形骸の肖像

七津 十七

第1話

 ここに一通の手紙がある。ソレイユと呼ばれた画家の青年が書いたものだ。

 ソレイユは本名ではない。けれど、私は彼のことをソレイユと呼ぶことにする。この名前は、本名以上に彼の体にとても馴染んでいた。不思議と、この名前を疑問に思う人は誰もいなかった。

 手紙が届いたのは、真っ赤に染まる葉が落ち始めた冬の頃だった。靴越しでもわかる、うっすらとした冷気が指を冷やす夕暮れ時、ポストに寂しく横たわっていた。その名に懐かしむよりも予感がし、かじかむ指をこすりながらその場で開ける。すると、冬だというのに薫風が漂い、寒さを包んでどこかへ連れ去ってしまった。私の心は夏に戻り、現実の冷気と共に紅の秋を辿り、徐々に今の冬に帰る。夏の気配は一瞬で終わってしまったが、ある光景がはっきりと浮かんだ。太陽のように眩しい、カナリア色をしたひまわり畑。まるで一つの花のように、金髪の青年がそこに立っていた。ソレイユだ。……ここまでは私の妄想に過ぎない。

 私は家に入り、手紙を机に置いた。顔が隠れるほどぐるぐるに巻いたマフラーを解き、上着をハンガーにかける。ストーブに火を入れようかと考えながらひざ掛けを掴み、腰を落としながら手紙を取る。ひざ掛けを広げ、もう一度封を開けた。夏の香りはもうしない。

 飾り気のない白い紙に綴られた文字は、絵のように曲がりくねっていて読みにくい。傾けないと読めない字がいくつもあったが、彼の字は慣れている。以前一緒に暮らしていたからだ。

 親愛なる先生、それが一行目だ。先生とは、私のことである。私は彼と同じ学校にいた。彼が先生と呼ぶのであれば、彼は生徒という関係になるのだが、それとは少し違う。そのことは、今は横に置いておこう。

 二行目。私は血の気がさっと引いた。

 ――親愛なる先生。

「お元気ですか。僕はもういません」

 彼の声が、少年のようなソプラノの声が鮮明に蘇る。先生、先生と、犬のように懐っこい彼の声が。

 初めに言おう――死は必ずしもマイナスではない。何がどう起ころうとも、すべてを平等にしてしまう、生きるものの終着点だと、私は考えている。

 彼は悲観したのではないと、夏の風が教えてくれる。求める答えを知り、辿り着いたのだろうと、思わせてくれる。残された者はそう、思うしかできない。それが彼をマイナスにしないための、大切な事だから。

 私と彼の事を、特に、彼の事を知らない人がこの手紙と、私の想いを聞いたところで、理解は出来ないだろう。

 そこで、一枚の絵を用意しよう。私と彼が一緒にいた唯一の証で、ソレイユ自身、私自身でもある作品だ。

 十号(530×455mm)の白いキャンバスの真ん中に、ぽつんと一つの林檎がはまっている。はまっているように見えるだけで、この林檎はもちろん絵だ。レリーフのように半立体に見えるが、触ると油絵特有の凹凸があるだけで、ぷっくりとした表面はどこにもない。赤いだけではなく、黄色の斑点や青味の残るくぼみなど、細かな部分まで再現している。

 写真よりも生々しく、絵画よりも現実を帯びている林檎は、実は私を表している。彼が冗談交じりに、「林檎のような先生、先生のような林檎」と、歌いながら描いた。

 その周りに、額縁のような赤い枠がキャンバスの端にぐるりと描いてある。赤い林檎に赤い枠。枠に閉じ込められたような白いキャンバス。息苦しさを覚える。じぃっと眺めていると、呼吸をしているように、赤い枠はじわじわと林檎を締め付けていく――そう、見えるだけで実際は動いていない。

 現実にはあまりないであろう、赤い枠……木のようにも見えるし、プラスチックのような艶もある、鉄のような硬質さもあるが、皮膚のような暖かい柔らかさもあるそれは、林檎と同じく、生々しいほど現実を帯びていた。どこか生き物めいたそれは、彼の絵の特徴である。真ん中にあるモチーフはその時によって違うが、赤い枠だけはどんな絵であろうと、必ず囲んであった。真ん中に花があろうと、景色があろうと、人がいようと、最後は必ず赤い枠で終わる。それが何を示しているかは、まだわからないでいた。彼がいなくなった今も、彼がいたあの頃も。

 絵の登場により、私と彼の関係は、もしかするとますますわからなくなったかもしれない。私だって、本当のところわからない。

 そもそも、なぜ彼が私を求めてやってきたのか、それすらわからない。

 私と彼は、つまり先生と生徒なのだが、その関係であった時期、私たちは一切会話をしていない。お互い、そういう先生、生徒がいたなという印象しかなかったはずだ。そのまま卒業をし、印象も記憶もきれいさっぱりなくなったある日、彼はやってきた。

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