高山テキスタイル株式会社 -オーダー-

 技術を見込まれて転職してきた篤郎だが、業務の多くは外注が完成させたトレースデータの検修の日々であり、しかも最終確認として豪がジョイントを見定めたのち製版作業を行っていたので少し拍子抜けに感じていた。

 ジョイントとは、反物を連続して繰り返しプリントする際に、柄の始端と終端の境目を判りにくく加工することで、どこまでも切れ目のないプリント生地を作り出す技術。

 生地の送り出しのサイズは固定されているため、いかに範囲内で継ぎ目のない送付け(ジョイント)の図案加工するかが腕の見せ所であった。センスが悪いと継ぎ目は無くともガタガタであったり、柄の一部が始端、または終端側に取り残される状態を「後家やもめ」と呼ぶ蔑んだ業界用語まであった。


 取引先の紀ノ川染工と船越捺染から受注した図案は、主に栞里と朋弥がスキャナでデータ化し、添え付けの指図書を会社既定の用紙に書き写す。それをさらにスキャナでデータ化すると、図案データにチャンネル(レイヤーのように積み重ねられた透明フィルムのような機能)として指図書データを添付する。CD-ROMやMOのメディアで図案が用意されていることもあり、手書きの図案や生地見本の図案をスキャナするのに比べて格段にトレースが容易になるのだ。

 図案と指図書データを一つのファイルとして保存すると、初めて豪がそのデータに詳細な指示と色番号をペンタブレットを使って書き込む。トレース技術のない人間がペンタブレットを扱うと、実際の紙にペンで書くようにきれいな文字は書けず、本人は真剣でも傍から見れば蚯蚓ののたくったように見えてしまう。そのため度々指図を見間違えて完成したデータに不備が発生する事がある。

 ペンタブレットの扱いに不慣れな上に理解力の弱い豪は、社長の博隆が受け取ってきた図案はもちろんのこと、自分で受け取りに行った際に直接聞いてきた図案でさえも指図に頭を悩ませていた。

「仲瀬さん、ちょっとこれ見てもらえますか?」

 これまでは一人で図案と格闘していた豪も、今は右腕として篤郎がいる。分からなければ聞けばいいし、トレース技術者なので具体的な指示が聞けるので頼もしい限りである。

 篤郎自身も全面的に頼ってきてもらえることに喜び、経験を活かせる機会にようやく満足していた。数回までは。

「これ見てもらえますか? こんな図案初めてですわ」

「こんな分かりにくい指示、こっちを陥れようとしてるとしか思えんですね」

「なんでちゃんと指示かいてくれてへんのや、もう外注に出して出来上がったん見てそん時考えましょか」

 独り言なのか質問してきてるのか分からないが、呆れるほどの程の文句や愚痴、時には暴言を吐きながら指図作業をする豪を横目に、篤郎は少々うんざりしていた。質問してくる内容は毎回同じで、同じことを何度も何度も毎日にように繰り返されると終いには、

「それ、昨日もいいましたよね?」

 なるべく棘の無いよう優しく言うのだが、一瞬苦虫を噛みつぶしたような表情を出したかと思うと、

「あ、そうでしたっけ。ちょっともう一回見てみますわ」

 と口元だけ笑って見せ、見直しても分からないであろう図案と睨めっこする豪なのである。自分の作業に戻ろうとするも、隣で唸り声を上げてる豪が気になる篤郎は、つい気を許してしまう。

「全体的に抽象的な図案で輪郭とか色の表現が分かりにくいと思うので、ちょっと描く手順みたいなサンプルでも作りましょうか?」

「そうしてくれますか! 文字で書くよりわかりやすいと思いますわ、流石仲瀬さん!」

 厚遇を受けてる手前無下にも出来ないと、篤郎がこうして助け舟を出し始めた事が、これまでは誰に頼ることなく奮闘の末に答えを導き出していた豪にとって、すっかり篤郎頼りで思考が弱体化してしまうことになる。

 水彩の絵の具で描かれたような図案や、油絵のように色を重ねて描いたような図案から一色一色を独立させてトレースする作業の指図は、文章でこうしなさい、ああしなさいと書いても意図が伝わりにくい。当時の韓国の外注であるPT社(韓国の朴社長と日本の高山社長の頭文字から名付けたそうだ)は、日本から郵送で送られた図案の全体像を見て、ある程度の熟練トレーサーが描く手順の取っ掛かりを見出すのだが、インターネットの普及とトレースのデータ化によって、FTPで送られたデータ図案を二十数インチのモニタ上で確認することになり、小さな画面の中で図案をスクロールさせながら全体を見るため要領が掴みにくい。さらに手書きの図案をスキャナでデータ化すると、パール銀などの光沢のある色や、複雑な淡い色の重なりなどは劣化されてしまうので、その少ない情報の中から模索することになる。

