星を盗んだ男

松田鶏助

星を盗んだ男

星が盗まれた。オリオンの右肩、真っ赤なベテルギウスがある晩ふっつりと消えてなくなってしまったのだ。

「星が消えるはずがない。きっと誰かが盗んだのだ。天上の宝石を誰かが盗ったに違いない!」

 誰がそう言ったのか。今となってはもう分からないが、その言葉を信じた世間はもう大騒ぎ。学者、国家、警察、宗教、果ては子供達までもが「星泥棒を捕まえろ」と声高々に犯人捜しの星捜し。あの頃は誰もが熱狂していたね。

だけども、お祭り騒ぎは高波のように盛り上がって、それから引き潮の様に静まって行ってしまった。

 ベテルギウスは見つからず、星泥棒騒動から一年たった今となっちゃメディアもすっかり大人しくなって、世間も「そう言えば星はまだ見つからないのか」と話のネタにする程度。一部の団体や警察なんかは、まだまだ捜しているようだがてんでだめだね。あんな捜し方じゃあ千年たっても見つかりゃしないだろうよ。俯いて地面ばっかりを見つめてなんとも間抜けだ。そんな所捜したって、何も出て来やしないよ。

 だって星の隠し場所は俺しか知らないのだから。

 

「ハル、俺、とんでもないことをしちゃったよ。助けてくれよ、ハル」

 星が盗まれて三日目の晩。俺は高校時代の親友であるナツメに呼び出された。

 大の大人が今にも泣きだしそうな声で電話をかけて来るもんだから、俺は大急ぎで仕事を片付けて、ナツメの待つカフェへ向かった。

 昔から何かあるとナツメは俺に頼って来た。今度のことも俺にしか話せない事なのだろう。

俺がカフェへ着くと、ナツメは一番隅っこの席で、冷えたコーヒーを前に青ざめた顔で震えていた。

「よお、ナツメ」

 声をかけると、ナツメはびくりと肩を弾ませて一瞬この世の終わりのような顔をしたが、俺だとわかるとすぐに安堵し、情けなく顔をくしゃくしゃにしてわっと泣き始めた。

「ハル、ハル、来てくれてよかった。俺もう、どうしたらいいかわからなくて……」

「おうおう、ハル様が来てやったぞ。だから一回落ち着け」

自分と同じくらいの背丈をしたナツメの肩をなでながら、今日は様子がおかしいぞと思った。ナツメが泣くのは大体悲しい時なのだが、こんな風に取り乱すのは厄介な時だけだ。何かまずいことが起きたようだ。

 俺は店員に酒を注文して、ナツメから事情を聴くことにした。酒を飲んだら少し気持ちが落ち着いたのか、ナツメは泣き止み、小さな声でぽそりぼそりと話し始めた。

「ハル、オリオン座の話は知っているかい?」

「ああ、なんでも、ベテルギウスが盗まれたそうだな。それがどうした?」

 ナツメは続きを言うのに大分躊躇した。焦らされるのが嫌いな俺は少しイライラしたが、あの時のナツメの気持ちを考えれば、言い淀むのは仕方がないことだっただろう。

ナツメは辺りを注意深く伺うと、ようやく、小さな声で自分の犯した罪を告白した。

「星を盗んだのは、俺だ」

「なんだって?」

 思わず頓狂な声が出た。

「星を盗んだって、お前が?嘘だろう?」

 ナツメがそんなくだらない嘘をつかないと知っていながら、俺はそう聞かずにいられなかった。しかし、ナツメは首を横に振って、コートのポケットの中からそうっと、何かを取り出した。

 それはビー玉くらいの大きさをした球体だった。球体の中では、赤と金の光がゆったりとうねりながら煌めいている。くだらない宝石や、おもちゃみたいな電灯にはないその色に、俺は魅了されそうになった。

