第2編

第5章 俺は大金をどう扱えばいいのだろうか?

第29節 おいしい生活




 いつのときだっかはわすれてしまったが、チャンスの女神めがみさま前髪まえがみしかないという言葉ことば子供こどもころいたことがある。


 人間にんげんきていると、極稀ごくまれおもいもかけない幸運ロトリーられるチャンスにせっすることがある。


 しかし、そのチャンスがまえとおぎてしまったら、うしろからいくらばしてもつかむことはできない。


 チャンスをつかむことができるのは、チャンスがりたそのときそのときにチャンスをつかもうとした人間にんげんだけ。


――女神めがみさまは、チャンスすらつかもうとしない人間にんげんにはとことんまでつめたい。


 そういうはなしだったと記憶きおくしている。


――でも、それをおしえてくれたのはだれだったか。


――たしか、俺がまだおさなころ――


 めた。


 俺はベッドのうえで、まくらうえにあるあたまよこにする。


 ベッドからすこはなれたかべうえには、シンプルなまるいアナログしき高級こうきゅう壁掛かべか時計どけいかっているのがわかる。


 7すこまえだった。


――ちぇっ、めちまった。


――あとちょっとていれば、かなでさんがこしてくれたのにな。


 俺の名前なまえたちばな啓太郎けいたろう埼玉さいたまけん政令せいれい指定してい都市としにある県立けんりつ高校こうこうかよっている、いたって普通ふつう高校こうこう一年生いちねんせいだ。


 ほんの数ヶ月すうかげつまえまでは、クラスでもパッとしない、てて特徴とくちょうのない一山ひとやまいくらの凡百ぼんひゃく男子だんし高校生こうこうせいだった。


――先々月せんせんげつ九月くがつにアメリカのたからくじで数百すうひゃく億円おくえんというちょう大金たいきんたるまでは、だったのだが。


 かなでさんというのは、俺のうちやとっているメイドの少女しょうじょ名前なまえである。


 色々いろいろ事情じじょうがあって、十六歳じゅうろくさいいち高校生こうこうせいにすぎない俺は、まだ十五歳じゅうごさい美少女びしょうじょみの家政婦メイドさんとして、福利ふくり厚生こうせいきの契約けいやく社員しゃいんとしてやとっている。


 このまますこしくらいならベッドのうえでまどろんで、かなでさんがこしにるのをっているのもわるくはないのだが、たふりをするのもちょっとけるとおもった俺はすみやかにベッドからからだこす。


 そして、パジャマのままスリッパを履いて、自分の部屋の鍵がかけられる引き戸を開けて廊下に出る。


 この家というのはつい先月に買ったばかりの、駅前高層タワーマンションのツーフロアをまるまる使った豪邸ごうていであり、廊下ろうかは新築同然の輝きを放っていた。


 なにより、メイドのかなでさんがこまめに掃除をしてくれているので、ほこりひとつ落ちていない。


 ぼけまなこのまま洗面所に到着した俺は、大きな鏡の前で顔を洗って歯を磨く朝のルーティン作業を済ませる。


 おそらくはキッチンで朝食を作ってくれているかなでさんは、俺が起きて洗面所に向かったことは、戸を開ける音とかを聞いてわかってくれただろうと思う。


 そして、再び自分の部屋に戻って、制服のズボンを穿いてワイシャツを着るなどして学校に行くための支度したく調ととのえてから、ブレザーの上着うわぎかばんを持って南向きの居間リビングおもむく。


 天井の高い、上階じょうかいからも見渡すことができる吹き抜けの広い広いリビングには、朝の太陽光が東の方から斜めにしこんでいた。


 リビングと繋がっているキッチンカウンターの近くには、家族で食事を取ることができるダイニングテーブルが置いてある。


 すると、なが綺麗きれい亜麻色あまいろかみを後ろに伸ばし、両耳の近くからそれぞれ小さなみをってらしている、雪のように肌が白く線の細いはかなげな美少女が、パタパタとスリッパの音をらしてうれしそうに近寄ってきた。


