高山テキスタイル製作所 -告発-

 一夜明けて、篤朗はいつもと同じように出勤して挨拶して回るが皆がよそよそしい。朝の仕事内容の確認に事務所に顔を出すと、いつもは明るく挨拶する悦子までが避けたような態度を示した。

「斎藤さん、おはようございます!」

「あ、あっちゃん、おはようさん」

「なんかあったんですか? みんな暗くないですか?」

「あっちゃん、来たか?」

 そこへ工場の奥の裏口から図太い高山の声が響いくる。入り口近くで紗張りをしている五十二歳の木下が対応していた。

「事務所にいてますわ」

「あっちゃん!」

 老体の足を引きづるように、しかし力強く真っすぐに事務所へと向かってくる。

 事務所に顔を出した高山の顔はすっかり紅潮しており怒気まで孕んでいた。悦子はとばっちりを受けては大変とばかりに事務仕事に顔を逸らせた。

 刹那、篤朗は昨日、春日野はトレース室の外注が多額の収入を得ている事に腹を立て、悦子に報告すると言っていた。おそらくそれが原因だろう。しかし篤朗にとっても入社時に聞いた待遇面はもはや禁止事項にまでされて、トレースをする時間さえ自由に与えられていなかった。収入も上がらず疲労ばかりが蓄積し、言い分はこちらにありとばかりに急に頭に血が上り始める。

「おはようございます」

 挨拶はするも、その声は低い。

「いいから、おやっさん呼んで昼食室来い!」

 なぜ親父を? と思いながらもこれは決別を覚悟した。これまでにも幾度となく高山とは衝突しており、何度も辞めようとも思った。それでも家のローンがある、家庭がある、一人身勝手に行動するには荷が重く圧し掛かる。頭を振っては辞める考えを打ち消してきた。しかし、これまでか?

 外の駐車場横の自家畑を世話していた景造を呼ぶと、景造の耳にもすでに話は通っていたらしく、

「篤朗、お前覚悟決めならんぞ。ワシも話はしたるさけ」

 と頼もしく言ってくれるが当てにはならない。もっとも、ここで頼りになるくらいなら景造は高山の右腕になっていなければならない経歴年数を勤めていた。高山に何度も助けられ、多分に漏れず弱みを握られた者の一人であったからだろう、高山に逆らった親父の姿を篤郎は見たことがなかった。


昼食室は工場入り口のすぐ横にあり、篤朗が景造を連れて入ると高山が先に折りたたみ椅子に座り、面接時と同じように対面に座れと促した。全員が席に着くと、高山が開口一番、

「あっちゃん、あんまり社内をかき回すなよ、みんな困っとるど」

 先ほどの怒気を隠すかのように高山は昏く笑って余裕を見せつける。

「みんなて誰です?」

 みたびその笑みに騙されるものかと、篤郎はその目を見据えて言った。

「みんな言うたらみんなや。しょーもないこと聞いとんな! 豊橋さんとこでもあっちゃんの事言われとんのや。」

 薄っぺらい仮面はあっさり剥がれ、朝一番の憤怒の表情が剥き出しになった。

「どんなことです? 僕がなにか迷惑でもかけましたか? むしろ豊橋さんに迷惑かけられてるのは僕の方ですわ」

 売り言葉に、買い言葉で話の核心に触れるまでに、すでにお互いが反発しあうので話し合いにはならない雰囲気が出来上がる。景造は沈黙だ。

「鳥養君らはあっちゃんがいらんことチクリよるって文句言うてきとるし、下のモンは仕事中にトレース室に行ってサボりよる。それでいて給料ようけもらってるって言うとるんや」

 腹わたが煮えくり返るという表現がこれほど今を表せる言葉は無いと、鼓動は激しく打ち血は逆流するかのように、篤朗は感情が高ぶると涙腺が緩む。血の涙が溢れそうになるのを努めて抑えて

「社長、入社時言いましたよね? 僕はトレースがしたいって。現場の仕事はトラック配達するために全体を覚えるために少し入ってくれるだけでいいって。でも実際どうですか? 仕事は回してくれない。焼き付けを覚えろ、紗張りを覚えろ、取引先で遅くまで手伝え。そんなんでトレースする時間ありますか? 僕が深夜まで残っているのも知ってはるでしょ」

「あんたがミスせんかったら何ぼでもまわしたるわいな!」

「確かにミスは多いです。夜中の二時や三時までやって、翌日はトラックで配達ですわ。他と一緒にするには無茶や思いません?」

「あっちゃん、わしはお前には現場中心にやって、いつか山内君の補佐になって欲しいんや」

「収入もなにもかもめちゃめちゃやないですか。そんな話やったら最初からここ来てませんわ!」

 すべては瓦解し、最高潮に達した感情を抑える術はなく、篤郎は声を荒らげて怒鳴った。

「だったら今すぐ辞めてまえ。焼付けを覚える気がないんやったらやめてまえ!」

 これまでワンマン経営で皆から「大将」と呼ばれていた高山、大将とはお山の大将を意味するのだが、事実弱みを握った社員ばかりを囲っているので誰も面と向かって反旗を翻す者はいなかった。これまでにいたかも知れないが、それは同じように辞めさせられていたのであろう。高山の本性が剥き出しとなって篤朗を威圧する。

 こうなれば篤朗を重圧している家庭の責務など人権の前には塵にもならない。人としての権利。自我を押し殺して生きて行くことに何の意味があろうか。

「社長、辞めろ言わはるんでしたら辞めますわ。会社都合による解雇やで、ちゃんと手続きして下さいね。あと僕はこのまま税務署と労働局行ってきます。あんたのやってきたこと皆話してきますから覚悟しとって下さいね」

 篤朗にとっての切り札は、以前からいつかこんな日が来るものと前もって社長室を探り、二重帳簿などの証拠を携帯カメラに収めていたのだ。処遇を改善してくれたらという最期の願いであったが

「どこでも好きに行け。今すぐ辞めて出て行け!」

 高山の怒りは収まらず、ガバッと席を立つとまっすぐ会社横の自宅へと去って行った。

 ぽつんと終始一言も発せられぬまま呆然としていた景造に、篤朗は笑顔で

「そういうことだから、おかんに上手く言っといて。心配はせんとってって。ほな早速税務署行ってくるわ」

 そう言い残して篤朗は駐車場に止めたマイカーに乗ると、行き先は二件、園部税務署と園部労働基準監督署へ向かった。

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