朝焼けの島

@lapislazuli1930

第1話

 朝焼けの島


 その昔、天に帳はありませんでした。

 我々常闇をもたらす黒布の天幕はなく、太陽と呼ばれる大きな火の玉と、月と呼ばれるくすんだ水晶玉が、かわりばんこに空を転がり、気まぐれな星と呼ばれる硝子の破片がきらきらと周りを飾っておりました。

 人々は光の恵みに感謝して生活しており、天から与えられる光だけでじゅうぶんに満足しておりました。

 しかしそのうちに、強欲者が出てきました。

「もっと自由な光がほしい」

 不届き者は、炎を作りだしました。周りの人たちも、あっという間に天からの光をないがしろにし、炎の便利さを讃え始めました。

 怒った天は、空に帳をかけました。太陽も月も星も、すべての光を大地に届かなくさせました。

 困った人々は、必死に乞い願いました。

「ふたたび光のお恵みを」

 寛大な天はその願いを聞き届けました。天から認められた存在は、帳から出る許可を与えようと。

 そして帳を司る者を、あの不届き者の家系と定めました。同時に、それらの者が天の光を浴びると目が潰れるようにしました。それが、天に背いた償いなのです。



「――こうして人々は天に認められるよう、帳の中で粛々と暮らすようになりました」

 誰もが知っている物語を改めて語り終えると、ふたたび部屋には静寂が戻った。

 炎がゆらめいている。目の前に正座する少年の瞳は、絶え間なく変化する火の舌を映して美しい。

 火を美しいと思ってしまう時点で、私はおかしいのだけれど。でも血に刻まれた性分だから仕方がない。

「ようこそお越しくださいました、光の御子さま。わたくしは光の祭司、愚かにも天をおろそかにした一族の末裔でございます」

 ぱちり、と薪がはぜる。

「あなたさまを『島』までお連れするのがわが役目。穢れた血族と過ごさねばならないのはご不快でしょうが、これも天の定め。耐えていただきたく存じます」

 床に手をつき、ぬかづける。背中にじんわりと炎の熱を感じながら。

 珍しい子だと思った。火を見ても動じない。呪われた存在を目の当たりにした光の御子たちは、たいてい慌てふためくか、叫ぶか、泣くか、ひどいときには気絶する。

 祭司である私も同じ扱いをされることがほとんど。怯えられて、最初は会話もままならない。

 けれどこの子は平気で焚き火の真正面に座り、ぬくもりに触れている。私に怖気付いた気配もない。

 いわゆる、変な子というやつなのだろう。だけれど、二十年弱祭司をやってきて出会ったどの御子よりも好感が持てる。落ち着いた態度からか。

 でも、呪われた私に好かれるってことは、不吉なのだろう。ごめんなさい、と心の中で謝る。私は穢れているから。

「……あの、顔を上げてくれませんか?」

 涼やかな声だった。変声期を迎える前の、女性よりは低くて、深く広がる音。

「ぼく、あんまりかしこまられるのに慣れてなくて。祭司さん、もっと気楽にしてください。じゃないと、ぼくの息がつまりそうだから」

 ……驚いた。

 この御子は、私を人間として認めてくれているのだ。帳を管理する生ける呪いではなく。

「ありがとう存じます……いえ、ありがとうございます。御子さま」

「御子さまっていうのもなんかやだなぁ。名前で呼んでください。カザニっていうんだけど」

「良いのですか!?」

 こんな穢らわしい存在に、御名を教えてしまうだなんて――

 そう続けようとして、止まった。

 少年――カザニは、本当に気楽な表情で、私を見上げていた。深愛の情と好奇心をたたえた瞳で。それは紛れもなく『人』を見る目つきだった。

「良いって、何が?」

 無邪気すぎる問いかけ。この土地に生まれ育っていたら、覚えないはずがない私の血筋に対する嫌悪を持ち合わせていない疑問。

「……失礼しました。なんでもございません」

「そう? なら安心しました」

 どうやら、先ほどまで静かだったのは、雰囲気に圧倒されて硬くなっていただけで、本来は闊達で朗らかな性格らしい。興味しんしんで炎を眺めている。

「触れると傷を負いますので、あまり近づきませんようお願いします」

「はーい」

 つくづく、変わった子だ。

 カザニが炎に魅入られているうちに出発の用意を整え、儀式の準備をする。

「カザニ、こちらに来てください。そろそろ『島』に向かいます」

「わかりました」

 祭祀場の裏手にある小舟に乗り込む。松明を船首にくくりつけようとすると、カザニが止めた。

「ねえ、それぼくが持ってもいいですか?」

 もう驚かなくなっていた。この子は火を好きになっているのではないか。心配になる。いまさらになって天から見放されてしまうのではないか。いままでそんな事例はなかったけれど、カザニとなるとありえてしまいそうだ。