 うちみの家政婦かせいふさんとしてやとっている、品のいいクラシック調のロングスカートメイド服をてカチューシャを頭にけた、国枝くにえだかなでさんという名前の少女が俺の目の前で立ち止まる。


 そして、両手りょうて下腹部かふくぶにてかさねてかしこまった様子ようすせ、わずかばかりに微笑ほほえんで俺に朝の挨拶あいさつをかけてくれる。


啓太郎けいたろうさん……おはようございます……」


「ああ、おはよ。かなでさん」


 挨拶あいさつを返した俺は、ダイニングテーブルの上に並べられているかなでさんが作ってくれた朝食の献立こんだてに目を移す。


 海苔のりつきの白飯しろめし味噌汁みそしるにホウレンそう胡麻ゴマえおひたし、そしてじゃけさらに、おそらくは温泉卵おんせんたまごにしているのであろう鶏卵けいらんが一つ。


 老舗旅館しにせりょかんの朝ごはんに出てきそうなほどの、栄養バランスの取れた完璧なまでに理想的な和風わふうの朝食であった。

 

 実際じっさいに三百年の歴史を背負っていた温泉旅館のお嬢様じょうさまであったかなでさんが、うちにやってきてご飯を作ってくれるようになってからは、この豪邸ごうていで暮らすことになった姉ちゃんと俺と妹の、三人姉兄妹きょうだい栄養えいよう状態じょうたいいちじるしく改善した。

 

 なにせ、いつも食事を作ってくれていた母さんは、宝くじが当たってから父さんと一緒に会社をめて夫婦仲良く旅行に出かけてしまい、いつ帰ってくるかわからないのである。


 俺は、そんな料理が並んでいるダイニングテーブルに備え付けてある椅子いすに座り、両手を合わせて軽く「いただきます」とする。


 そして、置いてあったはしを動かして純和風の朝食を食べ始める。


――やっぱり、美味うまい。

 

 それが俺の率直な感想であった。


 これは熟練じゅくれんの料理人が調理した完璧かんぺきな食事とは、また一味違う。純朴じゅんぼくな少女が美味おいしく食べてもらいたい一心で一生懸命作ったということが伝わってくる、えることができない風味ふうみ食感しょっかんであるような気がした。


 そんなことを思いながら、椅子に座っている俺は飯碗めしわんを持ったまま少しばかりはしを止める。そして、ヴィクトリア朝時代のイギリス貴族につかえるメイドさんのような、テーブルのかたわらにおましがおで立ったままのかなでさんに話しかける。


「うん、美味おいしいよ」


 すると、かなでさんがわずかばかりに微笑ほほえむ。


よろこんでいただけたようで何よりです……」


 座っている俺は、立っているかなでさんに言葉を伝える。


「それにしても、俺が食べてるときくらい一緒に座って食べてくれてもいいのに。立ったままだと疲れない?」


 するとかなでさんは、表情ひょうじょうゆるめてほんの少しだけほほめて柔和にゅうわな口調で応える。


「お気遣きづか有難ありがとうございます……ですが、啓太郎けいたろうさんのお気持ちだけ受け取らせていただきます……お仕事しごとあいだ主従しゅじゅう間柄あいだがらはしっかりとわきまえないといけないと……お祖母ばあちゃんにきびしくもうしつけられていますので……」


 その、いかにも老舗しにせ旅館りょかんもと嬢様じょうさまっぽいプライドある確かな意思に、俺はそれならしょうがないと「そっか」と簡単な呼応こおうを返した。


 そして、心の中で思いを浮かばせながら、俺は再びはしうごかして朝食を食べていく。


――本当は。


――本当は、血のつながっていないおなどしの女の子と同居してるってのが。


――どれだけ俺をドギマギさせてるのか知らないんだよな、かなでさんは。


 そんなめたる物思いを表に出すこともせず、俺は彼女が丹精たんせい込めて作ってくれたその朝食を、口の中で味わい深く咀嚼そしゃくしていた。






 

