第百二十話 彼の名
柚月達が聖印京を脱出した後は、大混乱に陥っていた。
凶暴な妖狐が逃亡したと知り、都の人々は、取り逃がした聖印寮に不信を抱いているようだ。
街から人の姿はない。建物に閉じこもり、避難している。
聖印寮の隊士達は、九十九や特殊部隊、そして、勝吏と月読の行方を追っている。
矢代も柚月達の逃亡に加担したため、重罪人扱いだ。
それでも、彼らの行方は不明のままであった。
「何?まだ、見つからんのか!」
本堂で待機していた真谷は、柚月達を見つけていないと隊士から聞かされ、畳を勢いよくたたきつける。
相当、苛立っているようだ。
朧と九十九を処刑させれば、完璧であったというのに、取り逃がして上に、見つかっていないからであろう。
九十九が逃亡したのは、真谷が余計な事を吹き込んだせいだが、真谷は、気にも留めていなかった。
報告しに来た隊士は、びくっと体を震わせ、怯えていた。
「も、申し訳ございません。今、総動員で探しておりますので……」
「ならば、さっさと探せ!数人程度のネズミも探せぬのか!この無能共が!」
「……申し訳ございません」
真谷はさらなる罵倒を浴びせる。
数百人で探しているというのに、見つかっていないことに怒りを覚えているのであろう。
自分は、ただ報告を待っているというのにもかかわらず。
だが、そんなことを真谷が、気付いているはずも、気にしているはずもなかった。
「もうよい。下がれ。役立たず」
「はっ」
ため息をつき、隊士を部屋から追いだした真谷は、舌打ちをしていた。
これほどの悪態をさらしたのは、初めてだ。
今まで、本性を隠してきたのであろう。
そうでなければ、一族の頂点に立てないと考えていたのであろうが、それにしても、これほどまでにひどいとは誰も思ってもみなかったであろう。
真谷の本性に怯え、怒りを怯える人々が続出したが、それでも、真谷は気にも留めていなかった。
「使えぬ奴らだ。早く見つけてもらわねば困るというのに。だが、逃亡者は処刑にしてやる。必ずな。そうすれば、完全に一族の頂点に立てる」
真谷は、柚月達も、処刑にするつもりのようだ。
邪魔者を完全に排除するつもりなのであろう。
どこまでも、愚かな男だ。
そんな時であった。
「あの……」
「なんだ?まだ、いたのかって……
女性に声をかけられた真谷は、嫌そうな表情を浮かべる。
だが、その女性を見た瞬間、動きを止めてしまった。
その女性こそ、真谷の悪事を気付かれないように部屋を覗いていた人物だった。
もちろん、真谷はそのことに気付いてなどいないが。
彼女の名は、
保稀は、恐る恐る部屋に入ってきた。
「真谷様……」
「なんだ。驚かせおって。忙しいんだ。部外者は立ち去れ」
真谷は、保稀に対しても、悪態をつく。妻である保稀に部外者と言い放ったのだ。
いや、保稀だけと言ったほうが正しいであろう。
自分の子である巧與と逢琵に対しては、同じ野望を抱いている者として、強力的ではあるが、そこに愛情はない。
自分が一族をのっとり、巧與に後を継がせ、逢琵を右腕として育てるためだ。家族として接しているわけではない。
保稀は、子を産ませるための道具として見ていなかった。
保稀も、真谷の事には気付いている。
内心、嫌気がさしていたのだが、それでも、真谷についてきたのだ。
「すみません。お聞きしたいことが……」
「はぁ。なんだ?手短に話せ」
真谷は、わざと聞こえるようなため息をつく。
真谷が自分をうっとうしがっていることは保稀もわかっていた。
それでも、聞かなければならない。
それは、他でもない聖印一族のためであった。
「はい。あの、本当に彼らを処刑なさるおつもりですか?」
「盗み聞きか?鳳城家の者がそのような事を、恥ずかしいと思わんのか?」
「すみません……」
真谷は、さらに罵倒を浴びせる。
確かに、盗み聞きなどしていいものではないが、それでも、聞くべきだと覚悟を決めて尋ねた保稀であった。
しかし、やはり、真谷は冷酷な男だ。
妻である保稀に対して、残酷な言葉をつきつける。
保稀は、感情を抑えて、謝罪した。
「まぁいい。処刑はする。当然だろう?」
「ですが……」
処刑すると言い切る真谷に対して、保稀は、反論する。
だが、真谷は苛立ちを抑えられなくなったのか、こぶしを振り上げ、畳にたたきつけた。
「っ!」
保稀は、思わず、びくっと身を硬直させ、怯えてしまった。
「私に逆らうというのか!私は大将だぞ!」
「……すみませんでした」
真谷は、感情的になり、声を荒げる。
しかも、自分は大将だと言って。
まだ、真谷が大将になるとは、軍師は発表していない。
それなのに、真谷は大将気分だ。
勝吏達は、反逆者とみなされているから自分が大将であると思い込んでいるのであろう。
全くもって、愚かな男だ。
保稀は、感情をこらえて、頭を下げる。
すると、真谷は信じられない事を保稀に向けて言い始めたのだ。
