高山テキスタイル株式会社 -福利厚生-

「私は止めときます。主人が帰るまでに夕飯の支度してないと怒られますから」

 朋弥は出勤早々にかけられた豪からのお誘いを、これまでにも使い古した定型文で断った。昨日の帰り際に計画された飲み会は、翌日には主催者よろしく豪が早くも動き始めた。仕事以外には積極な行動に出る、というとまだ聞こえは良いが、飲み会だから積極的というのが正解だろう。

 酒を飲むことが人生の至福の時間とばかりに弱いのによく飲む豪は、仕事を終えて隣の母屋へ帰るとすぐに風呂に入り、上がった瞬間から酒盛りが始まる。もちろんそれまでに靖子はご飯の支度を整えお風呂まで沸かしている。もちろん嫁の真理子も夕飯の手伝いはするが、風呂掃除などはしない。掃除洗濯家事全般、豪の嫁は一切やらないと博隆は現場に来ては松永豊美によく愚痴ったものだった。

 夕刻の終業前になると、通路ひとつ隔てた向こうの母屋の台所からニンニクを炒めた臭いを漂わせてくるので、これ見よがしに開けていた窓を閉めてやったりするのだが効果は一切なかった。たまのニンニク料理であるなら耐えることも出来ようが、週の半数以上となるのだからよほどのニンニク好きだ。

 豪は学生時代から近所中にバカにされ、子供同士の揉め事に必ず母靖子が飛んでくる始末で、誰からも相手にされず、家庭と会社だけという小さな世界の住人の楽しみは、夜更けまで続く酒盛りだけであった。酒漬けとなった翌日はニンニク臭とアルコール臭を誤魔化すためにブランドの香水をたっぷりかけて出勤してくるので近寄る事すら堪え難く、涙袋のぶくっと膨れ上がった目は赤く、声はガラガラである。

 豪には二種類の泥酔状態があり、ニンニク臭をさせている時は家飲み、ニンニク臭の無い時は代理店長を雇った靖子のスナックでの飲みである。博隆に呼ばれてスナック経営から身を引いたものの、靖子はスナックそのものを手放すことはなく、代理店長を立てて卒なく副収入を得ていたのだ。あまつさえ、過去には会社の忘年会の二次会にそのスナックを貸し切って行うなど、社員からをも金を吸い込んでいたのだから恐ろしい。その支払いの領収書は当然会社名で切るので、これまた経費落としに利用する徹底ぶりだ。

 当時は社員集めて屋上でバーベキューや、忘年会、一泊旅行などの福利厚生を意識してのイベントが行われていた。今でも篤郎が休憩がてらに樹脂場の上の屋上に上がると、ドラム缶を半分に割ったバーベキュー用のコンロと、ゴルフの練習用のネットと人口芝生のシートが張られていた。コンクリートの丸テーブルや椅子も会社の設立時から作られていたのであろう、レクリエーションが兼ね備えられた賑やかな屋上テラスが設けられていた。

 近所に住んでいるというとこもあり、当時の従業員から声を掛けられてパートとして雇われ、後に正社員採用を受けた豊美は今では瀬田に次ぐ古株である。豊美の夫の会社が倒産したこともあり、老後を迎えるにはまだまだ若いこともあり、また靖子からボーナスは多い時で百万円もらう人も社員もいると吹聴されて社員になったものの、後に誰に聞いてもそんな大金のボーナスを受け取った人は居なかった。

 それでも左団扇状態であった当時に買ったゴルフの会員権やリゾートマンションをチラつかせながら靖子からゴルフをしないかと誘われると、何度も騙されているはずなのに休日ゴルフの初体験に心弾ませて会社へ行くと、待ち構えていた靖子と豪と共に屋上へ上らされ、簡易ネット相手に罵声付きの練習で時間を過ごした挙句、

「あんたはセンスないからコースはまだまだだせへんわ。連れて行ったらこっちが恥かくでしょ」

 靖子はそう言い切りその後も何度か誘ったが、豊美が屋上でクラブをスイングすることは二度となかった。

 豊美が再び屋上へ上がったのは社員一同集まってのバーベキューであった。一同とは言ってもレジェンド組は参加しない。仕事上の付き合いは堪えられても、時間外まで豪に付き合わされては堪ったものじゃないという一致団結の拒否を示した。

「お肉は安くて腐りかけが美味しいのよ」

 靖子は買い出しに一緒に出かけた豊美に何度も言い伏せた。精肉店で美味しそうな肉を買おうとする豊美を制しては、

「そんなたくさんもったいない、そんないい肉、あんた人の金やと思ってちょっと厚かましいんちゃう」

 くどくどま捲し立てる靖子のあまりのケチぶりに閉口するしかない豊美の横で、

「あとこれと、これを包んで下さる」

 値段の張った肉をいくつか注文する。安い方がおいしいのではなかったか? 靖子の意図は分りやす過ぎて腹立ちよりも呆れるばかりである。経費で買った肉の安いのはバーベキュー用、高級肉は家庭用にするつもりだと豊美が感づくや否や、

