第百三十二話 ついに、涙は流れた
判決が言い渡された後、真谷達は、成徳と同様に、聖印も宝刀や宝器もすべて奪われ、どことも知れぬ場所に放り出されたという。
命があるだけ、まだよかった方なのか、それとも、処刑されたほうがよかったのか。それは、誰にも分らない。
いや、どちらにしても、行きつく先は地獄であろう。真谷達は、無関係の人々を巻き添えにし、命を奪った。成徳以上の悪行だ。
それに、今まで人々を見下してきた罰が下ったのだろう。
追放された真谷達は途方に暮れ、そのまま行方知らずとなった。
そのころ、牡丹はある部屋に来ていた。
それは、南堂の部屋だ。
つまり、月読の仕事場である。
牡丹の目の前にいるのは月読。
こうして、相対するのは、約二十五年ぶりだった。
緊張感が漂う中、先に話しかけてきたのは、牡丹の方であった。
「久しぶりやなぁ。もう、二十五年も立つなぁ。あんたと、会わんようになってから」
「……そう、ですね」
帝の妹とわかってから、月読の態度はどこかよそよそしい。
あれほど、牡丹を憎み、冷たく接してきた月読の面影はどこにもない。
それは、いい事のはずなのだが、牡丹にとっては、薄気味悪く感じたようだ。
牡丹は、ため息をついた。
「普通に接してや。違和感しかないわ」
「……わかった」
月読は、うなずき、前と同じように接する。
しかし、どこか頭が上がらない様子だ。
それもそうであろう。牡丹が、柚月達を救ってくれたのだから。
「……あの子達を助けてくれた事、感謝する。ありがとう」
「なんや、偉い素直やなぁ」
月読は、頭を下げてお礼を言うと、牡丹は、あえて嫌味を言い放つ。牡丹を奪ったことを許していないのだ。許せるはずがない。
月読もそれをわかったうえで、頭を下げた。
「……本当に、あなたがいなければ、柚月達も私達もここには戻ってこられなかった。それに……ずっと、謝りたかった」
「……」
月読はずっと後悔してきたのだ。感情任せに、軍師に報告してしまい、その結果、牡丹から椿を奪ったことを。
椿に冷たく接したのも、自分の本当の子だからではない。母親と思われる資格などなかったからだ。
そのため、あえて、冷たく接してきた。
だが、それさえも、間違いだったことに月読は気付いていた。
「許してほしいとは言わない。けど……あなたから椿を奪ってしまい、守れなかった。私の責任です。本当に申し訳ございませんでした」
月読は、声を震わせ、もう一度頭を下げる。
もし、軍師に報告しなければ、もし、もっと優しく接していれば、椿は、牡丹と幸せに暮らし、命を落とすこともなかったのかもしれない。
そう思うと、後悔ばかりが募る。
これは、許されるはずのない行為。
おそらく、牡丹から憎悪の入りまじった言葉を突きつけられるだろう。月読は、それすらも覚悟していた。
だが、牡丹の口から出た言葉は、月読にとって意外な言葉であった。
「……本当は、許すつもりなんてなかった。ずっと、憎んどったわ。けど、あの子は幸せやったんや」
「え?」
「九十九はんが、幸せにしてくれたんや。ここにおったら、あの子は九十九はんに会わんかったわ」
「牡丹……」
椿が死んだと聞かされたとき、牡丹は月読を恨んだ。彼女が奪わなければ、椿は幸せだったと。
だが、九十九の話を聞いた時、もし、ここで暮らしていたら、椿は九十九と出会うことはなかった。
それで、本当に幸せになれただろうか。
いや、あの聖印京にいたから、聖印一族として迎え入れられたから、最後は幸せだったんだと牡丹は、確信していた。
それに、月読から謝罪の言葉を聞いた牡丹は、気付いた。月読は、後悔していたのだと。
だからこそ、牡丹は、月読を憎めなかった。
「せやから、あの子達は幸せにしたってな。あんたの手で」
「はい」
許されると思わなかった月読は、思わず涙を流した。
そして、柚月と朧を幸せにすると決意したのであった。
真谷の裁判が終わり、落ち着きを取り戻した聖印京。
青空が夕焼け色に染まる頃、保稀は、聖印門の前にいた。
虎徹と共に。
「お兄様、ありがとう」
