖かい陽射しのようなやわらかいほほ笑みを浮かべてそう呟いた。



 穏やかな春の陽の射す昼下がり。

 地元の大学に通うヒナタ アカリは今日の授業も終わり、家に帰ってすぐに日課となっている自宅の庭の掃除をしていた。平日の昼間だからか住宅地に人が通りかかることもなく、普段は一人で鼻歌交じりに掃除をしているのだが、もう少しすれば小学校が放課後となりお隣に住んでいる兄妹が返ってくると、途端に騒がしくなる。

 アカリは両親が仕事から帰ってくるまでは暇だし、この街はどこかに遊びに行こうと思っても、おしゃれな喫茶店や気の利いたブティックなどは全然無く行く場所などどこにもないので、元気のいい二人はアカリにとって楽しいおしゃべりの相手となるのだ。

 妹の方はよく私に懐いてくれているけれど、お兄ちゃんの方はひょっとしたら今日もお友達と公園に行くのかな?などと考えながら箒を置いて花壇に水をやるため蛇口に向かおうとすると、路地の方から声をかけられた。

「すみません」

「はい?」

 「ああ、こんにちは。突然声をかけてしまってすいません」

 振り返るとそこには旅行鞄を持った青年が立っていた。天を指すように生えている髪の毛、動きやすさを重視した、それでいてきれいにまとまっている服装、うっすらとついた筋肉、なにより人懐っこそうな笑顔が、その青年の周りに爽やかな風が吹いているように感じさせた。

 「い、いえ大丈夫ですよ?それでえっと、何かご用でしょうか?」

 アカリはそういいながら青年の顔を見た。青年の顔に見覚えはない。いくらこの街が田舎とは言え、一応市であるし、五万人前後の人々が住んでいるから、たとえこの街の住人でも一度も見たことの無い人の方が多いだろうが、どうもそれとも違う。なんというか……この青年からは何だかこの街のにおいがしない。旅行鞄を持っているし多分本当にこの街の人間ではないのだろう。

 「ええ、実は僕はこの街に来たばかりで、しばらくこちらに滞在する予定なんです。どこかに泊まれる場所ってありませんか」

 ああ、やっぱり。青年は予想通り旅行者だったようだ。

 「それなら……確か駅前の通りにホテルがあったはずですよ」

 「なるほど……駅はどっちです?」

 「ええ、この通りをまっすぐ行って……」

 アカリが駅の方角を示そうとして指を指し示すと、丁度その方角から騒がしい声が近づいてくる。青年もつられてその方角を見ると、向こうから元気な二人組が近づいてきた。

「もう!お兄ちゃん!おいてかないでよ」

 「へへっ、早くしないとおやつ食っちまうぞ!」

 「あら、ダイキくん、カオリちゃん。お帰りなさい」

 アカリは向こうから駆けっこしながらやってきた二人の小学生をそう呼んだ。

 「あっ、アカリさん。ただいま」

「ただいま!」

 二人はアカリに気付くとぺこりとお辞儀をした。この二人は、アカリのお隣に住んでいるアオゾラ ダイキとその妹のカオリ。アカリと二人は家も隣同士ということもあって家族ぐるみの付き合いをしている。

 兄のダイキは小学五年生という年の頃も相まってやんちゃ坊主といった感じだが、それは妹のカオリや同級生たちと一緒にいるときだけでお父さんやお母さん、アカリをはじめとする年上の前では少し大人しくなるようだ。

 一方妹のカオリは、小学二年生の割には少しませ気味なところがあり、アカリと一緒におしゃべりをするのは、アカリをお手本にして女を磨くためだからなのだという。正直アカリは別に自分のことを綺麗だとか女らしいだとか思ったことは無いのだが、カオリに言わせれば、アカリは女が憧れるまさに理想の女性なのだという。きっとカオリはとりあえずお手本を立てることでちょっと他の娘とは違う自分に浸りたいのだろうと解釈し、アカリはその遊びに付き合ってあげているのだった。

 「あれ、アカリさん、この人は?」

 カオリがアカリの家の前に見知らぬ青年がいることに気が付いた。

 「あ、そうそうこの人は……」

「ひょっとして恋人!?」

 カオリが顔を輝かせながらそう尋ねる。

「ええっ!?そうなの?」

 今度は兄のダイキまで顔を輝かせ始める。

「そうだったんだ、へぇー」

「も、もう違うわよ二人ともっ」

 アカリはどうもこういう状況は苦手で、すぐに顔が真っ赤になってしまう。そんなアカリを見るとやんちゃ盛りのダイキとカオリは余計に調子に乗ってしまう。このまま二人に言わせっぱなしではこの人に迷惑をかけてしまうと、アカリは半ば助けを求めるように青年に話しかけた。

 「や、やですねぇ、えへへへ。最近の子供ったら、あ、あははは」

 「あはは、こんな綺麗な人の恋人に間違えられるなんて光栄ですよ」

 青年までがそんなことを言い出す。一刻も早く誤解を解かないと、しばらくこの街にいるらしいし、その間中ダイキとカオリにからかわれ続けることになってしまう。

 「あ、あのねダイキくん、カオリちゃん、この人は私の……その、恋人じゃなくてね……えっと」

 そこまで言いかけて、そういえばまだ青年の名前を聞いてなかったことを思い出した。

 道を聞いただけの人に名前まで教えるなんて普通はしないんだろうけれど、この際誤解を解くためには仕方ないだろう、そう考えてアカリは思い切って青年に名前を聞いてみた。

 「あ、あの、お名前は……」

 やっぱり失礼だったかな?そんなアカリの心配は、青年の爽やかな笑顔にかき消された。

 「僕はタケル。ヒリュウ、タケル」

 青年は眩しい笑顔でそう答えた。



 それから30分ほど後、ホテルを探しに去って行った青年ヒリュウ タケルと別れ、ダイキとカオリは一旦自分の家に戻った。遊びに行くにしても、ランドセルを持っていくわけにはいかないからだ。

 ダイキは、家に帰るとすぐにランドセルを放り出して公園に向かった。もちろんカオリにおやつをとられるわけにはいかないので冷蔵庫に入っていたプリンはつるっといただいてきた。カオリはそんな兄を見て、「しょうがないなぁ」と呟いたのだった。

 「遅いぞーダイキ」

 「ごめんごめん」

 公園にはすでにダイキの同級生のリョウタとケンジが来ていた。きっとそのうち他の連中も来ることだろう。ダイキは適当に滑り台に上って全員がそろうまで時間を潰すことにした。

 小高い丘をそのまま舗装したこの滑り台はこの街の中でもかなり子供たちに人気のスポットだ。小さな山ほどある巨大な滑り台はまだまだ身長の小さなダイキ達小学生が登れば、いつもよりも遠くまで見渡せて何だか自分が大きくなったような気分になれるので昼下がりには子供たちのはしゃぎ声が絶えないのだ。

 「……あれ、あの人」

 滑り台に上ると、ダイキは公園の反対の通りを歩いている先ほどの青年――タケルを見つけた。ホテルに無事チェックインできたのか、今は旅行鞄を持っておらず手ぶらで山の方へ歩いている。ついさっきアカリの家の前で少し話した時、タケルはこの街に仕事をしに来たのだと言っていた。一体何の仕事をしているのだろうか……。ダイキは昔からよく好奇心を自分では抑えられなくなることがある。今もまさにそれだ。

 「き、気になる……」

 ダイキは少し悩んだ後、結局好奇心に負け、タケルの後をつけることにした。

 「悪いケンジ!おれちょっと用事!」

 「あ、おいダイキ!」

 「悪い、また今度なー!」

 ケンジたちは、ダイキが急にそんなことを言い出したことに不満そうな声を出したが、結局ダイキは止める声も聴かず、タケルの後を追って走り出したのだった。



 「ねぇ、アカリさん聞いて」

 「あら、なにかしら?」

 一方ところ変わってここはアカリの家の縁側。カオリは家にランドセルを置いてきてすぐにアカリの家に来ていた。家には母のフユミがいたのだが、カオリはアカリの家に遊びに行ってくると言ってすぐに出てきてしまったのだった。ちなみに、おやつのプリンは持ってきてアカリと半分こにした。