「……いいですよ。ただし、じゅうぶん気をつけてください」

「ありがとうございます!」

 嬉しそうに松明を握りしめると、カザニは船首に陣取った。

「では、参ります」

 静かな船出だった。代わり映えのしない黒い帳は、ところどころ、天が哀れんで開けてくださった穴から光を落としている。帳がなかった時代は、もっと強烈な光が大地に注いでいたらしいのだけれど、その光景を実際に見た人はもう生きていない。

 力を込めて櫂を動かせば、するすると潮流に乗ってあっという間に陸が遠くなる。

「暇だな。お話をしませんか?」

「カザニがよろしいのであれば」

 流れに乗りさえすれば、あとは座っているだけである。飽きもせずに松明を掲げるカザニは、船べりに座って足をぶらぶらさせていた。

「じゃあ、何かぼくに質問してください。さっきからずっと、訊きたいことがあるって顔をしてますよね」

 虚をつかれた。見破られていたなんて、思いもしなかった。

「祭司さん、けっこうわかりやすいよ」

 苦笑でごまかす。

「……カザニがどうして、私を怖がらないのかなと思っただけです」

「怖がるって、どうして?」

 まただ。また、あの無垢な視線にさらされてしまった。

「普通、天に選ばれた御子は、私を怖がり恐れるのです。私はかの火を発明した愚かしい人間の末裔ですし、忌み嫌われる炎を扱うことを生業とします」

「祭司さんはさ、そのことを悲しく思わないの? みんなから

「悲しく……ですか?」

 どうして悲しく思わなければいけないのだ。私はそういう運命。

 私の先祖は過ちを犯した。それは私の親が、私の子が、そして私が償っていかねばならない重みがある。仕方ないと思っている。幼いころから集落から隔離されて暮らしているから、独りも慣れている。悲しくも寂しくも、感じる理由はない。

 呪われた存在を綺麗と感じてしまうさだめのもとにあるのだから。

 そう伝えると、カザニは目を伏せた。なんだか、私の返事に不服そうな、そして悲しそうな仕草だった。

「カザニは炎を不気味だと思わないのですか?」

「思わないな」

 血が凍った。手にした櫂を取り落としそうになって、慌てて握り直す。

「取り消してください、カザニ。天のお怒りがくだります!」

「取り消さないよ。だって綺麗だから。炎は美しい。それに役に立つ。きちんと取り扱えば、だけど」

「あなたは、何を――」

「ほら、島が見えてきた!」

 唐突に話を切り、カザニが斜め前を指差す。勢いにつられてそちらへ顔を向ける。

 確かに島があった。この大地における、ただひとつの島。

 本当は島ではないのかもしれないが、私にはわからない。島の中央にはちょうど砂山に板で衝立をつくるような具合で帳の端がかかっていて、『外』と『内』を遮断しているから。本当は半島かもしれない。

 帳は、まさしく布だ。分厚い布。光を遮る布。穴は人々の手のとどかないところにしか空いていない。

「早く用意したほうがいいんじゃないの?」

「え、ええ……」

 確かに、もうすぐ帳を開かねばならない時間だ。カザニの発言に関して問いつめている時間はない。

 帳に近い岸に乗り上げ、カザニと荷物を下ろす。儀式のために、帳の近くで火をおこす。

 火は、綺麗だ。それは決して人々が感じてはいけない思い。なぜなら、火は天への裏切りに他ならないから。

 けれど、それをわかっていてもなお、それは私を魅了する。刻一刻と姿を変え、あの手この手で誘惑してくる。そんな炎のことが、私は大好きなのだ。愛しく思ってしまうまでに。

 だから、私は忌み子なのだ。どう考えても普通ではない嗜好を持ってしまった女。こんなことを思うのは、私だけだと思っていたのに。

 カザニ。あなたはいったい何者なのですか?

