春の章 華道ガールとミックス展覧会 PART11



  11.



「……いい風だな、涼介」


 飯田さんはそういいながらウェットスーツに着替えていく。


「この波に乗れたらお前の勝ちだろう。なあ?」


 海を眺めると、風が強く吹いており、激しい波が浮き立っている。だが四方八方から風が吹いているせいで、波の割れ目は無茶苦茶で、至る所で白波に溢れている。


「俺にはまだ無理です……この風じゃ……」


「何をいってる。ここで恰好つけなきゃ、どこでつけるんだよ?」


 飯田さんに背中を叩かれ激励を受ける。


「男なら黙ってキメろ! フォローはしてやるさ」


 

 ……確かにここで乗らなきゃ、男じゃない。



 遠くで海を眺めている愛染さんを見て思う。彼女は海自体が珍しいのか、砂浜にある砂を掴んでは離し、感触を楽しんでいる。


 無理やりに体を動かして、飯田さんの大き目のウェットスーツに着替える。幅が広い分、海の中に入れば海水が染み渡ってくるだろう。だがそんな女々しいことでこの場を逃げる訳にはいかない。


「よし! やるだけやってみます!」


「ああ。何でもやってみなきゃわからんよ」


 飯田さんのボードを掴み彼の後を追う。彼のボードは全てショートボード、上級者が扱うものだ。浮力が低い分、立ち続けることが難しいが、波の上を自由自在に動くことができる。



「見とけよ、涼介。手本を見せてやる」



 飯田さんは一足先に沖へ辿り着きこちらに声を上げる。荒れ狂う波の中、目標を定め、難なくうまく立ち会がってしまう。一瞬にして波の道は消え去ったが、乗り切ったため、飯田さんは満足そうだ。



「どうだ! 乗れないことなんてないだろう、お前も試してみろ!」



 飯田さんはそういって再び沖に向けてパドリングしていく。もはや愛染さんを連れてきたことなど忘れ、純粋に波乗りを楽しんでいる。



 ……乗れない波はないんだ。よし、俺も!



 海の中に浸かると、冷たい海水が体に染み渡っていく。五月に入ったが、海の温度は一月遅れ、四月に相当するため、猛烈に冷たい。 


 慣れないボードの上に体を預け、パドリングを繰り返していく。重心の位置を定め前へ進むと、いつもより高い波が幾重にも重なり、体の上から降り注いでくる。


 

 ……おお、やっぱり海の中は冷てえ!


 

 高波から身を守るため海の中へ潜り、体を前へ前へと進んでいく。急激に冷え込む体に鞭を打つように顔に張り手を加えていく。飯田さんの所まで辿り着くと、彼は目を細め、波を見定めている。


「涼介! 今回は俺の合図で動け! きちんと見極めてやるからな」


「はい!」


「よし! もう来るぞ、準備しとけよ! よし、いけ!」


 飯田さんの合図と共に、逆に向けてパドリングを進める。風が強い分、いつも以上に全力で漕がなければ体が置いていかれてしまう。


 波と融合しテイクオフを決める。横に体を滑らそうとすると、隣から来た波に追いやられ、直様、体は海の中へ追いやられる。


「惜しいな! もう少し早く立ち上がれば、乗れてたぞ!」


 飯田さんの激励を受けながらも、再び合図を受けて走り出す。だが立ち上がることすらできずに、波に飲み込まれてしまう。


「どうした!? びびってるのか、もっと早く漕ぎ出さんと乗れるもんも乗れんぞ!」


「すいません、もう一回お願いします!」


 荒れ狂う波の中で、飯田さんの言葉だけを頼りに岸へ向かう。すでに愛染さんがどこにいるのかすら、わからない。


 

 ……ここで乗らなきゃ、いつ乗るんだ。自分の実力で成し遂げなければ何も身につかない。


 

 書の推薦状が再び頭に浮かぶ。見ず知らずのお偉いさんから推薦を受けたとしても、書いたのは俺自身だ。本当の評価ではなくとも、次の書は必ず認めてみせる!



 飯田さんの合図を待たずに無我夢中で漕ぎ出す。後ろから追いやられる波に体を預けボードの中心に立つ。バランスを掴み直様、体を横に預け、感覚で道を探っていく。



 ……他の波が被る前に進め! 重心を前に預け、ともかく前へ!



 横から押し寄せる波を搔い潜り、体を前に預ける。バランスを崩して倒れてもいい、道がある限り、限界まで進みたい。


 次第に波が緩くなり、泡を立てて消えていく。力を抜くと、ゆっくりと海の中に体が入っていくが、ひんやりとして気持ちがいい。


「涼介、うまく乗ったな! よかったぞ!」


「はい! ありがとうございます!」


 辿った道のりは一瞬にして白波になって消えていく。だが飯田さんに認めて貰えたことが何より嬉しい。一回しか成功しなかったが、それでも体は高揚していく。


 岸へ戻ると、愛染さんがバスタオルを抱えながら待っていてくれた。


「菊池君、大丈夫? 顔、真っ青よ?」


 愛染さんは俺の体にタオルを巻きながらいう。


「波に乗るっていうのはこんなにも大変なのね。知らなかったわ……」


「きょ、今日のは特別だよ」


 冷えていた体が急激に熱くなっていく。海から離れたため、風を浴びても心地いい温度になっていく。


「本当は朝方の波の方が乗りやすいんだ。でも今日、ここに来れてよかったよ。ありがとう」


「菊池君?」


 お礼をいったせいか、愛染さんは首を傾げ尋ねてくる。


「もし愛染さんがいなかったら、今日、俺はここに来ていない。おかげで荒波に乗ることができた。展覧会の字、いいものが書けそうな気がするよ」



 ……安全な波に乗ることばかり考えていて、挑戦することを忘れていた。



 始めたばかりの時の目標は飯田さんのように、どんな波にでも乗れるようになることだった。だが失敗を繰り返すことで、俺は夕方の波から逃げていた。


 どんなことだって、挑戦する限り、初めてのことばかりなのだ。逃げていては道は塞がれてしまう。


 そんなことではいつまでも辿り着きたい場所になんて、いけない。



「必ず書いてみせるよ……愛染さんに納得して貰える字を。俺が書きたい字を」


「ええ、期待しているわね。私だって負けないわ。展覧会、頑張りましょうね」


「うん!」


 俺が笑顔で応えると、飯田さんはにやにやしながら俺達を眺める。


「確かにこれはいかんなぁ……。これを花鈴が見たら、まずいだろう。ほどほどにしとけよな、お前たち」


「何いってるんですか、飯田さん! 連れてきた張本人の癖に!」


 突っ込みを入れると、飯田さんは笑顔を見せながら車の方を指差した。


「まあ、今日は解散にしとくか! 2人とも、送っていくよ」


 飯田さんの車に近づきながら、再び海を眺める。ぶかぶかのウェットスーツを脱いで制服に着替えると、愛染さんが隣で囁いてきた。



「……菊池君。まだ時間があるなら……この後、私の家に来てくれない?」



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