夏の章 茶道ガールと華道ガールのサイレント茶会 PART5


  5.


「涼介、遅いぞ。はよこんかい!」


「お、おう。すまん」


 恐る恐るいつもの集合場所に着くと、団扇を大きく仰いでいる秀樹の姿が見えた。


「男が女を待たせてどうする。そんなことじゃ愛染さんがすぐに帰っちゃうかもしれないじゃないか」


「まだ来てないんだろう。大体集合時間までまだ10分もある」


「もう10分しかない! だろ!」


 秀樹は首に巻いたタオルで汗を拭きながら吠える。よほど緊張しているのか、足がガタガタと震えあがっている。


「本当に来てくれるかなぁ、愛染さん。私服かなぁ、それとも浴衣かなぁ……」


「あら河内君、あたしのは気にならない訳?」


 花鈴が俺の後ろからのそりと出てくると、秀樹は大げさに両手を振ってみせる。


「遠藤さんはいつもかわいいから、全く問題ありません! 浴衣もばっちりだよ、ノープログレム! 本当、涼介の野郎が羨ましいよ。地獄に落ちて欲しいよ、全く……」


「おい、気をつけろよ。お前の目の前にいるぞ」


 軽く突っ込むと、秀樹は目をひん剥きながら声を張り上げる。


「わかってていってるんだよ! 聞こえなかったのか? GO TO HELLだよ!」


「あら、そう。じゃあ俺は予定通り、花鈴と二人で楽しんできちゃおうかな……」


 踵を返そうとすると、秀樹は俺の肩を穴が空きそうなくらい大げさに叩き始める。


「うそうそうそ、全部、今の冗談に決まってるだろう! もー菊池君がいないと、俺は何もできない男なの。ね、ね、ね?」


「……どうする、花鈴? お前が決めていいぞ」


 花鈴に視線を送ると、彼女は満更でもなさそうに首を傾げてみせる。


「んーしょうがないなぁ。河村君、これは大きな貸しだからね? あたし、今年はほんとーに楽しみにしてたんだから」


「本当にごめんなさい……。そしてありがとうございます、花鈴様ぁ……」


 そういって秀樹は花鈴の前で膝をついてみせる。そこまでオーバーリアクションを見せられれば、花鈴だって引くに引けないだろう。



 ……ベタベタな演技だけど、これで一件落着だな。



 胸の中だけで小さく息を整える。始めから秀樹と仕組んだ茶番だったのだが、思いの外、花鈴には効いたようだ。愛染さんを含んだ四人でのダブルデートになると、諍いが生じてしまう恐れがある。


