第3編

第9章 俺は果たして無事でいられるのだろうか?

第57節 キューブ



 二月にがつわりごろの時期じき私服しふく毛糸けいとでできた青色あおいろのマフラーを首周くびまわりにいている俺は、ひと粗末そまつつくえまえでパイプ椅子いすすわって、いま現在げんざいうみうえにいるのであろう両親りょうしんつたえるべき手紙てがみ内容ないようかんがえていた。



 拝啓はいけい、お父様とうさま母様かあさま


 もうとしけて二ヶ月にかげつとうとしています。はやいものですね。


 とうさんもかあさんも、今頃いまごろ豪華ごうか客船きゃくせんって世界せかいのどこかの大洋たいようの上でバカンスをたのしんでいるのでしょうか。


 一家いっか五人ごにん海外かいがい旅行りょこうおとずれていたハワイにて俺が偶々たまたま買っていたアメリカの宝くじで、まさかの三百億円以上の超大金ちょうたいきんが当たってから二十億円をもらった途端とたん会社かいしゃめて、豪華客船ごうかきゃくせん世界せかい一周いっしゅう旅行りょこうをする予定よていだと最初に聞いたときは、子供を放っておいて無責任むせきにんおやだと心の中であきてていましたが。


 あらためてかえってかんがえてみれば、この少子化しょうしか時代じだいそだてなくてはいけない子供が三人もいる、というのは相当そうとう大変たいへんなことだったのだろうと思います。


 俺はとうさんとかあさんが、あめにもけずかぜにもけず、ゆきにもなつあつさにもけぬ丈夫じょうぶからだで会社に通い、俺たち三人さんにんやしなそだててくれていたということにいまとなってはしみじみと感謝かんしゃしております。


 宝くじが当たって日々ひび苦労くろうとプレッシャーから開放かいほうされたあかしに、第二だいに青春期せいしゅんきを思うがままに満喫まんきつしたいというその気持ちも当然なのかもしれないと最近は思います。


 明日香あすかねえちゃんは相変あいかわらず、底抜そこぬけにあかるい太陽たいようのような脳天気のうてんき笑顔えがおをあたりにりまいています。


 さけむと彼氏かれしができないことをよく俺に愚痴ぐちりますが、もうすっかりれました。


 それからいもうと美登里みどり相変あいかわらず中学校にもかずきこもっていますが、現実げんじつ世界せかい何人なんにんかの年上としうえ趣味しゅみ友達ともだちができました。


 中国人ちゅうごくじんのコスプレイヤーさんとゴスロリ趣味しゅみ腐女子ふじょし大学生だいがくせい、それから焼肉店やきにくてんでバイトをしている新人しんじん声優せいゆうさんで、ときどき RINEラインtwetterトゥイッター 上でやりとりをしているらしいです。


 俺は……まあ学校がっこうではそれなりに順調じゅんちょうでした。


 とうさんにもかあさんにも話していなかった学校でのトラブルも、ギャルになっていた親友しんゆうの尽力と、当の本人である幼馴染おさななじみが勇気を出してみんなの前であやまってくれたこと、それから親切な委員長いいんちょうさんのはからいでなんとか事態じたい収拾しゅうしゅうすることができました。


 大金持おおがねもちになってからは金目当かねめあてでけっこう多くの人が寄ってくるようになってきましたが。


 それでも俺は人間にんげん不信ふしんおちいることもなく、なんとかかんとか日々ひびをつらつらとおくっています。




 そこまでかんがえたところで、パイプ椅子いすすわったままの俺はまわりを見渡みわたす。


 設備せつび内装ないそうなどがなにもないコンクリートがきだしのかべ天井てんじょう配置はいちされている通気つうきダクトが視界しかいに入る。


 この部屋へやには出入でいぐちとびらがあり、その反対側はんたいがわにアルミニウムの格子こうしまっているすりガラスのまどがある。


 俺はつくえまえにあるパイプ椅子いずから立ち上がり、にぶひかりれるまどちかくへとかう。


 換気用かんきように一応、ほんのすこしだけひらくのであるが、とてもひととおれるはばまではひらかない。


 そして何より、丈夫じょうぶなアルミニウム金属きんぞくでできた格子こうし窓枠まどわくにかかっているので、小動物しょうどうぶつですらこのまどとおけることはできないだろう。