 篤郎がサンプルを作ることでそれらの問題を解決に導いた反面、外注トレーサーの発想力の減退を招くことになり、後にサンプルなしに進めることが出来ない状態にまで落ち込んだ。

 外注のトレーサーは、韓国のPT社に数人と、国内では夫婦に加え長男を合わせた三人家族で営む細見トレースと取引をしていた。

 PT社には図案データをFTP転送し、細見トレースには毎回連絡後に来社してもらっていた。やはりスキャンデータと違い、従来の図案を直接手にして顔を突き合わせて指図を伝えることがなによりミスを未然に防ぐ手段であった。

 この日も数柄受注した図案から両社の得手不得手に加え作業量を計って分配するのだが、トレース経験の無い豪に作業量が計れない。これまで通り図案のサイズや素人見た目で値段や納期、どちらに振り分けるかを思案しており、その作業を横目に見ていた篤郎は口元まで上がったお節介をなんとか抑え、

「豪さん、一度和歌山へ挨拶行かないとですね。大賀さんにお礼もしたいですし」

 今まで通りでやってきたことを敢えて口出しする必要はないと、別件で口を濁した。

「ちょ、ちょっと待ってくださいね、仲瀬さん、ちょっとこれ終わるまで待ってくださいね」

 豪は図案から目を離すこともできず、図案を巻き取り式のメジャーで図っては電卓を叩いていた。午後の昼食休み明けに、紀ノ川染工から戻った博隆が持ち帰った図案は全部で七柄。すでに四時を回ろうかというのにまだ仕分けが終わらない。入荷作業によるスキャンや指図書の書き写し時間を加味しても、遅々として終わらない作業に豪自身が一杯一杯の状態である。

「先に細見さんに渡す図案があるなら連絡入れて来てもらった方がいいんじゃないです? 仕分け終わってからだと六時回りますよ。」

 この分だと終業時刻を回って定時に帰れなくなるなると踏んだ栞里が、半ば飽きれ口調で豪を急かせた。

「そやね、来てもらってる間には出来るしね、すぐに連絡入れますわ」

 壁掛けの時計の時刻を目にした豪は、ようやく状況を把握して低頭に頷くとデスクの上のコードレスフォンに手を掛けた。

「もしもし、高山です、あ、はい、柄を用意してますので、はい、来てもらえますか? はい、あ、明日? はいはい、わかりました。では明日よろしくお願いします」

 ペコペコと電話越しの相手に頭を下げながら会話を終えるとおもむろに受話器をガチャリと下ろし、

「何で明日やねん、すぐこいや。用意したってるのに」

 下ろした受話器に毒を吐くと、次に隣の仲瀬に振り向き、

「ねぇ仲瀬さん、こっちが苦労してもらってきた図案を明日取りに来るって、やる気あるんでしょうかね」

 と急に声のトーンを上げて訴えてくるから、篤郎も面食らって笑いそうになるも、電話の向こうで答えた細見の回答にも違和感を感じる。

「そうですね、仕事があるなら直ぐにでも走るくらいの誠意は欲しいですね。僕も向こうでやってる時は日曜だろうと夜の九時だろうと呼び出されて行ってましたよ」

 実際なかなかトレースの仕事を回してもらえず、そんな時間に呼び出す高山博康曰く、

「鳥養くんらの手前、あんたにあんまり柄を回し過ぎて、外注に仕事回さんかったら具合悪いやろ。そやさかい、誰の目もないとこで渡したるんや。あんたも気を遣わんでいいやろ」

 一体自分がなにか悪いことでもしているのだろうかと疑問を感じずにはいられない博康のセリフに、しかしトレースの仕事は即収入に結び付くので文句も言えず、結局呼び出しに応じる他なかったのだ。

「その通りですわ」

 期待通りの返事に満足した豪は大きく頷き作業に戻ったが、結局仕分けと指図が出来上がったのは終業時刻数分前で、細見がそれを予期して返答したのは長い付き合いで得た知恵だったのだろうと篤郎は思ったが、後に分かったことだが単に細見のやる気の問題であった。

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