高山テキスタイル株式会社 -歓迎会(後編)-

 三人は、篤郎の運転するアルトワークスで苦しいながらも国道九号線の老いの坂峠を乗り越えると、一旦篤郎の家を経由して、孝子の運転するワンボックスカーに乗り換え楽々荘へ送り届けられた。

 楽々荘の格調高い和式の玄関前に下ろされると、篤郎はポケットから取り出したガラケーの時計を確認し、

「ちょうど時間通り来れましたね。入りましょうか」

 豪と辻崎の案内役を買って出ると、玄関から庭園へと通路を案内した。玄関は和式なのに廊下は洋式、和洋折衷のこの屋敷は迎賓館を目的として建てられ、のちにホテルとして現在も利用されている。夏には

枯山水庭園にライトアップが施され今日のようにビアガーデンが開催される。

「高山」で予約した旨を受付で済ませると、庭園のほとりに設置されたウッドテーブルに深碧色のパラソルがテーブル中央から伸びて広げられていた。庭園の緑の景観に配慮した色で、このパラソルも風景の一部として馴染んでいた。

 生ビールで乾杯を済ませると、豪は早速二次会の話を持ち出した。

「ここの支払いは会社で持ちますけど、二次会は一人五千円ほど出してもらってスナックとかで飲みなおしませんか?」

 会社から自宅までの道のりでも同じような事を言っていたが返事をせずにスルーしていたのを、ここでもう一度はっきりさせようとする豪に、篤郎は辻崎の様子を窺った。いつも通りの肯定も否定も無い、逆にこっちの出方を待っているようでる。

「ま、ここでどれだけ飲むかわかりませんし、まずは飲んで食って庭園を楽しみましょう」

 いきなり金の話とか節操がない、それ以上になぜ歓迎会に会費制にするかな? 専務なんだからお前が出して然るべきと口には出せないが、普通に考えれば常識だろうと、それでもこれまでの豪の言動を見てる限りその常識は当てはまらない。とりあえずここは明言を避けておこうと篤郎は生ビールのお代わりを注文した。

 不満げながら豪も了承すると、今後の仕事の展望など前衛的な話から酔いが回るにつれ早急な改革への不満、そして罵詈雑言へと落ちてくる。気が付けば「あっちゃーん」と呼び方も慣れてきたようで、歓迎会というよりは同僚の愚痴聞き会である。辻崎は二言、三言、質問した事に返す程度で始終ウーロン茶とコースの焼き肉セットに箸を進めていた。

 そろそろお開きの時間となり、フロントで会計に立った豪は酔いに任せてか、

「ここ、お歌の先生の吉水さんとかは来られますか?」

 フロント係に尋ねると、

「吉水さんって、吉水恵美子さんでしょうか?」

「そうそう、そうですそうです。先生、僕のお師匠さんなんですよ」

 二人で話が盛り上がっているので、篤郎は会話に参加した。

「吉水さんって誰ですか?」

「歌の稽古をつけてくれる先生で有名なんですよ。お袋にここ来る言うたら、先生もよく来たはるって言うてよったんですわ」

 得意そうに豪がフロント係と僕の両方に説明してくれた。ここでその先生の名前を出してどうしたかったのか? フロント係を見ると、やはり同じように感じていたようで困惑している。

「お兄さん、酔ってはるから適当にしといて。それとタクシー回してもらえますか?」

 フロント係に助け舟だして、さっさと帰ってもらおうとタクシーを呼んでもらった。

「仲瀬さん、タクシーってもう帰るんですか?」

「豪さん、もう十分酔ってはりますよ。スナックはいいんとちゃいますか」

「いやいやいやいや、仲瀬さん、ちょっとだけ飲みなおしましょうよ。折角ですから」

「どうします、辻崎さん?」

 篤郎は地元だから何とでもなるが、京都市内に帰る辻崎の方が迷惑してるだろうと心配になる。

「僕はどっちでもいいですよ」

「あ、そうですか、そしたら、お兄さん、この辺で贔屓してるスナックとかある?」

「ちょっと数軒当たってみます。タクシーはどちらにしても呼びますね」

「お願いします」

 辻崎のように流れに身を任せられたらどんなに楽だろう、篤郎は肩すかしにあった上今日は帰ってオンラインゲームする気力は残らないだろうなとそんな心配をするのでる。


 フロント係の贔屓の店なのか、豪を見て判断したのか、タクシーに連れて行かれたスナックは熟れ切って枝から落ちそうになったママ一人、客二人だけの空間で、豪は明らかに不満そうな面構えになるも、しっかりママとチークダンスとお師匠の元で鍛えたカラオケを披露した。豪は桑田佳祐を崩した感じで歌い方すら似ていたので、篤郎はこの日より桑田の曲は思い出すので聞かないことに決めたのだった。

 半刻も経たないうちに豪はママにタクシーを呼んでもらうとさっと会計を済まし、

「領収書をお願いします」

 と伝票を切ってもらっていた。これで自腹は免れたとほっとする篤郎に、タクシーの中で、

「運転手さん、若い娘がいるスナックこの辺でありませんか?」

 豪は飲み足りないのではなく、色が足りなかったようである。一瞬にして安息は消えた。

「いつも若い娘が数人いてはるスナックありますけど、そこでよろしいですか?」

「おまかへしますわ。さっきの店おばはんしかおれへんかったからすくに出てひたんですわ」

「あそこの店のママさん、会話が豊富で人気あるんですよ。今日は店子さん休みやったんじゃないですかね」

 豪のろれつの回らない毒気をやんわり制して店のママを持ち上げる運転手の大人の対応に、豪は気付くことなくこれから向かう若い娘の店に期待を胸に膨らませていた。


 二軒目のスナックに到着すると、先ほどの店よりも小さな泥鰌の寝床のように入り口からカウンターが奥に延び、通路に沿って椅子が並べられているだけの空間で、カウンターのママと店子が一人、先客は四人が奥から席を埋めていた。

