ある老人の死 或いは現代の魔法使いの喪失
小稲荷一照
発端 ある老人の死
ある老人が死んだ。
高名な科学者でもあり、天才と謳われた名医でもあり、先見の明を頼られた投資家でもあり、実践的な研究者でもあり、偏見を恐れぬ史学家でもあり、天文に通じたロマンチストでもあり、現実に立ち向かった賢者でもあり、政策に関わった縦横家でもあり、陰謀に関わった黒幕でもあり、悪徳を愛する退廃的な人物でもある。
だが彼は自分のことを一学徒として以上には認識していなかったし、研究を一に組み込んだ生活が安定してからは、もちろん他人が何を思おうが全く気にしていなかった。
ただ、自分の研究に行き詰まり挫折し絶望し突破し迂回しまた行き詰まり、とやっているうちに自分が何をやりたかったかは、遠の昔に忘れていた。
彼の残した膨大な成果や資料は彼に関わった人々に多くの利益や影響を与えていたけれど、あまりに広範で疑問を抱くには理解の及ばない成果が多く、栄誉よりも理論よりも成果を求める彼の姿勢は、凡俗には理解しがたく説明も困難で、ただそういうものがある、という事実だけを残していた。
実際のところ、面倒を避けて利益だけを得るつもりであれば、説明をおこなわないがモノはできているという老人のスタイルは都合がよいとも考えられるし、老人は説明が必要な案件には彼の弟子を置いていくこともたまのサービスとしておこなっていたから、多忙で扱いの面倒な老人をそばに張り付けて煩わしい思いをするよりはと、妥協をする余地もあった。
そういう一部領域で圧倒的な存在感を放っていた人物だったが、東京が再び大きく装いを変え始めた頃、研究者としての活動の完了を周囲に告げた。
どういう意味だったのかは告げられた者達にはわからなかったし、問うことも諦めていたから、事実上の引退宣言という程度に受け入れていた。
それから十年あまりが過ぎ、彼は死んだ。
彼の嫡子は先年既に亡くなっていたから、粗方の相続に関する調査は一通り終えていたが、実際のところはこれからが本番だった。
裕福な趣味人にありがちなことに、彼は実に多くの遺品を残していた。
もちろん全てが金銭的に高価な価値があるものではない。
だが出すところに出せばその希少価値だけで家屋敷と交換できるようなガラクタが、老人のオモチャ箱と称された狭いといえない離れには、ごまんとある。
家人といえども半ば聖地半ば忌地である老人のオモチャ箱の中身を知る機会はほとんどない。
意味もなく離れの廊下を行き来しながら遠藤翔一郎は思った。
おおむね社会的な責任への矜持と無能を嫌う家風は老人がもとから発散していたもので、老人自身の変貌は往時を知る孫である翔一郎には老いるという現実をつきつけていた。
家の男どもは例外なく学校に上がる前から女修行と称して離れに勤める炊転び共を抱かせてもらっていたけれど、どれほど睦まじく夜を過ごそうと朝が来れば学校なり仕事なりに蹴り出すように仕込まれた女中どもは、炊転びと家の中で蔑される者とは思えない毅然とした態度で、文字通り引き摺るように遅刻しないように学校前或いは駅前に放り出す非道をおこなった。もちろん今となっては笑い話の武勇伝でしかなかったわけで一族が集うときには誰彼かが必ず口にする定番の話題であった。
ある時期から老人は出歩かなくなり、当主に用事を言いつける事もなくなっていた。老人の用件は概ね入り組んでいて意味が分かりにくく面倒なものでもあったが、手に余るものは老人のお付きの炊転びに投げ返せば彼女らは実に見事な女中働きをして見せたし、振り返ってみれば老人なりに家人とコミュニケーションをとるための切っ掛けであったのかと思わないでもない。
思えば子煩悩ということはなかったが、それなりに気をかけてもらった覚えは翔一郎にもあるし、一代飛ばして翔一郎の父がなくなり親族が浮足立ったときに一声発して財産を整理決算したのも祖父だった。
だが、よりによって腹上死か。
男の夢ではあろうが、たいそう面倒くさい。
来客に向かって説明して良いものか悪いものか。
医者を呼び、弁護士に連絡して、葬儀の日取りを定める。
連絡の名簿は当主の父の葬儀のときに出来上がったものをそのまま使うことにする。
父や叔父たちは祖父に対して思うところも多く、従いつつも苦しめられていたが、少なくとも経済的に安定した後しか知らない翔一郎は、祖父には大きな困惑や疑問を抱えてはいたものの、それ以上に尊敬や敬慕の念はあった。
もちろん祖父があまり良くない筋との付き合いもあり、地方議員である叔父が絡んでいるのも知っているが、概ね常識的なお付き合いは実業家としても政治家としても避けては通れないということは分かっている。だからあまり大きなことにはしたくない。
翔一郎は、自分が世間一般で聡明な常識人の枠をはみ出せるほどに聡明でないことは知っていたから、偉大な奇才である祖父の遺品についてできるだけ穏当に世に活かすことはできないだろうかと考えていた。
悩ましいのは離れの住み込みの女中たちで、十名ほどもいる彼女らは揃って身寄りがないという。ものわかりもよく働き者の彼女らにとって良さそうなのは誰かしっかりした相手と結婚することだろう。
翔一郎は様々な薬品の臭いのする洋館造りの離れのあちこちを覗き歩き、整理されているものの溢れ始めている書籍やら資料やら標本やら機材やらといったものを懐かしく眺める。
叔父が言うには以前はこの洋館が本宅でありこの近辺では一番の病院で、入院の必要な患者が出ると夫婦の寝室が患者の病床になり、子供部屋が病床になり、という生活だったらしい。
翔一郎は結局医者にはならなかったものの、医大を卒業する程度には素養として医学を学んだので、戦中派の医師がどれほどの覚悟と職人芸で患者と向き合ったかは今の医師とは時代が違うと理解していたが、ほとんど読めない祖父のカルテのポンチ絵で示された患者の病状や末尾にある完了を意味する記号をながしながめて、その業績に驚きを抱かないわけにはいかない。
四肢切断と接合は戦時下において頻繁に発生する外科手術で抗生物質が一般的でない、それどころか麻酔さえ贅沢品だった時代においては、医者の腕と患者の体力だけが勝負の切り札という大手術であったが、カルテを眺めると指癖でカルテを飛ばしてみることができるほど、たぶん二桁は優に越えるほどにこなしていた日もあるらしい。
若き翔一郎が医者を諦める切っ掛けになった昔話はカルテを眺める限り事実らしい。
どこかを探すと腕を切るのにノコギリでは面倒だと将校から預かった軍刀仕立ての備前長船だったかも出てくるはず。いや、叔父が持ち出したんだったか。
そんなノスタルジーに浸り祖父の遺品を眺めていると、離れの電話がなった。
ほどなく女中の一人が母屋に弁護士の水本氏がおいでになったと言伝に現れた。
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