高山テキスタイル株式会社 -エクスペリエンス-

 白を基調とした壁紙がトレース室全体を明るく照らし、エル字に並べたデスクには六台のパソコン、部屋の入り口にはサーバー用のパソコンとその横に独立したパソコンが一台、計8台が備えられおり、奥には大判用ドラムスキャナとプリンター、そしてレーザー複合機を構えていた。

 なにもかもが「製作所」の規模を超え、そして一番奥のパソコンには辻崎が座り、入り口から順に優紀子、朋弥、相阪栞里のパート三人トリオが肩を並べ、平均年齢は四十台前半と篤郎が現在勤める式場のスタッフやアルバイトたちの平均年齢十八、九に比べると決して若いとは言えないまでも、枯れ木も山の賑わいよろしく華やかさもあった。華やかさを抜きにしても、パソコンがあるというのがなにより篤郎を惹きつけた。

 中央に鎮座する二メートルにもなるガラステーブルには、一枚の絵刷りされた台紙が広げられいる。版画と同じような工程で、図案に合わせた色を顔料で作り、完成した型枠に垂らしてスケージと呼ばれるヘラで刷り、台紙に最大十六色分の型を順に重ねて刷り下ろすと華美な絵が完成する。今まさに台紙には、某寝具メーカーでよく見かけるようなペイズレーの布団柄が刷られていた。おそらく篤郎の来社に合わせて惹きつけんとばかりに用意したのであろう。

通常は仕上がった絵刷りはトレース室の人間にピンホールと呼ばれる型枠に出来た穴や、トレース時に図案の書き忘れによるオチが無いかを検収するとすぐに絵刷り場に返し、チェックしたところを修正してもらうので置いたままにする事はない。

 部屋の戸口で瞬間挨拶を忘れれいた篤郎も、すぐに気づいて部屋のみんなへ挨拶をすると靴を脱いでフローリングの床に足を上げた。各自挨拶を返すと作業に戻ったので、もう一度落ち着いて周りを見直す。

「大きな規模でやっておられるんですね。大判プリンタは重宝するでしょう? 向こうでは家庭プリンタで出したものをつなぎ合わせるか、画面上だけでチェックしてたんでオチが結構あったんです」

「そうでしょう。ここは布団の仕事が多いから、全体を確認できるようにするんに絶対必要なんですよ」

 豪はガラステーブルの上に横の作業台から取り出した紙を広げて見せた。大判プリンタで幅八十センチ、縦一メートルほどの綺麗な模様がプリントされていた。篤朗は目を輝かせてそれに魅入った。

「画面で見るとどうしても細かく見すぎて全体を見失うんですよね。そうすると色の間違いなんかも気付かないんですよね。木を見て森を見ずなんですが、これだと端から端まで実寸で見られるから最高です」

 もうお世辞でもなんでもなく、印刷ショップでしか見ることのできない機材に篤郎は興奮を隠せないでいた。

「インクジェットが部分焼きに向いてないのもあって、これでミスを出さないようにしてるんです」

 豪の得意顔も止まらない。褒められることを誰よりも欲し、力を誇示するのだ。

「いや、正直これだけの設備の整ったところだと思っていなかったものですから。こんなところで働けたら毎日ワクワク出来ますね。」

「仲瀬さんに来てもらいたいのは、これだけの設備があっても技術を持った人がいないんですよ」

「トレースは皆さんがされているんですか?」

「トレースはみんな外注に出してます。メインは韓国にだして、残りを日本にって配分ですね」

「あーやっぱり、こちらでも韓国が主体ですか?」

 トレース職人全盛期時代、仕事の量は増える一方だがトレース職人には限りがあり、また高額な賃金を払うことになり経営者を悩ませた。そこで目を付けたのが韓国市場で、賃金の安い韓国へ技術提供するとともに現地で自社専属のトレース会社を興したのだ。韓国内でも需要は鰻上りとなり爆発的にトレース職人が急増した。

 日本マネーが稼げると現地の職人は仕事の効率、技術を押し上げ、逆に面倒な作業を敬遠する日本のトレース職人は楽な仕事を選り好みする事で、技術が悪化の一途を辿る事となり、今や韓国人トレース職人が日本の型屋産業を担う重要な位置についていた。ただし、繊細な仕様や仕上げは日本人の生真面目さが欠かせなく、トレースの仕上げや検修に要員を必要としている。ここ高山テキスタイル株式会社もその典型的なスタイルであった。

