第5話 オーバーテクノロジー

   台風がやってくる。幼少期から体が弱かったとかいう事象から程遠い僕でも、これだけ大きな低気圧が近づいてくるとなんとなく頭が重くなる。体も重くなる。腰痛持ちや昔大きな怪我をした古傷持ちたちが口裏を合わせたかのようにいう、「今日は雨が降るなぁ」とか「これは大きいのが来るぞ」とか本当なのだろうか。本当に腰や古傷が教えてくれるのか。だったら天気予報は全国各地に腰痛持ちを置くべきだ。もしくはスパコンに腰痛というプログラムを組み込むべきだ。


   そうそう、せっかくなので話をしようと思うのだが、ちなみに僕にも古傷というものがある。太古の昔の記憶だがあれは忘れもしない、まだ僕が小学生低学年のとある夏のことであった。昔は土曜も学校に通っていたので曜日まで明確に覚えている。えっへん。当時の土曜日は半日授業と言われる、午前中だけ行けば帰ってよいシステムであったため、生徒は帰宅し昼食を食べてからまた集まって遊ぶというのが主流だった。その文化に則って家で昼食を摂ろうとまさにその時、事件は起こった。料理好きの母には珍しくその日の昼ごはんはカップ麺であった。僕には姉がいるのだが、初めてのカップ麺ということで2人でたどたどしくカップ麺にお湯を注ぎ、お互いに空腹と昼以降の友達との約束のことで頭がいっぱいになりヤキモキしながら永遠の三分間を過ごしていた。やっとこさ重い腰をあげたタイマーが永遠の終了を告げてくれたのでフタを開けようとしたその時。姉が僕の方向にお湯のなみなみ入ったカップ麺をこぼし、腿のあたりに大きな火傷をしてしまったのだ。その後すぐに病院で治療したのだが、わりと長いあいだ火傷痕が残る事となってしまった。今は完治しているのでファンの方は是非とも安心してほしい。


   そんな火傷持ちの僕だが、この火傷痕が天気を教えてくれたこともないし危険を予知してくれたこともない。なぜだろう。火傷と腰痛は何が違うのだろう。火傷は表面的だからだろうか。腰痛は体の奥の問題だからだろうか。ただ、僕は重大なことを一つ知っている。腰痛持ちも古傷持ちも未来の天気の話をするときは必ず空を見ているし、事前に天気予報を見ている。誰か検証してもらいたい。少なくとも僕のおばあちゃんはそうだった。というか、おばあちゃんしか知らないけど。でも失礼があってはいけないだろうからと思い、「おばあちゃんがいうなら傘持っていくね!」とかなんとか元気に振舞っていたあの頃の僕は太鼓持ちだったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る