江崎フミの明晰夢

カメラマン

第1話

 窓から差し込む朝日で、私は目を覚ました。いつもの天井、いつもの匂い。だけれど、私は直感的に気づいた。


「これは多分、夢だなあ……」


 現実というにはあまりにもぼんやりとしていたからだ。それに、このアパートは朝日が差し込むような構造だっただろうか。

 私はとっさに部屋を見渡した。夢を夢だと気づくためには、自分がいる場所においての自己意識を高めることが必要だからだ。


「あ……。」


 ポスターは見るたびに絵が変わり、マグカップは現れたり消えたりを繰り返している。私が夢を見ていることは確かだった。そして、それを自覚できたということは、これは明晰夢だ。普段は絶対にできないことを、今ならなんでもできる。



 私はCDプレーヤーに電源を入れた。とてつもなく大きな音で音楽を聴きたかったからだ。私のアパートは生活音が聞こえてくるほど壁が薄い。正常な思考をしていれば早朝に音楽なんて流さないけれど、これは夢なんだ。私は音量を最大まで上げて、At the Gatesのアルバムを聴いた。地響きのような轟音は私の気分を高揚させ、意味のわからないダンスを踊りたくなるほどだった。ひとしきり聴き終わった私は、もっとぶっ飛んだことをしたくなった。



 私はノーメイクのまま駅へと走った。最寄駅までは普段なら15分ほどかかるが、10分もせずにたどり着いた。駅前通りから少し道を外れ、裏へ入る。そこから50メートルほど歩いたら目的地。「あべこべ楽器店」だ。大学では軽音サークルに所属しているから、あべこべ楽器店にはお世話になっている。もっとも、店員の態度が最悪レベルなので好きではないけれど……。


 私は家から持ってきた金槌で店のガラスを割った。規模の小さい店なのでセキュリティが甘いらしい。警報は鳴らなかった。「お邪魔しまーす。」と少々わけのわからない挨拶をし、店へ入る。ひとしきり物色した後、木目の可愛いテレキャスターを手に取った。それを近くにあったギターケースの中に入れ、堂々と店から持ち去った。


「こんなことができるなんて……」


私はとてもとても、気が大きくなった。



 私は部屋に帰り、ギターを弾いた。夢の中でも腕前は変わらないらしい。大して上手くなかった。


 満足すると私は台所へ行き、下から二段目の引き出しを開け、そこからナイフを取り出した。私はこれでアキを刺そうと思う。アキは大学の同期で、簡単に言えば私をいじめている女子だ。何かにつけては私をバカにし、笑いの種にしてくる。そんな彼女に復讐をしてやるのだ。もっとも、人間には理性というものがあるから、現実であればそんなバカなことはしない。だけれど今は夢の中にいるわけだし、明晰夢とはこういう使い方をするのも間違いでないはず。私はナイフだけを持ち、大学へと走った。時刻はもう正午を回っていた。



 食堂のサークル席に彼女はいた。いつものように派手な友人と大騒ぎしながら、昼食をとっている。


「おーい!アキちゃん!」


 私は怯えるでもなく、ドスを効かせるでもなく言った。夢だとわかっていれば、大して怖くもない。


「なんだフミか。何?またバカにされにきたのかな?あはは!」


 アキの言葉に周りの人間が湧く。そうそう、アキといえばこういうやつだ。

そんなアキたちの一切を無視して、私は言った。


「これがなんだかわかる?今からこれであなたを刺します。」


 アキたち全員に電撃が走ったようだった。さすがに凶器を目の前にすると怯えて動けな……。


「痛い!!」


 私はいつの間にか殴り飛ばされていた。隣の席にいた男の子が、私を殴ったのだ。でもそんなことはどうでもいい。私はアキを……


「……あれ?……なんで……痛いんだろう……。」


 夢だったら痛みなど感じないはずだった。だけど殴られた頰は確かにズキズキと痛んでいる。あれ……もしかして……これって……。


「フミ……?あんたこれが夢だとでも思ってるの?おふざけで終わらせらんないよ、ナイフなんか持ってきて。」


 そんな、そんなことがあったら人生おしまいだ……。でも頰は痛んでいる。今思い返してみれば、ギターを盗んだ後の自室はいたって普通だった。最初から夢ではなかったか、どこかのタイミングで現実に変わっていたか……。いずれにしてもこれは現実だ。そして、私は窃盗や殺人未遂を犯した犯罪者。


「あはは!頭おかしくなっちゃったんだね!かわいそうに!あはは!」


アキの声が反響する。周りの人間もちらほらと笑い始めた。


「この大学から犯罪者が出るとはね、しかもフミ。江崎フミ容疑者ってニュース出んのかな?あはは!」


もういい。もうやめてくれ……

アキは最後に、とどめを刺すように言った。

「卵かけご飯にポン酢を入れると美味しいよ。」

「……え?」

「卵かけご飯に、ポン酢を、入れると、おいしい。」

「なんで……今?」

「すっごい微妙に思えるんですが、とってもおいしいんです。ご賞味あれ。」

「あー……はいはいはい……あーポン酢、ポン酢ね……。や、やってみるよ……はは……」




 私は目を覚ました。そう。全ては夢だったのだ。ズキズキと頰が痛いから、親知らずを抜かなければ……。

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