第56節 はじまりのうた



 ブブブブブブ ブブブブブブ


 十畳以上ある俺の部屋の、ベッド上の台に置いてあったスマートフォンの振動音で目を覚ました。


 まぶたを開けると、まだ早朝の薄暗い部屋の様子が視界に入る。


 太陽がまだ昇っていないのだということがわかる。


 昨夜に年をかしてから夜半過やはんすぎに風呂に入ってパジャマに着替えた俺は、きっちりと自分の部屋に戻ってベッドにて就寝しゅうしんしたのであった。


 手を伸ばしてワイヤレス充電プレートの上に置かれていたスマートフォンを取り、寝転がったままその画面を見る。


 ブブブブブブ ブブブブブブ


 振動を続けるスマートフォンの画面には悪友一人のフルネームである『大友傑』の文字が浮かび、電話がかかってきたことを示していた。


 ぼけまなこの俺は、その悪友からの電話に出るためにアイコンをスライドして応答し、手にしたスマートフォンを耳に当てる。


「もしもし」


啓太郎けーたろー! 貴様きさま、いつまで待たせるのだ! もう約束やくそく時刻じこくはとっくに経過けいかしているのだぞ!』


――約束!?


――あっ!! やべっ!!


 俺はその悪友の文句もんくに、焦って返す。


「ごめん! 寝てた! すぐ下に降りるから!!」


『ったく、6時45分までは待ってやる。なるべく急ぐのだぞ』


 すぐるのそんな声の直後に、通話が切れる。


 ベッドに寝転んだままの俺が、向こう側の壁に架かっているシンプルな円い高級なアナログ時計を見ると、6時30分少し前を指していた。


――学期末に、元旦がんたんにみんなで初詣はつもうでに行くって約束してたんだった!


――バイトとか色々あったんで、すっかり忘れてた!!


 俺は急いでベッドから飛び起き、パジャマを脱いでクローゼットに閉まってある外出用の冬服に着替える。


 もちろん、クリスマスイヴにかなでさんにプレゼントしてもらった青いマフラーも手にたずさえ、急いで自分の部屋を出る。


 俺が自分の部屋から広い廊下を抜けてリビングに入ると、まだ薄暗い暁空あかつきぞらが窓の外に広がり、その大広間では昨晩と同じような感じでコタツやソファーにて女子大生四人が相変わらずすやすやと眠りこけていた。


 ただ、なんともいえぬ食欲をそそるにおいがこの大広間にただよっている。


 リビングの向こうにあるダイニングテーブルには、かなでさんと幸代さちよさんが昨日の晩のうちに完成させておいてくれた、豪華ごうかなおせち料理が入っている大きな大きな重箱じゅうばこが置かれている。


 そこに、いつものようなロングスカートメイド服を着て頭にカチューシャを着けた三つ編みお下げ髪のかなでさんが、スリッパのパタパタという音と共に室内犬しつないけんのように近寄ってきてくれて、下で両手を重ねてかしこまったような様子になる。


 そして、どこかうれしそうに俺に新年しんねん祝賀しゅくが挨拶あいさつをしてくれる。


啓太郎けいたろうさん……けましておめでとうございます……」


 その言葉をげて、かなでさんが行儀よくお辞儀をしてくれる。


「ああ、けましておめでとう、かなでさん。今年もよろしく」


 俺がそんなことを言うと、顔を上げたかなでさんがわずかに微笑ほほえみつつもうる。


「もう、おせちとお雑煮ぞうにはご用意してありますが……がりますか……? もう少し待っていただければ、今お祖母ばあちゃんが作っております蜆汁しじみじるもできあがりますが……?」


 かなでさんと幸代さちよさんは、まだ日が昇らないうちに俺たち家族の誰よりも早く起床してお雑煮ぞうにを作り、それだけでなく起きたら二日酔いを訴えるであろう姉ちゃんたちのために蜆汁しじみじるを用意してくれていたのだ。