 そこで今回は秀樹の頼み、ということにして貰ったのだ。


「その代わり、もう一回同じセリフをいって貰ってもいい?」


「同じセリフ?」


 秀樹と同じく目を丸くすると、花鈴は人差し指を振りながら続けた。


「菊池君がいないと何にもできないんです、ってとこ」


「ああ。そんなことですか……何度でもいいますよ! いわせて貰いますよ!」


 そういって秀樹は空咳をして力を溜める。


「俺、河村秀樹は菊池涼介君がいないと何にもできない駄目男です! 菊池君なしじゃ生きていけませぇん!!」


「くくく……河村君、やっぱり君は面白いね……くくくっ」


 花鈴は腹を抱えながら笑い転げる。それに便乗して秀樹はさらに声を張り上げていく。


「遠藤さん、これは冗談なんかじゃないよ! 俺には涼介が必要なんだ! 生涯を掛けるならこいつしかいないって思ってる!」



「……あら、じゃあ私は必要なかったかしら?」  



 屋台の風鈴の音と和太鼓のBGMが流れる中、愛染さんは颯爽と現れた。白く可憐な鉄砲百合があしらわれた浴衣が眩しく、目を奪われる。


「……う、美しい」


 秀樹がぽつんと声を上げる。確かにそれ以上の言葉は見つからない。見つけようもないほど、俺の目は彼女から離すことができない。


「こんなに美しい大和撫子は見たことがない、ここは本当は日本じゃないのか?  女神がいるぞ、涼介」


「何いってんの。そんな褒め方されても愛染さんもリアクションに困るだろう」


 秀樹に突っ込みをいれると、花鈴が腕を組みながら同意した。


「そうだよ、河村君! ほめ過ぎても女子は嬉しくないからね! ねぇ、愛染さん?」


「そうね。却って申し訳ない気持ちになるわ……」


 愛染さんはいじらしく顔を火照らせてみせる。屋台の灯りが彼女の姿を妖艶に光らせ、妙な色気を感じてしまう。


「す、すいません。じゃあ、全員揃ったことだし、早速、食べもんの屋台からぶらつきますか」


「超さんせー! ねえねえ愛染さん、あっち行ってみない?」


「ええ、そうね。ちょ、ちょっと、遠藤さん。ま、待って。裾が伸びちゃう」


 花鈴は祭りで賑わう人々の中に愛染さんを潜り込ませていく。下駄の音と風鈴の音が混じり、祭りの雰囲気を一層掻き立てていく。


 普段は過疎化しているこの場所でも、祭りとなれば県外からも客が来るくらいに人で賑わっている。それは有名な花火職人がいるからだ。


「愛染さん、かわいいな~ほんと、京美人って感じだよな」


「そうだな」


 頷くと、秀樹は指を振りながらため息をついてみせた。


「ノンノンノン、そういう時は遠藤さんの肩を持つべきだろう。どうしたんだよ、お前、まさか鞍替えする気か?」


「ま。まさか! そんなことある訳ないだろう、何いってんの!?」


「そうだよな。男気溢れる菊池クンがそんなことする訳ないよな。ま、そういうことだから、頼むよ、菊池クン」


 秀樹はそういいながら、彼女達の輪に入り込んで笑顔を振りまいてみせる。よほど、愛染さんのことが気になっているのだろう。


 

 ……愛染さん、楽しそうだな。



 彼女の緩い笑顔を見て思う。春の展覧会の時に見せた涙や決意からは今の姿は考えられない。


 祭りの喧騒に体を置いても、心は静かなまま冴えわたっている。それはきっと親父の書が未だ残っているせいだろう。



 ――飛べない絆はただの鎖だ。



 親父の言葉が、親父の書が頭の中で反芻される。俺はこの地元で何を残すことができるのだろう。外に出なければ、自己満足の欠片しか残せないのだろうか?


「どうしたの? りょう。早くこっちに来てよ」


 花鈴が俺の方を見て首を傾げている。


「一緒にこれ、やろうよ! 今年は負けないんだからねっ!」


 花鈴の手を見ると金魚掬いの網を掴んでいた。薄く張られた紙が風に吹かれゆらゆらと揺らめている。


「ああ、そうだな! やろうやろう」


 網を取りながら金魚を選別していく。なるべく小さいものを狙って取ろうとすると、親父の言葉が再び蘇っていく。


 

 ――今飛ばなければ、翼はなくなっちまうぞ。



 そんなことはわかっている。オレは失いたくないから、飛ぶことを恐れているわけじゃない。この地元の皆が好きだから、そこにいたいと思うのは当然だ。


 

 ……オレは烏でいたい。何色にも染まらない、黒く強い翼が欲しい。



 小さい金魚を掬い続けると、大きな黒いデメキンがオレの回りに寄ってきた。挑戦的な視線にたじろぎながらも、網に力を込める。



 ……いいだろう、挑戦してやる。



 網の枠を使いながら目標を端へ追い込んでいく。網を傾けて一瞬にして掬いあげてカップの中に放り込むと、他の小さい金魚が溢れて元の水槽の中に返っていった。



「……うまいのね、菊池君。でもそんなに欲張っちゃ駄目よ?」



 隣を見ると、花鈴ではなく愛染さんが林檎飴を掴んだまま座り込んでいた。




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