「ちゃんとこれも出しますからね」

 疑いを晴らすかのように靖子は胸を張って言うと続けてお決まりの言葉。

「領収書をお願いね」

 実際バーベキューが始まると、肉の種類で分けられた包装紙で安い肉しか出されてないことに豊美は唖然とするばかりであった。

 会社のイベントごとには必ず靖子と真理子も参加は当然とばかりに顔を出し、豪までもが

「安い肉はやっぱり美味しいな。腐りかけが一番やで」

 母の教えに倣って口を揃える始末である。

「美味しいですね」

 厚かましく真理子もが紙皿に乗せた肉を口に運んで後に続くので、もはやコントを見ているようである。

 大方みんなが我先にと箸を啄んで腹を満たしたころに、靖子は高級肉が包まれた袋を持ってきた。デモストレーションを終えた豪や真理子は一口以降は箸を休めており、待ってましたとばかりに博隆を加えてコンロを囲う様は母ライオンが仕留めた肉に群がう子ライオンを見ているようで、豊美はその時の様子を忘れることはなかった。

 家族が結集するのは今日に限ったことだけでなく、忘年会や一泊旅行でも席は家族だけで固まり、部屋も家族一室で水入らず、むしろ家族旅行や食事会に社員が同行しているといった図なのだから、いつまでも社員もバカではなく、誰かが声を上げるとなく懇親行事は消えてなくなった。


「相阪さんはどうですか? 一緒に仲瀬さんの歓迎会行きませんか」

 豪にしてみれば久しぶりの家族以外との飲み会行事で浮足立たずにはいられないのである。しかしお気に入りの朋弥の不参加を聞いた後、すでに女に声を掛ける勢いはなくなっていた。朋弥が来ないのであれば一人だけの女性参加は邪魔でしかなかったのである。すでに二次会をスナックかどこかと考えていたで女同伴では面白くない、そう頭で計算していた。それでも社交辞令と形だけのお誘いになるのだ。

「私も家旦那と二人だけなんで夕飯もあるけど、それ以上に私ビール飲めないんで止めときます」

 栞里にしても形式だけのお誘いであることは、心無い豪の口調からは察していた。ビールは口上でありながら実際ビールの苦手な栞里も洋酒や焼酎はなんでもこいである。が、面白くない男と飲み交わすなど何を飲んでも旨いわけがない。思わず鼻息荒くなりそうなのを鎮め、努めて丁重にお断りをした。

「そうですか、それは仕方がないですね。じゃあ、仲瀬さん。辻崎さんと三人でビアガーデン行きましょか。どこかいいところ知ってはりますか?」

「え? ほかの人は誘わないんですか?」

 歓迎会込みなので社員全員に声を掛けるとばかりに思っていた篤郎は、つい声が裏返るのだ。総勢十数名で揃ってそういう行事は無かったのかと思った。そういえば「製作所」でも忘年会が入社した最初の年だけ行われたが、閉宴しての帰り際に高山博康が同伴の妻静代に、

「みんなに嫌われとるのになんでこんな席設けなならんね、もう二度とやらん!」

 そうぶちまける博康をその時は気の毒に思った篤郎であったが、嫌われるには理由があるし経営者は得てして嫌われるものである。問題は嫌われ方であると悟る篤郎は、後に嫌われて当然と気付いたのだ。


「大勢になると動きにくくなるし、今回はトレース室だけのメンバーにしておきましょうよ」

 これで邪魔者は居なくなったと言わんばかりにご機嫌な口調で声を上げると、篤郎の顔元を覗き込んだ。豪はお気に入りの相手にはすぐに顔を近づけた。

「あのー、僕もお酒はだめなんですよね」

 普段会話をすることなく、朝の「おはようございます」と、終業時の「お疲れ様でした」以外の言葉を聞かないまま一日を終えることもある辻崎が言葉を発した。

 コツコツとどれだけ周りが忙しくしている時もマイペースで、みんなそれぞれが作業中であっても絵刷りの検収している中、電話にも出ず黙々と自分の世界に集中する辻崎が振られたわけでもない会話に参加するなど何事か、と皆が一斉に辻崎に視線を向けた。

「行くことは問題ないですけど、飲めないん分食べる要素があればいいかなと」

 視線を集めながらも動じる素振りはなく、あくまでも淡々と要望すら出してくるので実は大物なのかもと篤郎は戦慄する。少しだけ。

「そしたら亀岡の楽々荘はどうですか? 場所は亀岡駅の近くで日本庭園を眺めながらビアガーデンを楽しめる料亭で、焼き肉コースでしたらそんなに高くないと思いますよ」

 篤郎はパソコンのブラウザを立ち上げると検索ですぐに楽々荘のサイトにアクセスすると、ビアガーデン時に撮影された煌びやかな日本庭園をバックに、パラソル付きの簡易テーブルでビールジョッキを飲み交わす風景写真が映し出された。

「おお、料亭ですか、綺麗なところですね。流石仲瀬さん、いいとこ知ってはりますわ。焼き肉やったら辻崎くんも大丈夫やね」

「はい、それなら行けます」

 辻崎はチラッと篤郎のモニタを見ただけで、特に興味がある訳でもなく仕事に戻った。人知れず後で自分で調べなおしをしているのだが、誰も気付くことはなく、また誰も気にすることもなかった。

「あとは日やね、いつ行きましょうね」

 この人はいつ仕事に戻るのだろうかと、篤郎はいつまでも顔をそばに寄せる豪にうんざりするのでる。

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