高山テキスタイル製作所 -採用-

 三十二歳という年齢は就職活動をするに当たって微妙な年齢で、多くの企業の年齢条件が三十五歳までと区切られている。さらにコンピュータ系専門学校卒の篤朗は特に何のスキルも無く、十年勤務で培ったのは接客応対と商品知識の記憶術、本社が舞鶴市内にあることからか舞鶴弁を地元民でも間違うほどにマスターした事だけ、である。

 ハローワークからの募集で「ホームヘルパー2級」の研修にも参加し、ついでで独学した「住環境コーディネータ二級」の資格も当初は合格率三十パーセント以下(平成十四年現在)にもあっさり合格するも、それを役立てる環境はあるものの給料面に恵まれず、好調期には手取り五十万円を越えるトレース業は景造や妻の孝子に相談する前から心は決まっていた。

「高山テキスタイル製作所って株式会社と違うん? 前に新聞折込の求人広告に載ってたのと違うの?」

 孝子は篤朗の相談にふと気になった事を聞いてみた。

「あー高山テキスタイル株式会社やろ、知ってる。社長の弟さんも同業の会社やってるみたいやけど、パートさんがしょっちゅう辞めてるみたいやで。なんか問題があるんやろ」

 実は同じ事を事務員の斎藤悦子に聞いて、まったく同じ回答文句を教えてくれていたのだ。悦子は高山テキスタイル製作所が亀岡市に移転してまもなく入社した、今では影の経営者である。ワンマン経営の高山の会社がブレも少なく経営が成り立っているのは悦子の縁の下の力に他ならない。

「ふーん」

 特に興味のあるでもなく、「株式会社」の話はここでは消えるのだが、今後の篤朗を狂わせるこの存在は、すでにこの時からしっかりと根付いていたのである。


 数日後、社長室で向かい合った高山が出した条件は、篤朗の想定外だった。

「あっちゃんには将来この会社を担う一人として育てたいから、現場の仕事も覚えて欲しいのや」

 単純に鳥養らと同様内部外注として雇用してもらう算段で乗り込んだ篤郎が、高山の術中にはまっている事に気付くはずもなく、海千山千の老兵は言葉巧みに懐に飛び込んだ。

「現場の、仕事もですか?」

 現場の仕事場に回されるとなると仕事内容だけでなく、収入面にも不安がよぎる。それほどに内部外注のトレース職は美味しいからだ。

 テキスタイル製造業の業務は大きく二つに分かれ、一つが篤朗が望む綺麗なコンピュータルームでパソコンに向かって絵を描きそれを色別に版分けする。版分けされた白黒データをフィルムに出力し、現場と呼ばれる薄暗い工場に回される。工場では家の襖くらいの大きさのアルミ枠に網の目よりも細かな紗を張る。そこへ感光膜を塗りパソコンで出力されたフィルムを当てて焼き込み光を当てる。それを水で流すとフィルムで白の部分の紗の目が塞がれ、最後の工程で樹脂を塗って感光膜の強度を保たせると完成だ。

 この型に染料を流し込みヘラでばすと紗の穴の開いたところから染料が染み出し、型の下に敷かれた生地に色が染まる。この一連の作業をシルクスクリーン技法と呼び高山の会社では型を製造するまでを行っている。

 華やかな業務に思えるが、実際の現場は紗を張る専用の接着剤や真っ黒な有機溶剤の樹脂によるシンナー臭が工場一杯に広がり、感光膜は服につくと取ることの出来ない禍々しいほど黄緑色でカメラのフィルムを強烈にしたような異臭を放つ。アルミ枠は持ち運びの際に床を滑らせるため、コンクリート地が剥げて埃まみれで、樹脂や接着剤の垂れた後が床一面に蔓延っている。

 換気のために窓を開けているため、夏は暑く冬は極寒な環境に比べ、トレース室はコンピュータ管理のために常時エアコンで空調が管理され天国と地獄の差を感じずには居られない。

 おまけに春先はありがたい事にツバメが工場内のあちこちに巣を作るから、糞と土、時々雛が床に落ちてくるのでここは丁重に断りたいところである。

「全部覚えてもらおうとは思とらんで。」

 高山は篤朗の不安を察し、先手を打つ。

「あっちゃんには山内君と交代で週二回トラックで配達に行ってもらいたいんと、納品先で修繕とかもあるさかい穴埋めとかテッポウ(樹脂を塗った型に小さなピンホールと呼ばれる穴や、余分に付いた樹脂を削るため生地の染み抜きに使う圧力噴射機)を覚えてももらうんに現場の補助員としてやってくれるだけでいいんや。」

「トレースの仕事は……」

「配達以外の日にやってくれたらええ。ずっと一日現場にいるんとちゃうで! そやさかい、鳥養君らみたいに外注と違ってあっちゃんは正社員として毎月25万円の固定給と外注としてトレースをやった分の二重方式で給料を支払うしボーナスも当然出す。どうや、悪い条件ちゃうやろ。」

 語尾の強くなる高山に違和感を感じた篤朗ではあったが、考え方によっては固定給が約束された雇用形態の方が安定しているかも知れない。外注は仕事の量がそのまま収入に反映するため、家の長期ローン返済には安定が一番であると考えた。

「わかりました。それだけのいい条件を揃えていただいて有難うございます。親父と共にお世話になりますけど、宜しくお願いします。」

 高山とは景造と共に家族ぐるみの長い付き合いではあったが、ここはけじめをつけて三十度の礼をした。

「ん、現場の詳しい事は山内君と斎藤さんに聞いてくれ。ほな、しっかり頼むわな」

 篤朗は部屋を出る時にもう一度礼をし、現場に向かう途中で景造に呼び止められた。親心で結果に心配の様子であったが、正社員として迎えられた事を伝えると満身の笑みで

「よかったな、よかったな」

と喜んだ。息子の採用が決まった事に重ね、普段接する機会の少ない男親と息子が同じ職場で働ける事が何より嬉しかったのであろう。


 収入面を全面的に認めて入社を決めた篤朗をよそに、高山には一つの計画があった。高山には前妻との間にもうけた長女の増美とは妻との離婚を理由に縁離れし、後妻との間でもうけた長男の豊とは絶縁していた。

跡取り息子として育て、現場の仕事から営業、トラック配達までこなす豊であったが、二世特有の派手な金遣いと女遊び、そして趣味で買った三菱のラン・エボで配達で走る大阪の峠を夜な夜な走り攻め、とうとう反対車線の車を巻き込む大事故で半身不随を負い、それまでに蓄積された怒りもあっての勘当を言い渡してしまったのだ。

 社内で働く跡継ぎと称される山内成司は篤朗と同い年で、高山が趣味で出かける釣り民宿の女将との間にもうけた子であり、高校を卒業すると同時に養子ではなく会社の跡取りとして呼び寄せたのである。すでに結婚し子供にも恵まれ、家のローンは会社が代理返済してくれる厚遇を受けていた。そんな山内も二世同様世間を知らずに勤めてきたため営業力に乏しく、交渉というよりは全面降伏で受注してくる不甲斐なさに憂いていた所へ、他業種経験者で口の達者な篤朗である。

 高山の目論見は共同経営としてトップに山内、営業に篤朗と、もう一人技師の春日野という構図を描いていた。

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