【短編集】インターネットによせて

鯵坂もっちょ

発作(2017.04〜08)

 元より、向いていなかったのだ。この仕事に。

 スポーツが好きだった。運動神経は良かった方だと思う。中高と野球部の部長を務めた。初めて挑戦する競技でも、一時間もプレイしていれば、ほぼコツはつかめた。だが、上を見ればキリがないのがスポーツの世界だ。自分の限界を意識するにつけ、私の興味は次第に「スポーツの魅力を伝える」方にシフトしていった。

 アナウンサーになりたい。高校生の頃にはもう、そう考えるようになっていたと思う。「お前ならなれるよ。滑舌いいもんな」「お前は人前に立つのが向いてるよ」そんな友人や教師の一言が後押しもした。「スポーツに強い」と評判のテレビ局を受けた。結果は合格。アナウンサー人生のスタートに、ガラにもなく心を踊らせていた。

 「発作」のことは、完全に忘れていた。


   ◆


「高井チャン、こないだは大変だったね」

 「報道ターミナル」プロデューサーの飯塚いいづかだ。その軽いノリとは裏腹のよどんだ目つきは、くぐり抜けてきた修羅場の多さをうかがわせる。

「仕事が大変だーとかさ、辛いこととかあったらさ、なんなりと言ってよ。こっちもできるかぎりのことはするからさ。んじゃね。またよろしくね」

 飯塚の目には、気づかいとも、あわれみともとれる感情が宿っていた。

 その「仕事」を振っているのは誰なのかと思う。誰のせいでこんな目にあっていると思っているのか。その「仕事」によって、私の人生が狂わされようとしているのに。

 もし、もう一度本番中に意図しない「発作」が起きてしまえば、飯塚も無事ではいられないはずだ。それを理解できない男ではないだろう。「大変だったね」とは他人事ひとごとにすぎる。やはり私をトカゲのしっぽにして自分だけ逃げ切るつもりか。──番組と心中するのはごめんだ。

 「発作」──。あんな病気を抱えたまま、やはりアナウンサーになどなるべきではなかったのだ。そもそも、数十年間鳴りを潜めていた病気がここに来て再発しだしたのは、他でもない飯塚のせいと言っても過言ではなかった。


 高井晃一こういちが人気ニュース番組「報道ターミナル」、通称「報タミ」のメインキャスターに抜擢ばってきされたのは、一昨年の夏のことだ。それまで、他分野で活躍していた有名人をメインキャスターにえていた報タミ三十年の長い歴史の中で、ただの局アナがメインに抜擢されるのは初めてのことだった。四十一歳。最年少でもあった。「大抜擢」。そう言って差し支えなかったと思う。周囲の期待と比例して、不安は増大していった。

 スポーツの魅力を伝えたくてアナウンサーになった。本来、報道は門外漢なのだ。しかし抜擢されてしまったのでは仕方がない。不安がっている暇などなかった。必死で勉強した。先輩アナウンサーに頼み、報道マンとしての基礎を一から叩き込んでもらった。

 順調だった。確かに交代当初は、前のキャスターと比較されて散々言われたが、時が経つにつれ、いつでも冷静さを失わない姿勢や、予断を排した物言いが評価されるようになってきた。それらは先輩アナから特に口を酸っぱくして言われたことだった。特段高評価だったのは、イレギュラーな事態への対応力だった。

 数十年ぶりに発作が起きたのはそんな折りだった。今思えば、鬱憤うっぷんやストレスがまっていたのかもしれない。大物野球監督へのインタビューでヘマを働いた新人アナを叱っていたときのことだ。体調が思わしくなかった。最悪と言ってよかった。朝から熱もあった。感情のたかぶりにはことさら気をつけているべき状況だった。今にして思えば。