 朝食を済ませ、かなでさんに作ってもらった弁当をかばんに入れ、俺は玄関にて彼女に見送られつつ家を出て学校に向かった。


 学校への行程こうていは毎朝、住民用エントランスにタクシーを呼んで使っている。


 何せ、当たった宝くじというのが名前を公表する義務のある州で買ったアメリカの宝くじだったので、記者会見を開いた俺とその家族が数百億円を持っているということは、ニュースで全国放送されて日本中に周知しゅうちされているのである。


 そんな理由わけ防犯上ぼうはんじょう観点かんてんから、一人ひとりでの登下校とうげこうさいには必ずタクシーを使っているのである。

 

 一登校日いちとうこうびごとに行きと帰りで二千円ちょっとずつなくなるが、俺が銀行の口座にあずけてある現金の総額そうがくが三百億円以上であることを考慮こうりょすれば、ほんの誤差に過ぎないといえる。


 俺は、タクシーの座席から窓を通して空を見上げて、頭の中でお金の計算をする。


――三百億円を持っている人間にとって、千円を使うって事は。


――三百万円を持っている人間が、十分の一円、つまり十せんを使うのと同じってことか。


――だとすれば、仮に月に数十万円を使ったとしても、それは月に数十円を使うのと同じ感覚ってことだ。


――つまり、月に数十円の駄菓子だがしをひとつ買うような感覚で、人間にんげん一人ひとりやとえるわけか。


――それに、もし投資とうしとかをはじめて、本当に年に数億円ずつお金が増えていったら。


――多分、お金がなくなるなんてことは現実げんじつにはありえなくなる。


――少なくとも今の俺には、年に数億円以上のお金を使う日常生活なんて、想像もつかないからな。


 そんな考えを頭の中でめぐらせながら、俺はタクシーの後部座席に座って学校へと向かっていた。


 ちなみに、宝くじが当たってから一ヶ月半近くが経過したが、預金総額が三百億円を下回る見込みはまだ付いていない。


――本当に、お金ってのは多すぎると減らないもんなんだな。


 タクシーの窓から十一月の朝の晴れた青空を見上げながら、そんなことを暢気のんきに考えていた。


 




 金曜日きんようびあさのホームルームでは赤茶色あかちゃいろめられたながかみりょうサイドでけてくるくるしたロールをかけた、アラサー干物ひもの教師きょうし佐久間さくま雫音しずね先生せんせいが、れいによってれいのごとく俺に色目いろめ使つかいつつ誘惑ゆうわく言葉ことばをかけてきたが、ここいっげつはんでスルースキルをおおいにたかめていた俺は「はいはい」とこころなかつぶやいて、いつものようにみぎからひだりへとながした。


 そして授業が終わって、今は休み時間。


 俺はいつものように悪友三人と合わせて四人で一緒になって、陽の射し込む明るい窓際にある自席周辺のスペースでたむろしつつ、色々と高校生っぽい無駄話むだばなしをしていた。


 内容はというと、もし自分たちの手元に三百億円あったら何に使うかという、そういうゆめ痴望ちぼうあふれた、高校一年生なりのバカ話であった。


 小柄こがら剽軽ひょうきんものの悪友、石橋いしばしさとしが笑顔で声を張り上げる。


「やっぱりさー、オレだったら YouTuve ユーチューヴ デビューしちゃうね。高校生だけど雑居ビル買っちゃいましたとか、会社作っちゃいましたとか、そーゆーのすっげーやってみてー」


 すると、太っちょで大食漢たいしょくかんの悪友、細川ほそかわ高広たかひろが反応する。


「もしさとしくんみたいに YouTuver ユーチューバー やるんだったら、ぼくだったら世界中の珍味を食べる番組やってみたいな。アフリカとか東欧とかの、すっごくマイナーな食事を現地で食べて紹介するのとか」


 その言葉に、ヒョロ長でエロ博士はかせの悪友、大友おおともすぐるがニヤリと眼鏡めがねの下にあるくちゆがめる。


高広たかひろ、貴様はシュールストレミングとかキビヤックとかもえるのか? おれもデジタル映像でしか見たことはないが、悪臭あくしゅうはながひんまがるほどのいきおいらしいぞ?」