 まどこうには1メートルはんほどはなれたところにおそらくはとなりのビルのかべがあるだけで、この場所ばしょがどこかを見通みとおして推測すいそくすることもできない。


 したのほうに視線しせんうつすと、十メートルかそこらくらい下方かほうにうすよごれたかんじの路地裏ろじうらがあり、ゴミが散乱さんらんしているのがわかる。


 その様子から、ここは地面から5階分かいぶんの高さであることがよくわかる。


――かりに、格子こうしはずせたとしても。


――りたらほねとかれてぬだろうな、確実かくじつに。


 

 ふと、からだふるえた。



――尿意にょういだ。



 そう認識にんしきした俺は窓側まどがわの反対にある、出入り口のとびらに向かう。


 このとびらは、内側うちがわかってひらくタイプの開き戸であり、たかさには透明とうめいなガラスのはまったのぞまどがある。


 コンコン


 俺は、のぞまどこうにいる東南とうなんアジアけい浅黒あさぐろはだをした中年ちゅうねん男性だんせい合図あいずおくる。


 男が振り返って俺をガラスしにぎょろりと見て、その口を開き片言かたことの日本語をはっする。


「ナンダ」


 俺は返す。


Iアイ wantウァント toトゥ goゴゥ toトゥ the toilet トイレット。トイレに行きたい」


 俺がそう言うと、その中年ちゅうねん男性だんせいかぎとびらこうがわにあるドアノブにしつらえられた鍵穴かぎあなに入れ、カチャリとじょうを開ける。


 その東南とうなんアジアけい男性だんせいがドアをゆっくりと手前てまえ方向ほうこう、つまり部屋へや内側うちがわにドアを開ける。


「デロ」


 俺はおとこわれるがままに、ドアから廊下ろうかあるく。


 まどみたいなものはなく、廊下ろうかすべてコンクリートのちっぱなし。


 男と並んで歩くと、突き当たりにトイレの入り口がある。


 トイレのすぐ近くには消火しょうか設備せつびがあることを示すマークのついた金属製きんぞくせいひらきがある。


 俺がトイレのぐちから入ると、アンモニアしゅう充満じゅうまんする薄暗うすぐら部屋へや小便器しょうべんきがあるのが視界しかいに入る。


 男は相変わらず、俺のとなりにいる。


 このビルのそのトイレには、波打なみうったくもりガラスの小窓がある。


 ひと一人ひとり通り抜けられるか抜けられないかくらいの大きさのその小窓こまどからは、あさくもそらにぶひかりれている。


 それと同時に天井てんじょうそなけられた蛍光灯けいこうとうがチカチカと、いまにも消えそうに点灯している。


 おとこられながら俺が小便器しょうべんきようすと、ふたたおとこ監視かんしされつつトイレを出る。


 元の部屋にもど途中とちゅうで、かおに大きなきずがある銀髪ぎんぱつ碧眼へきがんの体格のいい東欧人とうおうじんっぽい白人男性がトイレの反対側にある階段かいだんからのぼってきた。


 さっきまで俺にいていた東南とうなんアジアけい中年ちゅうねん男性だんせいはその白人はくじん男性だんせいとなにやら英語えいごでない外国語がいこくごでやりとりをすると、持っていたかぎをその白人はくじん男性だんせいわたし、俺からはなれて階段かいだんしたほうへとりていってしまった。


 わりに、この確実かくじつ何人なんにんかをころしているだろうなという風貌ふうぼう白人はくじん男性だんせいが俺の背中せなかし、ばすように俺がさきほどまでいたこの部屋へやむ。


 ガチャリ。


 背後はいごかぎのかかるおとがした。


 ふたたび俺は、この部屋へやめられてしまった。


 そこで俺はまた、粗末そまつつくえちかくにいてあるパイプ椅子いすすわり、ボールペンを手に取り、手紙を書くための便箋びんせんと向き合う。


 この便箋びんせんは、俺が両親りょうしん手紙てがみを書くために、あの国際色こくさいしきゆたかな集団しゅうだん用意よういしたものだ。


――さて、どういうふうに書き出そうか。


――拝啓はいけい、お父様とうさま母様かあさま


――不肖ふしょう息子むすこたちばな長男ちょうなんである啓太郎けいたろういま現在げんざい



――多国籍たこくせきマフィアに誘拐ゆうかいされています――



 俺は、いていた。


 なみだなかったが、たしかにいていた。

 


――どうして、こうなった。


 そんなことをふかおもいつつ、俺は未来さきえない不安ふあんしずんでいた。


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