「小田くんね、名前を間違えるのは百歩譲っていいとして、それにしてもあなたは普段から失礼な言動が多すぎます」

「すみません。でもあの人、名前ちょっと間違えたぐらいであんなに怒ることないと思いません?」

 小田雄太。二十四歳。新卒で入ってまだ二年目の新人。

「ちょっとじゃないでしょう。名前は大事です。何度確認しても確認し過ぎということはありません。名前の話だけじゃないんです、あなたは──」

「いやだってあの人」

「人の話を途中で遮るんじゃ[烈盛レツモリ]!!!」

「え……?」

 まさか。そんな。しまった。忘れていた。そうだった……。

「なんスか……? これ……?」

 小学生の頃以来出ていなかったから、もう治ったものだと思っていた。

 

 感情が昂ると、烈盛と出てしまうのだ。


「烈……盛……?」

「……失礼しました。烈盛と出てしまいました」

 「烈盛」。神経疾患の一つで、何らかの原因によって脳の神経活動が異常に高まった場合、オレンジ色のテロップとともにけたたましい音を放って烈盛と出てしまう。「烈盛発作」や「烈盛症候群」などと呼ばれる。痙攣けいれんや失神など、意識レベルに影響する症状はない。ただただ烈盛と出てしまうだけだ。その原因や、遺伝するかどうかについても、あまりはっきりしたことは分かっていない。家族に烈盛持ちはいない。有病率は0.5%ほどだが、自分以外に烈盛持ちに出会ったことはない。子供の頃に激しい発作を起こしていた患者でも、大人になるにつれてだんだんと発作は少なくなっていくのが一般的だという。しかし、特に大きな感情の昂りがあった場合、再発も珍しいことではない──。

 報道フロアは、静まり返っていた。全員の目がこちらを向いている。テロップはもう消えていた。通常、烈盛のテロップは三秒以内に消滅することがほとんどだ。それにしても、子供の頃に医者から聞かされていた知識を、自分がここまで覚えているとは驚きだった。どこか冷静に自らを見つめる気持ちがあった。

「高井チャン……? 大丈夫……? 顔色相当悪いよ?」

 偶然フロアにいた飯塚が顔を覗き込む。澱んだ目が否が応でも目に入る。

「先輩……」

 小田に烈盛を見られたのは特にまずかったかも知れなかった。即物的な男だ。すぐに私に対する尊敬を失ってしまう可能性がある。

「いえ、すみません、大丈夫です。ちょっと朝から熱があって」

「大丈夫? 今日の報タミいけそう?」

 代役を立てる、という選択肢はないようだった。

「いけます。ですが、すみません、少し休ませて下さい」

「うん、わかったよ。三十分前には戻ってきてね」

「わかりました」

 その人使いの荒さで何人の人間を潰してきたのだろう。自分がおびただしい数の死体の山の上に立っている自覚が、あの男にはあるのだろうか。そんなことを思いながら、私は控え室で眠りについた。


   ◆


 その日の放送はなんとか無事に終わらせることができた。元より冷静さがウリなのだ。興奮してはいけないとわかっているなら、自分の感情をコントロールするのはさほど難しいことでもなかった。

 あの一件以来、しばらくは烈盛に悩まされることはなかったが、しかし、そんな状況はいとも簡単に一変させられる。澱んだ目の男によって。


「高井チャンさあ、アレさ、使えない?」

 何を言われているのか、すぐには理解できなかった。

「いやだからさ、アレだよ。ほら。あのドーンってやつ」

「ドーンってやつ……」

「うん。ほらあのオレンジのさ」

「……烈盛のことですか」

「うんうん。そうそう。それそれ。あの烈盛!ってやつ。いいよね。映えるよね。ちょっとコーナーに使えないかなーなんて思ってね」

 人の病気を捕まえて「いい」「映える」。人の心があるとも思えない発言だった。いや、むしろここまでの人間でなくては、この業界で生き残ってはいけないということか。

「お断りします」

「いやいやそんなあ。そこまで即答することないじゃんかあ」

「あれは発作です。病気です。飯塚さん、ご自分が何をおっしゃっているかわかってるんですか」

「スポーツのワンコーナーに使おうと思っててね。その日の『はげしく盛り上がったシーン』をダイジェストにするのよ。で、ワンシーンごとに『烈盛』! ドン! いいよね。絵になるよね。ネットでも話題になると思うよ」

 絵になる、だと……?