――流石さすが数百年来すうひゃくねんらい歴史れきし伝統でんとう背負せおっていた老舗しにせ温泉おんせん旅館りょかんもと女将おかみさんともとじょうさまだ。


――きようが、一級品いっきゅうひんだ。


 そんな風に心の中で感心しつつ、俺はリビングのクローゼットから急いでカシミア製の高級コートを取り出す。


 そして、マフラーを首に巻きながらかなでさんに気持ち大きな声で伝える。


「悪いけどご飯は後で! 俺今、下に友達待たせてるんだよ! 初詣はつもうでの約束してたのすっかり忘れてたんだ! 見送りはいいから!」


 するとかなでさんが、ほんのりと笑顔を見せながら俺に静かに手を振ってくれる。


「はい……いってらっしゃいませ、啓太郎けいたろうさん……お気をつけて……」


「ああ! いってきます!」


 俺はそう言って、リビングから飛び出してコートを急いで羽織りながら広い廊下を抜けて玄関へと向かう。


――それにしても。


――本当にいいだな、かなでさん。


――絶対ぜったい、いいおよめさんになるだろうな。


 そんな、セクハラになるので雇用主こようぬしの立場では決して言ってはならない心の声をひそかにうちめつつ、俺は友人達の待つ一階いっかいのエントランスホールへと急いだ。






 一階いっかいにある住民用エントランスにあるゲート外の長イスが置いてある待合室には、俺の友人五人が待ってくれていた。


 高校生になってから友達になった悪友三人、さとしすぐる高広たかひろ、そして子供の頃からの幼馴染おさななじみである萌実めぐみ可憐かれんの合わせて五名である。


 俺が慌てて待合室に到着すると、ふわふわ髪の萌実めぐみに「もー、啓太ケータったらおそいんだからー」と叱られたので、おびにお汁粉しるこおごるといったら機嫌を直してくれた。


 萌実めぐみは昔っから、甘いものを食べると機嫌が直る。


 それは、幼馴染おさななじみとの付き合い方の中で知った俺なりの知恵である。


 で、元旦がんたんのまだ日も昇っていない薄暗い空の下、俺を含めた六人は大宮駅おおみやえき近くにある高層タワーマンションビルから、北東方面に二十分ほど歩いたところにある大きな神社、氷川ひかわ神社じんじゃへと向かっていた。


 どこかの池では氷すら張っていそうな早朝の冴えた空気の中、前方に俺たち悪友仲間四人、そして後方に萌実めぐみ可憐かれんとが女子同士二人仲良く並んで、それぞれ冬らしい服装で参道への道を歩いていた。


