留学物語~幸せは地球の裏側にある~
夏目碧央
第1話出会い
僕は日本を逃げ出した。十九歳の夏。
高校を卒業して半年が過ぎた。高校生の時から、逃げ出したくて仕方がなかった。狭い道、狭い家、カラフルな看板、無表情な人たち。うっとうしくて我慢できなかった。どうでも良かったけれど、アメリカに留学することになった。留学すると言うとかっこいいが、親が決めたことだ。僕は日本を追い出されたのかも知れない。両親は仕事が忙しい。仕事熱心で教育熱心なのは結構だが、
「これからは国際人にならないとやっていけない」
「留学くらいしないとダメだわ」
としょっちゅう聞かされていた。留学しなさい、留学しなさい、と言われると、出ていけ、出ていけ、と言われているような気がした。そして、別れて淋しがるような友達もいなかった。恋人など論外だ。
結局僕は日本にいるのが苦しくなった。だから留学することにした。帰国後のことなど何も考えていない。アメリカで僕の何かが変わることを願いたい。
ニューヨーク州にあるウィートン大学。ここに入学が決まった。とりあえず大学の寮に入ることにした。寮は二人部屋だ。同室者の当り外れは大きいと聞いている。でも僕は、相手がどういう人かということより、その相手に悪いなと思った。僕なんかと一緒じゃつまらないだろう。元々無口なのに、英語となるとよけい自分からはしゃべらないんじゃないだろうか。
「やあ、君がルームメイトだね。僕はディーン・ケトナーだ。よろしく」
入寮日。僕が部屋に入っていくと既に来ていた同室者のディーンがそう言って手を差し伸べてきた。僕は手を握り返して言った。
「新藤優輝です。よろしく」
ディーンはとても優しい人だった。部屋の片付けを手伝ってくれて、いろいろと話しかけてくれる。一応英語は勉強してきたと言ってもやっぱり悪い発音とかもあるだろうに、彼は全てを理解してくれた。
「やっと片付いたね。そうだ、寮の中を見て回ろうよ。どんな奴がいるかな。日本人もいるかも知れないね」
一通り部屋が片付くと、ディーンはウキウキした様子でそう言った。彼の笑顔につられて僕もにっこりとうなずいた。
みんな部屋から出たり入ったりしていた。ディーンには何人か知り合いがいて時々挨拶をしていた。
「よう、ディーン、もう片付いたのか」
「ああ、レナード、忙しそうだね、ルームメイトはどうだい」
「まあ、いいんじゃないか。あれ、そちらは…」
レナードは僕の方を見て目を見開いた。
「こちらは新藤優輝、僕のルームメイトさ。優輝、彼はレナード・クーガン、高校時代からの友人なんだ」
「よろしく、レナード」
僕はにっこり笑って手を差し出した。レナードはまだ目を見開いたまま僕の手を握った。「よろしく。君は日本人かい?」
「そうだよ」
「ジェイスが見たら何と言うかな」
レナードはそう言ってニヤッと笑った。
「ジェイス?」
僕が聞き返すとディーンが答えてくれた。
「ジェイスって、確かレナードの親友だったよね。うちの大学なのか?」
「ああ。奴も寮に入るらしいぜ。ジェイスは日本人贔屓なんだよ。部屋に浮世絵を貼ってるし、空手と剣道を習っててさ」
「それで、黒目黒髪の人間には、男女を問わず声をかけてたわけだな」
ディーンはなるほどとばかりに腕組みをして何度もうなずいた。男女を問わず?声をかけるってどういうことだろう。日本語だったらナンパするってことだよなあ。怖くて聞けない。
「…ということは、優輝が心配だな」
ディーンは真面目な顔をして僕を見た。
え――
寮は三階建てで、僕らの部屋は三〇五号室だ。一階には多目的ルームや医務室、二階にはスポーツセンター、三階にはピアノの置いてあるパーティールームがあった。三階建てと言っても面積はかなり広くて、遥か東の方には女子の部屋があるらしいが、女の子の姿は見なかった。
僕は先に独りで部屋に戻ってきた。英語をずっと聞いているのは疲れる。まあ、ゆっくり慣れていこう。
窓の外は良い眺めだった。もう西日が差している。日本にいるとき、僕の唯一の楽しみはアメリカ映画を見ることだった。ニューヨークの街やアメリカ人たちを眺めているだけでも日本にいるよりずっと楽しい。同室者にも恵まれたみたいだし、とりあえずこれでいいだろう。
僕は眠くなってきた。薄暗くなった部屋でベッドに腰掛け、目が閉じかけたところへノックが聞こえてはっとした。
「はい」
と思わず日本語で言っちゃってから、思い直し、英語でどうぞとつけ加えた。
ドアが開いた。僕は夢でも見ているのかと思った。そこには背の高い、金髪の白人が立っていた。俳優かと思うほど、いや、僕が知っているどの俳優よりもずっと美しい顔をしていた。顔だけじゃなく、プロポーションや立ち方、ふんわりカールしたブロンドの髪が、常人を逸していた。
「ユウキ?」
低い声で彼はそう僕に問いかけた。何を言われたのか良く分からなかったが、なんとなく名前を呼ばれたような気がして、