「いや、妹を見送るのは、兄の務めだからな。だが、お前さん、本当にここを出るのか?」
「……ええ」
保稀は、処分を免除された身ではあるが、聖印京を出ることを決意した。
こうすることは、真谷の悪事をばらそうと決めた時から考えていたようだ。
虎徹は、止めたのだが、保稀は決意を変えない。妹の覚悟を見送るしかなかった。
「あの人達の罪は私の罪でもあるの。私が止めていたら、あんなことにはならなかったのかもしれないし。だから、ここを出るわ」
保稀は、真谷の悪事を見てきたにもかかわらず、報告が遅れてしまった。
そのせいで、多くの命が奪われ、無関係な人々が命の危機にさらされた。
処分がなかったとはいえ、夫や子供を止められなかった事は、自分の罪だと考えていた。
そのため、聖印一族に甘えていたくはない。
だからこそ、聖印京を出ることを決意した。
「そうか……まぁ、元気でな。いつでも、戻ってこいよ」
「ええ、ありがとう。それじゃあ」
保稀は、虎徹に背を向け、牡丹と共に、聖印京を出た。
保稀の決意を知った牡丹は、保稀を迎え入れると虎徹に話した。
それを聞いた虎徹は、牡丹が側にいてくれるなら、安心だと確信していた。
保稀は、断ったのだが、牡丹は、強引に迎え入れる。その行動は、綾姫よりも大胆不敵であろう。
だが、保稀にとっては、居心地がいいはずだ。自分を大事に思ってくれるものがいるのだから。
虎徹は、いつまでもたくましくなった妹の背中を見送った。
「さて、これからどうなることやら。ま、何とかなるだろ。柚月達もいるしな」
虎徹は、普段通り、さらりとのんきなことをいいのける。
武官が、三人も追放されたのだ。新たな武官が決まるまで、多少は混乱するであろう。
もちろん、虎徹は武官になるつもりは一切ない。今まで通り、柚月達の師範としてやっていくつもりだ。
それに、成長した柚月なら、聖印京を変えてくれるかもしれない。
虎徹は、そんな淡い期待を抱いていた。
全てが無事に終わり、元に戻った柚月達。
柚月達は、久々に鳳城家の離れに戻った。
九十九の存在を隠すために、綾姫達は、離れに住むこととなったが、それは変わらない。綾姫達と共に過ごす事を正式に認められたからだ。
疲れ果てたのか、綾姫達は眠っている。その寝顔は、いつも通り、穏やかだ。
柚月と九十九は、朧の部屋で庭を眺めている。
朧は、まだ、眠っている。
だが、目覚めた時には、いつも通りの日常が戻ってくるだろう。
九十九も隠すことなく、堂々と離れに入ったのだが、未だ、九十九を受け入れる者は少ない。冷ややかな目で九十九を見ている。
それでも、九十九の姿を見れば、考えを改め直すものも出てくるであろう。
華押街の人々がそうであったように。
九十九は、柚月から聖刀・八雲を貸してもらい、手に取って眺めていた。
「まさか、親父がその刀に宿ってたなんてな。しかも、聖印一族か」
「俺も、予想外だった。お前の父親は人間だろうとは思っていたが」
「そうか……」
柚月も九十九も穏やかな表情だ。
全てを取り戻せたのだから、当然であろう。
だが、柚月は、どうしても、九十九に伝えたいことがあった。
「九十九、悪かったな」
「何がだ?」
「お前の過去を見た事だ」
九十九に伝えたい事とは、九十九と椿の過去を見た事だ。自分の意思ではないとはいえ、過去を見てしまった事を悔やんでいる。
たとえ、それが九十九と朧を救うきっかけになったとしても。九十九にとっては見られたくなかったであろう。
柚月は、九十九に頭を下げて、謝罪した。
「気にすんなよ。見たくて見たわけじゃねぇだろ。そりゃあ、驚いたけど」
確かに、過去を知られたときは、九十九は、相当驚いた。
だとしても、それを咎めるつもりはない。見てしまったものは仕方がないと九十九は思っているようだ。
何とも、九十九らしい考え方であろう。
それに、九十九もどうしても気になっていたことがあったようで、柚月に尋ねた。
「なぁ、お前から見て、あの時、椿はどう思ったと思う?」
「……感謝しているように見えた。お前に会えたこと、お前のおかげで幸せになれたことを」