 二人で庭の縁側に座ってお茶をしながらおしゃべりしていると、カオリは何かを思い出したのか、急に話題を変えた。

 「お兄ちゃんやっとヒーロー番組を見なくなったのよ」

 「あら、あんなに好きだったのに。どうしてかしら」

 ダイキはヒーロー番組が大好きでいつも学校から急いで帰って来てはテレビに噛り付いていた。カオリは別段好きという訳ではなかったが、昔からよくダイキに付き合わされて一緒に見ていた。しかし最近カオリは小学二年生になって急激にませ始めていて、そんな子供っぽい兄が恥ずかしくなってしまったのか、一緒にテレビを見るのも止めてしまい、いまだにそんな〝子供番組〟を見ている兄の愚痴をよくアカリに漏らしていた。

 「しらなぁい」

 気の抜けた返事をするカオリ。どうやらやっと子供っぽいことを卒業したことの方が、その心境の変化の理由よりもカオリには大事なようだ。

 「お兄ちゃんはいつまでたってもずっと子供なんだから、まるであたしの方がお姉ちゃんみたいね」

 ちょっと自慢するようにカオリが胸を張る。そのせいいっぱい背伸びをして自分は大人なんだぞとアピールする様子を見るたび、アカリは逆に子供っぽいなと思いつつ、わたしにもこんな時期があったかしらと、思わず昔を思い出してしまうのだった。

 「でも、本当に何かあったのかしら。あんなにヒーロー番組大好きだったのに」

 「もう、アカリさんは五年生にもなって子供番組を見ているなんて、恥ずかしいと思わないの?」

 「ふふふ、だって子供じゃない」

 「あたしはもう子供じゃないもん」

 カオリは拗ねてしまったのか、口をとがらせてそっぽを向いてしまった。ますます子供っぽいなんていったら、もっとかわいいしぐさをしてくれるかしら。思わずそう思ってしまうくらいカオリのその表情は、いかにも大人に憧れるオンナノコといったものだった。

 「カオリちゃ~ん、晩御飯の支度手伝ってちょうだ~い」

 アオゾラ家の方からフユミの呼ぶ声が聞こえる。

 「うん!すぐ帰る!」

 カオリは元気よく返事をして縁側から庭にぴょんと飛んだ。

 「アカリさんも今日私の家で一緒にご飯食べない?」

 「ふふふ、お誘いは嬉しいけど、急に押しかけちゃおばさんに悪いわ。それに、うちのお父さんにご飯作ってあげないと」

 「ふーん、じゃあ、また今度ね」

 「ええ、またね」

 「それじゃ、さようなら」

 「はい、また明日ね」

 きちんと別れの挨拶を交わしてから、カオリは自分の家に飛び込んでいった。それを見届けたアカリも家の中に入って今日の晩御飯は何にしようか考えるために冷蔵庫を開けた。

 「……あら、おかずがない……」

 仕方ない、これから行くとなると面倒くさいけれど、特売の時間には間に合うかしら。アカリは晩御飯の材料を買うために街へ出かけることにした。



 「はぁ、はぁ……い、一体どこまで行くんだよぉ……」

 ダイキはどんなタケルがどんな職場に行くのかを見たいだけだったのだが、予想に反してタケルは街とは反対方向、それも山の中に入って行くではないか。意を決してタケルの後を追ったダイキだったが、山の中には道など無い。せいぜい獣道のような心もとない細い足の踏み場があるくらい。そうでなくとも、ただでさえ急な山道で登るのにも一苦労だ。それなのにタケルはまるで意に介さずひょいひょいと登って行く。ダイキも、決して運動が苦手ではないが、いくらなんでもこんな山道など歩いたことは無い。気が付くとタケルの後姿はどこにも見えず、ダイキは誰もいない山道で一人きりになってしまっていた。

 「はぁ、はぁ……」

 息もすっかり上がり、一体自分でもどのくらい山を登ったかも覚えておらず、ここがどこかすらも分からない。まさかこんな山の中で迷ってしまったのだろうか。

 「痛っ!」

 すると突然何かが頭の上に落ちてきた。びっくりしてそれを拾ってみるとどんぐりだった。どうして……不思議に思い上を見上げてみると、あまり見たことの無い猫ほどの大きさの動物が木の枝に乗ってどんぐりを齧っていた。

 「もう!びっくりさせないでよ!」

 ダイキは驚かされた腹いせにぶつけられたどんぐりを動物に向かって投げ返した。当てるつもりなどなかったので、どんぐりは見当違いの方向へ飛んで行ったが、動物は齧っていたどんぐりを捨て木の上からジャンプしてしまった。

 「あっ!あぶない!」

 このままでは地面に落ちてしまう、そう思って慌てて駆け寄ろうとしたダイキだったが、その動物は空中で両手両足を広げるとそのまま風を翼膜にはためかせ、すいーっと

 そのまま森の奥へと消えて行った。

 「今のって、ムササビだったのかな……」

 動物図鑑で見た覚えがある。しかしさっき見た動物は微妙に違っていたような気もする。ムササビといえば確かリス位の大きさだったような気もするし……。それに、さっきは木の葉が邪魔でよく見えなかったが、飛んでいくときにさっきの動物に角が生えていたのが見えた気も……。

 何だか周りの空気が一気に冷えてきたような気がする。なんてことはない、ちょっと変わった動物を見ただけだというのに、頼ることの出来る人のいないこの山の中ではたったそれだけのことが恐ろしい体験に変わってしまう。ダイキはみるみる心細くなってきた。いっそ暗くなる前に山を下ってしまおうか。

 ……しかし、そんなことで果たして本当にいいのだろうか。いや、こんなところで諦めてしまっては意味が無い。せめてタケルに追いついてみようと、ダイキは挫けそうになる自分を鼓舞して再び山道を登り始めた。きっと登りきったらタケルさんがいるんだ、そう自分に言い聞かせながらひたすら足を動かし続けた。

 しかし、そうやって登り続けても、ずっと似たような木ばかり生えているせいで、同じところをぐるぐると回っている気がしてくる。

「はぁ、はぁ……ん?」

 もうすっかりへとへとになりずっと足元を見て歩いていると、急に目の前が明るくなった。

 不思議に思って顔を上げるとそこは木立に囲まれた広場のような場所だった。驚いた、この山にはてっきり暗い森しかないと思っていたのに、ここだけはまるでピクニックに来るために作られたと言われたら信じてしまうくらいのどかさだ。しかも、ここからダイキの住む町が一望できる。

「わぁ………!!」

 すごい!こんな場所がこの街にあっただなんて。今まで公園の滑り台の高さしか知らなかったダイキだが、ここからなら本当にどこまでも見渡せる。

 あれは僕の学校、あれはいつも行くスーパー、あれは僕の家……!どれも小さいけれど、はっきりと見渡せる。こんなに高くまで自分の足で登って来たんだと考えると、道中のあの不安が嘘だったみたいにとっても清々しい気分になってきた。

 「すっごい……」

 「うん、とってもいい景色だね」

 「うん……えっ!?」

 急に声がして振り返ると、そこにはいつの間にか街を見ながらほほ笑んでいるタケルがいた。

 「うわぁっ!ご、ごめんなさい!」

 こっそりと後をつけていたのがばれてしまったと思ったダイキは、タケルの顔を見るなり謝ってしまう。しかし当の謝られたタケルはキョトンとした顔をした。




 「あはははは、それで怒られると思ったのかい?」

 「タケルさんは怒ってないの?」

 「うん、怒ってないよ」

 ダイキとタケルは山の広場にあった切り株に二人で腰掛けていた。春のうららかな風が広場に優しく吹いている。てっきりタケルに怒られると思ったダイキだったが、タケルは別に怒ってはおらず、笑い飛ばされてしまった。

 「よかったぁ」

「でもダイキくん、もし僕が悪い人だったらどうするんだい。こんな人気のないところまで着いてきて、危ないとは思わなかったのかい?」

 「え……でも、タケルさん全然悪い人には見えないよ」

 ダイキは正直な感想を漏らした。タケルという人物は一度見ただけでなんというか、お人良しさのようなものが伝わってくる。間違っても悪人になどは見えようがないのだ。

 「僕だけの話じゃあないよ、もし本当の悪い人に出会った時の話を――」

 しかし、こうして実際出会って間もないダイキのために真剣に説教をしてくれる辺り、実際にタケルはいい人なのだろう。ダイキにはなんとなくタケルは信用の出来る人物のように思えてくるのだった。

 「そういえば、タケルさん仕事って言ってたけど、こんなところで何の仕事をするの?」

 ダイキは最初の疑問を思い出した。そもそも自分はそれを確かめに来たのだった。しかし、どう見ても他に仕事仲間はいないようだし、そもそも鞄の一つも持っていないタケルが、こんなところでいわゆる会社仕事をしているわけはないだろう。