「使う、などと簡単におっしゃいますが、あれは自由に出し入れできるような代物しろものではありません」

「いや。高井チャンならできるね」

「何を根拠に──」

「僕が高井チャンを買ってるのはさ、そのアナウンス力でも対応力でもなく、冷静さなのよね。つまり感情のコントロール能力。どんな時も冷静沈着でいられる人は、逆に自在に感情を昂らせることもできるんじゃないのかい?」

 自覚はあった。野球部の部長としてチームを纏められたのも、感情を自在にコントロールして人心を掌握する術に長けていたからだ。そう自分では思っていた。しかし、だからといって、だ。

「烈盛を自分の意志で出し入れした結果、何が起きるか想像がつきません。もし悪化した場合、責任は取ってくれるのですか」

「自在に出し入れできるってことはさ、こともできる、ってことじゃないのかい?」

「それは……」

「また大事なときにアレが出たら困っちゃうよね? ここらでひとつ、出さないように訓練しておく、ってのもアリなんじゃないのかな」

 一理ある、とは思った。

「……」

「まあ、無理にとは言わないよ。でもね、アレを手なづけておくことはこの先高井チャンがアナウンサーとしてやっていくにあたって、絶対に必要なことだと思うんだ」

「手なづける……」

「高井チャンのためを思って言ってるんだよ?」

「……わかりました。やります。ただし、本番中に一度でも関係ないところで勝手に烈盛と出てしまった場合、すぐにやめさせて下さい」

「よし、じゃ、決まりだね。詳しい流れとかはこのあとの打ち合わせで話すから。じゃよろしくね」

 こちらの出した条件に対する返事は、ついになかった。


   ◆


 そして結局、烈盛は出てしまったわけだ。

 自分をりっしきれなかったのが悔しかった。烈盛のコーナーが始まって約半年、何の問題もなくうまくいっていたのだ。「慣れてきた頃が一番怖い」……。そんな使い古された警句が、烈盛に対してもあてはまったということだ。

 ただのテロップの挿入ミスとされたのは不幸中の幸いだった。自分の対応が冷静すぎると話題になっていたことも知った。さすがの対応力だと。なんのことはない。自分が出してしまったのだから対応できて当然だっただけだ。

 いくら対応力が評価されても、放送事故であることに変わりはなかった。二度目はない。

 そして、条件が聞き入れられることもなかった。飯塚のことだ。聞き入れられるとも思っていなかった。

 あれからさらに四ヶ月。自分の体のことは自分が一番分かっていた。もう、限界だった。今日の本番中に、烈盛は出てしまうだろう。最後の悪あがきでもないが、なるべく我慢はしてみようと思う。耐えきることができれば儲けものだ。だがもし出てしまうとしたら、それはいつもより濃く、激しいものになるだろう。

 これで終わりだ。アナウンサー人生も、高井晃一としての人生も。飯塚は逃げ切るだろうか。いや、もうあんな男のことなどどうでもよかった。明日からの大バッシングの嵐に、私は、そして妻と子供は耐えられるだろうか。こんなことになってしまってすまなかったと思う。最後まで二人を守りきってやれるだろうか。今日、烈盛は出てしまう。元より、向いていなかったのだ。この仕事に。

 一瞬、「烈盛」という言葉が、これを期にネット上で大人気になり、各所で人々の話題に上り、流行語大賞も受賞するなどしている世界が脳内をよぎった。荒唐無稽な白昼夢だった。そんなことがありえるはずはない。何がどう転んだらそうなるというのだ。都合のいい妄想にすがりたがる自分の弱さを見てしまった思いだった。

 もはや私にできることなど何もない。

 しかし、アナウンサーとしての本分はこなさなければならなかった。これが最後の仕事になるのだろう。台風中継だった。

「それでは、秋田市中心部の様子を見てみましょう。風が相当──」












※この作品はフィクションです。実際の人物、団体、事件などとは一切関係ありません。


■参考文献

【熱盛再び】秋田市の豪雨を映した瞬間「アァツモ!!(キャンセル)」「熱盛が出てしまいました」 - Togetter https://togetter.com/li/1143611

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