「そうです。うちの親父が韓国まで行って百パーセント出資会社を立ち上げたんで、頑張ってやってもらってるんです。」

 ここでも鼻を高く伸ばし、さも自分が手柄のように豪は語った。

 近所でも評判の勉強の不出来から、豪は中学校を卒業後大阪市内の名前を書けば合格できると言われる高校に入学した。靖子の毎日の駅までの送迎もあり無事卒業すると、学生時代に付き合った徳山真理子と実家に戻り同棲を始めた。しばらくは靖子の経営するスナックに真理子と三人、仲睦まじくホールを手伝うが、父博隆が当時有限会社の人手増強と家族経営の経営変革のために高山テキスタイル株式会社として三人を取り込み、靖子は常務、豪は専務として就任させた。させたと言うと聞こえはいいが、実は靖子が実権を握ることを条件に、趣味のスナックを人手に預け、さらに真理子を席だけの社員として登用することで息子の将来を博隆に約束させたのである。

 世間を学ぶことなく社長の息子という庇護の下、ちやほやされて数十年を過ごした二世の活躍は薄く、自身で築き上げた歴史がない。父親や社員の積み上げた実績を専務取締である自分の評価とばかりに雄弁を並べる様に、優紀子は呆れ顔で朋弥に眼で語る。

「また始まったよ」

 新しく会社訪問に訪れた人へのテンプレートの文句らしい。何度も声に出して繰り返すと身につくとはこのことだ。

「ねぇ」

 微笑んで朋弥も答えた。

 篤朗にはまだその事実を知る事は無く、型屋の理想な経営形態に満足し、なにより内部外注が居ないことで給料落差で揉める事もなさそうだと安堵した。

「僕は何をすればいいんでしょうか?」

「修正や変更が入った時、いちいち外注に返してそれをまた検修してってやってると手間取るので、そういうのをやって欲しいんです。検修は出来ても修正とか絵を描くとかは誰も出来ないので、困ってたんです」

 そういう事なら合点がいく、と篤郎は思った。これだけの設備が揃っているにも関わらず、外注の仕上がり如何で左右されているようでは、進捗も侭ならないだろう。大賀の言っていた職人を探していると言うのは、こういう切実な問題だったようだ。

「豪さんは何をされているんですか?」

 特に他意はなく聞いたつもりだが、豪は用意されていない質問にしどろもどろだ。

「僕は、ほら、ここで検修するのと最終チェック? あとは外注に指示とかやな。あ、あと、仕事取りに和歌山とか交代で行ってる。え? 何で? 」

 何を焦るのかさっぱりわからず、その挙動に聞いた篤郎自身が焦ってしまいそうになる。

「いや、僕も向こうでトラック配送とか営業にも行っていたので、ここは誰が行かはるんかなぁと」

「あー、トラック配送は下で紗張りしてる武井さんが、和歌山と浜松まで行ってくれはるんや。図案貰いには、僕と親父が交代で行ってるな」

「浜松言うたら船越捺染ですか?」

「そうそう、亀岡の叔父んとこも行ってたんやったな」

「ええ、単価が合わんから言うて撤退しはりましたけどね」

「ここは大部分を和歌山で、その補足に浜松の仕事も取るようにしてるんですわ」

「業界全体的に縮小傾向があるので、数社の取引先があると安心ですね」

 浜松所在の船越捺染株式会社は全盛期は婦人服地やクッションカバーなど、ファッションやインテリア繊維を主体に栄えた会社であったが、人件費削減に中国や韓国のアウトソーシングに移行すると、国内での発注費が極端に下がり、さらに型屋が単価の安売り合戦を展開したため多くの型屋が事業縮小、あるいは廃業へと追いやられた。しかし近年中国での人件費も高騰すると、国内生産へ素早く切替えたことで細々と数少なくなった型屋で受注を分け合うのであった。

 およその経営、雇用状態、そして設備面などを検討し、

「しばらくこの仕事から離れていたので、体験研修という形で何度か来させてもらうっていうのは出来ますか? 今勤めている所が平日休みなので、休日ごとに来させてもらえますか?」

「そしたら仲瀬さん、休みなくなりませんか?」

「今は少しでもこの会社での業務に慣れておきたいし、すぐに今の会社も辞められないと思うんです」

「わかりました。仲瀬さんがいいと思う方法で来てもらえたら、うちはいつでも大歓迎です」

「ありがとうございます」


 この日より、篤朗の二足の草鞋がしばらく続くことになる。

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