「これが、ベテルギウスだ」

 かろうじて聞こえる、か細い声でナツメは言う。俺には信じられなかった。しかし、妖しい光は、確かに三日前まで天上に輝いていたあの星と同じ色をしている。

「一体、どうやってこれを手に入れたんだ?」

 俺は率直に、疑問に思ったことを尋ねた。するとナツメはまた泣きそうな顔で弁解をし始めた。

「盗ろうと思って、盗ったんじゃない。あの夜、これが空から降ってきたんだ。熟した実が落ちるみたいにポトリと。すぐに誰かに教えなきゃって思ったけど、あまりに綺麗で俺のものにしたくなってしまったんだ。それが間違いだった。世間を見てみろよ。俺は今や、世紀の大泥棒だ。今更出ていくこともできないああハル、俺はどうすればいいんだ」

 悲痛な声で嘆く友人を、俺は哀れに思った。臆病で、冒した罪の重さに押し潰れそうなこの男を助けてやりたいとさえ考えた。

「なあ、ナツメ。そんなに気を病むな。星が一個消えたくらいなんだっていうんだ。この国は少し過敏すぎるんだよ。そうだ、オーストラリアに行こうぜ。あそこには星なんて掃いて捨てるほどあるんだ。一つくらいなくなったって誰も気にしやしない場所だ。な?そこへ行こう。俺も一緒に行ってやるよ」

 俺の提案に、ナツメは涙をぼろぼろと零しながらうん、うんと頷いた。

 ひとしきり泣いて落ち着くと、俺たちはカフェの代金を払って店を出た。外に出た途端冷たい風に襲われ、俺たちはカップルでもないのに凍える身を寄せ合って歩いた。

 駅へ向かう橋へ差し掛かったところで、俺はコートのポケット越しにあの星の存在を感じた。ナツメのポケットの中に納まったあの光が、目に焼き付いたまま離れない。ふと、俺の心によくない考えがよぎる。

「……ナツメ、いいことを思いついたよ。オーストラリアへ行くのは金がかかり過ぎる。だからさ、ね?その星、俺に預けないか?お前には重すぎるだろう。俺が持っていてやる、その方が、お前も楽だろう」

 親友だというのなら、任せてくれるだろうと思った。当然のように「そうしてくれ」と答えてくれるとばかり思ったのに。ナツメは、酷く怯えた顔で、俺から数歩離れていった。

「嫌だ。嫌だよハル。これは僕のだ!誰にも渡さない!」

 ああ、なんて生意気な。俺の後をつけるしか能のない分際で、俺の申し出を断るなんて。星の所有者でいたいなんて。愚かな奴だ。

 その時俺は初めて、自分がナツメを好きではないのだと気が付いた。ずっとずっと、俺に頼るお前が可愛かったけど、今じゃそれすら感じない。

 逃げ出す奴のコートの裾を、俺は必死になって掴んだ。ナツメは抵抗して俺の腕を振り払おうとしたが、残念。力不足だ。俺はナツメのコートを剥ぎ取り、奴を抑え込んで橋の上から落とそうと試みる。酔っ払い相手に、わけないことだった。

それですっかり、終わるはずだったのに。あの野郎。最後の最後で、俺の右目を抉りやがった。せめてもの抵抗とでもいうように、俺の目玉を掴んでナツメは落ちて行った。

 それからしばらくのことは、よく覚えていない。気が付いたら俺は家にいて、残った左出目で赤い星を見ていた。

 ナツメには申し訳ないことをしたと思っているが、あれは仕方のないことだったのだ。この星はあいつにはもったいない。持っているべきなのは、俺だ。俺なのだ。目を抉ったことに関しては少し恨んでいるが、おかげで良い隠し場所ができた。誰も思わないだろうよ。痛々しい眼帯の下に、星が隠れされているなんてさ。

 この星は俺のだ。俺のものなのだ。誰にも、渡したりはしない。ざまあみろ。ハハハ!

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星を盗んだ男 松田鶏助 @mathudaK

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