 となると、一体なんの仕事だろうか。そういえば、やたら山を登るスピードが速かったような……。

 「もしかして、山登り?」

 「えっ?あっはははは!」

 「ちょ、ちょっと笑わないでよ!自分でもおかしいと思ったんだから」

 「あははは、ごめんごめん、あんまり面白かったもんだから」

 しかし、タケルはよく笑う。普段からほほ笑みを絶やすこともないし、ちょっとしたことでもとても楽しそうに笑うのだ。

 「もう、それなら何なの?」

 ダイキはちょっと口をとがらせてタケルに正解を急かした。

 本当に、何だろう……確かにダイキはまだ小学生、あまり多くの人を見てきたわけではないが、それでも大抵の人を見れば、ああ、この人はこういう人なんだろうな、という位の判別はつくようになった。

 しかしタケルはなんというか……これまで会ってきた人とは全く違うような、それでいて逆によく知っているような気もする。現実離れしているとでもいうか……かと思えば、ふと既視感を持ってしまう……そんな奇妙な感覚を与えてくるのだ。

 「うん……僕の仕事は……」

 そこでなぜかタケルは少し考えるように目を閉じた。そして次の言葉を発するのに少なくない時間をかけると、ダイキの目をまっすぐ見た。

 「そう……自然保護のようなものかな」

 自然保護……、なるほど、タケルのイメージにぴったりの仕事かもしれない。

 「それじゃあ、タケルさんはゴミ拾いしに来たの?だったら僕手伝うよ」

 せっかくこんなところまで来たんだ、ちょっとくらいタケルさんの役に立ってから帰ろう、ダイキはそう思ったのだが当のタケルは両手を胸の前で振って否定した。

 「ああ、いや、違うんだよ。なんていうか……ゴミ拾いとかじゃなくて……自然だけじゃなくて、人や街の平和を守る仕事……かな」

 人や街を守る……。その言葉を聞いた途端、ダイキの中でタケルに感じていた奇妙な感覚の正体が分かった気がした。

 「平和を守る……それって、もしかして……ヒーローってこと!?」

 「えっ!あ、い、いや……そうじゃないよ……あ、あはは」

 タケルは急にしどろもどろになったが、ダイキのその言葉は笑って流された。

 「えっ……そうじゃないんだ……」

 もしかしてというダイキの期待はあっさりとタケルの口から否定されてしまった。

 「…………」

 「ダイキくん?」

 急に黙ってしまったダイキにタケルが心配そうに声をかける。

 ダイキはうつむいてしまっていた。はぁ、まただ。タケルさんは今日初めて会ったばかりの人なのにいきなり変なことを聞いてしまった。

 ダイキはヒーローが好きだ。小さい頃からテレビの中の彼らに憧れてきた。それはダイキの友達たちもそうだったし、当然のことだと思っていた。

 しかし、最近になってきてダイキの友人たちはヒーロー番組を見なくなった。そればかりか、まだヒーロー番組を見ているダイキのことを子供だとバカにするようになっていた。

 ダイキももう、彼らが本当にこの世にいるなんて思ってはいない。そんなことは分かっている。分かっているけど……だからって、バカにすることなんて無いじゃないか。

 ダイキにとってヒーローに憧れるということは、歴史上の偉人に憧れることとそう変わらないことだった。でも、他の人達は……大人たちはそうは思っていない。この世に存在しない、たったそれだけのことで彼らに憧れることを許してくれない。

 何故?そう尋ねたとしても、それが分からないからお前は子供なのだと、はっきりとした理由を言ってもらえたことは一度も無い。

 そんなこと言って、本当は誰も説明できないだけなんじゃないか。それとも……そんなことを思ってしまうから自分は子供なのだろうか。

 いつしか、大好きだったヒーロー番組を見ることも少なくなった。友達はもうスポーツ選手やゲームの話ばかりでヒーローの話をしているものは誰もいない。

 なんとなくこうやってヒーローを忘れていってしまうのが嫌で、ダイキは最近はどうしても彼らに会いたくなった時は、妹に隠れてこっそりとテレビをつけるようになった。

 しかし決して悪いことなどしていないのに、どうしてこそこそとしなければならないのだろう。自分でもおかしいいとは思うが、しかし開き直って堂々と見る勇気も持ち合わせてはいない。

 ダイキにはなんだか、周りの世界すべてが自分からヒーローを奪おうとしているような気がしていた。

 だから、タケルが人や街を守るといった時、思わず普段押さえているダイキの中のヒーーロー好きの心が思わず暴走してしまった。自分は知っているはずなのに……この世に本当にヒーローがいる訳ではないと知っているのに、その言葉を抑えることはできなかった。

 いつだったか、友達の前で思わずヒーローの話題を出してしまった時はしばらくそのことでからかわれ続けた。きっとタケルさんも自分のことを変な奴だと思ったに違いない。

「ダイキくん」

 気が付くと、目の前にタケルの顔があった。

「うわっ!びっくりした」

 タケルは心配そうな顔をしている。どうやら結構長い間うつむいてしまっていたらしい。

「えっと……ご、ごめんなさい、いきなり変なこと言って……」

 違う……本当は謝ることなんかないのに、ヒーローが好きなことは悪いことではないのに。つい謝ってしまった自分にダイキは嫌悪感さえ覚えてしまう。

「……ふふ、ダイキくんはヒーローが好きなのかい?」

「えっ?」

「僕もね、大好きなんだ、ヒーローが」

 意外な言葉が聞こえてきた。また自分のヒーロー好きが暴走したせいで聞き間違えてしまったのかと疑ってしまったが、そうではないようだ。

 タケルは微笑みを浮かべながらまっすぐダイキを見つめている。嘘を言っているようにも見えない。

 ダイキは大人なんて皆ヒーローなんて信じていないのだと思っていた。だからタケルのような大人がヒーローのことが好きだなんて……まだ信じられなかった。

「本当なの?」

「うん、本当だよ」

「どうして?大人はヒーローが好きじゃないんじゃ……」

「そんなことはないさ、ヒーローが好きな大人だっていっぱいいるよ」

「でも、ヒーロー番組を見ている奴はいつまでも子供のままだって……」

「……それは君のお父さんが言ったのかい?」

「ううん、友達のケンジってやつが」

 ケンジはダイキの幼稚園時代からの友達だ。昔から一緒にヒーロー番組を見たりもしていたのだが、最近急に俺はヒーロー番組を卒業したと言いだして自分は大人なんだぞとアピールし始めた。どうやら彼の兄にバカにされたらしく、兄を見返すためにそんなことを言い出したらしい。

 ダイキは一緒にヒーロー番組を見る仲間が減って残念だなぐらいにしか思わなかったが、ダイキの周囲の友達はその言葉に影響されて次々とヒーロー番組を見るのを止めていった。そればかりか、彼らは次第にまだヒーロー番組を見続けている者達をバカにするようになっていった。そのような空気が流れ始めると、もう表立ってヒーローが好きだなどとは言えない。そうやって、ダイキの周りからはヒーローの話題は全くなくなってしまったのだった。

「僕は絶対そんなことないって思う。だって、そうだったらヒーロー番組を作っている人なんていないはずだよ」

「へぇ、ダイキくんはちゃんとヒーローを作っている人たちのことも知っているんだね」

 タケルはちょっと感心したようにダイキを見た。

「僕だって本当にヒーローがいるなんて思ってないよ……でも、だからって好きになっちゃいけないなんてヘンだよ」

「うん、そうだね。ヒーローを好きになることは悪いことじゃないよ。……ダイキくんは小さい頃はヒーローが本当にいるって信じていたかい?」

「え?えっと……うん、信じてた」

 言葉に出してみるとちょっと恥ずかしい。でも、タケルの前ではなんでも正直に話せる。

「どうだった?ヒーローって。かっこいいと思った?」

「うん…思った。ううん今も思ってる」

「そうかい……ふふ」

「あ、笑わないでよ!」

「ああ、ごめんごめん、ちょっと嬉しくって」

 タケルはバカにしたわけではなく、本当にうれしそうに笑っている。タケルはぽつりと、噛みしめるようにつぶやいた。

「そっか……ヒーローが好きか……」

 その後もしばらくダイキとタケルはヒーローのことを話した。ダイキは今まで思うように話せなかったヒーローの話を好きなだけ出来ると思うと、いくらでも話すことが出てくる。ダイキの話す様々なヒーローの話を、タケルは優しく微笑みながらずっと聞いていた。

 気が付くと、太陽が傾いてきていた。話に夢中で気が付かなかったが、結構な時間話し込んでいたらしい。陽はまだ長いが、しかしこのまま話し込んでいてはいずれ夕日が見えてきてしまうだろう。