 高広たかひろが応える。 

べられるよ。だって、くさやだってブルーチーズだってくさいのに美味おいしいじゃない。きっとそういうべものは、くさければくさいほど美味おいしいんだよ」


 そして俺が声を出す。

高広たかひろだったら、多分べられるものならなんでもよろこんでっちまうだろうな。すぐるはなんかしたいこととかないのか?」


 すると、すぐる眼鏡めがねを光らせ両腕をおおげさなまでに広げて、大声で叫ぶ。

「はっ! そんなのかれなくても決まっておろうが! あらゆる人種じんしゅのグラマーなお姉さんとの一夜いちやのハァーレムだ! 白人ホワイト中国人チャイニーズ黒人エボニー中南米人ラティーナ、ありとあらゆる女をほしいままにするのがおれの夢だ!」


 そのクラスにひびわたる声に、同級生の女子たちの冷ややかな視線がすぐるに注がれる。


 俺は注意を促す。

「だからお前は、そういうことを叫ぶのを少しは自重しろ。そもそもさとしが言ったYouTuver ユーチューバー になったら何するかって話だったろ」


 その言葉を聞いて、すぐるが左手でクイッと眼鏡めがねを上げて応える。

「ふぅむ、言われてみればおれはそういうのにはあんまり興味がないな。全世界におのれ痴態ちたいさらすよりは、似たようなのを受信して動画をつまびらかに堪能たんのうする方が、このおれの性分には合っている」


――それがどんなたぐい動画どうがかは、たずねるまでもないだろう。

 

 すぐるは言葉を続ける。


「ただ、金持ちになったとしたらアメリカのシリコンバレーにあるという、 YouTuveユーチューヴ の本社には行ってみたいものだな。株を買い占めて大株主おおかぶぬしになって、世界のヤングエグゼクティブの仕事がどういうものなのかをじかに見てみたい気はする」


 そんなすぐるの提案に俺は返す。


「確か YouTuveユーチューヴ って Googolグーゴル の株持ってる alfabetアルファベット 傘下さんか企業きぎょうじゃなかったか? たった三百億円ぽっちじゃ、筆頭ひっとう株主かぶぬしどころか株式かぶしき時価じか総額そうがくの1%にすら全然届かねーだろ」


 すると、さとしが感心したような表情になる。

「へー、啓太郎けいたろう、お前よくそんなこと知ってんな? ふつーの高校生はそんなこと知らねーぞ?」


 俺は少しだけ表情を引きつらせた感じで返す。

「あーっとな……実は最近、インターネット用にノートパソコン買ってな。 Wi-Fyワイファイ の無線 LANラン でネットに繋いで、よく調べものしてるんだ」


 するとすぐるが腕を組んで、不敵な笑みを浮かべつつ鼻息を鳴らす。

「はっ! さぁっすがは億万長者だな! 何でも言うことを聞いてくれる PCピーシー だろーが美少女メイドだろーが、いぃっくらでも思いのままに手に入るって寸法すんぽうか!」


「だーかーらーそーれーはー、文化祭ぶんかさいのときに説明しただろ? 俺はかなでさんをわるひとから保護ほごしているだけだし、やとぬしだからそもそも彼女を異性いせいとしてさそえないって」


 俺の弁明に、すぐるがニタリと笑って返す。


「それはどうかなぁ? おれが貴様の立場だったら、風呂場か脱衣所に隠しカメラを仕掛けるくらいのことはさせてもらうがなぁ!? なんせみで一つ屋根の下に住んでいるんだからなぁ? うんん!?」


「お前の基準で物事考えるなっつーの」


 俺が悪友三人組とそんなくだけたやり取りをしていたら、クラスメイトの女子が二人、金髪ポニーテールで開けたボタン近くから大きな胸の谷間を主張しているギャルっぽい風貌ふうぼうの女子と、栗色でふわふわな髪を肩上まで伸ばした小動物しょうどうぶつっぽい感じの女子が並んで俺たちに近寄ってきた。


