13:メリエル・スチュワートの奮戦1

「マクスウェル!」


 授業が終わり、席を立ったマクスウェルを追いかけて呼び止めた。

 マクスウェルはポケットに両親指を引っかけたまま振り返る。高い背を僅かに猫背にし、怪訝な表情をしていた。


「んだよ」

「勉強教えてください!」

「……はぁ?」


 唐突なお願いに、マクスウェルは虚を突かれたような声を出した。真摯な思いが伝わるように、手を合わせてマクスウェルを見詰めていると、彼はぐっと少し息を詰めて外方を向いた。


「……何を教えりゃいいんだよ」

「えっと、全部……」

「クソ面倒臭ぇな」


 十年生の学年末試験の結果を渡すと、それを見たマクスウェルの片眉がピクリと動いた。


「高校何処行くんだよ」

「オルムステッド学園……」

「はぁ!? テメェみてぇのが行ける訳ねぇだろ!」


 マクスウェルが怒鳴り声を上げて、近くに居た級友たちが驚いた顔をして振り向いた。しかし音源に気が付いた彼等は、すぐさま視線を外す。

 私は合わせていた手指を絡ませながら、言い訳めいた反論をする。


「そ、そうかもしれないけど……、やってみなきゃ分からないじゃない」

「やらんでも分かるわ」


 マクスウェルは試験結果を私に押し付けて乱暴に返してきた。


「オルムステッドはやめろ。高校なんざそんまま上がりゃいいだろ」

「でもっ、……家の人と、其処に行くって約束してるんだもの……」


 そうか細く返すと、マクスウェルはいつかの時に見せた顔をした。しかし今回は、押し黙るのではなく冷たく切り捨てられる。


「約束だろうが何だろうが諦めろ。お前にそんな頭ねぇよ」


 私はその言葉に何も言い返せず、座っていた席に戻った。

 私立で一番の学校に行こうなど無謀にも程があるのは、自分自身でも分かっている。しかし、その人たちに養育されている今となっては、無理を押してでも進学しなければ今後どう身を振ることになるか不明瞭故に恐ろしい。

 目をぎゅっと強く瞑り、手の中の試験結果を握り締める。過去を振り返るよりも未来をどうにかしていかなければならない、と覚悟を決め、後ろの席のケイトに頼み込んだ。


「ケイトっ! 勉強教えて!」

「いーけど、エイダンに教えてもらった方が良くない?」


 両腕を組んで肘を突いていたケイトは、目を瞬かせて至極真っ当な疑問を口にした。

 私は言葉に詰まりながらも、マクスウェルの方を伺う。マクスウェルは私を睨み付けており目が合ったが、ぷいと顔を背けて見ないようにした。

 それを見ていたケイトは握った拳を口元に当て、小さく笑う。


「喧嘩したんだ?」

「……マクスウェルなんて知らない」

「エイダンウケる~」


 高い声できゃらきゃらと一頻り笑った後、ケイトは、いいよ、と言って魔法理論の教科書を取り出した。曰く、魔法学が唯一の得意教科であり、それ以外は教えるほどの自信が無いという。

 以前出された課題で結局解くことの出来なかった問題について質問すると、説明に多少の前後はあるものの、基礎の基礎から解法を辿るケイトの説明は解り易かった。ケイトの解説による補助を受けながらもう一度問題を解くと、今回は答えに辿り着くことが出来た。


「解けた! ありがとう、ケイト!」

「全然。もうちょい教科書読み込んだらスラスラ解けんじゃない?」

「そうかな、頑張ってみるね」

「ん。暗記すんのも手だよ」


 解説を忘れない内に類似問題に取り組む。問題を解きながら、ふと浮かんだ疑問をケイトに尋ねた。


「ケイトは高校そのまま上がるの?」

「んーん。あたしは魔法学しか取り柄が無いからね、ヘイズルウッド行こうかなって。ま、それも志望で、修了試験の結果次第だけどね~。あ、この分圧んところ、式間違ってる」