「わぁ、もうこんな時間か」

「ホントだ、あっという間だったね」

「まだ暗くなってないからいいけど、山道は危ないからそろそろ降りた方がいいんじゃないかな」

 山道……それを聞いてダイキはげんなりした、あんなに登りが大変だったのに、また降りなければならないのか。ついでに途中で見た奇妙な生物のことも思い出してしまった。気持ちは乗らないが放っておけばどんどん暗くなってしまうだろう。そろそろ下山すべき時間のようだ。

「うん、そうだね……変な動物もいたし」

「……変な動物?」

 ダイキの言葉を聞いてタケルは急に顔色を変えた。先ほどまでの笑顔はどこへ行ってしまったのか、緊迫した表情でダイキに聞き返す。

「うん、さっき山を登ってる途中でどんぐりぶつけられて……」

「そいつはいったいどんな奴だったんだい?」

 ダイキの言葉を遮ってタケルが尋ねる。口調こそ穏やかだが、声は緊張している。

「え。ええっと……ムササビみたいだったけどなんか大きかったような……」

「ムササビ……もしかして、角が生えてたりしなかったかい」

「え……うん。でも見間違いかも」

 ダイキは自信なさげに答えたが、しかしタケルは緊張を解く様子は無い。

「タケルさん……どうしたの?」

「……ああ、いや、なんでもな――」

 ピーッ、ピーッ、ピーッ。

 突如、辺りに硬質な警告音が鳴り響いた。

「えっ?な、なに?」

 ダイキは音の出所を探して辺りをきょろきょろと見回したが、こんな山の中にそんな音のする機械など置いてあるはずもない。となると……、ダイキはタケルを振り返った。

「……タケルさん?」

 タケルはどこから取り出したのか、トランシーバーとも携帯電話とも、あるいはスマートフォンのようにも見えるが、そのどれともいえない、見たこともない機械を持っていた。警告音はその機械から発せられているようだ。タケルは今まで見せたことも無いような焦った表情をしている。

「そんな……予測よりもずっと早いなんて……!」

「タケルさん、どうしたの?」

「……ダイキくん、キミは早く山を降りるんだ」

「ど、どうしたの、タケルさん」

 タケルは有無を言わさぬ様子でダイキの腕をつかむと山を降りようと広場を後にしようとした。

「わっ!ちょ、ちょっとタケルさん!」

 ダイキはいきなり腕を引っ張られたことに多少抗議したが、タケルは一切聞き入れる様子は無く無理やりダイキを連れて何かから逃げるように走って行く。ダイキはこけないように足を動かすのが精いっぱいで前を向く余裕も無い。必死に足を動かしていると、突然立ち止まったタケルに頭からぶつかってしまった。

「うわっ!もう、タケルさん、さっきからどうしたんだよぉ……」

 ぶつかった頭を押さえながらダイキが目線を上げると、タケルは何かを緊張した視線でじっと見つめている。その視線の先に目を向けていくと、そこにはダイキが森の中で遭遇した奇妙な生物がいた。

 暗い森の中では気が付かなかったが、ムササビのように思えたその生物はしかしダイキの知るそれとは大きく違う。体毛は頭から尻尾まで、背骨のラインに沿って銀色の毛が一直線に生えているのみで、そこ以外の部分は爬虫類のように細やかな灰色と茶色が交じり合った鱗に覆われている。その体長はやはり大きな猫ほど……いや、それよりかもっと大きい、四五十センチはあるかもしれない。それだけでも奇妙なのだが、なにより額からまっすぐに生えた赤い角がこの生物をより奇妙に見せている。

「あ、タケルさん、森の中で見たのはこいつだよ!」

 自分が森の中で見たものは夢ではなかった。そう分かったのは良かったが、しかしダイキの短い人生の中でもこのような奇妙な生物は一度も見たことが無い。ムササビのようだ、などとは言っても、両者の共通点など前足と後ろ足の間に皮膜があるというその一点だけ、根本的にこいつはムササビとは違う。

 ――そう、こいつは違う、きっとこの世界の生き物じゃない。何故かダイキの本能がそう警告している。

「こいつは……フライガン!」

「フライガン?」 

 タケルがその生物を見てそう叫んだ。――フライガン、それがこの生き物の名前なのだろうか。

「ダイキくん……僕の後ろに隠れているんだ」

 じりじりと、ダイキとフライガンの間に立ちはだかる様にタケルは移動し始めた。タケルのその動きに反応してか、フライグラーは前足を突っ張り背中の毛を大きく逆立て威嚇し始めた。

「タケルさん……こいつ、何なの?」

「……かなり凶暴な生物だ、さっきダイキくんがこいつと会ってたのなら……無事に山を登ってこられたのは運が良かったとしか言いようがない。腹が膨れていたからか……それとも……っ!」

 その瞬間、黒い影がタケル目がけて突っ込んできた。あまりに突然のことでダイキには、フライガンが飛びかかってきたのだとすぐには気付けなかった。

「くっ……どうやら、今は機嫌が悪いみたいだ」

 タケルは後ろにいるダイキをかばうためにその攻撃を真正面から喰らってしまった。フライガンは突っ込んだ反動で反転すると離れたところにくるくると回転しながら着地した。

「タケルさん、大丈夫?」

 直撃を喰らったはずのタケルだったが、しかし特に目立った傷は無い。

 キシャアアアアア!

 気味の悪い叫び声をあげて再びフライガンが突っ込んでくる。ただ単に突っ込むだけでは大したダメージを与えられないと判断したのか、今度は左右に大きく飛び回ってこちらを撹乱しようとしている。もはやダイキには、灰色の残像がかろうじてたまに確認できるだけで、フライガンを目で追うことはできない。

「うわっ!」

 突然ダイキの着ていた服が切り裂かれた。

「ダイキくん!」

 切り裂かれたところから血が滲んでいる。幸い深い傷ではないようだが、未知の存在に襲われているという非日常の現実をダイキに認識させるには、それは十分な痛みだった。

「う、うわあぁ!」

 ダイキは自分の肌から滲んできた血を見て、一瞬我を忘れるほどに動揺した。

 怖い、怖い!初めて感じる自分に向けられている明確な敵意。

 こんなこと、……テレビの中ではいつものことだ。どんな子供だって同じように襲われている……でも、こんなにも怖いことだったなんて。

「ダイキくん落ち着いて、傷は浅い」

 タケルがダイキ傷の様子を見るため振り返った。

「は、離して!逃げる……逃げなきゃ!」

「ダイキくん!」

 取り乱し暴れるダイキをこのまま離してしまえば、真っ先にフライガンの餌食になってしまう。タケルは地面に倒れこんだダイキに覆いかぶさるようにしてかばいながら、必死にダイキが平静を取り戻せるように声をかけ続ける。

 しかし、そんな大きな隙を見せれば、当然そこに向かってフライガンが襲い掛かってくる。

 キシャアアッ!

「くっ!」

 背中を爪で切り裂かれたタケルは小さくうめき声をあげた。

「タケルさん……」

「大丈夫かい?」

 背中の痛みが気にならないはずはない。それなのにタケルは、自分の傷よりもダイキの無事を確認することを優先した。ダイキはその様子を見て、ようやく落ち着いた。

「た、タケルさん。背中が……」

「大丈夫、大したことは無いよ、立てるかい?」

「うん」

 ダイキはタケルにかばわれながら、おずおずと立ち上がる。フライグラーはタケルに有効なダメージを与えたことで、無闇に飛び回るのは止め、確実に次の攻撃を決めることの出来るタイミングをうかがい始めた。

 タケルはダイキが立ち上がるのを待ってフライガンに向き直った。

 ダイキは思わず息をのむ。フライガンと対峙したタケルの背中には、いくつもの無残な爪痕が刻まれている。この傷に比べれば、ダイキの負った傷などただの擦り傷に過ぎない。ダイキは、たとえ訳の分からない生物に襲われているという異常事態だとはいえ、あんなにみっともなく取り乱してしまった自分を恥ずかしく思った。

「……こい、フライガン。これ以上人を傷つけさせたりはしない」

 タケルのその言葉を理解できる訳もないのだが、しかしフライガンもいつまでもだらだらとこの戦いを続ける気はない。

 睨みあった両者の間に風が吹き抜ける。

 キシャアアアアアッ!