「ケータ、ちょっといい?」

 まず俺に声をかけてきた、金色きんいろめられたふぁさっとした長い髪を後ろにてシュシュでまとめてポニーテールにして垂らしている、セクシーで綺麗きれいめなこの金髪きんぱつ巨乳きょにゅうギャルの名前は花房はなぶさ可憐かれん


 俺が小学生のときに、近所の公園で毎日のように一緒に遊んでいた親友しんゆうである。


 昔からずっと諸事情しょじじょうあって『レン』という名前の男子だと勘違いしていたので、高校生になって再会して女だったということがわかってからでも、なんとなく男友達を相手にしているかのようなノリで接している。


「ああ、どうした可憐かれん?」


 俺が返すと、ツリ目の可憐かれんがむすっとした表情ひょうじょうで少しだけ不機嫌そうに伝える。


「アタシの友達の他校タコーのギャル友達がさー、タチバナくんと一緒イッショにカラオケでゴーコンしたいとか言ってるらしーんだけど、どーする? 行く?」


――あきらかに、かね目当ての誘いだな。


 そう考えた俺は答える。


「……いや、もちろん断っといてくれ。全然知らない人と、そんな気にはなれない」


 すると、可憐かれん表情ひょうじょうがむすっとしたものから笑顔えがおにスルっと切り替わる。


「ダヨねー、ケータならソーうと思ってた。友達には上手うまく断っとくね」


 すると、近くにて惑星わくせい周回しゅうかいする小衛星しょうえいせいのように従っている、ふわふわのくせ栗色くりいろかみを肩上まで伸ばした女子が、隣にいる可憐かれんの腕を両手ではさむ。


「もー、可憐カレンったら。どうせ適当な理由つけて断らせるつもりだったくせにー」


 この、まるっこい目をした可愛かわいらしい女子生徒の名前は天童てんどう萌実めぐみ。小学生のときも中学生のときも俺と同じ学校の同じクラスにかよっていた、俺にとってはずっと特別とくべつだったもう一人の女の幼馴染おさななじみである。


 小学生の頃に男のふりをしていたレン、もとい可憐かれんひそかな恋心を抱いていたのだが、初恋はつこい相手である可憐かれんの性別が女だったとわかってからは、何かスイッチが入ってしまったかのようにGLガールズラブ関係の小説や漫画をあさるようになってしまったらしい。


「あははっ、まー一応イチオーね? アタシはケータの気持ちも大切タイセツにしときたいし」


 可憐かれんのはにかみ気味な受け答えに、萌実めぐみほほめて返す。 


「そんな啓太ケータ思いなところも可憐カレンの素敵なところなんだけどね」


 そんなことを話しながら、可憐かれん萌実めぐみは密着しつつ俺たちから離れていった。


 すると今度は、別の清楚せいそ女子生徒じょしせいと腰元こしもとまでびたつやのある黒髪ロングヘアーの頭頂部とうちょうぶ近くにレースのヘアバンドを付けた、上品ないのおしとやかな女性がすすっと近づいてきて、俺に声をかけてきた。


たちばなさん? わたくしもお伝えしなければいけないことがありますの。よろしくて?」


 この、いかにもお嬢様じょうさまな見た目の流麗りゅうれいにして佳美かびな女子生徒は、西園寺さいおんじ桜華はるかさん。


 俺の所属しているクラスにて学級委員長をしている、お姉さんっぽい柔らかな目つきの美人びじんなクラスメイトだ。


「ああ、どうしたの西園寺さいおんじさん?」


 俺がそう返すと、西園寺さいおんじさんは女子ブレザー制服のポケットから、ハートマークのシールでふうをされた、どこからどう見ても恋心を伝えるためだけに書かれたような風体ふうていの手紙を取り出した。