「……お前と結婚したのは間違いだったようだな」
「え?」
「一族繁栄の為に、仕方なしにと思っておったが、このようなわからずやであったとは。鳳城家の面汚しだ」
「……失礼します」
保稀は、何も反論せず、その場から逃げるように立ち去った。
今の今まで耐えてきたが、もう我慢の限界だ。
ここまで、残酷な言葉をつきつけられた保稀は、真谷に対して、激しい憎悪を抱いた。
保稀は、廊下を走る。真谷から逃げるように。
その時だ。
「おっと!」
「あ、すみませ……お兄様!」
誰かにぶつかってしまい、謝罪しようとした保稀であったが、その相手は、兄である虎徹であった。
柚月と死闘を繰り広げ、気絶させられてしまった虎徹であったが、傷の方は癒え、任務へと復帰した。
だが、今まで育ててきた弟子が、妖に加担し、逃亡したことは極めて遺憾だと思っているようだ。
柚月達に対して、激しい怒りを覚えていた。
「おおっ、保稀ではないか。どうしたんだ?」
「……」
虎徹が声をかけても、黙っている保稀。
どうしたのかと思い、虎徹は、保稀の顔を覗き込んだ。
だが、保稀はうつむいてしまう。
よほど、傷ついているようだ。
「あんな男に、一族を任せられない」
保稀は、誰にも聞こえない小さな声で呟く。
その声には怒りが込められていた。
「保稀?」
「……お兄様、お話したいことがあります」
保稀は、意を決した。
真谷の野望を打ち砕くために。
聖印一族を救うために。
柚月と透馬は、矢代の別邸を訪れていた。
柚月達は、聖印寮の隊士達が周辺にいないことを確認して、透馬が陰陽術で合図する。
その合図を見た矢代が、警戒しながら、戸を開けた。
「へぇ、あんた達かい。どうしたんだい?」
「かあちゃ……矢代様、お聞きしたいことがありまして」
「……入りな」
矢代は、柚月達を別邸に迎え入れる。
小さな屋敷ではあったが、鍛冶道具や材料は充実している。
矢代は、たまに、別邸で宝刀や宝器を作ることがあった。
集中して作りたいときには、よく、この別邸で作っていたようだ。
ちなみに、別邸があることは一部の人間にしか教えていない。
そのため、勝吏や月読が避難しても、気付かれることはないだろう。
柚月達は部屋に入ると勝吏と月読がいた。
「柚月!」
「父上、母上」
「無事のようだな」
「はい。ですが、九十九は……」
柚月は、言葉をつぐんでしまう。
九十九が行方不明であることは勝吏達も矢代から聞かされている。
柚月達の事を思うと勝吏達も言葉が出なかった。
だが、今は、立ち止まっている場合ではない。
柚月は、意を決して矢代に尋ねた。
「……矢代様、お聞きしたいことがあります」
「何だい?」
「九十九の妖刀を作った者についてです」
「九十九の妖刀?」
「実は……」
柚月は、勝吏達に、九十九と椿の過去を夢で見た事を語り始めた。
「そんな、あの九尾の炎は九十九の命を……」
「……まさか、椿が知っていたとは」
九十九と椿の事を聞かされた勝吏達は衝撃を受けているようだ。
知らなかったとはいえ、九十九の命を削らせてしまった事を勝吏は悔やんでいるようだ。
そして、月読も、椿が自分の出世について知っていた事に戸惑いを隠せない。
月読が後悔しているように柚月は見えた。
矢代も衝撃を受けていたが、冷静さを取り戻した。
「なるほどね……。その鍛冶職人が誰で、どんな陰陽術を使ったがわかれば、九十九の行方もわかると」
「はい」
柚月は、うなずく。
今は、矢代に頼るしかないのだ。手掛かりを見つけるために。
矢代は、その鍛冶職人について思考を巡らせた。
「二百年前……。そう言えば、一人の鍛冶職人が、失踪したのも二百年前だったねぇ。しかも、妖刀を作ることができたような……」
「失踪?」
「そうだよ。しかも、最後に作った宝刀を持ちだしてね。なんでかはわからないけど、九十九の父親だとすれば、つじつまが合う」
なぜ、失踪したのか。なぜ、宝刀を持ちだしたのか。これは、天城家にとって最大の謎であったが、答えが見いだせたようだ。
九十九の母親である妖狐と惹かれ合った事を気付かれないようにする為、失踪し、そして、彼らを守るために、宝刀を持ちだしたのであろう。
「それに、その男は、刀を妖刀に変える術式を編み出したことでも有名さ。あたしらでも扱えるようにって作ったんだろうけどね」
矢代曰く、刀を妖刀に変えたのは、聖印一族にとって無意味且つ不要と思われていたようだ。
だが、矢代は、それには意味があると考えている。
おそらく、妖刀を自分達でも扱えるようにするためであろう。
妖刀には妖刀で対抗すべきと考えたのではないかと。
「その人の名を、教えてもらえませんか?」
「……その男の名は、
なんと、その鍛冶職人は、天城家の人間。つまり、九十九の父親は聖印一族であった。
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