 ケイトは軽く喋りながらも、計算過程の間違いを整った爪で指摘した。私は手直ししながら解答を書き込んでいく。

 暫く問題と睨めっこしていると、マクスウェルが席に戻ってきた。後頭部に痛いほどの視線を感じたが、それを無視して問題を解き続ける。軈て教室に先生が入ってきたため、自習は一時中止して授業に専念した。


 その日から、より一層授業に集中するようになって、一つ分かったことがある。


「硝酸の現在の製造方法は?」

「はい」

「君」

「アンモニア、窒素から作ったアンモニアを酸化して一酸化窒素を発生させ、これを更に酸化させた二酸化窒素を水と反応させて製造しています」

「よろしい。では、二酸化窒素が発生する過程では、一部の二酸化窒素同士が反応して四酸化二窒素を生じるが、この反応はどういったものか?」

「……」

「誰か解る者は?」

「発熱反応」

「何故だ? マクスウェル」

「二酸化窒素は不対電子を持ち不安定であり、共有結合を形成して窒素原子が希ガス配置になると、安定する分エネルギーを放出するから」


 マクスウェルは、他の生徒たちより抜きん出て優秀だということだ。

 授業は対話しながらの議論形式を取っており、成績はその議論を重視して評価される。マクスウェルは滅多に手を挙げることこそしないが、誰もが詰まる問いに差し掛かると静かだが通る声で発言する。その答えは的確且つ簡潔明瞭であり、毎度先生を唸らせていた。

 また、数学や一部の魔法学を除く教科については小論文が重視されているのだが、必ずと言っていいほど、マクスウェルの答案は優秀な例として紹介される。構成は勿論のこと、問いに過不足無く答える文章は流麗且つ巧みとしか言い様がなく、それを見る度に目が醒めるような新鮮な驚きを感じるばかりだった。

 制服を着崩し授業態度も傍目にはよろしくないマクスウェルが学年一位だとは俄かに信じ難かったが、普段の授業を見ていれば納得せざるを得ない。他の誰の解答も、マクスウェルの洗練された解答には一目して敵ってはいなかった。


 ではマクスウェルが勉強の虫かというと、そういったこともない。

 体育の時間になれば、誰よりも早く走るし、ボールの扱いで誰かに劣ることはなかった。持久走では常に先頭を走り、サッカーでは一人で点数を稼ぐ。体格に関しても、上背があるだけではなく均整に筋肉がついており、体力テストで平均を押し上げる要因となっていた。


 そこまで分かって、私はまた別のことにも気付く。

 口が悪く態度も横柄なマクスウェルはさぞ嫌厭されているだろうと思いきや、実は密かな人気を集めているようなのだ。男女共に恐れられ一線を引かれていることには変わらないのだが、男子生徒からは嫉妬にも似た憧憬を、女子生徒からは秘めやかながらも色めき立つ恋情を、それぞれ寄せられているようだった。

 彼女たちの特別な色を浮かべた瞳を見るにつけて、嘗ての餓鬼大将がそのような評価をされていることに、私は驚いた。しかし同時に得心もした。如何に性格面に難ありと雖も、マクスウェルは黙っていれば精悍な美男子だ。吊り上がった切れ長の目に、高く通った鼻筋、薄い唇、先細りの端整な顎の輪郭、何処を取っても非の打ち所がない完成された顔立ちをしている。

 だから、才能に溢れていることも相俟っているため、それは不思議なことでも何でもないのかもしれない。私に関して言えば、幼稚舎の時ですら格好良かったヒースくんが成長して今の歳になったらどれほど格好良いだろう、と夢想して止まないから、眼中にすらないが。


 私はマクスウェルと付かず離れず、けれど現実を突き付けられた日から口を利かないまま、勉強に苦戦しながら極々平凡な日々を送っていた。

 ある日、その日の授業を終えロッカーを開けると、中が雑然と散らかっていた。呆然とした後、ロッカーに仕舞ってあった教科書を取り上げると、表紙から何から刃物で切られたように酷く傷んでいる。

 他人ひとの悪意が、形となって其処に表れていた。

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