 鋭い叫び声をあげて、先に動いたのはフライガンだった。今まで動かずにいたのは、そのすべての力を脚へと集め、そのバネの力でより俊敏に跳びかからんとしていたからだった。ダイキには、突然フライガンが消えてしまったようにしか見えない。


 鋭く突き立てられた爪がタケルに迫る。そして――


「はぁっ!」


 タケルはフライガンの突撃を見切り、その顔面に回し蹴りを入れた。素早く描かれたその軌跡は、ダイキにも美しい物であるということは容易く理解できた。

 ギャンッ!

 まともにその一撃を喰らったフライガンは大きな放物線を描いて吹き飛んだ後、地面に叩き付けられた。よほどその蹴りが強烈だったのか、フライガンは態勢を治すそぶりも見せない。

「や、やっつけたの?」

 ダイキがタケルの後ろから出てきて仰向けに倒れこむフライガンを見る。

 「ダメだ!まだ近寄ってはいけない」

 タケルが厳しい口調でダイキを諌める。

 その言葉に反応したように、フライガンがよろよろと起き上がる。その目は、今までの遊び半分の敵意ではなく、明確な憎しみが浮かんでいる。

 「あいつ……まだやる気なんだ」

 グルルル……

 低くうなりながらフライガンは銀の毛をさらに逆立てさせ、さらに後ろ脚で立ち上がった。一体何をしようというのか、腕を大きく前後に、まるで鳥のように羽ばたかせ始める。

 「何?あいつ何してるの?」

 あるいは小動物の行う必死の威嚇にも見えるその奇妙な行為に、ダイキは初めてフライガンを見た時と同じような言いようのない感覚を感じていた。

 「時空の壁が揺らいでいる!外時空の風を……一緒に羽ばたいているのか?」

 タケルはフライガンのその行動を見てよく分からないことを呟くと、焦燥感に耐え切れないように飛び出した。

 「あ、タケルさん!」

 タケルがフライガン向かって駆けだす。しかし、突如そのタケルを阻むかのように強風が吹いてきた。

 「う、うわっ」

 「こ、これは!」

 あまりの風の勢いに、ダイキは立っていることができず倒れてしまい、タケルも持ちこたえてはいるものの、そこから一歩も踏み出すことができない。

 「なんなのこの風!」

 風は真正面から吹いてきている。――真正面?

 そこには――そう、フライガンがいる。だがそんなバカな、たとえあいつがいくらよく分からない生物だからといって、奴の大きさは精々五十センチ前後、大の大人一人が歩けなくなるほどの強風を起こすなど常識では考えられない。

 そう、常識では。

 しかし、どんどん風の勢いは強くなってくる。そして、それはフライガンが羽ばたく速さと比例しているように見える。

 「くそっ……近づけないっ!」

 何とか踏みとどまっていたタケルも、みるみる強くなる風に徐々に押し返されてきている。

 キシャアアアアアアアアアアアアア!

 フライガンが雄叫びを上げる。タケルに向けて怒りと憎しみをぶつけるように。ダイキはその怒声を聞いて、背筋が凍りつくようなおぞましさを感じた。

 雄叫びはいつ果てるとも知らず続く。そしてその雄叫びと共にフライガンの筋肉が怒張し始め……いや、まるでこの短時間に急激に成長しているかのようにその体長は二倍に……三倍に……その成長は全く止まる気配はない

 「なんてことだ……、時空のエネルギーを吸収している……!」

 タケルがフライガンを見上げそう呟く。

 「これって……」

 もうフライガンは周りの木々よりもはるかに大きい。

 これは、これはまるで――




「ふぅ、これで今夜のおかずはオッケーっと」

 アカリは買い物を終えスーパーから出てきた。時刻は午後五時過ぎ、特売には何とか間に合い、今日もお買い得な買い物を済ますことができた。

「あらぁ、アカリちゃん」

 「あら、おばさん」

 アカリに声をかけてきたのはスーパーでよく出会うおばあさんだった。いつもは一人で来ているが今日はおじいさんも一緒だった。

 「今日も買い物?えらいわねぇ」

 「いえいえ」

 おしゃべり好きなこのおばあさんに捕まってしまえば三十分は長話に付き合わされてしまう。まぁ、今日は生ものや冷凍品は買ってないし父親は七時を過ぎなければ帰ってはこないので別に付き合ってあげてもよいのだが、今日はおじいさんもいるし早めに切り上げた方がいいだろう。

 そう思って話の切れ目を探しているのだが、おばあさんのしゃべりはとどまることを知らない。

 「それでねぇ、この間の――」

 すでに十分は一方的にしゃべっている。あいづちすらも挟ませてくれないその口撃に、おじいさんはすっかり手持ち無沙汰になってしまっていた。

 おじいさんは何とはなしに小さい頃よく登って遊んでいた山を見上げた。あの頃は野山を駆け回っては時代劇の同心になりきったりしたものだ。今でも山を見上げれば、あの頃の記憶が鮮やかに蘇るのだった。

 ああ、あの山にあった大きな杉の木はまだ生えているのだろうか。大杉に登れば、この街全体を見渡すことができた。おそらくは、あそこがこの街で一番高い所だったはず……

 「ああ?」

 「それで――どうしたのおじいさん、変な声出して」

 「いや、ばあさんや、ありゃなんじゃ」

 「え?」

 山を見上げていたおじいさんが突然妙な声を上げて山の方を指さした。しゃべり続けていたおばあさんも、おじいさんが指さす方を見る。アカリもつられてその方向を見上げた。

 「……なに、あれ……」

 山の頂上、そこにそれはいた。

 そこにいる?何故そんなことが分かる?ここからあの山の頂上まで一体どれだけの距離があるというのか。

 あんなにも離れた所にいるそれを、しかし、アカリははっきりと確認することができた。

 それの名前など分からないが、しかしそいつがどういうものなのかはおそらく皆知っているだろう。――しかし、それは空想上の存在のはず、現実には存在しないはず。

 しかし、アカリの目にははっきりとそいつが映っている。

「夢……なの……」

 思わず頬をつねるが、そんなことをしなくたって夢じゃないことくらい知っている。だが、目の前の現実を受け入れることができそうもない。

 だって、そいつがもしも自分たちのよく知っている奴なら、きっとこの後――

「ひ、ひい!ば、化け物じゃぁ!」

 おじいさんが恐怖にかられて叫ぶ。だが、その叫びは間違っている。

 なぜならそいつは化け物ではなくて――

「……怪獣」

 アカリがそう呟いた時、山の上のそいつはおぞましい雄叫びをあげた。



「そ、そんな……」

「間に合わなかったか……っ!」

 一際強い風が吹き、タケルとダイキを吹き飛ばした。その衝撃から立ち直った二人が目にしたものは、首を真上に向けても頂点が見えないほどに巨大化したフライガンだった。

「か、怪獣……!」

 そう、まさに巨大化したフライガンはそう言い表すべき存在だった。

 急激に成長したためか、巨大化したフライガンはそれまでとは全く違う姿をしている。後ろ脚が大きく発達しており、それによって二足歩行が可能になっている。それとは対照的に、肩こそ球状になるほど盛り上がっているが、そこから先の腕は異常なまでに細くまるで棒切れのようだ。

 腕の間の皮膜はより強靭になっているようで、おそらくこの巨体でも滑空することができるのだろう。空中でのバランスをとるためか、尾も長くなっている。背中を覆う銀の毛もよりボリュームを増し、その気性の激しさを現すかのように逆立っている。

 そして額の角は、彼の敵を貫かんと、血のような紅に染まっていた。

 キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 滑空怪獣フライガンは身の毛もよだつ産声を上げ、この街に誕生した。

「ダイキくん!危ない!」

 タケルがダイキを抱えて飛び去る。ダイキは、今まで自分たちが立っていた所にフライガンの巨大な足が下りてくるのを見た。

「こ、こいつ!怪獣だよ!タケルさん!」

「……ああ、滑空怪獣フライガン……産まれてしまった」

 フライガンは巨大になってしまったためかタケル達を見失ってしまったらしい。しかし、その怒りは決して失われてはいない。

 怪獣の怒りは、眼下に広がる街へと向けられた。

「あ、あいつ、街に降りるつもりだ!」

 それを察したダイキは慌ててフライガンを止めようと駆け寄ろうとする。

「無茶だ!ダイキくん!落ち着くんだ!」

 今のフライガンに向かっていけば、何もできずに踏みつぶされてしまうだけだ。タケルはダイキを羽交い絞めにして止める。ダイキもそんなことは分かっている。しかし、あいつが街に降りてしまえばきっと街はめちゃくちゃにされてしまう。友達が、アカリさんが、母さんや父さんやカオリがいる街が、めちゃくちゃにされてしまうのだ。

