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 幼稚舎には、餓鬼大将ともいうべき子も居た。穏やかで皆と仲の良いヒースくんとは違い、色素の薄い金髪のつんつん頭に赤いつり目が何ともそれらしい、暴力的で何人かの男の子たちを従えているような子だった。

 その日は、女の子たちと絵を描いて遊ぶ約束をしていた。けれども、ある筈のクレヨンが人数分足りなくて、私はそれを探しに行っていた。


「なにみてんだよ、ぶす」


 クレヨンは餓鬼大将が持っていた。男の子たちでスケッチブックを取り囲んで、クレヨンでぐりぐりと迷路のようなものを描いていた。ばつ印があったことを考えると、あれは宝の地図だったのだと思う。

 餓鬼大将はにやにやと意地の悪い笑いを浮かべていた。つい最近まで仲間外れにされていた、しかも女である私は、言い返せずにすごすごと引き下がると思っていたのだろう。

 しかし、その時の私は言い返した。人に受け入れてもらうためには、自己主張をしなければならないことを学習していたからだ。大人びていた私は、言い返す言葉を知っていたのも理由の一つだろう。


「じいしきかじょう」


 その時の餓鬼大将の顔ったらなかった。


 その日も、私はヒースくんと他の子たちと遊んでいた。比較的静かな子たちが揃っていたので、皆で思い思いに絵を描いていたと思う。

 突然、教室の端で女の子の泣き出す声が響いた。私もヒースくんも驚いて振り向くと、泣いている同じ組の女の子と、仏頂面の餓鬼大将が居る。

 私とヒースくんが慌てて駆け寄ると、女の子は泣きながら餓鬼大将を指差して訴えた。


「エイダンくんが、わたしのことたたいた~!」


 私とヒースくんとで、噴き出すように泣く女の子を慰めた。ヒースくんが頭を撫でて微笑みかけるとその子の涙が引っ込むのだから凄いと思う。私はその分、餓鬼大将を注意した。


「うっせえ、ぶす!」

「マクスウェル、ぶすしかいえないの?」


 語彙の貧弱な罵倒よりも辛い日々を過ごしてきた私は、餓鬼大将のマクスウェルなど怖くとも何ともなかった。だから、暴力的なマクスウェルにやり返せる女の子といえば私くらいなもので、マクスウェルが何かやらかす度に諌めるのが役割となっていた。誰かが泣けば私が出ていき、マクスウェルに文句を言って暴言にも言い返す。マクスウェルがちょっかいを出してくれば遇らう。追いかけて体を押してくるマクスウェルを蹴り上げる。やり返すマクスウェルに平手打ちを食らわせる。私はマクスウェルと、来る日も来る日も喧嘩していた。


 打って変わって、ヒースくんとは至極仲良く穏やかな毎日を過ごしていた。家族のことを話したり、昨夜観たテレビの内容を教え合ったり、話題は尽きること無く、波長が合うのか何をして遊んでも楽しかった。


「ヒーローって、かっこいいね」


 その時、私とヒースくんは一緒にテレビを観ていた。内容はヒーロー活動をする能力者エンフォーサーの密着取材で、拳一つで犯罪者を蹴散らし要救助者を保護するその姿は、何とも頼もしく輝いていた。