 問いかけたいけれども、彼は答えてくれないだろう。あの無垢な微笑をもって質問を無視するのだ。

 そんなことを考えていてはいけない。私は、贖罪をまっとうしなければ。

 定められた手順どおりに松明に火を灯し、祝詞を捧げる。私の真剣さが伝わったのか、カザニは初めのように神妙にしていた。

 松明をカザニに手渡す。

「さあ、行きなさい、光の御子よ。この松明を消し、天からの恵み以外に光を持たないと誓えば、自然と帳は開かれます」

 松明を手渡し、海を指差す。あそこに沈めれば儀式は終わり、帳に切れ目ができる。

 カザニは丁重にそれを受け取ると、海とは反対側に歩いていった。すなわち、帳のほうへ。

「カザニ……?」

 声をかけると、カザニは迷うことなく――松明の火を帳に移した。

「何を――!?」

 動けない。身がすくんで、体が金縛りにあっている。

 黒い布を燃やす炎は、いままで見たことないくらい大きく大きくなってく。そのぶん、美しさも増していく。

 私は、何に身をすくめられていたのだろう。罰当たりな恐ろしさなのか、それとも、炎の魅惑なのか。

「ほら、綺麗だ。そう思いますよね?」

 澄んだ声。小川のせせらぎのような、爽やかな声。

 幼い少年の問いに、私はうなずいていた。

 カザニは間近で火が燃え上がるのを眺めると、立ちすくむ私のもとへと戻ってきた。

「祭司さん、あなたは許されたんですよ」

「……何から?」

 そう言うのが精一杯だった。あまりにも恐ろしくて、あまりにも美しくて。

 焼け焦げた帳に、穴が開く。そこから、浴びたこともない強い光が差し込む。赤い光。炎はあたたかくて落ち着いた赤だけれど、この光はそれよりずっと強烈な色をしている。しかし厳かで清らかだ。

 炎はまだめらめらと舌を伸ばす。帳すべてを焼き切ってしまうような勢いで。天幕は抵抗する様子もなく、黒から赤に色を変えていく。

「天から。正確に言えば、この大地に生きる民すべてが許されたんですよ。

 太陽と火は親と子の存在。どちらも敬うことで、天は人にそれを使うことを認めました」

 うまく意味が耳に馴染んでくれない。耳を通り過ぎる、音の羅列にしか感じられない。

 カザニはそんな私を見ると、困ったように笑って言った。

「もう、あなたは蔑まれないんです。みんなと同じひとりとして暮らせるんです。

 あなたは、呪われた自分について仕方ないと言ってたけど……そんなこと言わないでください。それはやっぱり、とっても悲しいことだと思う」

 その言葉は、ただ音のかたまりとして私を取り囲んだ。

 朝日が私を照らす。初めて見る太陽。初めて見る明るい世界。色とは、こんなにも鮮やかなものだったんだ。

 外の世界から風が吹いて、私の頬をなでた。

「あ……」

 涼しいな、と思ったとき、やっと、カザニの言っていることがじんわり頭に染み渡った。

 心のどこかに鍵をかけていた。私は呪われているから。そのことを悲しんじゃいけないと。それは当たり前のことで、仕方がないことなのだと、昔から強く自分に言い聞かせていた。

 その鍵が外れた。いままでの人生――そう、私は人だったのだ――は、辛いもので、苦しいもので。しかしそれは許されたのだという安堵が押し寄せてきて、頭がぐちゃぐちゃにかき乱される。

 ひとしずく、涙を落として棒立ちになっている私の手を、カザニは優しく握ってくれた。

「ぼくは、外の世界から来ました。正真正銘、外の世界で生まれ育った人間です。

 もう、ぼくらは天と話し合って、火を使うことも、火を美しいと思うことも、許されたんです。

 行こう、外の世界に。帳はもうないんだ。

 炎は、ぼくらの未来を照らすものになったんだから!」

 小さな両手がぎゅうっと私の手を包む。子どもの体温は炎よりよっぽど暖かい。

「いまの時間はね、『朝』っていうんです。太陽が天の道を歩み始めたばかりで、赤い光を世界に落とす時間帯のこと。あたりが真っ赤になって、まるで燃えているみたいだから、この景色のことを『朝焼け』って呼ぶんです。

 いまは本当に燃えているけど」

 もう帳のてっぺんまで、炎は舌を伸ばしていた。燃えかすすら落とさないで綺麗さっぱり消えていく黒幕を、名残惜しいと感じないことに驚いた。

 さようなら、天の罰よ。私は赦された。

「行こう、祭司さん。そういえば、名前を聞いてなかったから、教えてください」

 名前、名前。誰かに名前を教えるなんて、生まれて初めてだ。いままでは、それを聞きたがる人なんて、いなかったから。

「あのね、私の名前は――」

 朝焼けが白砂を真っ赤に染めていた。

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