 「離してよタケルさん!あいつを止めないと!」

 しかし、そんなダイキの叫びも虚しく、フライガンは麓に降り立ってしまった。



 街の人々は、はじめフライガンが現れた時、皆あっけにとられて反応することができなかった。

 これは夢?それともテレビの撮影なのだろうか。各々が目の前の現実を否定しようと必死になるも、フライガンの雄叫びの前にその行為はかき消されてしまう。

 そしてついに、フライガンが木々をなぎ倒して麓へと降りてきた時、街の人々は一気に恐慌状態へと陥った。

 「いやぁ!あの化け物こっちへ来るわ!」

 アカリと話していたおばあさんは腰を抜かしてしまい、必死に這って逃げようとする。

 「あ……お、おばあさん!しっかりして!」

 あまりのことに我を忘れていたアカリだったが、おばあさんを助け起こし何とか逃げ道を探そうと辺りを見渡した。

 こんな時に焦ってしまってはいけない、努めて冷静になろうとするアカリだったが、徐々に近づいてくる地響きは、決してそうすることを許してくれない。

 何とか立ち上がったおばあさんはアカリのことなどまるで無視して走り去って行ってしまった。おじいさんも慌ててそれについていく。

 アカリも何とか走ろうとするが、まるで地震が絶え間なく起きているかのように急に地響きが強くなり、足をとられて全く動けない。

 「に、逃げなきゃ……」

 転びそうになるのを必死にこらえながら、一歩一歩必死に進んでいく。そうしている間も地響きはみるみる近づいてくる。

 巨大である。そのことがこんなにも恐ろしいことだということを、アカリはこれまで知らなかった。

 この街には精々三階建てのデパートだとか四階建てのビルだとか、大きい建物といえばそのくらいのものしかない。たまに都会に出て高層マンションなどを見上げると、てっぺんが見えずに立ちくらみを覚えたこともあった。

 あいつはそこまで大きくは無いか……それでも体高は五十メートルはくだらないだろう。それに高層マンションは生きてはいないが、しかしフライガンは生きている。それにその気性は凶暴である。

 恐ろしい、ただただ恐ろしい。平和な時代に暮らす私たちの、果たして何人が生きているうちに猛獣に追われるという体験をするだろう。しかも、そいつはこの世の常識では決して測れない未知の存在なのだ。

 無人となった交差点に差し掛かった時、アカリはいつの間にか地響きが収まっていることに気が付いた。何故だろう、あいつはもうどこかへと去って行ったのだろうか。

 アカリはフライガンが山を下り出した辺りから、怪獣を直視するのを避けていた。あいつを見てしまうと、恐ろしさで足がすくんできっと逃げられなくなってしまうと思ったから。

 日暮れにはまだ早いというのに、辺りが暗い。

「ど、どうして……」

 ――どうして?

 そんなことは分かりきってるじゃないか。振り向くまでも無い。

 でも、アカリは振り向いてしまう。そんなことをしてしまえばきっと動けなくなるだろう。しかし、生物としての本能が自らに迫った脅威を探るために、アカリを無理やり振り向かせた。

 「…………っ!」

 そこに、フライガンがいた。何を思いながら見つめているのだろうか、その目はアカリと同じ高さにあった。つまり、フライガンの顔が、アカリの目の前にある。

 ひどくシュールな光景だった。人気のない交差点の中心で、一人の少女と怪獣が見つめ合っている。

 フライガンの息がアカリの顔に当たる。怪獣はまるで何かを確かめるかのようにアカリをじっと見つめている。

 アカリは、地面に縫いつけられてしまったかのように動けないでいた。

 時間がまるで止まってしまったのかと思う位、長い間フライガンはアカリを見つめていた。

 「こっち!こっちよ!」

 一体どれほどの長い時間そうしていただろうか、いや、実際はほんの数秒の出来事に過ぎないのだろうが、アカリには永遠とも思えるよう時間が過ぎたとき、交差点の反対側からさっき逃げて行ったおばあさんが巡査さんを連れて戻ってきた。

 「うひゃぁ!ホントに怪獣だ!」

 フライガンを目にした巡査さんは情けない悲鳴を上げたもののすぐに自分の使命を思い出してアカリの腕をつかんでフライガンから引き離した。

 「ほら!逃げて!」

 「は、はい!」

 フライガンは、目の前で起きている事態に興味を示していないのか、ただひたすらじっとアカリを見つめている。

 「こ、こら!怪獣め!や、やる気か!」

 巡査さんは拳銃を構えてフライガンを威嚇する。その時になってようやく気が付いたとでもいうように、フライガンは面倒くさそうに巡査さんを見た。

 「ひっ!」

 「ちょっと、何やってるのよ!さっさと退治しなさいよ!」

 フライガンの静かな迫力にすっかりあてられてしまっている巡査さんをおばあさんがけしかける。

 「よ、ようし!」

 巡査さんは意を決してフライガンに向かって発砲した。

 パン!

 乾いた銃声が響く。果たしてフライガンは、全く堪えた様子も無く二三回瞬きをした。

 「こ、この!」

 巡査さんはさらに銃弾を次々と打ち込む。しかしフライガンが微動だにしないため、銃弾が当たっているのか外れているのかすらも分からない。

 ついに巡査さんはすべての銃弾を撃ち込んでしまうとへなへなと銃を下した。

 「ど、どうだ!参ったか!」

 精一杯の虚勢を張って巡査さんが叫ぶ。

 すると、今までピクリとも動かなかったフライガンがゆっくりと立ち上がり――


 腕を振り上げると、


 アカリがさっきまで買い物をしていたスーパーを叩き潰した。


 キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 「う、うわぁぁぁぁぁ!」

 巡査さんが悲鳴を上げて走り出す。

 もう足が動かないなんて言っていられない。今走り出さなければ、必ずこの怪獣に殺されてしまう。

 アカリは恐怖心に押しつぶされそうになりながらも、生きるために走り出した。



 「ああっ!街が!」

 ダイキたちのいる山の上からは、フライガンの行動がよく見えた。ついに破壊活動を始めたフライガンは、目に付いた建物すべて片っ端から次々と破壊してゆく。

 自分の大好きな街が自分の目の前で壊されていくのに、ダイキには何もできない。それはダイキにとって何よりも苦痛に感じられた。

 「ダイキくん……」

 タケルは、ダイキがいつの間にか涙を流していたことに気がついた。

 「どうしたんだい、ダイキくん」

 タケルが声をかけると、ダイキはタケルにしがみついてきた。

「どうして……」

「…………」

 ダイキの声はあまりにも悲痛で、タケルは彼にかける言葉を見つけられない。

「どうして!」

 ダイキはタケルの服を掴んで叫ぶ。

「なんで!なんで怪獣はいても……ヒーローはいないんだよ!」

 ヒーローはこの世にはいない。どんなに辛いことがあっても彼らは助けに来てくれないということをダイキは知っていた。

 けれどこの世には怪獣も怪人もいなかった。この世には悲しいことも辛いこともたくさんあるけれど、それらは全部人間が起こすものなのだ。

 悲しいことも辛いことも、自分たちの力で乗り切らなくてはならない。だからヒーローはこの世にはいないのだ、と、ダイキはいつだったか自分の父に諭された覚えがある。ダイキはその言葉を信じて、どんなに辛いことでも必ず自分の力で乗り越えようとしてきた。

 しかし、いくらなんでもあんな巨大な怪獣にどう立ち向かえば、ダイキはこの街を自分の手で守れるというのか。

「ひどいよ……」

 ダイキは力なくつぶやくと地面に膝から座り込んだ。

 タケルは唇をかみしめたまま一言も発しないため、森の広場には遠くから聞こえてくるフライガンが暴れまわる轟音と、ダイキのすすり泣く声だけが響いている。

「ダイキくん……」

 やがて、タケルは何かを決意したかのように、重い口を開いた。

「君はここから動かないと、約束してくれるかい?」

「タケルさん?」

 ダイキは今までで一番真剣な調子のタケルの声に、俯いていた顔をあげた。

「できるかい?」

「タケルさん、それって……」

 まさか、タケルはあいつと……フライガンと戦おうというのだろうか。

「だめだよ!タケルさん、やられちゃうよ!」

 「心配してくれるんだね」

 ダイキの言葉にタケルは本当に嬉しそうに微笑んだ。

 「大丈夫、僕は大丈夫だ」

 そういうとタケルはフライガンの暴れまわる街の方へと向き直った。

「僕はね、嬉しかったんだ。この街にもヒーローを待っている人がいたんだって分かって」

 タケルはそう呟きながら先ほど警告音を発していた携帯デバイスを右腕にかざす。するとデバイスからベルトが伸び、腕に巻きついた。デバイスも変形しまるでブレスレットのようになった。

 「見ていて欲しいんだ、ダイキくんに」

 タケルは懐からペンライトのようなものを取り出す。

 「タケルさん……!」

 知っている。ダイキはこの後姿を知っている。ダイキはタケルの後姿を見て、確信した。自分がタケルに初めて会った時に抱いた感覚はやはり……

 タケルは天高くライトをかざすと高らかに叫んだ。


「チェンジ・ライブフォーム!」


 タケルは掲げたライトをブレスレットに重ね合わせる。するとそこからやわらかい朝陽のような光が溢れ始めた。

 光はとどまることなく溢れ、そのすべてがタケルを包み込んでゆく。光の塊となったタケルは空へと浮かび上がり、そしてみるみる巨大な光の人の形になって行く。光はその輝きの最高潮を迎えるとともに弾け飛ぶ!