 隣を歩く高広たかひろが、マフラーを首に巻いている俺に尋ねる。


啓太郎けいたろうくんは大晦日おおみそかなにしてたの?」


 俺は応える。


「ああ、姉ちゃんが友達呼んできてな。みんなで紅白見ながらカニ食べてた」


 すると、高広たかひろうらやましそうなこえらす。


「ええー、いいなー。ぼくうみさち、食べたかったなー」


 そんな食いしん坊の悪友の言葉に、俺は返す。


「じゃ、三学期の俺のおごりのクラス会は高級こうきゅう海鮮かいせん料理りょうりってことにするか? 寿司すしでもいいし、舟盛ふなもりとかでもいいけど」


 俺の言葉に、お調子者のさとしが握った両拳を下げ、クロスさせてから広げる。


「ゴチになりまーす!!」


 うれしそうなさとしの口調に、俺は表情がゆるむ。


 そして、ヒョロ長ノッポのすぐるが俺に尋ねる。


「そういえば啓太郎けいたろう貴様きさまはコミマとかに行ってないだろうな?」


 ぎくり。


「……いや、俺はオタクじゃないからな。行ってないよ」


――うそをついた。


 すぐるが言葉を続ける。


「なんでも、貴様きさまにそっくりな中国人ちゅうごくじん女装じょそうコスプレイヤーがいたらしいぞ。クラスラインで噂になっておった」


「……へ、へー。まー、広い世界にはそっくりな人もいるかもな」


――ま、それ俺なんだけどな。


 そんな事実を言わないようにつとめて心に抱きつつ、暁空あかつきぞらふゆ早朝そうちょう神社じんじゃに向かってそろって歩いていた。


 俺は悪友三人組に、ふと思い出したことを尋ねる。


「なあ、梅雨つゆの頃の雨の日の放課後ほうかごに俺たち好みのタイプを教えったことあったよな」


 すると、三人とも肯定こうていの言葉を返してくる。


 俺は尋ねる。


「俺って、自分の好みのタイプをなんて言ってたっけ? ちょっと忘れちまってな」


 すると、高広たかひろが応える。


「えーっと、確か啓太郎けいたろうくんの好みのタイプは……『ギャップがある人』じゃなかった?」


 さとしが続く。


「あー、そーいや、第一印象と違うものを持っている人がタイプとか言ってたなー」


 すぐる周囲しゅういはばからず大声で尋ねる。


「そんなあめおんな品定しなさだめがどうかしたのか!? それとも何か!? 啓太郎けいたろうこのみのタイプのおんなでも見つけたのか!? うんん!!?」


 そんな早朝にもかかわらず大声で叫ぶすぐるに、俺は気まずく返す。


「そーいうわけじゃねーよ、ちょっとな」


 後ろから駆ける足音が近づいてきて、俺たちに後ろから声がかけられる。


「ナニナニ? いまの話、ちょっと聞き捨てならないんだケド」


 その声の主は、俺の親友である金髪巨乳ギャルの可憐かれんであった。


 振り向いた俺は応える。


「いや、たいしたことじゃないよ。好みのタイプについて話してただけ」


 すると、小柄なさとしがにやつきながら可憐かれんに告げる。


啓太郎けいたろうはな、ギャップがある女子じょしがタイプなんだってよ」


 その言葉を興味深そうに聞いていた可憐かれんの後ろから、萌実めぐみが追いつく。


 そんな感じで群れだって氷川ひかわ神社じんじゃまでの道のりを歩いていると、目の前の横断歩道の歩行者信号の青いランプが点滅し始めた。


 悪友三人組は足を速め、急いで横断歩道を渡ろうとする。


 俺も当然、三人と一緒に走って横断歩道を渡ろうとするも――


 立ち止まった可憐かれんに手を握られ、その場にとどめられた。


 うかうかしている間に歩行者信号が青から赤に変わり、車道の向こう側に男子の悪友三人組。こちらの側に俺と女子の幼馴染二人という格好で分断された。


 隣にいて俺の手を素手すでにぎったままの可憐かれんに俺は尋ねる。


「どうした可憐かれん?」


 すると、可憐かれんがどことなく顔を赤らめて返す。


「ちょっと寒いし……ニギらせといて」


――あれ?


――こいつ、こんなに女の子っぽかったっけか?