「新藤優輝です」
と言った。すると彼はにっこり笑ってこう言った。
「ジェイス・ラッセルだ。よろしく、ユウキ。日本人の名前って漢字なんだろ、ユウキってどういう意味の漢字なの?」
「え…と、優しい、輝き…」
言ってから恥ずかしくなった。僕の名前って大層な意味を持ってるじゃないか。優はすぐれているという意味もあるがそこまでは言えなかった。
「そうか、良い名前だね。君にぴったりだ」
ジェイスはそれこそ優しく輝く笑顔で言った。
「あの、どうしてここへ?」
僕は夢見心地から覚め、ドキドキし始めた。
「レナードから聞いたんだ。可愛いい日本人の男の子がここにいるって」
ジェイスはちょっと肩を竦めてそう言った。そうか、レナードが言っていたジェイスか。そ、それにしても可愛いいって一体…。
「でも俺に言わせれば可愛いいというより綺麗だな。このストレートの黒髪も、黒い瞳も…」
いつの間にかジェイスは僕の隣に腰掛けていた。そして指先を軽く髪に触れ、目を覗き込んできた。
うわっ。赤面したのが自分でもよく分かる。だって、こんなことされたことないし、第一、こんな美しい人を前にして、動揺しない方がおかしい。僕が瞳を潤ませてしまったことに気づくと、ジェイスはハッとして僕から手を放した。
「ごめん、優輝。初対面なのに」
ちょっと馴れ馴れしかったかなと呟いて、ジェイスは立ち上がった。そしてニッと笑うと二本の指を右のこめかみに付けた。
「グッバイ、優輝、また明日」
そう言ってジェイスは出ていった。胸で早鐘が打つ。なんてかっこいい人だろう。どうしてあんなかっこいいい人が普通の大学にいるのだろう。さすがアメリカだ。妙なところで感動してしまう。僕はどうやら興奮しているようだ。こんなことは珍しい。ろくに恋もしたことのない僕は、こんな風に嬉しくてドキドキしたことなどなかった。
ああ、ジェイスともっと話がしたい。しかし嫌われないようにしなくては。予想もしていなかった事態になった。そして、消極的な僕は今日も消極的な策を打ち出す。
嫌われたくない、だからあまり深く関わるのはよそう。彼が日本人を好きなら、このままでいれば好きでいてくれるはずだから。でも毎日会えるのだ。毎日姿を見られるだけで嬉しいよ。
大学の授業が始まった。「クラブに入って友達を作ろう」などと留学ガイドに載っていたけれど、僕には無理だ。授業についていくのがやっと。それに団体に所属すること自体好きではない。だからと言って勉強ばかりしているわけでもない。ときどきボーッと窓の外を見て人間観察やらスポーツ観戦をしている。また、日本人に興味を持っている人が多く、僕の所に来て話をしたがる人が何人かいる。だから退屈はしない。
ある日芸術史の授業の時、ジェイスが僕の隣に座った。ジェイスは今日何度となく僕の方を見ていた。目が合うとニコッとしてから目を逸らす。その度に僕はドキッとした。そしてこの時間にとうとう話しかけてきたのだ。
「優輝、隣に座ってもいいかい」
「もちろん」
僕は舞い上がっていた。大学が始まってたくさんのアメリカ人を見たけれど、やっぱりみんながみんな映画で見たような美男美女なわけではない。ジェイスは特別光っていた。だから既に人気者だった。いつもみんなに囲まれている。男の子にも女の子にも人気があるようだ。
「優輝はどうしてアメリカに来たの?」
「え」
ジェイスに尋ねられて僕は困った。理由などない。しかし何か答えなければ。
「アメリカが好きだから。それに―」
「それに?」
「将来、世界を舞台に働くためには今、日本を出て異文化に触れてみるべきだと思って」うそばっかり。面接試験じゃないのに。でも嫌われたくないから、試験と同じようなものかも。嫌じゃないけど緊張する。
「偉い。俺も日本に留学したいな」
やめた方がいい。きっとがっかりするから。日本人は冷たいから。僕がこうしてアメリカで受け入れられているように、アメリカ人が日本で受け入れられるとは思えない。
「俺ね、浮世絵が好きなんだ。特に明治時代のものがいい。月岡芳年っていう絵師を知ってる?あの人の絵を一つ持ってるんだ。ポスターだけどね」
「へえ」
浮世絵など全然分からない。ジェイスと話を合わせるためには勉強した方がいいかも知れない。そんな余裕は無さそうだが。
「―優輝」
「ん?何?」
「―可愛いい女の子、見つけた?」
「えっ、いや」
女の子など全然意識していなかった。みんな僕と同じかそれ以上背が高いし、第一彼女たちは僕のことを馬鹿にしているように見える。確かに、よっぽどかっこいい日本人ならいざ知らず、普通の男では彼女たちとは釣り合わないだろう。そして何より、ジェイスばかりが目について、彼より目をひく美人なんていなかった。
「日本に恋人がいるとか?」
「まさか、いないよ。ジェイスは?恋人いるの?」
「いないよ」