 瞬間的しゅんかんてきに、俺の心臓しんぞうがドキリとつ。


 そして、西園寺さいおんじさんがその恋文こいぶみにしか見えない手紙を俺にかかげて伝える。


「上の学年の女子生徒さんから、たちばなさんにお手紙を渡すようお願いされましたの。どうか受け取っていただけますかしら?」


――あー、うん。上の学年の女子生徒ね。


――いや、べつ西園寺さいおんじさんからのラブレターを期待きたいしてたわけじゃないんだからなっ。


 そんなことを考えながら、俺は西園寺さいおんじさんから、ハートマークのシールでふうされた手紙を受け取り、意思を伝える。


「とりあえず読んどくよ」


 俺がそう言うと、西園寺さいおんじさんは顔を引き締め、りんとした表情を見せる。


たちばなさん? 例え動機どうきがどのようなものであれ、女の子が男の子に想いを伝えるというのはとても大きな勇気ゆうきることでしてよ? その気持ちはんでげましてね?」


 その、俺が会ったこともない上級生への気遣いの言葉に、俺は表情ひょうじょうゆるめて返す。


「あー、大丈夫、わかってるから。ちゃんと読んだ上で、丁寧ていねい返事へんじを書いて返すよ」


 俺がそこまで言うと西園寺さいおんじさんは微笑ほほえんで「では、ご機嫌きげんよう」と言ってきびすを返し、自分の席へと戻っていった。


 手紙を机近くに置いてある俺のかばんに入れると、授業開始一分前の予鈴よれいが教室にひびく。


 キーンコーンカーンコーン


 その合図に、他のクラスメイト達はそれぞれ自分の席に戻り始める。


 自席に歩き出す前にさとしが俺に伝える。

「しっかし啓太郎けいたろう、ほんとーにハーレム状態だよな」


 歩き始めたすぐるが鼻息を鳴らす。

「はっ! どうせ金目当てだろーが! どいつもこいつもわかやすすぎて反吐へどが出るわ!」


 そして、同じく戻ろうとしている高広たかひろが口を開く。

「でも、啓太郎けいたろうくんは偉いね。そーいうのちゃんと回避かいひしてるじゃない」


 超然ちょうぜんとした態度で俺が返す。

「ま、高校生になってから色々と毒薬どくやくっつーか辛酸しんさんめてるからな。でも、言うほどハーレムでもないんじゃないか?」


 その言葉に、それぞれ背中を向けて歩き始めていた悪友三人が、俺の方に振り返って口々にしゃべ


「いや、どーみてもハーレムだろ」

「貴様ぁ! 自覚がないとかすか!」

啓太郎けいたろうくんはそういうのにぶいんだね」


 そんな、悪友三人の突っ込みに、俺は乾いた笑い声を出すことしかできなかった。


 そして、数学すうがく授業じゅぎょう開始かいし合図あいずである本鈴ほんれいが鳴るとほとん同時どうじに、数学すうがく教師きょうしである白髪しらが初老しょろう男性だんせい教師きょうし教室きょうしつはいってきた。


 日直の掛け声により起立と礼と着席がいつも通りに行われ、窓際の自席に座っている俺は、数学の授業を聞きながら左上の窓の外に広がる冬に入ろうとしている雨の降りそうにない澄んだ青空をながめていた。


――今朝けさの夢で見た、チャンスの女神様は前髪しかないって話は。


――多分たぶん、俺がまだ小学生だったときに可憐かれんが話してた内容だろうな。


――先月池袋いけぶくろ焼肉やきにくを食べに行った日の帰りに、似たようなことを言われたし。


 いくら大金持ちになったとしても、超人的な筋力きんりょくが使えたり、身体からだはがねのようにかたくなったり、魔法まほうのような超能力ちょうのうりょくが使えるようになるわけではない。


 大金持ちってのは、そこらへんにいる大多数の人間と基本は何も変わらない。


 何でもできる神様かみさまのような存在になれるわけじゃない。


 俺は相変わらず、自分がなくしてしまった遠い過去のことも思い出せない、ほんの数分後に起こるはずのことも見抜けない、悩みのタネがきない人間のままだ。


――ただ、ちょっとだけ、自分のためにほかひとちからを借りられるようになったってだけだ。


 そんなことを、青々あおあおとしたそらを見上げながらどことなく憂鬱ゆううつ心情しんじょうで考えていた。




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