 可憐かれんの向こう側には萌実めぐみがいて、俺たちと並んで信号が青に変わるのを待っている。


 なんとなく惑わされた感じになった俺は、可憐かれんに告げる。


「なあ可憐かれん、こんなときになんだけど、クイズの第二問目の答えわかったかもしれねーんだ」


 すると俺に、頬を少しだけ染めた可憐かれんが手を握りながら尋ねる。


「んー、どんな答え?」


 その会話内容を聞いた萌実めぐみも、俺の方を見る。


 俺は二人に、クイズ第二問『お金持ちになれる人となれない人の一番の違い』の自分なりに出した結論を伝える。


「『価値あるものにお金を使えるかどうか』だろ?」


 すると、可憐かれんがどこか嬉しそうな微笑み顔になる。


「へー、もっと詳しく言うと?」


「ああ、つまりお金持ちになれる人ってのはお金を決して無駄に使わない。一万円なら一万円、十万円なら十万円、百万円なら百万円。にしかお金を使わないんだ」


――言い換えれば。


――お金持ち、あるいはお金持ちになれる人っていうのは。


――お金をきっちり、価値あるものを手に入れるためのとして使うことができる。


――つまり、長い目で見ればお金が増えるように、きっちりとお金を使う。


 だからこそ、お金持ちになれる人っていうのはお金を使えば使うほど増えていく。


 その金額以上の価値があるものとしかお金を交換しないのだから、ある意味当然だ。


 つまり以前の俺たち家族のような一般庶民がお金持ちになるには――


 得をするような物事ものごとにお金をかける必要がある。


 場合によっては、それが教育費であったり交際費などであったりするわけだ。


 つまりお金持ちやお金持ちになれる人は、日常的に『投資』を行っているのだ。


 裏を返せば、貧困にきゅうする人にならないための道筋も見えてくる。


――お金持ちになれる人も、お金持ちになれない人も大抵の人はお金が好きだ。


――だが、そのお金に対する『好き』の考え方は180度違う。


 お金持ちになれる人は『』が好きで。


 お金持ちになれない人は『』が好きなのだ。


――言い換えれば、貧困にならないためには。


――お金の価値を大事にし、無駄なお金を使わなければいいということだ。


 つまり可憐かれんしん意図いとは、俺がせっかく手に入れた超大金を無駄に浪費してもらいたくなかったのだということだ。


 その結論に達した俺に、可憐かれんが満面の笑顔をもって返してくれる。


正解セーイカーイ! やっぱケータすごいね!」


「あーっと、まあいろいろあってな」


 俺がそう応えると、可憐かれんがどことなくつやっぽく声を出す。


「うーんと、じゃー頑張って考えてくれたケータに御褒美ゴホービあげないとね?」


 そんなことを言って、隣にいる可憐かれんにぎってた俺の手を離し、俺のうでおのれうでをからめてきた。


 むにゅり。


 可憐かれんの胸にある、正月のおもちのようにやわらかいふたつの大きなふくらみ、その谷間たにまが俺の腕をはさむ。


「あ……あの? 可憐かれん? 当たってるんだけど」


「当ててんだし? 御褒美ゴホービ御褒美ゴホービ


 すぐ目の前でほほを赤らめつつはにかむ可憐かれんの笑顔に、俺の心臓はドキリと不意に跳ね打つ。


――あれ? どうしたんだ俺?


 可憐かれんの向こうでは、萌実めぐみうらやましそうに俺たちを見ている。


 それが可憐かれんに対する羨望せんぼうか、俺に対する羨望せんぼうかはわきいておくとして。


 車のう車道を横切る横断歩道の向こう側では、悪友三人組が何かを話しながら俺たちを見ている。


 当然のことながら、元日がんじつの朝のにぎやかな車の走行音にかき消され、何を言っているかはまったくわからない。


 隣にいる可憐かれんの女性らしい乳房ちぶさふくらみのやわらかさを腕に感じつつ、俺は五年ほど前に元号げんごうあらたまった記念に家族で氷川ひかわ神社じんじゃおとずれたときのことを思い出していた。


――五月の初めだったな、元号げんごう平成へいせいから令和れいわに変わったの。


――俺はまだ、小学六年生だったな。


――レンと別れることになって、萌実めぐみ機嫌きげんがようやく直ってきた時だったかな。


――ずらりと掲げられた紅白の風車ふうしゃと、風鈴ふうりんが綺麗だったな。


――父さんと母さんと、姉ちゃんと美登里みどりとで家族五人で参拝さんぱいしたんだよな。


――あのとき俺は確かに、レンにまた会えますようにって願ったけど。


――まさか、こんな感じになるとは思わなかったな。


 俺がそんなことを考えていると、車道をはさんで向こう側が明るく照らされる。


 悪友三人組は、なにかを話している様子を止め、そろってその光のす方向に顔を向け見上げる。


 今、横断歩道の信号が赤から青に変わった。


 気恥ずかしくなっていた俺は、気持ち急いで可憐かれんからはなれ、悪友どもの元へ急ぐ。


 横断歩道を渡りきったところで俺を待っていたのは、東の方角にうららかにたなびくかすみのようなくもから太陽がのぼっているその様子であった。


――2024年の初日はつひ


 その段々だんだんしろくなってゆくしこむひかりの中に俺たちはいた。


 可憐かれん萌実めぐみも横断歩道を渡って俺たちの近くに位置し、そのおめでたい自然現象を厳粛げんしゅく雰囲気ふんいきで見上げる。


 俺の頭の中に、これまでの人生において起こってきた様々な事件が思い起こされる。


――俺は、ふとした偶然である日いきなり億万長者になっちまったけど。


――俺自身は俺のままで、別に生まれ変わったわけでも転生てんせいしたわけでもない。


――どんなことがあっても、俺は俺なりの過去かこを背負った俺のままだ。


――ほかやつらから見れば、いきなり三百億円も手に入れた俺は。


――ものすごくズルというか、反則はんそくのようなちからを持ったように見えるんだろうけど。


――おそらくは。


――周りにズルチートと思われかねない反則はんそくのような力を神様かみさまもらったとしても。


――


 俺がそんなことを自覚しつつ、たなびく雲から昇ってくる新年初めての日の出をながめていると、俺の隣にいた可憐かれんが無言で、再び俺の手を握ってきた。


 俺は可憐かれんの顔を見ない。


 おそらくは、可憐かれんも俺の顔を見ようとはしていないだろう。


 俺は、可憐かれんのその女の子らしい握力あくりょくを感じる手の反対の手で、首に巻いてある青色のマフラーをそっとでた。


――本当に、俺の未来みらいはどうなっちまうんだろうな?


――でもまあ。


――これからも、俺はしっかりと足元を見失わずに生きていこう。


――一生分いっしょうぶんうんを、使つかたしちまったなんてことにならないように。


 そんなことをあたらしいはじまりのに思いながら、俺はあけぼのひかりの中で首にある健気けなげ少女しょうじょあたたかさをかんじつつ、可憐かれんかるにぎかえした。







~第2編 終わり~


 第3編に続く(かもしれません) 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る