そう言ってジェイスはニコッと笑った。何だか、変だ。僕は男だよねえ。しかし不思議なことではないのだ。何人かの嫉妬の目がこちらに注がれていた。それは男の目だったのだ。
「優輝、何してるんだい?」
「やあディーン、おかえり。レポートを書いてるんだ。」
「真面目だなあ。やっぱり日本人は真面目だね。きれい好きだし」
「…偏見だよ」
日本人にもだらしなくて不真面目な奴もいる。僕は日本人だからと言って片付けられては、僕の個性がなくなってしまう。しかし日本人を悪く言うのは、身内の恥を曝すようで嫌なので、黙ってしまった。
「ねえ優輝、これからパーティールームへ行かないか?キャシーって子が歌ってくれるって言うんだ」
「ふーん」
「行こうよ、ね」
パーティールームには大勢集まっていた。僕はついついジェイスの姿を探してしまう。ジェイスはいた。ピアノのすぐ近く、みんなの一番前にいた。キャシーは綺麗な子だった。おでこを出してきりりと髪を結わいている。ジェイスととても楽しそうに話していた。
「随分たくさん集まってるね、女の子もこんなにいたんだ」
「そうだね。あ、ほら優輝、日本人じゃないか、あの女の子」
ディーンが指差す先に、なるほど東洋人の女の子がいる。おしゃべりの輪に加わってはいるが、どことなく淋しそうに見える。それで、日本人だろうと思った。
「ディーンは優しいね。僕と一緒にいてくれるなんて」
ふと僕はそう口にした。ディーンには友人がたくさんいるのだ。僕にばかり構っていなくてもいいはずなのに。僕はディーンのおかげで淋しくないのだろう。
「どうしたの?そんなに特別優しくはないよ、僕は」
「でも、僕といたって楽しくないだろ。君は今だって気を遣って分かりやすく話してくれてるみたいだし」
「無理してるわけじゃないよ。でも―優輝は優しい男が好き?」
「へ?そりゃあ、優しい方が好きだよ」
「良かった。ならもっと優しくするよ」
ディーンはそう言って僕の頭を撫でた。僕はちょっとびっくりしてディーンの顔を見た。ディーンは優しい目をして笑っている。今のディーンの台詞はまるで愛の告白のように聞こえたが…どう考えたらいいのか分からずに不自然に見つめ合っていると、突然ピアノが鳴り出した。誰か男の子がピアノを弾いている。そしてキャシーが歌いだした。
オペラか何かだろうか。キャシーは高い声を軽々と出している。僕はキャシーの声にしばし聞き入った。今までこういう雰囲気に浸ったことはなかった。日本の大学を僕は知らないけれど、カラオケなどではなく、突然こうやって誰かが歌を歌うということはないのではないだろうか。発表会とか歌のテストでもなければ。
一曲終わると、拍手やブラボーという声が沸き起こった。僕も惜しみなく拍手をした。 ふとジェイスのことが気になり、目で探した。ジェイスはピアノに少しもたれかかって立っていた。そして―僕の方を見ていた。目が合うと彼は表情を変えずにこちらへ歩いてきた。
僕は壁によりかかっていたのだが、よく考えてみると肩に人の腕がのっかっていた。人の腕。それはディーンの腕に決まっている。ディーンの顔を仰ぎ見ると、少し険しい顔をして前方―ジェイスを見ている。そしてジェイスが僕達の前まで来ると、おもむろに手を退けた。
「やあ、ジェイス」
「やあ、ディーン」
二人はそう言って見つめ合った。そしてジェイスは僕の方を見てニコッと笑った。
「やあ優輝、君も来てたのか」
「うん。キャシーの歌は素晴らしいね。僕は感動したよ」
ジェイスの笑顔に照れながら僕はそう言った。僕は女の子になってしまったのか?まるで初恋しているような気分だ。
キャシーは二曲目を歌い始めた。しかし僕は先程のように集中して聞くことはできなかった。ジェイスは僕に触れてはいないが、僕の方に体を向けて壁に寄りかかっていた。ふっとコロンか何かの香りがした。その途端、頬が熱くなるのを感じた。
そのときディーンが横目でチラッと僕の方を見た。僕は心を見透かされたような気がしてドギマギしてしまった。ディーンはいつもにこやかなのに、何だか悔しそうな表情をしている。ディーンとジェイスは高校が一緒だったはずだが、仲が悪いのだろうか。ジェイスはみんなに好かれているみたいなのに。
キャシーが歌い終わるとみんなワイワイとおしゃべりを始めた。帰りだす人もいる。僕はあの日本人の女の子に声を掛けようかと思っていたのだが、ディーンが帰ろうと言って僕の腕を引っ張ったので、そのまま部屋に戻ってしまった。部屋に戻った後のディーンはいつも通りだった。
次の日の朝、先に部屋を出たディーンが誰かと言い争いを始めた。小声で話しているらしく内容は分からないが、時々荒々しく語尾が上がるので争っているのは分かる。僕は自分の支度を急ぎ、ドアを開けた。
「おはよう、優輝」
