リコリスのやくそく
カゲトモ
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静かで心地の良いジャズ。ひそやかな声で交わされる会話。グラスを滑るクロス。心が落ち着く、俺の好きな空間だ。
週末でもない平日の夜は、こんな穏やかな時間がバーに流れていることが多い。ゆったりと酒と音楽、それからひそやかな会話を楽しんでもらえるこの空間を作れたことに、バーテンとしてここに立っていて良かったなと思える。
何よりも俺自身がこの扉一枚で隔たれた喧騒から少しずれたような空間が好きなのだ。ここだけ時間の進みが遅いような、そんな空間。俺はシラフでそんな空間に(特に今日は静かな客が多く心地がいい)酔いしれていると、突如ガコンッとその空間に似合わない音が響いた。それからコツ、コツ、コツ、とピンヒールが板張りの床を叩く音が連続で続き、目の前で止まった時には俺の顔はきっと悲惨なものだっただろう。客に見せてはいけないような、そんな顔をしている自信がある。
目の前に立った人物は乱暴にスツールを引くと、ドッカ、と音を立てて腰を掛け、隣の席に仕立ての良いバッグをこれまた乱暴に置いた、もとい投げた。
「強いの頂戴」
彼女は手入れの行き届いているだろう艶やかな髪を振り乱してカウンターに突っ伏す。この様子では既にどこかで飲んで来たことは明らかだ。
「はぁ」
小さくため息を零すと、透明な液体をグラスに注ぎ、彼女の前に置いた。こっちを見ないままグラスを掴んで傾けた彼女は一口飲んで眉根をきつく寄せた。
「何よこれ、ただの水じゃない」
「硬水の軟水割です」
真顔でサラッと言うと、「ハッ」と鼻で笑われた。
「私はお酒を飲みに来たの。水はこのまま貰うけど、なにか強いの出してよ」
「強いのって、蘭子さん結構飲んで来たんでしょう? 明日にひびきますよ」
「マスターに心配してもらわなくても大丈夫よ。明日の事より、私のメンタルの方を心配して!」
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