「……そうなのか?」
「ああ、そう思う」
柚月は、その時の椿の様子ををありのままに九十九に伝えた。
九十九は、半信半疑であったが、納得したようだ。
すると、柚月はある物を懐から取り出し、九十九に手渡した。
「これ、お前が持ってろ」
「それは、椿の……」
そのある物とは、かつて、九十九が椿に渡したあの紅の宝石だ。
椿は、最後の時まで肌身離さず持っていた大事な宝物であった。
「形見だ。父上が持ってたんだ」
椿が命を落とした後、その紅の宝石は勝吏が持っていた。椿の数少ない形見だ。
だが、柚月は勝吏に九十九と椿の過去を語り、九十九に持たせてやってほしいと懇願したのだ。
かつて、九十九は、朧を救うための道具に過ぎないと考えていた勝吏であったが、今は違う。
九十九は自分達の仲間であり、椿の恋人であると認めている。
そのため、勝吏は反対することなく、柚月に紅の宝石を渡したのであった。九十九に持たせるために。
だが、肝心の本人は、ためらっていた。
「持つ資格なんてねぇよ」
「資格なんて、どうでもいい」
「お前……」
「姉上なら、お前に持っていて欲しいはずだ。きっとな。だから、資格なんてどうでもいいんだ」
「……」
九十九は、椿を殺した罪にさいなまれている。
そのため、自分が椿の形見を持つ資格などないと断ったが、それでも、柚月は頑として、九十九に持つよう説得する。
ついに、観念したのか、九十九は柚月から椿の形見を譲り受けた。
形見を手にした途端、様々な思い出がよみがえる。始めて会った時、喧嘩した時、想いが通じ合った時、どれも、九十九にとっては、かけがえのない思い出だ。決して忘れることのできない暖かな時間。
九十九の眼には涙が浮かんだが、流さぬようこらえる。
柚月は、九十九の様子に気付いていた。
「言いたいことあるなら、言え。ずっと、我慢してきたんだろ?」
「……」
柚月に尋ねられて、九十九は黙っている。何も言えないのだろう。
否定しても、肯定しても、思わず吐露してしまいそうになるからだ。椿に対しての想いを。
それでも、柚月は、話してほしかった。今まで、言えなかった言葉を。
「もう、我慢しなくていい。誰もお前を責めたりしない」
「ごめんな……椿。……一緒に、生きたかったよな。……守ってやれなくて、ごめん」
九十九は、涙を流し、椿に謝罪の言葉を告げた。あふれ出てくる涙を抑えることはもうできない。許されることのない罪を初めて許してもらえた気がするのだから。
柚月は何も言わず、ただ黙って、九十九の言葉を聞いていた。
流れ落ちた涙が、紅の宝石に伝う。椿の事を想って流すその涙は、とても美しく、夕日に照らされていた。
涙を流し終えた九十九は、晴れやかな表情で庭を眺めていた。
柚月も同様の表情で眺めていた。
「柚月」
「ん?」
「ありがとうな」
「……ああ。……天鬼を討伐するぞ。絶対にな」
「おう」
柚月と九十九は、改めて決意を交わした。
天鬼を討伐し、椿の仇を討ち、人々を守ることを。
そのころ、天鬼は、洞窟の中を歩いていた。
「真谷が、追放されたか。あ奴なら、うまくやるかと思ったが、そうでもなかったか。だが……」
真谷が追放され、九十九が軍師に認められたことは、部下の妖から聞かされていた。
思い通りに進んでいた計画がつぶれたというのに、天鬼は悔しんでいる様子はない。
むしろ、喜んでいるようだ。
だが、その理由は、誰にも分らなかった。
「この門を開ける鍵となるだろうな」
天鬼は、ある部屋の戸を開ける。
そこには、真谷達が縄で縛られ、捕らえられていた。
しかも、成徳も同様に捕らえられていた。
追放された後、真谷達は、すぐさま天鬼達に捕らえられてしまった。
門を開ける生贄として。
「もうすぐ赤い月の日が来る。その日が来れば、今度こそ、聖印一族を滅ぼすことができる。その日を楽しみにしているぞ、柚月、九十九」
天鬼は、狂気に満ちた表情で笑っていた。
その表情はおぞましく感じられた。
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