そこにはジェイスが立っていた。壁に片手をついて片足を軽く折り曲げている。まるでモデルがポーズをとったように決まっている。それでいてわざとらしさを全く感じない。茶系のチェックのブラウスに長ズボンというごくごく普通の服装なのに、何故か目立っている。そしてまばゆいばかりの笑顔。思わず動作が止まってしまったほどだ。
「どうした?優輝」
「ああ、おはようジェイス。どうしたの、こんな所で」
「君を待ってたのさ」
そう言えばいつの間にかディーンがいない。ジェイスは僕を促して学舎へと向かう。
「ねえジェイス、ディーンとは仲が悪いの?」
「そう見えるか」
「今、何か言い争ってたみたいだったから」
僕は語尾を言い淀んだ。こんなことを聞くべきではなかったのかも知れない。そこで話題転換を試みた。
「ところで、僕を待ってたって言ってたけど、何か用があったの?」
「いや、ただ一緒に大学に行こうと思っただけさ。用が無いと待ってちゃダメか?」
ジェイスは立ち止まった。僕も立ち止まって振り向くと、ジェイスは真摯な目で僕を見ていた。僕はなぜジェイスが真剣なのかよく分からず、目をパチクリさせて黙っていた。「俺は、君ともっと親しくなりたいんだ。ダメか?」
ジェイスは今度はゆっくりとそう言った。僕はブンブンと首を横に振った。
「ダ、ダメなわけないよ」
僕が慌ててそう言うと、ジェイスはクスッと笑った。
「可愛いい」
「え?」
「いや、日本人は優しいね」
日本人は?僕は突然ハッピーな気分から覚めてしまった。ジェイスは先に立って歩き出した。ジェイスは日本人が好きなのだ。僕がどんなに頑張っても、ジェイスにとっての印象が良くなるのは僕ではなくて日本人。日本人なんて嫌いなのにどうして僕が奴らのために頑張らなくてはならないのだ。
ジェイスが振り返った。
「優輝、今日、日本のことをいろいろ聞かせてくれよ。放課後、部屋に行ってもいい?」「うん」
しかしそれも、ジェイスの笑顔を見たらどうでもよくなった。今日、彼とおしゃべりができるのだ。近くで見ていられるだけでも幸せだ、と思った。
それにしても僕は忙しい。昼休みは図書館へ行って調べ物をしなくてはならない。英英辞典の他に英和辞典まで持って僕は独りで学舎を出た。
図書館の手前まで来たとき、五人の男に行く手を遮られた。見たことのある顔だった。アメリカは肌の色や髪の色がバラバラなグループばかりなのに、この五人は皆金髪の白人だった。ジェイスと同系の人種だなと思った。
「よう、日本人、黒い髪が暑そうだな」
「蜜柑を食べ過ぎたのか、黄色くなってるぜ」
二人がそう言うと、みんなしてへへへと笑った。嫌な笑い方だった。僕は笑ってかわす余裕もなくて無表情のまま立ち尽くした。
「東洋人ってのは目立つよな、頭が黒いだけじゃなくて大きいし」
「黒と黄色のコントラストじゃ、そりゃ目立つぜ」
「なあ、日本人ってちょん曲げ結ってるんじゃないのか?留学するからって切って来なくてよかったのに」
「似合わないのに洋服なんて着ちゃってさあ、着物着てくればいいのに」
「そうだよ。俺たちみたいな白人と並ぶと、スタイルの悪さが目立つぜ」
「特に美しい人と並ぶとな、ジェイスのような」
ニヤニヤ笑っていた連中は突然笑いを消し去り、鋭い目つきになった。そして一人が僕の耳元へ口を寄せ、囁いた。
「ジェイスには近づくな。目障りだ」
そして五人は去っていった。僕はしばらく動けなかった。かなりショックだった。ニューヨークへ来て、こんな風に嫌なことを言われたのは初めてだったのだ。来たばかりの頃なら、心が耳をふさいで英語を理解できなくなっていたかも知れない。しかしもうかなり慣れて、嫌な言葉もみんなちゃんと理解できてしまった。
「あの、君」
ふと気づくと、黒人の男の子が僕の様子を窺っていた。
「気にしない方がいいよ。あいつら、いつもああなんだ。黒人に対してもかなりひどい差別意識を持ってる」
彼は僕に気を遣ってくれているようだ。
「奴等はイエローイエローって言ってたけど、わざと言ってるだけさ。君の肌の色はとっても白いもの」
「ありがとう。気にしてないよ、肌の色なんて。黒髪も気に入ってるし」
ジェイスは黒髪や黒い瞳が好きだし。
「あいつら、ジェイスの親衛隊なんだな」
「ジェイスを知ってるの?」
「もちろん。彼は有名だもの。やっぱり目立つからね。あ、そうだ、僕はカールだ。君は優輝でしょ」
「うん。よく知ってるね」
「君も有名だからね」
「そうなの?」
「じゃ、優輝、またね」
「うん、ありがとう、カール」
カールは学舎の方へ歩いていった。どうして僕が有名なのだろう。いっぺんにいろいろなことを言われるとパニックになってしまう。これから難しい本を読まなくてはならないのに。僕は足早に図書館に入っていった。早く済ませなくては。今日はジェイスとの約束があるのだから。僕はちっとも懲りていなかった。
放課後と言っていたけれど、ジェイスが僕の部屋を訪れたのは夜の八時だった。ディーンとおしゃべりをしていた僕は、ノックを聞いて急いでドアを開けた。輝く笑顔を期待して。