「いらっしゃい、三人様? どうぞ、前の席に掛けてね。ルカ、ちーちゃん電話して。」

 ママは篤郎らを迎えると、ルカと呼ばれる自称三十歳の店子に電話を掛けさせた。

「ごめんなさいね、今日はちょっと遅いから女の子少ないのよ。今一人呼んでるから待っててね」

 時間はすでに十一時を回っており、つくづく水商売は大変だろうと篤郎は思った。今から呼び出される子は何してたんだろうと下世話な心配までしてしまう。

 おしぼりを手渡しで受け取った後、薄い水割りと突き出し、カウンターにでんと置かれた煮っころがしを摘まみながら楽々荘から始まって三次会でここに到着した経緯を話していると

「ママさん、さっき行った店若い娘おらんかったんやけど、ここはママさんまで若いね」

 豪の見え透い切ったお世辞と他店を貶す会話には、同伴で来たことをほとほと後悔した。スナックを連呼していた豪ではあるが、スナック遊びを分かっていない様は子供の火遊びよりも酷かった。

 人にスナック道を語るほど篤郎もスナック慣れしているわけではなく、なによりスナックに付きもののカラオケと言うものが大の苦手であった。なぜ見知らぬ人前で下手な歌を披露せねばならないのか、接待といえばそれまでだろうがもはや拷問である。それでもママや店子に手を握られて強請られては歌うしかない。先客がしみじみ歌った後にザ・ブルーハーツのリンダ・リンダをお見舞いすると武士の情けとばかりにみんなが手拍子してくれる。ママは上手いやんとお世辞をいい、店子がもう一本のマイクを持ってカバーしてくれる。

 スナックは一種の会社のようだ、と篤郎は思う。一人では何もできないが、みんながそれぞれのパートを補うことで一つの形を作りだす。そこには多くの人の手があり、文句を言わず協力し会うことで結果が出せる。一瞬の喜びを分かち合い、成果に惜しみなく拍手で激励する様は、まさに理想の会社の姿であった。そんなバカげた思いに馳せていると、

「こんばんは!」

 店の裏口から出勤してきたちーちゃんがカウンター越しからあいさつ代わりにおしぼりを出してくれた。自称学生のちーちゃんは二十台前半で、豪はおしぼりを右手で受け取りながら左手でちーちゃんの手に被せるなどセクハラ親父そのものである。

「月曜日、奥さんにちくったろ」

 冗談めかして篤郎が言うと、勘弁してくださいよと酔った顔の前に両手を合わせて拝むのでさらに腹が立つ。

「あっちゃん、デュエットしよう」

 ルカが篤郎にマイクを渡し、すでに曲が入れられている。モニタから流れてきた曲は『愛が生まれた日』で、知っているけれど歌えない、いや歌えないことないけれど、歌にならないが正しい。

「いやこれ、僕無理やし、辻崎さん、お願い」

 豪を挟んで奥側に座る辻崎にマイクをバトンタッチすると、ルカの歌う女のパートが終わり

「恋人よ~」

 なんら躊躇する事もなく、それまで黙ってウーロン茶をちびちびやっていた辻崎の歌声に、歌唱力にママもルカもびっくりした。篤郎はそれ以上に仰天である。人の才能はわからないものだと。最後まで歌い切った辻崎はルカからおしぼりを渡してもらいながら褒めてもらうと満更でもない様子で笑っていた。めったに見る事の無い辻崎の笑顔を拝めたのが今日の一番の収穫だと、すっかり酔っ払った篤郎はようやく今日一日に満足がいった。

 トイレに行ってくると豪は店を出て、ママから教わった道順を歩いて行った。

「ごめんね、ママさん、無教養のおっさん連れてきて」

 篤郎がウインクしてママに軽口を溢すと

「いや、あっちゃん、言い過ぎ。でも面白い人やね」

「周りの人は面白いで済むけど、こっちは身内やで大変ですわ。んじゃそろそろタクシー一台呼んでもらえますか」

 篤郎や栞里が家で豪の話をすると決まって笑い転げてくれる。盛り過ぎとさえ言われるが本当の話なので話している当事者は言えば言うほど惨めになるのだ。人の不幸は蜜の味、まさにこれである。

 豪がトイレから戻るとタクシーを呼んだことを伝え、それではお開きにしますかとなったところで、僕もトイレ行ってきますわと篤郎は会計を逃げた。用を済ませて適当に時間をつぶして店に戻るとすでにタクシーが到着しており、会計を済ませたのか豪と辻崎に加えママとルカ、ちーちゃんがお見送りに店の入り口に立っていた。

「仲瀬さん、タクシー一台しか呼んでへんかったみたいやし、一緒に家まで送ってから帰りますわ」

 豪が篤郎をタクシーに乗るよう促すが、篤郎は手を振って断った。

「家そんな遠く無いし酔い覚ましに歩いて帰りますからいいですよ」

 またタクシーの中で金勘定とか言われたら堪ったもんじゃないと同乗を避けると、ママさんらと挨拶を交わし、ちーちゃんにはまた来てねと抱きつかれ、ルカからは電話番号を書いた名刺を受け取った。

「じゃ、今日はごちそうさまでした。また月曜日、お疲れさまでした!」

 篤郎はタクシーに乗り込んだ二人に頭を下げると手を振って見送った。何か言いたげな目を真っ赤にした豪を尻目に、もう一度ママさんらにも一礼して夜もすっかり更けた夜道をヨタヨタと歩き出した。

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