 そしてその中から現れたのは白銀に輝く巨人だった。



「な、なに?」

「こ、今度はなんじゃい!」

 その光景をアカリ達も見ていた。突如現れた光の塊に驚愕した街の人々だったが、そこから現れた巨人の姿を見た瞬間、何故か皆一様に不思議な安堵感を感じた。

 フライガンと同じくらい巨大な体躯、大きく盛り上がる筋肉、白銀の体に走る炎のような赤いラインと、深い緑を湛えた胸の宝玉。顔面は彫刻のようにその顔のラインがうっすらと分かる程度で、はっきりとした目や口がある訳ではないが、不思議と柔和な印象を与えてくる。太陽のような金色の髪と共に、体を走る赤と同じ色をしたマントが風にたなびいていた。

「赤いマントの……巨人……」

 アカリは、目の前に新たに現れた超常の存在に、しかしフライガンとは真逆の印象を受けた。

 初めて見る存在であるが、最初にフライガンを見たときにはっきりと脅威を感じ取ったときのように、アカリは不思議な感覚を覚えていた。あの巨人はきっと、私たちの味方だ……そんな感覚を。

 新たに現れた巨人に気付いたフライガンは、その瞬間すでに巨人に跳びかかっていた。巨人はフライガンの体当たりを受け止めると、その勢いを利用してフライガンを投げ飛ばした。

 地面に叩き付けられたフライガンに巨人が追撃を加えようと飛びかかるが、叩き付けられた勢いそのままに起き上がったフライガンは尻尾を大きく振るい逆に巨人を弾き飛ばした。

「ああっ!危ない!」

 巨人が飛ばされた方向にはダイキたちの通う小学校があった。突然の怪獣の襲来に、多くの人々がここへ避難している。もし巨人がここに突っ込んでしまえばどれだけの人が犠牲になるだろう。

 ハァッ!

 巨人は吹き飛ばされながらも気合の叫びを上げ態勢を整え直すと、学校への直撃を何とか避け立ち上がった。

「よ、良かった……」

 アカリは学校が無事だったことにほっと胸を撫で下ろしたが、巨人と怪獣の戦いが街の中で続く限り、いつ人々が巻き込まれてしまうか分からない。この戦いが長引けば長引くほどに、その可能性は大きくなってゆくが、焦ってしまえば自らの攻撃で街を破壊しかねない。巨人はそんな極限状態の中戦っているのだ。

 再び巨人目がけてフライガンが突進してくる。ひとまずは多くの人々がいる学校から怪獣の注意をそらすべく、巨人はフライガンの攻撃を引き付けつつ後退する。連続して繰り出される強烈な鉤爪の攻撃を紙一重でかわしつつ、すでに怪獣が暴れたせいで更地のようになってしまった場所までおびき寄せた。

 すっかり頭に血が登ってしまっているフライガンはなおも爪で引き裂いてやろうと無茶苦茶に腕を振るが、巨人には律儀に爪攻撃に付き合う理由はもはやない。繰り出されたフライガンの腕を掴むと巨人は見事な背負い投げを繰り出した。

 ギャアアアア!

 フライガンがふらふらと力なく立ち上がる。最初の一撃は難なく耐えたフライガンであったが、こうも短い間に二度も地面に激しく叩き付けられて、さすがにダメージを隠しきれないようだった。

 しかし巨人は先ほどのような反撃を警戒してか、慌てて追撃を加えようとはせず間合いをはかりながらゆっくりと構えを整え直した。



「すごい……タケルさんなんだよね、あれが……」

 ダイキのいるこの街が見渡せる山の広場からは、地上からでは大きすぎてはっきりとは分からないフライガンと巨人の戦いの様子がはっきりと見ることができる。ダイキの目には、巨人の方が圧倒的にフライガンよりも強いように見えた。実際タケルは先ほどまでダイキをかばいながら小さいフライガンと互角に渡り合っていたのだから、当然と言えば当然である。だからダイキは、一切巨人の心配をすることを忘れて、ただただヒーローの戦いに夢中になっていた。

 自分の目の前で今、自分のよく知っている街で、怪獣と巨大なヒーローが戦いを繰り広げている。テレビの中でしか見たことの無い非日常の光景が、日常の象徴のようなこの街で起きているだなんて、きっとこの光景を実際に見なければとても信じられないだろう。

 建物は破壊され、木々は薙ぎ倒され、街も自然もめちゃくちゃになってしまっているというのに、それでもダイキは、わくわくする気持ちを抑えられない。どんな恐ろしい怪獣だろうと、ヒーローが現れた以上必ず倒される。ダイキはもはや、それを疑うことすらしていなかった。

「あ、あいつ、また羽ばたきだした!」

 ダイキが叫ぶ通り、フライガンは皮膜を広げ先ほどと同じように羽ばたき始めた。成長前の時ですら、大の大人が全く前に進むことができなくなるくらいの強風を起こしたフライガン、それが今のこの巨体で羽ばたけば果たして一体どれほどの暴風が巨人を襲うというのか。

 巨人は風に吹き飛ばされまいと足を踏ん張るが、それでもあまりの風圧に体が押されてしまう。

 キシャアアアアアア!

 フライガンはさらに激しく羽ばたきを加速させ巨人を吹き飛ばそうと叫ぶ。ダイキのいる山の上までも風が届いてきた。

 このままでは巨人が吹き飛ばされてしまう。そうダイキが思った瞬間、巨人のブレスレットが光り輝き始めた。

「な、なんだ!?」

 巨人はブレスレットに手をかざし、光をつかむように手を動かすとそのままフライガンに向けて光の矢を放った。

 ギャアンッ!

 光の矢を顔面にまともに受けたフライガンは思わず羽ばたきを中断してしまう。その隙を逃さず巨人は素早く間合いを詰めようと走る。フライガンは痛みをこらえ迎撃の体制に入る……が、その目の前にいたはずの巨人の姿はどこにもない。まさか、一体どこへ……フライガンが巨人を探し辺りを見回す……。その時、フライガンの顔に影が射した。フライガンがそれがなんなのかを確認するよりも速く、巨人の放った飛び蹴りはフライガンの角を砕いた!

 セイヤァッ!

 キシャアッ!

 フライガンは角を砕かれた痛みと怒りで絶叫した。巨人も反撃に備え一旦距離をとる。しかし、満身創痍のフライガンのとった行動は反撃ではなかった。

 「あ、あいつ、逃げる気なの!?」

 ダイキは思わず叫んだ。フライガンが大きく羽ばたき飛び上がった為である。とてもその巨体を持ち上げるだけの力があるとは思えないのに、驚くほど高く跳び上がったフライガンはそのまま滑空して巨人から離れていく……いや、ダイキのいる山の方へと向かってくる!

 「うわぁ!こっちにくる!」

 ダイキは隠れる場所を探したが、周りの木々はすでにフライガンになぎ倒されている。どうしよう……ダイキがそう思った時、巨人が――空高く舞い上がった。

 「わぁ……すごい……」

 巨人はマントを風になびかせながら自由自在に空を駆け、フライガンに追いつくとその尻尾を掴んだ。

 キシャアアアア!