「はい」
「こんばんわ、優輝。今、時間ある?」
期待通りの美しさが目の前に現れた。僕はニッコリ笑った。
「おい、優輝、話の続きは?」
ディーンが後ろからふてくされた声を出す。
「ごめん、ディーン、朝からジェイスと約束してたんだ」
「さあ、優輝、行こうぜ」
「どこへ?」
「パーティールーム。誰もいないから」
ジェイスはパーティールームに人がいなくなるまで待っていたのだろうか。手にはギターを持っている。パーティールームは月明かりで明るかった。ジェイスは電気を付けずに窓際に腰掛け、僕を手招きした。
僕は吸い寄せられるようにジェイスの側へ歩いていった。そして向かい合わせに座った。
「ギター、弾けるの?」
当たり前のことを僕は敢えて聞いた。ジェイスはニコッと笑ってギターに指をかけ、ジャーンと一つ和音を鳴らした。
「俺の好きな曲を聴いてもらいたいと思って」
そう言ってジェイスは窓の外の月を眺めながら弾き語りを始めた。ジェイスは渋い声で静かに歌う。僕はじーっと見とれていた。月明かりだけで照らされたジェイスは、ルネサンス絵画に描かれた神か天使のように美しく、神秘的だった。ジェイスの好きな曲は僕の知らない曲だったけれど、とても綺麗な曲で、ときどきアイ・ラヴ・ユーという歌詞が出て来るから、愛の歌なんだなと思った。
歌が終わるとジェイスは静かにギターを置いた。僕は何と言っていいか少し迷ってから、
「すごく良かったよ」
と一言言った。
「優輝、富士山見たことある?」
「もちろんあるよ。家の近くから見えるから」
「へえ、どんな感じ?」
「綺麗だよ。」
「それだけ?」
「何度見ても飽きない」
「そうかあ。見てみたいなあ」
ジェイスはまた窓の外を眺めた。僕も見た。ニューヨークの夜は美しい。
「ニューヨークの夜景は綺麗だよね」
「東京は?」
「東京は…遠くから見れば綺麗だけど、実際街中を歩いてみると、ゴミゴミしてて汚いよ。漢字、カナ、アルファベットの入り混じったカラフルな看板がごった返してて、音楽がガチャガチャうるさくて」
ちょっと言い過ぎたかなと思って僕は口をつぐんだ。ジェイスは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔になった。
「ニューヨークだって似たようなものさ。文明都市はどこも似たり寄ったりだと思うよ」「うん。そうかもね」
僕は世界を知らな過ぎるような気がした。日本しか知らなかったのに、日本が嫌いだなんてよく言えたものだ。
「日本人はみんな柔道とか剣道を習ってるんだろう?」
「習っている人もいるけど、サッカーや野球をやっている人の方がずっと多いよ」
「じゃあ、みんな刀を持ってるとか?」
「えっ、今はヤクザでも持ってないよ」
「ヤクザはどの会社でもボディーガーデをやっているのか?」
「そんなことない。僕は滅多にお目にかかったことがないよ」
「じゃあ、テレビでチャンバラとかやってるの?」
「やってるよ。時代劇って言って、江戸時代の物語はたくさん放映されてる」
「ふーん。日本人の家は畳なの?」
「畳の部屋と床の部屋と両方ある家が多いんじゃないかな。畳がない家も多いよ、きっと」
「床の上を裸足で歩くのか?」
「うん。スリッパを履いたりもするけど。絨毯の上は裸足で歩くよ」
「そうか。靴を履いたまま家に入る人はいないの?」
「多分いないと思うよ。あ、デパートや会社には靴のままで入るけどね」
「ふうん。おっと、ごめん、質問攻めにしちゃって。優輝は何か聞きたいことない?」
「えーと」
そうだ、昼にジェイスに近づくなって言われたんだっけ。今初めて思い出した。
「ジェイスは男の子に人気があるんだね。やっぱりかっこいいから憧れちゃうのかな」
「どうかな。優輝は?」
「え、何?」
「俺のことどう思う?」
「そりゃ、あの、かっこいいと思うよ」
ちょっと焦った。そのせいか心臓がバクバク言い出した。静かだから聞こえてしまうのではないかと思って思わず左手で心臓を隠した。
「サンキュー、嬉しいよ」
ジェイスは特に照れた風でもなく、でも本当に嬉しそうにそう言った。
「俺ね、女って好きじゃないんだ」
ジェイスは突然こんなことを言いだした。
「女って化粧するだろ。だからキスしたくないんだ」
「でも、今は落ちない口紅とかあるだろ」
「落ちないって言ってもね、実際落ちるんだよ。軽く触れるだけならいいけど、あれってべったりくっついてる分、却って気持ち悪いんだ。それにキスは唇だけにするもんじゃないだろ、塗ったくってるからどこにも触れたくないんだ」
やけに詳しいじゃないか。かなり経験した上で嫌いになったというんだな。しかし無理もない。かなりモテるのだろうから。
「潔癖症なの?」
「いや。潔癖症だったら、男同士の方が避けたいんじゃないか」
「え?男同士?」
