イノリオリ〜図書室の折り鶴と込められた願い〜

森川 蓮二

第1話 キッカケ

 裏門に近い東側の校舎裏。

 昼間でも薄暗くジメジメとしていて、運動部の生徒たちがグラウンドで活気づいている時間帯でも校舎の濃い影がすっぽりと覆う場所で、下腹部に鋭い蹴りを打ちこまれた僕は声もあげられずに体をくの字に曲げて地面に倒れこむ。


 腹を押さえてうずくまる僕を嘲る四人の仲間の前で蹴りを入れた目つきの悪い同級生は僕のポケットから財布を抜き取って叩き返してくれた。


「ちっ、つまんねぇなぁ。次はもっと稼いでこいよ」


 そういって財布のお札を手にした彼とともに下品な笑い声を上げてグループは去っていく。

 それが聞こえなくなるのを待ってから、僕は財布と近くに投げられていた鞄を拾ってよろよろと歩き出す。


 見ての通り、僕はイジメられている。

 別に悪目立ちしていたからとか、不良の彼らにちょっかいをかけたからでもない。ただ単に彼らの目についてしまったという平凡な理由で。

 だが僕は特に気にはしていなかった。それよりも自分の平凡さのほうが劣等感を生んでいたから。


 僕は他人のようになにかに身を捧げたり、熱心になったことがない。

 朝から晩まで部活に打ち込んだり勉強に必死になる人間に憧れつつも、その心が理解できないことがコンプレックスでもあった。

 他人はなにかに打ちこむことで知らず知らずのうちに自分というオリジナリティを獲得していくのに、それがないのだ。

 そのせいか、僕にとって両親は食事と寝るための場所を提供してくれる他人だったし、イジメを見て見ぬふりをする同級生はカカシとなんら変わりない。


 もちろん個性を獲得する挑戦はした。だがどれも続かない。

 すべてを諦めた僕は最終的になにかを楽しむというシステムが欠如しているという結論に至った。

 言い換えれば逃げたわけだが、こんな悩みは同世代もごまんとぶつかるありふれたことだということに対する自己嫌悪もあった。


 殴られた下腹部の微かな痛みに顔を引きつらせて歩く。

 たどり着いたのは、教室のある校舎とは別に高校の敷地の隅っこに古くから立つ木造の図書室だ。

 両開きのクラシックな装いのドアをくぐり抜け、受付の図書委員に会釈されながらそそくさと本棚の中に身を隠す。


 授業の終わりに図書室に通うのは熱中できる趣味のない僕の日課だった。

 本は好きだ。もちろん他のものに比べればという意味で、本の虫と呼ばれるような人には遠く及ばない。


 でも読んでも見てるだけでも良しな本は好きだった。

 本の物量やその中にある幾多の物語に自我を溺れさせることで現実を、自分の個性のなさを忘れていられる。

 だから図書室こそが僕が、僕であって僕じゃない存在になれる正真正銘の居場所だった。


 ずらっと並んだ本の背表紙を歩きながら指でなぞる。

 図書室で僕は独自のルールを元に行動する。

 まず本棚を指でなぞりながら歩き、適当な本に目をつけて開いたページを読む。十分ほどしたら本を戻して再び同じことを繰り返す。

 五回同じことをして最後に手に持った本を借りてそのまま図書室を出るというのが僕の行動ルーチンだ。

 そして今日も体に染み付いたルールにのっとって本を一冊、棚から引っ張り出す。


 本のタイトルはヘルマン・ブロッホ作のウェルギリウスの死。

 聞いたことのない作品だと思いながら適当に本を開いて読み進める。そして五分ほど読んだ時、なにかがポトッと地面に落ちた。


 かがんで綺麗に畳まれた細長い菱形のそれを拾って広げる。

 緻密に織り込まれたそれを完全に広げると、僕の手には一羽の赤い折り鶴が出来上がっていた。


 誰かのイタズラだろうか、それにしては実に地味で目立たないものである。

 そう考えて僕は特に気にも止めず、鶴を握り潰そうとしたところで気づく。折り鶴の裏に何かが書かれてあることに。

 つい気になって、おそるおそる鶴を開いて元の紙の形へと戻す。


 現れたのは四角く赤い折り紙の裏側にびっちりと書かれた文字で、読んでみるとウチの高校の生徒会長に対する不満や嫌なところなどが丁寧に、だがしっかりと感情の伝わる言葉で書かれていた。

 僕はその文書を食い入るように見つめて全文を読んでから深呼吸し、思う。


 くだらない。

 誰が拾ってくれるとも知れない手紙を折り鶴にして本の中に隠すなど一体なんの意味がある。ただの時間の浪費ではないか。

 この手紙を書いた人物はよほど暇か、生徒会長に恨みを持っているかのどちらかだろう。


 だがそう考える一方で手紙を手にしたままこうも思った。

 もし、もしこの手紙の人物の要求に答えたのだとしたら平凡で誰にもなれない僕の人生を変えられるのではないか。

 誰かがここで平凡であることを終わらせ、変わるべきだと暗に告げているのではないのか。


 一度考えだすとなんだかその方向にしか思考が向かなくて、僕は自分を変えられるチケットとなった手紙をポケットにしまうと本を閉じて足早に図書室を出ていく。


 そして次の日、全校生徒の前で手紙に書かれていた生徒会長で同じ学年の女生徒を殴りつけた。

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