 空中で捕らえられたフライガンはバランスを崩し落ちてゆく。しかし、巨人が尻尾を掴んだままなのでまるで空中にピンで縫い止められてしまったかのようにだらんとぶら下がってしまった。

 もがくフライガンだったがお構いなしに巨人が力を込めフライガンを振り回し始める。やがてだらんと下がっていたフライガンが水平になってしまう程にスピードが乗った所で、巨人は手を放した。

 元いた地面に激しく打ちつけられるフライガン。やがて巨人もゆっくりと着地する。フライガンもよろよろと立ち上がるがもはや何の力も残ってはいない。

 「……来る」

 ダイキは、両者の間の空気から何かを感じ取った。

 ハァァァ……!

 巨人は全身に、指の先まで神経を集中させると両腕を大きく広げる。ダイキにはその動きと共に何かが巨人のブレスレットへと流れ込んでいるように見えた。そのまま太極拳の演武のようにゆっくりと、しかし力強い動きで両腕を胸の前で交差させる頃には、ブレスレットから先ほど光の矢を出した時よりも強い光が溢れていた。

 巨人は右腕を天高く突き上げた。ブレスレットから七色の輝きが発せられる。

 そして両腕を胸の前でL字に構えるとその瞬間、光のエネルギーの奔流が光線となって右腕から発せられた!!

 セヤアッッ!!

 光線はまっすぐにフライガンへと突き進みぶち当たる。フライガンはそれをよけることもできず真正面からそれを受けることなった。

 ガ、ア、アアア…………

 光線が止むと一瞬時が止まったようにそれまでもがいていたフライガンが硬直し、やがてゆっくりと仰向けに倒れ――


 地面に倒れこむと同時に怪獣は大爆発を起こした。


 「やったぁ!」

 ダイキは巨人の勝利に思わず飛び上がって喜んだ。今まさに、自分の目の前でヒーローが勝利した。テレビの中だけの光景が、本当にこの世にも存在していたのだ。

 ダイキは再びいつの間にか自分が涙を流しているのにも気付かぬほどに喜んでいた。この涙はさっきの悲しみの涙とは違う。自分の夢が叶った、そのことに対する喜びの涙だった。

 しかし、さっきまではあまりにも巨人の勝負に夢中で気付きもしなかったが、徐々に落ち着いてくるにつれて、ダイキは街がめちゃくちゃに破壊されてしまっていたことを思い出した。

 「そ、そっか……僕たちの街は……」

 一体どれだけの人々が帰る家を失ってしまっただろうか。あるいはアカリの家や、ダイキ自身の家も破壊されてしまったかもしれない。

 「これからどうすればいいんだろう……」

 ダイキは、思わずすがるように巨人を……タケルを見た。

 その時、巨人がダイキの方を見て頷いた……ようにダイキには見えた。

 巨人は荒れ果てた街を見渡すと、胸の宝玉に手をかざした。するとそこからまるで若い新芽を思わせるような緑の光が溢れ出した。巨人はその光を優しく掬うように手に取ると、破壊された街へと風に乗せるように広げて行った。

 光はふわふわと瓦礫の間へ降り注いでゆく、地面に光が触れると柔らかい光のドームが現れた。そしてそのドームの中から現れたのは破壊されたはずの建物たちだった。

 「わぁ……すごい」

 次々とフライガンに破壊されたはずの建物が復活してゆく。その光景は地上にいるアカリ達から見ると、余計に幻想的に見えた。

「すごい……みんな元通りに……」

 すべての光が消えると、街はすべて元通りの姿を取り戻していた。

「あ……ありがとう」

 アカリがぼそりと呟いた。

 それを見た巨人は満足そうに頷くと、空を見上げ天高く舞い上がった。そしてそのまま空の彼方へと飛び去って行く。

 やがて巨人が見えなくなる頃には、山の上にいるダイキの耳にも歓声を上げる街の人々の声が聞こえてきたのだった。



 街は多少は混乱しつつも夕日を浴びて静かに佇んでいる。ついさっきまで巨大な怪獣が暴れていたとは思えない程に平和な光景がそこにはあった。

 「タケルさんが、守ってくれたんだ」

 タケルとダイキは、再び山の広場で向かい合っていた。

 「タケルさんは、やっぱりヒーローだったんだね」

 「ああ、そうだよ」

 タケルは優しく微笑む。

 「あの怪獣は……一体なんだったの?」

 「そうだね……まずは僕の仕事のことから話そうか」

 タケルはゆっくりと自分のことを語り始めた。

 「僕は実は、この時空の人間じゃないんだ」

 「えっ?どういうこと?」

 ダイキが目をぱちくりさせる。

 「この世界だけが、世界だけじゃない。いくつもの時空が折り重なって世界は存在しているんだ。そしてそれぞれの時空はお互いに少しずつ影響を与え合っている。そんな微妙なバランスの元でこの世界は成り立っているんだ」

 「他にも、いろんな世界があるんだ……」

 「そう、ダイキくんの住んでいる平和な世界や、何もない世界、さっきみたいな怪獣がうじゃうじゃ住んでいる世界だってある」

 「怪獣が住んでる?」

 「そう、でも普段は別の時空にいる生物が他の時空に迷いこんだりするなんてことはめったに起こらない。それでも、時々時空が何らかの原因によって大きく歪んでしまって、他の時空と時空がつながってしまうことがあるんだ。異常が起こってしまうと、他の時空から怪獣が迷い込んで来たり、異次元の影響を受けて元々いた生物が突然変異を起こしてしまう」

 「もしかして、そのせいであの怪獣は!?」

 「そう、ダイキくんの住んでいる街に今、時空異常が発生している。そのせいで他の時空から怪獣が迷い込んでくる可能性があった。」

 そして実際に怪獣が現れた。この世界――いや、この時空には本来存在しないはずのそれが現れることになった。

 「僕は、そうなった時空――特に、本来は怪獣が存在しないために、その対抗手段を持たない時空を保護するための機関、時空統制局の時空エージェントなんだ」

 「時空、エージェント……」

「そう、僕は時空異常の原因の調査とそれの除去、そしてこの街を守るためにやってきたんだ」

「そうだったんだ」

 つまり、タケルは異次元からこの街にやってきた異次元人ということになるのだろうか。しかし、それにしてはダイキたちと全く見分けがつかない。

 「ははは、うん、この姿はあくまで仮の姿。僕の本当の姿は……あの巨人の姿なんだ」

 「あの巨人が……タケルさんの本当の姿……」

 「変だったかな?」

 「ううん!かっこよかった!」

 「ダイキくん……ありがとう!」

 タケルはその言葉を聞いてよほど嬉しかったのか今までで一番の笑顔を見せた。

 「……そうだ、ダイキくん、頼みがあるんだ」

 「う、うん」

 一転、タケルが急に真面目な顔になったので、ダイキも思わず背筋を伸ばした。

 「僕があの巨人だっていうことは僕たち二人だけの秘密にしておいて欲しいんだ」

 そう、ダイキは知っている。ヒーローは本来人に正体を知られてはならないはずだ。今自分がタケルとこうして話をしているのは何より幸運だったからであり、ともすれば自分がわがままだったからタケルに正体を無理やり明かさせたとも言えるかもしれない。

 だからダイキは、ただ静かに頷いた。

 だが、次にタケルから発せられた言葉には思わず声を上げてしまった。

 「それともう一つ、あの巨人に名前を付けて欲しいんだ」

 「……えぇっ!?」

 今タケルはなんといった?自分にあの巨人に……?

 「ど、どうして?名前が無いなんてことないでしょ?僕がそんな大事な役目なんて……」

 「今この時空であの巨人の正体を知っているのはダイキくんだけ、僕はダイキくんにあの巨人の名前を付けて欲しいんだ」

 タケルはまっすぐダイキを見つめている。決して冗談なんかで言っていないことはすぐに分かった。

 憧れのヒーローの頼みだ、ならばダイキの全身全霊をもって期待に応えなければならない。ダイキは必死に考え始めた。

 あの巨人の名前……ダイキは巨人の姿を思い出す。白銀のボディ、体に走る炎のような赤いライン、金の髪、風になびく赤いマント……マント……?

 「マント……マント――」

 「うん?」

 「マントマン……時空戦士マントマン!」

 それが、ダイキの出した答えだった。

 「時空戦士マントマン……」

 「ど、どうかな……変?」

 気に入ってくれるか心配でならないダイキをよそに、タケルはしばらく何度も口に出している。そしてダイキに向き直ると笑顔で

 「うん、とってもいい名前だ!」

 といった。


 一人の青年と、一人の少年の出会いは、ヒーローの誕生という奇跡を起こした。

 平和だった街は突如非日常の中に取り込まれた。しかし、ダイキは一切悲観しない。だって、この街にはヒーローが生まれたから。


 その名は、マントマン。


 時空戦士マントマンは、こうして誕生した。


 つづく

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