「そう、俺ゲイなんだ」
「うそー」
「日本にはいない?君ならモテるだろうに」
「少なくとも、僕の周りにはいなかったよ…」
ジェイスがゲイ?頭がパニック。アメリカでは男同士の結婚が認められているとか何とか聞いたことがあるが。
「もしかして冗談?僕をからかってるとか…」
恐る恐る聞いてみる。ジェイスはさっきより少し余裕がなくなっているような気がした。「本当だよ。でも、優輝が気持ち悪いって思うなら、信じて欲しくないな」
ジェイスは視線を落した。
「気持ち悪くなんかないよ、全然。ただ―」
「ただ?」
「ただ、急に言われてもすぐには信じられないよ」
ジェイスはかっこいい。綺麗だし、僕は好きなんだ。でも「ゲイ」って言葉に偏見があるのか、なんとなくジェイスイコールゲイとは思いたくないらしい。
「そうか。いやいいんだ、忘れてくれ。優輝に迷惑はかけないから」
ジェイスは心なしか淋しそうに笑って立ち上がった。
「話聞かせてくれてありがとう。また聞かせてくれよ」
「うん」
僕も立ち上がった。ジェイスはギターを持って先に歩き出した。
「ルームメイトには気を付けろよ」
ジェイスは振り返り、一言そう言って帰っていった。
僕がパーティールームを出るとき、誰かの視線を感じた。殺気を帯びた視線だった。まさか寮の中まで独り歩きが危ないということもあるまい。それでも心なしか足を速めて部屋へ戻った。
ベッドで寝ていると、急に体に重みを感じた。何だろうと思って目をゆっくり開けると、なんとジェイスの顔があった。ジェイスは徐々に屈んで顔を近づけてくる。
「どうして、どうしてジェイスがいるの?」
ジェイスはそれには答えず、鼻と鼻がくっつきそうなほど顔を近づけ、
「アイ ラヴ ユー、優輝」
と言っておでこにチュッとキスをした。僕は思わず目を閉じた。すると―今度は唇にキスした。
うそー!
はっと気がつくと、ジェイスの姿はなかった。
「なんだ、夢か」
昨夜ジェイスがゲイだなどと聞いたものだから、変な夢を見てしまった。ゲイだというのも夢だっけ?いや、あれは夢ではない。
「おはよう優輝、どうしたの?」
僕は跳び起きてしまったらしい。ベッドに腰掛けてボーッとしていたのでディーンが不思議そうに眺めていた。
「おはようディーン、もう朝だね」
僕はディーンに向かって微笑むと、起き上がって着替えを始めた。それにしてもジェイスと顔が合わせづらい。
朝食を食べに食堂へ行くと、ジェイスの顔が見えた。思わず赤面。勝手に夢を見といて独りで赤くなっているなんて阿呆らしいか。そしてジェイスと目が合った。逸らしそうになってふと気づいた。ジェイスは不安そうな目をしていたのだ。
そうだ。顔を合わせづらいのは僕ではなくてジェイスの方だ。きっと気にしている、僕がジェイスのことを気持ち悪がるのではないかと。僕はジェイスに向かってニッコリ笑った。自分としては最高の笑みを向けたつもりだ。ジェイスは安心したように笑った。そして片手の親指を立て、パチッとウィンクした。僕は舞い上がってしまった。
食事を終えたジェイスは、まだ座って食べていた僕の所へやってきた。
「おはよう、ジェイス」
僕は少し照れながらいった。するとジェイスは、
「おはよう、優輝」
と言って僕の頬にチュッとキスをしたのだ。
ジェイスは上機嫌で行ってしまった。僕は唖然として彼の後ろ姿を見ていた。そしてはっとして周りに気を配った。別に変わった様子はない。そうか、ここでは普通の挨拶なんだっけ。ホッとしたら今度は思いっきり赤面した。まだ頬にジェイスの唇の感覚が残っている。僕は食べ物を口に運びながら味など何も分からなかった。ああ、僕もゲイかも知れない。いや、ジェイスが相手ならそんなことはどうでもいいと思う。今日の彼はやけにかっこいいぞ。うわーどうしよう、顔がにやける。
しかし、その喜びは長くは続かなかった。本当に短かった。僕の食べていたお皿のスープの中に、突然ボチャンと牛乳のパックが落ちてきたのだ。僕の顔にはスープがバシャッとかかった。
「おっと悪いね、手が滑っちゃって」
そう言った奴は、この前図書館前で嫌味を言ってきたグループの一人だった。周りからはクスクスと笑い声が聞こえる。なんか、周り中敵って感じだぞ。
「大丈夫?優輝」
ディーンはペーパーで僕の顔を拭いてくれた。よかった、ディーンがいてくれて。しかし、いつもディーンと一緒というわけにはいかないのだ。
そうか。ジェイスに近づくなと言われていたんだ。さっきジェイスが僕にキスしたから、だからこんなことを。みんな気にしてないふりしておいて、実は充分気にしてたんじゃないか。ああ、アメリカにもいじめはあるのね。 僕は天国から突然地獄につき落されたような気分だった。大学構内を歩いていると足をかけられて転ぶし、誰かに思いっきり背中を押されてよろめき、振り返ると大勢僕を見てニヤニヤしている。何てことだ。ジェイスが僕にキスをしたせいでこんなにここが居心地の悪い所になってしまうなんて。ジェイスのせい?ジェイスとは仲良くするべきではないのだろうか。身分不相応ということなのだろうか。