「……ぼく、しょうらいはヒーローになりたいんだ」

「そうなの? ヒースくんならなれるよ」

「そうかなぁ、ぼくののうりょく、ちからがつよいわけじゃないし……」

「んーん、ぜったいなれる! だって、わたしのこと、たすけてくれたもん。あのとき、ヒースくんのことヒーローみたいだっておもったよ」

「……ほんと?」


 ヒースくんの頰は僅かに紅潮して、丸い目を輝かせていた。


「ほんと」

「じゃあ……、ずっととなりで、おうえんしてくれる?」

「うん!」


 ヒースくんは年相応の男の子らしく、くしゃりと笑った。それが嬉しくて、わたしもヒースくんに笑い返した。

 すると突然、後頭部にすぱんと鋭い痛みが走った。驚いて振り返ると、いつもより苛々して不機嫌そうなマクスウェルが背後に立っていた。


「なにしてんだよ、ぶす。へらへらしやがって、きもちわりぃ」

「ちょっとマクスウェル……、いきなりたたくことないでしょ!」

「おまえがきもちわりぃかおしてんのがわるいんだよ」


 私が言い返すと、マクスウェルはいつものように意地の悪い笑みを浮かべた。それに憤慨していた私は気付かなかったが、その時のマクスウェルはヒースくんを見ていたらしい。


 それからのマクスウェルは、以前にも増して私に突っかかってくるようになった。他の子たちに暴言暴力を振るうことは少なくなり、ヒースくんと居ても、他の子と居ても、マクスウェルは私に絡んできた。

 そんなことが何回も続いたある日、いつもは何も言ってこないヒースくんが、常とは違う怖さすらも感じるほどの真顔で、私とマクスウェルの間に割って入った。


「マクスウェル、ぶすぶすっていうな」

「……あ?」


 マクスウェルも意地悪そうな笑みを消し、敵意を剥き出しにするヒースくんを睨め付ける。


「ぶすにぶすっていって、なにがわりぃんだよ。このおれに、はむかうのかよ、こおりやろー」


「ぶすじゃない。メリエルちゃんはかわいい」


 真剣味のある少しズレたヒースくんの返答に、その場に居た誰もが暫し止まった。マクスウェルも、固まったままヒースくんを見ていた。軈て毒気を抜かれたのか、マクスウェルは舌打ちをしてその場を去って行った。私は呆気に取られるしかなかった。


 それから、ヒースくんとマクスウェルが真っ向からいがみ合うことが多くなった。


「おれがさきにあそんでんだ!」

「だからって、ひとりじめするなよ!」


 マクスウェルは幼稚舎にあるだけの積木全てを集めて、何か壮大な建物を作ろうとしているらしい。いつもは外で走り回って遊んでいるのだが、極々たまにこうして室内で遊びに興じ、必ず他の子たちを困らせるのだった。

 普段ならば私が出て行って注意するのだが、今回はヒースくんが打って出た。誰とでも調和を保つヒースくんにしては珍しく、穏やかな瞳を義憤に滾らせている。

 一方のマクスウェルは、只でさえ吊り上っている目を更に吊り上がらせて眼を付けていた。


「こーら、喧嘩しちゃ駄目でしょう。二人とも、仲良く一緒に遊びましょう」

「「やだ」」


 睨み合っている二人を宥めにかかったのは若い先生だったが、二人は視線も逸らさずににべも無く断る。

 その仲が良いのか悪いのか分からない息の合った返答を先生は予測していなかったようで、「えっ!?」と思わずといった風な驚きの声を上げた。それからは相変わらず睨み合う二人を前におろおろと狼狽えるばかりだ。

 まだ新任の先生だったので何だか可哀想になり、私は手に持っていた本を置いて二人の元に歩み寄った。


「じゃあ、はんぶんこしたら?」


 その提案に、二人は初めて視線を外して私の顔を見た。

 私は積木を出来るだけ均等に二等分し、片方をマクスウェルに、もう片方をヒースくんの方に寄せる。


「おなじものであそびたいときは、はんぶんこすること!」


 マクスウェルもヒースくんも自分の持分となった積木をじっと見詰め、それからお互いに相手をじっと睨み、まるで何事も無かったかのようにそれぞれの行動を開始した。取り敢えず問題は解決したため、先生はほっと胸を撫で下ろしたようだった。

 それからというもの、今まで平和にしていたのが不思議になるほど、ヒースくんとマクスウェルは何かと言い合いを繰り返した。けれども二人は約束を覚えているようで、先生が止めに入る前には必ず口論をやめてそれぞれの遊びに戻るのだった。

 確かに、物静かな優等生のヒースくんと、やんちゃな餓鬼大将のマクスウェルとでは、取り合わせが悪かった。しかしそれ以上に二人はお互いを敵視しているようで、喧嘩こそすれ一緒に遊ぶことは終ぞ無かった。

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