「優輝、元気ないな」
ジェイスがやってきた。あちこちにいる僕の敵は突然なりを潜める。
「具合でも悪いのか?」
「ううん。大丈夫だよ」
僕はジェイスを見て複雑な気分になった。今朝、キスされてあんなに嬉しかったのに、今は周りが怖くて素直に笑えない。それでも、ジェイスはやっぱり素敵だ。肩に手を置かれたりするとドキドキする。
「お昼、一緒に食べないか?」
「うん」
ジェイスと一緒なら嫌がらせもないだろう。僕は甘かった。
昼食をジェイスと共にとり、何事もなく昼休みを終えた僕は、やっとリラックスしてきた。そしてジェイスと別れて教室に向かっているときには、ジェイスの笑顔を思い出して幸せな気分に浸っていた。
すると、突如として僕の体はある使用されていない教室に引っ張り込まれた。油断していたとも言えるが、五、六人に囲まれて引っ張られては元も子もない。
「何するんだ」
僕はビクビクしながらも言葉を発した。男たちは鋭い目つきで睨んでいる。
「ジェイスに近づくなと言っただろう。目障りなんだよ」
「そ、そんなこと言ったって、ジェイスが僕に近づいてくるんだから、しょうがないじゃないか」
本当のこととはいえ、まずいことを言ってしまった。言ってから僕はとても後悔した。奴らの目は怒りに燃えた。嫉妬に狂ってしまった。
僕は今までこんなにひどい仕打ちを受けたことはない。屈辱感と恐怖、そして永遠に続く激痛。奴らは顔を傷つけようとはしなかった。それは、ジェイスに気づかれないようにするためだということを僕は悟っていた。いくらジェイスに守ってもらっても、こうやってまたやられるのだ。名前も知らない大勢のジェイスファンに。いくらジェイスが好きでも、こういうのはゴメンだ。
「おい、誰か来るぞ」
奴らはそう言うと、僕を投げ捨てて行ってしまった。
「あっ、優輝、大丈夫か」
「カール」
カールは僕の傍らに来て僕を抱き起こした。
「どうしてここに?」
「次は君と同じ授業でしょ。真面目な君がまだ来ていないのはおかしいと思って、探しに来たんだ」
「ありがとう、カール」
「しっかりして、医務室に行く?」
「いや、治療してもらうような傷はないよ。自分の部屋に行く」
立ち上がるとお腹がものすごく痛かったが、独りで歩けないこともないので、独りで部屋へ帰った。床に転がされて服が汚れたのでシャワーを浴び、パジャマを着て僕はベッドで丸くなった。
涙が止まらなかった。惨めだった。ずっと心細かったのが、今いっぺんに形を成した。帰りたい。家に帰りたい。僕は今、どこにも行く所がないのだ。奴らには僕の心細い気持ちなど、少しも分からない。世界を見たことがないのだろう、きっと。世界はアメリカの延長だと思っているのだ。ジェイスは日本が好きだと言ってくれた。僕はあまり嬉しいと思わなかった。しかし今、彼が言ってくれたことがどんなにありがたいことだったか実感する。僕はジェイスが好きだ。しかし、もう近寄れない。遠くで見ているだけで良かったのだ。あんな素晴らしい人に目を留めてもらえたのは奇跡だったのだ。
「ただいま。あれ?」
ディーンが帰ってきた。もうそんな時間か。僕は眠ったり起きたりを繰り返していたようだ。
「おかえり」
と言って僕は改めてお腹の痛みに呻き声を上げた。
「どうしたの?具合でも悪いの?」
「いや、ちょっと…」
ディーンは近づいて、僕の目に泣いた跡を見てとると、見る見るうちに怒りを表した。
「あいつらにやられたのか?くそ。僕がついていれば。ゴメン優輝、君を守ってあげられなくて。これからはいつもそばにいるよ」
「いや、いいんだ。僕がジェイスに近づかなければ済むことだから」
「ジェイス?あいつのせいなのか?何であいつは優輝に構うんだ。あいつのせいで、あいつの気紛れのせいで、優輝が傷つくなんて」
ディーンは本当に悔しそうに顔を歪めた。
「ジェイスが嫌いなの?」
「ああ、嫌いさ。君にちょっかい出すからな」
そう言ってディーンは部屋を出ていこうとした。
「待って、ディーン、ジェイスには言わないで。ジェイスが知ったら僕はもっとひどいことをされるかも知れない」
「…分かった」
ディーンは息をついて自分のベッドに腰掛けた。
「もう、ジェイスには近づかない方がいいよ」
「うん」
僕は本当に近づくまいと思っていた。ディーンやカールがいてくれるから大丈夫だ。僕はディーンが部屋にいてくれるので安心して眠った。
僕は今まで故意に人を避けたことなどなかった。向こうから積極的に近づいてくる人もいなかったので、その必要もなかったのだ。しかし今、僕は大好きな人を避けなければならない。それは無視されるのと同様辛いことだった。僕はなるべくディーンと一緒にいるようにした。ジェイスがこっちへ来ようとするとディーンが僕を引っ張っていってくれるので、本当にジェイスと話をしないで済んだ。少し避ければ、ジェイスはすぐに感づき、もう僕に話しかけようとはしなかった。ジェイスは僕を見る度にとても悲しそうな顔をした。それがものすごく辛かった。胸をえぐられるような気がした。そして、こっちから避けたくせに、ジェイスが他の人とはしゃべるのに、僕には話しかけずに素通りしたりすると、淋しさで耐え難かった。それでも、きっとそのうち慣れるに違いない。
「優輝、元気ないね」
「え、そう?」
僕達の部屋でディーンは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「ジェイスのことが好きなの?」
「そりゃ、まあ」
好きの意味をどう取っていいか分からず、僕は言葉を濁した。
「ジェイスはゲイだよ。だからってこともないけど、あんまり気安く人に触れたりしないんだ。この前、ジェイスが食堂で君にキスしたとき、みんな、彼が君に恋してるんだって分かっちゃったんだよ」
「恋?僕に?」
ジェイスが僕に恋してるだって?まさか。どうしてあんなかっこいい人が僕なんかに。でも、もし本当にそうなら、無視したりして、僕は何てひどいことをしているのだ。いや、そんなことよりももっと重要なことがある。それは、ええと。
「優輝はジェイスがゲイだってこと、知ってたの?」
「うん。ジェイスから直接聞いた」
「驚かなかった?」
「驚いたよ」
「でも嫌いにならなかったんだ」
「―うん」
「君もジェイスに恋してるの?」
「ち、違うよ、まさか」
違う?それとも違くないのか?そうだ、ジェイスが僕をどう思っているかより、僕がジェイスをどう思っているのか、それが重大じゃないか。しかし、恋とはどういうものなのだろう。
「違うの?」
「…よく、分からないや。僕、ちゃんと恋したことってないんだ。だから…」
「優輝」
「何?」
「僕は優輝のことが好きだ。つまり、恋してるんだ」
「えっ!」
「ジェイスは男しか愛せないのに、黒い瞳の女の子にも声かけてたんだ。つまり、ジェイスは日本人が好きなだけなんだよ。他にも日本人の男の子はいるけど、その中で一番可愛いい優輝に目をつけただけなんだ。でも僕は違う。僕はとくにゲイじゃないし、日本人が好きってわけじゃないけど、優輝を初めて見たとき、何て綺麗なんだろうて一目惚れしたんだ」
「じょ、冗談、でしょ」
「本気だよ」
頭が混乱してきた。ジェイスが僕に恋してるかどうか、そして僕がジェイスに恋してるかどうかで既にこんがらがっていたのに、ディーンが僕に恋してるだって?でもこれは本人がそう言っているのだから本当のことなのか?で、僕はどうするの?え?どうなるの?
「優輝」
ディーンはボーッとして動けずにいる僕の額にキスをした。
「あ、あの、ちょっと」
僕は我に返って慌てた。混乱は収まってはいない。ディーンはすぐに僕から離れて自分のベッドに腰掛けた。
「ごめん、君の嫌がることは絶対にしないから」
ディーンは淋しそうに笑った。僕はその顔を見て、ジェイスが僕にゲイだと打ち明けた時の顔を思い出した。
「優輝に迷惑はかけないから」
そう言ってやっぱり淋しそうに笑ったんだ。あの時その言葉を、僕は恋愛対象にはならない、ということだと思いこんだ。そして少し淋しかったのだ。しかしパニクっていて自分の感情にさえ気づいていなかった。
ジェイスは僕に恋をしていた。だから自分がゲイだということを打ち明けたのだ。しかし僕が拒否反応を示した。それで淋しそうな顔をしたのだ。僕を諦めなくてはならないと思って。次の日ジェイスは不安そうに僕を見た。僕が目を逸らしたら本当に諦めようと思ったのだろう。しかし僕はニッコリ笑った。僕は、ゲイでもジェイスを好きだってことを態度で表したわけで、だからジェイスは突然僕にキスをしたのだ。そして、僕は嬉しかったのだ。僕もゲイかも知れないと思った。つまり、僕はジェイスに惚れているのだ。と言うことは、僕とジェイスは両想いなのか?だからあんなに嫉妬されたのか。しかし僕は今、ジェイスと仲違いをしてしまった。両想いなのに。しかし、両想いだからと言って、それを確かめ合ったらどうなるのだろう。恋人同士になるのか?それで、どうなるのだろう。
でも、ジェイスはもう、僕を嫌いになったかも知れない。いきなり避けたりして思い切り傷つけたのだ。いじめられたと言っても、ジェイスが悪いわけではないのに。いやだ。嫌われたくない。しかしどうしたらいいのだろう。謝るか。許してくれるだろうか。許してくれたとしても、また僕はいじめに遭うのだろうか。分からない。どうすればいいのか分からない。僕はこの日、いつまでも寝付けずに考えていた。
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